二人きりの文芸部 5
調べた結果、印刷所は驚くほど近くにあった。同じ市内だ。
ただし、入稿は一週間前まで、原稿はデータが好ましく、値段のほうは九十二ページ、三十冊で二万九千六百円。ページの追加は八ページごとに三十冊で千八百円。
フルカラーの表紙を入れたりするともっと高くなったりするので、とりあえず、そこまでは今のところ考えていない。日陽先輩は九条さんに頼もうとしていたけれど。
とはいえ、三万円ちょっとというのであれば、文芸部の三人で割れば出せないこともない価格だ。もちろん、大金には変わりないし、高校の文化祭で自費出版本一冊を千円で売るというのは、かなりのハードルのように思える……というより、不可能では? 以前、僕の書いた小説を配って読んでもらったのは、本当にごく親しい間柄の相手だけで、しかも料金は取っていない。
まあ、今回は日陽先輩と弥生先輩の小説も載る予定だから、もう少しはまともなものになると思うけれど。
しかし、はっきり言おう。僕たち高校生にとっては、それでもまだ高過ぎる。買ってくれる相手がいるとは思えない。
ライトノベルとか、一冊七百円とか、そのくらいなのにどうやって採算を取っているのだろう。たしかに、大量に刷るとなればそれだけ単価も下がるのは道理だけれども。
いや、表紙のカラーはコンビニで別に印刷することにすれば、もう少し、いや、大分抑えられる。カラー印刷というのは、それだけで桁違いに高い。
というわけで、それは諦めて、うん、多分、これが一番だろう。
いろいろ、それはもう、印刷方法から、納期から、調べられるものは徹底的に調べ上げ、百部刷っても三万円ちょっとというところを発見した。一部三百円なら、もしかしたら、売れるかもしれない。なにせ、五百円硬貨でおつりが出る。
小説自体のサイズはA5の二段組がいいだろう。そうすればページ数も半分で済む。
コンビニのカラー印刷は一枚五十円。百枚で五千円。
つまり、総印刷費は約三万五千円。三人で割れば一人頭約一万千七百円。さっきのとほとんど変わらない値段。しかし、部数は三倍以上だ。それくらいであれば、出せないこともない。ただ、売れなかった場合、来月の単行本が後回しになる可能性は高いけれど。
「そうですね。それでは、一部四百円でどうでしょうか?」
弥生先輩がそう提案してくれるけれど、少し難しい顔をしていた。
こればっかりは実際に売ってみないとわからないことだから仕方のないことだと思う。もちろん、普通のライトノベルの値段から三割は削減できているけれど、あちらはプロ。こちらは素人の集団だ。
「まあ、自分たちが書いたものを『売る』というのは初めてのことですからね。失敗はしたくありませんが、経験ですから」
一応、日陽先輩にもメッセージを送っておく。
文化祭自体は来月末だし、納期的には問題ないだろうけれど、確認のためだ。
返事はすぐに来て、わかってはいたけれど、二つ返事で任せてくれた。
「それでは、私も作品の続きを頑張りますね」
弥生先輩が意気込んだ様子でパソコンに向かう。
「それなら僕は、もう一度、美術部を訪ねてみます」
一応、僕の作品は完成している。
イラスト――ライトノベルと同じということならモノクロということになるけれど――を描いてもらえるというのなら、ストーリーは読んでもらう必要もある。
もっとも、まだ引き受けてもらえたわけではない――前回は日陽先輩の暴走でうやむやになってしまったし――ため、そこから頼まなくてはいけないのだけれど。
幸いなことに今日も美術部は活動していた。
「九条氷彩さんはいらっしゃいますか?」
さすがに、日をおかずの二度目なので、覚えられていた。
二年生部員がおらず、前回より人入りの少ない美術室を行き、一番奥、窓際で作業する氷彩さんに。
「えっと、先日挨拶をさせてもらったのだけれど、覚えていてくれた?」
エプロン姿の氷彩さんは、描きかけのキャンバスから顔をあげ。
「はい。一組で、文芸部の空楽さん、ですよね」
