透明の檻
「籠杜さんって、ちょっと変わってるよね」
「え? そっかな?」
私は学校の友達から、そんな事を言われた。
サラリと流したつもりだが、内心では割と心外だと思っている。
(何を基準にして言っているのだろう)
まあ、そんな言葉はおくびにも出さないが。
世の中こういう無神経な人は、山のようにいて。
無神経だと思わない人の方が、大多数なのだろう。
飽きる程に見てきたし、浴びる程に受けてきた。
そういう評価は。
(私の何がどう変わっていようが、あなたの人生になんの関係があるのよ)
私は飲み込む。
毒を。
それは沈み、澱む。
川の底に溜まり続ける、澱のように。
泥濘のように。
◆◆◆
時々思う事がある。
自分の周りには、目には見えない透明の檻がある、という事だ。
それは人によっては規則だったり、空気……同調圧力だったり、風潮などと呼ばれる事もある、息苦しさを伴うモノだ。
これに囚われると、人はその息苦しさに身悶えし、酸素を求めて呼吸をしようとする。
だけど、その檻にはどうしてもその人達が『生きるのに必要な』最低ラインしか供給されない。
最悪の場合は、死に至る。
人がどんな『酸素』を必要とするかは、他人にはおよそ理解し得ない。
一人一人で異なるからだ。
なのに、共同体はそれを一律にして、均して、一般化して、無理に当て嵌めようと、働き掛ける。
不利益を被るのは、いつだって他人と異なる価値観を固辞する人で。
少数派にすら属せない、権利を主張する機会すら奪われる人だ。
それは、人ではない。
透明の檻に囚われたイキモノは。
人ならざる怪物に変じてしまうのかも知れない。
◆◆◆
そんな私が鯉口 仕舞と出会ったのは、私が高校3年生になった時の事だった。
彼女はおよそ一般的な女子高生とは言い難いプロフィールの持ち主で、私と接点を持った事自体が奇跡めいていると思った。
何しろ彼女は、
「籠杜さん。籠杜 鎺さん。初めまして。私と付き合って下さい」
と、初対面の人間に有り得ないレベルの告白をしてきたからだ。
この際、レズビアンである事はまあ、否定すまい。
が、よりにもよって、初対面の人間にいきなりカミングアウトしてくるというのは、常識的に考えて、頭がおかしいと言わざるを得ない。
常々周りからあなたは変よと言われる私をして、コイツは私以上に変な奴だなと思わされるパーソナリティだ。
私は困惑しつつも、彼女を傷つけまいと、なるべくやんわりと断った。
「……ごめんなさい。その……私、普通に男の子が好きなの」
だが、言ってから、しまった、と私は口を押さえた。
自分が散々に普通ではないと言われるのを嫌がる癖に。
相手がレズだからと、つい、配慮を欠かしてしまった。
「……あ、あの、ごめんなさい、そういう意味じゃなくて」
私は言い訳のように彼女に別の意味で謝った。
すると彼女は言った。
「そうですか。しょうがないですね。急に告白して、ごめんなさい」
淡々と、何も感じていないかのように言うと、ペコリと謝り彼女は私の前で踵を返した。
あっさりしたものだ。
冗談のつもりだったのかな、と思わせる勢いである。
私は拍子抜けしたような、ホッとしたような気持ちだった。
彼女の初対面にしてはかなり急速過ぎる告白には実際困ったし、これで良かったのだろうと思う。
だけど、私の心にはいつまでも残る。
澱が。
彼女に対して、一瞬でも発してしまった『あなたは普通ではない』というニュアンスを込めた言葉に対する、罪悪感めいた気持ちが。
それがいずれ、雪だるまのように膨れ上がってしまう事など、その時の私には知る由もない事だが。
◆◆◆
「こんにちは、籠杜さん」
「……こんにちは」
翌日には平然と話し掛けてきた鯉口さんに私は閉口した。
マジか。
メンタルが強過ぎるだろ。
「友達なら良いよね」
私の内心を先回りするかのような詰め寄りに、私は鼻白む。
「うん、まあ……」
罪悪感も手伝って、私は受け入れてしまう。
その日から私と鯉口さんは、友達になった。
まあ別に、隙あらばキスを迫るとか、そういう無茶はしてくる子じゃなかった。
むしろ変だったのは最初のトップスピードだけで、レズビアンを装って友達が欲しかっただけではないかと思わせる『普通』っぷりに、私は少しガッカリしたくらいだ。
……何をガッカリしたのか?
期待していたのかも知れない。
それは、別に彼女が百合的なアプローチをしてくれる事そのものではなく。
私以上に変な奴として、私のスケープ・ゴートになってくれるんじゃないか、という後ろ暗い願望である。
醜い友達関係もあったものだ。
私は彼女を実質的に友達というよりも、自分に劣る存在として見做しているのだろう。
その自覚がないと言う程に私は無垢でもなければ、愚かでもない。
まあ、ただ、友達というのは互いを見下しあっている位が丁度良いとも言う。
私はひねくれた友情論に縋り付き、彼女の存在を意外と有難く受け入れている自分を、なあなあに許していた。
そのツケは、いずれ回るという自覚も何処かに抱えながら。
◆◆◆
「一緒の大学に行こうよ、はばきちゃん」
始まりはそんな言葉だった。
私は彼女と成績も近しかったし、まあ、別段断る理由もないなと思った。
「そうだね。大学も一緒だと良いね、しまいちゃん」
腹の底に黒い感情を隠したまま、私は答える。
いつの間にか私と彼女は下の名前で呼び合う程度には仲良くなっていて、私の下心は別にして、クラスでも公認の仲良しさんにはなっていた。
鯉口と鎺という名前のせいか、納刀カップルなどと揶揄される事もあったが。
(私が彼女に納まる方なのは、まあ洒落が利いているな)
それも悪くないと思い始めた頃には、既に手遅れだった。
◆◆◆
「はばきちゃん。そろそろ私達、次のステップに進んでも良いんじゃないかな」
大学受験も終盤戦にきて、ああ、二次試験の話かなと呑気に構えていたら。
「次ね。そうだね、そろそろ」
私は不意打ちを喰らった。
「改めて、私と付き合って欲しいの。はばきちゃん」
私は思考が停止した。
なんで?
