文化祭に向けて 14
日陽先輩の視線の先にいるのは、昨夜僕たちが遭遇した先輩たちだ。
「はあ? いきなり来てなに言ってんの?」
「言いがかりだし、証拠でもあんの?」
「犯人扱いとか、ただでさえデリケートな問題なのに、やめてほしいんだけど」
美術部の先輩たちからは反論がくるけれど、日陽先輩は全く動じず。
「一日経っているのに証拠なんて残っているはずはないでしょうね。すくなくとも、物的証拠は。けれど、状況証拠的に考えて、犯行が可能だったのはあなたたちしかいないのよ」
まずもって、美術室の中に保管してある作品に手を出すためには、施錠されている美術室の鍵を手に入れなくてはならない。
「昨夜、鍵を借りに来た人物は、すでに職員室に確認済みよ」
まさか、学園の教室の鍵をピッキングして、なんてありえないだろうしな。それだって、犯罪行為だし。
もっとも、ピッキングだろうと正規の手段、つまり鍵を使っていようと、その後に美術室の作品を台無しにしている時点で器物損壊なのだけれど。
事故ならばともかく、明らかに故意に犯している時点で。
「窓は開いていなかったし、そうなると出入りが可能なのは扉だけ。その扉から出入り可能なのは鍵を持った人物だけ。そして、私たちが張り込みを開始した時点では、すでに鍵は開いていて、まだ作品は無事だった。鍵をかけ忘れて帰った、ということでもなかったことは、鍵の貸し出しの人物を調べた時点で確認済みよ」
日陽先輩は、すっかり青ざめ、おろおろとしている先輩たちを真っ直ぐに見据え。
「だから、犯人たり得るのは、あの時点で鍵を使用できたあなたたちしかいないのよ」
美術室に来ていた、おそらくは美術部員の非難めいた視線が集まる。
当然だ。自分たちの時間と、技術と、心を込めた作品が台無しにされたのだから。
「幽霊騒動を起こしたのも、噂を流したのもあなたたちよね。そうすることで、この場所に他の生徒を寄り付かないようにさせる算段だった。しかし、予想に反して、私たちが張り込みなんて始めてしまったものだから、実際に幽霊を出して私たちをそちらに釘付けにする必要が出てきたのよ」
他人の目があったのでは、作品に手を出すことはできない。
そして、あのままだと、僕たちは幽霊が実際に出るまで引き下がらないだろうと踏んだのだろう。そして、目論見どおり、僕たちは釣り出されたわけだ。
ただし、日陽先輩の論法だと、一つ、欠点というか、抜け道があることも事実だった。穴というほどの穴でもないのだけれど。
「……その言い分だと、あなたたちにも同じように犯行は可能なんじゃないの」
「そうそう。本当は自分たちでやっておいて、うちらに罪を擦り付けようとしているんじゃないの?」
「そっちこそ、自分らではやってないって証拠はあんの?」
僕たちは互いにアリバイを証明できるけれど、それは同じ部の部員、つまり、身内の証言だ。そして、身内の証言は証拠としては扱われない。大橋先生を呼びに行ったのも、現場を見た後だしな。
加えて、大橋先生にも、同じような理由が適用される。
もっとも、弥生先輩に呼ばれて美術室までいらした際、大橋先生の息は切れていなかった。もし、犯人だというのなら、職員室までの往復を考えても相当急いでいなければならないはずで、人間である以上、多少なりとも息が切れていなければおかしかった。だから、おそらく、大橋先生は犯人ではないだろう。
とはいえ、ここで開き直るとは、なかなかに肝が据わっているなあ。
たしかに、確実に採用できる証拠と言えるようなものはない。
「私たちがやっていないという証拠はありませんが、そこまで言うのなら、警察の方を呼んで調べていただきましょう」
しかし、日陽先輩は落ち着いた口調で。
「犯行に使われたらしい絵筆は、当然残されているはずよね。私たちがいつ戻ってくるのかの予想なんてつかなかったはずですもの。そもそも、わざわざ、幽霊の偽物まで用意してそちらに注意を引かせたのに、私たちが戻ってきたときに現場にいたら、筆を洗っている場面とかを見られてしまうかもしれないものね。それなら、その筆に一番新しく残っているのがあなたたちの指紋であるはずよ」
可能性は低いと思うけれど。
とはいえ、あの場に昨夜、僕たちがいること自体、イレギュラーだったのだ。
おそらく、もともと、犯行はするつもりだったにしても、すぐ近くに第三者がいる、という状況は想定外だっただろう。
「そもそも、あなたたち、美術部の部員でしょう? それなら、せめて、美術作品に対しては誠実であろうと思わないの?」
いや、そもそも、あんなことをしでかす相手に対して、精神論はどうなのだろう。
しかし、相手は落ち着いた様子で。
「筆なんていくらでも調べればいいじゃない。犯人は手袋をしていたかもしれないし、使用された筆が、たまたま、私たちが最後に使用したものだっただけかもしれないし」
とはいえ、あんなに衝動的に見えるやり口を晒す犯人が、念入りに指紋を拭き取るだとか、手袋をするなんていうのは考えにくい。
それに、たとえば、美術室においてある、忘れ物とか、壊れてしまった場合の代替用の筆だとして、使用した後には洗うのだとしても、戻す際には必ず指紋が残る。わざわざ、美術の授業で手袋をしている生徒なんて見たこともない。それは、今部活をしている美術部の人たちにも言えることだ。全員、素手である。
そもそも、本当に僕たちがやったなどと思っているのなら、今の僕たちと同じように、彼女たちは朝一番、美術室の惨状を知った時点で僕たちのところに追及に来ていなければおかしいはずだった。
というか、昨夜、僕たちが追及に現れた時点で、その可能性について言及していてもおかしくない。本当は、あなたたちが犯人なんじゃないの、と。
さすがに、教師だからか、大橋先生から直接は言葉をもらったりしなかったけれど、同じ生徒で、状況を聞かされたのなら、真っ先に僕たちを疑う、あるいは僕たちに対して怒っても不思議はない。
しかし、彼女たちは、疑われそうになったことに対して怒っただけで、僕たちを追及しようとはしてこなかった。それは、心のどこかで、自分たちがやったと理解していた証拠なのではないだろうか。所詮は想像だけれど。
「まだあるわよ」
しかし、日陽先輩の追求はそれだけでは終わらなかった。
「この別棟、いえ、学園の建物の入り口には、それぞれ、監視カメラがついているわよね」
たとえば、学園正面玄関だったり、体育館出入り口だったり、それからもちろん、この別棟の出入り口にも。
「それを調べれば、昨夜、ここの別棟に出入りした人物も割り出せるわ、時間もね。それに、私のスマホには、昨夜のこの美術室の様子、まだ作品が無事だった時刻の写真も収めてあるの。その時刻と、監視カメラの映像とを照合して、それ以降に出入りした人物を割り出すのは、それほど難しいことではないわ」
いつの間にそんな写真を、と思って日陽先輩の表情を窺えば、明らかに嘘をついているときの表情だった。
僕たちからすればとてもわかりやすかったけれど、多分、僕と弥生先輩以外にはわからなかっただろうし、今はそれで構わないだろう。
「はい、そこまで」
声をかけてきたのは大橋先生だった。
「もういいよ、海原。藤堂、秋月も。後は任せて貰えるかな」
大橋先生がいらしたことで、先輩たちの肩が目に見えて落ちるのがわかった。
「きみたちは、自分の作業に戻りなさい。まだすることはあるんだろう?」