僕は頷いて。
「覚えていてくれたということは、この前日陽先輩と一緒に来たときのことも覚えていてくれていると思っていいのかな?」
氷彩さんが頷くので。
「良かった。それで、あのときはまだできていなかった原稿ができたから、もしよかったら、それを読んで、挿絵を描いてくれないかな。もちろん、代金は払うから」
イラストレーターという仕事の相場はわからないけれど、いったい、一枚いくらくらいなのだろう。
読んでくれている時間で少し調べたのだけれど、うわあ、カラーだと一枚、二、三万もするのか。モノクロだと一枚一万円程度。
これは、気軽には頼めないな。同じ学校、同級生だからといって、ちょっとお願い、みたいな雰囲気で頼める仕事ではないな。
小説のほうは自分たちで書くのだから、原稿料とか、手数料とか、そういうものをまるきり無視していたけれど、イラストってそんなにするのか。
あらためて、ライトノベルって、本当に利益は出ているのか? 発行部数によって違うと言っても、限度があるのでは? と僕はどつぼに嵌り始め。
「あの、やっぱり――」
「なぜ、私なのでしょうか?」
自信なさげな視線で、氷彩さんに問われ。
「他にも、先輩がたもいらっしゃいますし、私でなければならない理由はあるのでしょうか?」
「それは、この前日陽先輩の態度とか、言っていたことが答えにならないかな」
数ある並べられた作品の中で、氷彩さんの作品に一番惹かれたからだと。
「わかりました。お引き受けします」
僕の返事を聞いて、黙り込んでしまった氷彩に、やっぱり自分たちでどうにかするから、と言おうとしたところ、そんな答えが返ってきた。
「もちろん、代金はいりません」
「え? ちょ、ちょっと、待って」
いくらなんでも、それはないだろう。
たしかに、ライトノベル……商業誌というのはある種ブランドで、僕たちの出す同人誌は所詮趣味の延長でしかないのかもしれないけれど。
「さすがにそんなわけにはゆかないよ。僕たちだってこれを売るという――」
「それなら、この、小説集でしょうか? これを売るための価格設定もしているのですよね。そこに気持ち足していただければ、これほど嬉しいことはありません」
そんな馬鹿な。
本人が言っているのだからそれこそ正しいのかもしれないけれど。
「ですが、これって、つまり、私なんかの描いた絵を評価してくださったということですよね。それだけで十分、私にとっては嬉しいことですから」
氷彩さんの言っているような気持ちは、わからないでもない。
僕だって、小説を閲覧無料のサイトに投稿しているわけだし、あまつさえ、それでブックマークなどもいただいている。それも、身内以外からも、だ。
もちろん、それだけでは、まったく、なんの収入にもなりはしない。人気が出て、商業化して、売れて、初めて収入になるのだから。
では、無料で閲覧されて嬉しくないかと言われれば、そんなことはなくて、むしろとっても嬉しいことだった。仮に、あなたの小説がとても素晴らしく思いますので、どうか別のサイトでも紹介することを許していただけますか、などと打診されたら、ふたつ返事で了承するだろう。
「ですから、どうか、その挿絵と表紙のイラストの件、ぜひ私に描かせてはいただけないでしょうか?」
いつの間にか、お願いする立場が入れ替わっていた。
「あの、でも、氷彩さん、自分の作品のこともあるんじゃないの?」
文化祭に出す作品とか。
「はい。ですが、そちらは夏休みから描いていたもので、もう終わりますし、こんな光栄なお仕事……いえ、代金が発生していませんから仕事ではありませんね、依頼はもうないかもしれませんから」
「えっと、これはまだ僕のものだけで、日陽先輩と弥生先輩のものも――」
「やはり、私では物足りないということでしょうか……」
氷彩さんはどこかネガティブな感じだった。なぜ、今の話の流れでそういうことになるのだろう。
「そんなことないよ。えっと、それじゃあ、よろしくお願いします」