なんで蒸し返すの?
「えっと」
私が何か言う前に彼女は畳み掛けてきた。
「1年間、私と一緒にいて、居心地良かったでしょう?」
責めるような口調に聞こえるのは、私の自責の念がそうさせるのだろう。
「……それは」
そうだけど、と言おうとして、
「私の事、嫌い?」
ノーとしか答えられない質問を投げ掛けられ。
「そんな事ない、でも……」
トドメの台詞が、これだった。
「先ずは、一緒に手を繋ぐ所からお願いします」
……その程度のお願いを。
そう言えば、私は、今まで一度もされていない事に気付き。
「……その位なら、まあ」
と、差し出してしまった。
「ありがとう、はばきちゃん!」
私の手を両手でキュッと掴んできたしまいちゃんの手の感触に、私は不覚にも感じ入ってしまった。
……ああ、何て、柔らかくて、温かいのだろう。
その日から私としまいちゃんは、一段階上の友達関係になった。
◆◆◆
私と彼女は無事同じ大学に入った。
因みにあの後キスもしなかったし、それ以上の事も一切しなかった。
彼女の自制心にも中々に舌を巻く。
大学に入ってからも、彼女は性的な行為は一切求めて来なかった。
私の方が不安になるくらいに、プラトニックな関係だった。
もしかすると彼女は、私に恋人的な関係は求めていないのかも知れない。
初対面が初対面だからかなりの偏見で見ている所はあるが、実際の所、彼女はやましい下心は一切見せない。
(私が意識し過ぎなだけだったのかな)
そういう風に警戒心を緩めるのは時間の問題だった。
やがて彼女との付き合いも3年目になろうかという頃。
「今日ははばきちゃんのお家に泊まっても良いかな」
「うん」
自然とそんな会話をするようになっていた。
初めての事だが、別に彼女はそういうのじゃないし。
私もすっかり安心していた。
だから。
彼女がずうっと、3年間も隠していた本性に、気付けなかった。
◆◆◆
違和感を覚えたのは、寝る時。
「一緒のお布団に入っても良いかな?」
「ん?」
同衾。
些か友達関係としては踏み込み過ぎる気もしないでもない。
「……まあ、いっか」
油断した。
大丈夫。
3年間、一切手を出して来なかった。
彼女の自制心を、私は信頼しきっていた。
「ありがとう、はばきちゃん!」
だから、この時ナチュラルにほっぺにキスされても、一瞬何が起きたか分からなくて。
「へ……?」
と、間抜けな声を上げることしかできず。
「今夜は、いっぱい愛し合おうね」
彼女のその言葉に。
「え、いや、ちょっと待って」
困惑して、拒否しようとすると。
「今までずっと、私がそばにいて、安心したでしょう? 私の方がずっと、変な子だからって、気持ちが楽だったでしょう? これからも、そう在り続けて欲しいよね?」
と、脅迫めいた言葉を笑顔で投げ掛けて来た。
「……私の罪悪感と信頼も利用するの、あなたは」
私は彼女のメンタルが恐ろしくなる。
「このくらいしないと、はばきちゃんは私に靡いてくれなかったでしょう?」
彼女は誇らしげに言う。
悪びれもせず。
私、頑張ったでしょう?
まるでそう言わんばかりに。
だが、私は。
「あぁ……何て事」
私は、3年かけて、籠絡されたのだ。
そんな彼女の、したたか過ぎる、気長過ぎるアプローチを。
確かに、嫌だとは思えなくなっていたのだから。
「……因みに訊かせて欲しいんだけど、いつからこうなる事を予期していたの」
私の質問に彼女は答えた。
「最初から!」
なるほど。
どうやら私は、彼女の作る透明な檻の中で、ずっと私に心地良い酸素を与えられていたらしい。
まるでそれは、水槽で泳ぐ、魚のようだった。
「ペットっていうのは、こういう気持ちで飼い主に飼われているのかしらね」
我が身の愚かさを自嘲しつつ、私は今夜、彼女にどのように愛玩されるのかを楽しみにするのだった。
(終わり)
ども0024です。
百合……なんですかね。
打算的な二人の、共犯関係。
一方はスケープゴートを求めて。
一方は愛情を求めて。
鯉口仕舞は籠杜鎺の愛を求めて、内心を知った上で『身代わり』の立ち位置に甘んじて、彼女の罪悪感を利用して手籠にする。
籠杜鎺は鯉口仕舞との友情めいた何かを求めて、息苦しさを回避し、そのツケはしっかりと払わされる。
お互いにズルく、だからこそバランスが成り立った感じです。
しかし、3年かけて落とすというのは僕の書く百合の中でもトップクラスに遠大ですね……。
さて、恒例の名前解説ですが。
今回は意味より音を優先してます。
が、意味もあるので一応。
鯉口と鎺については作中で自己言及してますが、刀の鯉口、鎺という部分が重なり合い、ピッタリと納まるというところに由来してます。
仕舞は仕舞うという言葉からで、籠杜は透明な檻に囚われるイメージから。
息苦しい世の中を憂うだけの小説のつもりでしたが、知らんうちに百合になるあたり、まだ自分の中で百合熱は残ってるみたいですね。
ではでは、また次回作で。