記録5
朝学校に行くと、花菱ユリがサボテンになっていた。
ここまで読んでくれた人ならば嘘とは思わないだろう。俺は花菱がゴジラになっていてもメカゴジラになっていても、いやキングギドラになっていても驚かない。サボテンなんて可愛いもんだ。
相変わらずクラスの皆何も変わらない、いつも通りなのだが、俺の隣の席にはサボテンが座っている。大きな緑色にトゲトゲが無数についているサボテンだ。着ぐるみなんてレベルじゃないくらいのリアルさは本当のサボテンをくり抜いて作っているのだろう。
クオリティが高いのもまた妥協しない花菱らしい。
「花菱さん、おはよう」
「おはよー」
しかし皆そんなの存在しないかのようだ。というか普通に話しかけている。相変わらず花菱家はどんな力を使って皆を制御しているのか想像がつかない。
この力があれば国ですら思い通りにできるのではないかとしみじみ思っていると、サボテンがこっちを向いた。
「おはよう!」サボテンが俺に挨拶をする。
おはよう、と返す。
普通ならここで俺はなんでその恰好しているのか聞くべきだろう。
しかし、たとえ世界で俺一人になろうと、俺は花菱の思い通りにはならない。どうしてサボテンになっているのかは絶対に聞いてはいけない。
皆がそれに触れないでいるのは、俺に触れてほしいという花菱の意思をそのまま現しているから。
でも……まぁ全く気にしないのも難しい。
チラリと横目で見る。見れば見るほどサボテンだ。トゲの先は触れたらすぐに刺さりそうだ。真ん中からぴょこんと出ている顔はいつも通り美少女なのがアンバランスで逆に引き立つ。
なぜサボテンなのかと考えてみる。
おそらく昨日テレビかなんかで『トゲのある女は魅力がある』なんて特集をやっていたに違いない。
メディアはいつでも無責任だ。健康に良いと取り上げられた食材は次の日にはスーパーから姿を消し、在庫担当を苦しめる。逆に悪影響があるとされるものはその真実も検証されないまま悪者にされる。
そして俺はそんなものに踊らされる人たちが嫌いだった。
花菱を軽く蔑んだ目で見る。
それに気づいた花菱がニヤリと俺を見返した。やばい、みつかった。
「須田君、私が例えばテレビで『トゲのある女は魅力がある』なんて特集やっていたからこんな格好しているんじゃないかって思ってるんでしょう」
なんだと。
「残念でした! 私はそんなメディアに踊らされる人は大嫌いなのです! そしてこの恰好には意味があります!」
……少し、少しだけ心に衝撃がくる。
花菱が俺と同じ思考を持っていたとは。そしてそれを見透かされるとは……。
サボテンがふふふと笑っている。この戦い、俺は先手を取られてしまったようだ。
そうなると俺も考え直さなければならない。
なぜ花菱はサボテンの格好をしているのか。これを解明すれば俺は花菱と同等に持ち直したということになる。
授業が始まる前にこのサボテンの謎を解かなければ俺は今日一日サボテンに負けたまま過ごすことになってしまう。それは俺の対花菱において汚点となり残るだろう。それは避けなければならない。
考えろ。考えろ……。
花菱というサボテンはもはや勝ったという表情で俺を見ている。そのトゲですら勝ち誇ってさっきより伸びているようだ。
どうしてサボテンなんだ……? 目の前のサボテンの頭から足の先まで凝視する。どこかにヒントがあるはずだ。どこだ。 どこだ? どうしてこいつはサボテンなんだ!?
しかしサボテンってのはおかしな植物だと思う。こんな風に進化するまでどのような道のりがあったのだろうか。それは俺が花菱に対抗するヒントになるんじゃないだろうかとまで思える。
こんなにトゲトゲになってまで避けたいものがあったんだろう。わかる、わかるぞその気持ち。それでも道半ば倒れていく同士もあったんだろう。サボテンの熱い物語が頭を駆け巡り、俺はそれにもはや尊敬の思いも抱く。
「サボおやじぃぃぃ!!」
「ここは俺に任せて行け! サボ息子!」
「おやじいぃぃぃぃぃいぃぃ!」
「あばよおおおっ! お前は生き残れぇぇ!!」
涙が出そうになったのを止める。
……しかし答えは出てこない。サボテンがゲシュタルト崩壊して俺に襲い掛かる。
くそ、やめてくれ! 俺はただの中学生だ。サボテンなんて好きでも嫌いでもないし、サボテン育てたこともないただの中学生だ。というかサボテンってなん……だ……。
「須田……助けてやろうか」
頭を抱えた俺に話しかける声がした。顔を上げると悪友鈴木が俺の前に立っている。
「鈴木……お前あのサボテンが見えるのか……?」
「あぁ、見えるさ。トゲの一本一本までな」
「鈴木……!」
危うく止めた涙が出そうになった。この花菱砂漠でようやく人と会えたと思った。
「鈴木、俺にはわからないんだ。なんであいつはサボテンなんだ!?」
「落ち着け須田!」
鈴木の声が俺に響いた。
「いいか、お前は今自分を見失っている。サボテンの謎を解こうとするあまり広い視点を持てないでいる。しっかりするんだ」
はっと気が付く。確かに俺は今ここ最近で一番動揺している。サボテンごときに。
「さっきからお前が見ているのはなんだ? サボテンか? 違うだろ!」
「お……俺が見ているもの……」
そして、もう一度それを見直す。緑の体、するどいトゲ……そして勝ち誇った花菱の顔があった。
「俺が見ているのは……花菱……だ」
鈴木がようやくわかったか、というように頷いてみせた。そうか、俺はサボテンの謎を解こうとしてサボテンに夢中になってしまった。つまり花菱に夢中になってしまったということだ。それが花菱の罠とも知らずに。
光が差し込んだ気がした。サボテンの幻が消えていく。
「鈴木、俺は間違っていたよ。俺はサボテンなんか考えちゃいけなかったんだ」
「ようやくわかったか」
「でももうこれは俺の負けだな……。ここまできたら俺は今日は負けを認めるしかない」
鈴木がいなかったら俺はまだサボテンのことを考え続けていただろう。抜け出すことはできたが俺にはもう反撃する力はない。
「……いや、ひとつだけお前が対等になれる案がある」
鈴木が頼もしく俺に言った。
「鈴木……そんなことがあるわけ……」
だが、この悪友は俺を救い出してくれた。もしかして特別な方法があるのかもしれない。
それなら、俺はそれに掛けてみるしかない。
そして、──俺は今、サボテンの格好をしている。
前の席の鈴木が振り向いて俺にグッと親指を立てる。俺もそれに親指を立てて返す。
隣の席の花菱ももう俺に勝った顔はしていない。そうだろう、なんせ俺も同じサボテンなんだ。そこに勝ち負けはない、ここからが勝負の始まりだ。
──しかし。なんだかこれでよかったんだろうか。俺は本当にこれで花菱に……。
いや、深く考えたら俺はまた花菱の術中にはまってしまう。これは鈴木が俺のために用意してくれたものなんだ。
だから……俺は……。
ふと、視界の端に花菱の手が小さくグッっと親指を立てているのが見えた。その先にいるのは……鈴木だ。
「危ねえっ!!」
急いでサボテンを脱ぎ捨てる。チっと小さく鈴木が舌打ちをした。
「須田君……気付いてしまいましたか。私のあわよくば一緒にサボテン作戦に」
サボテンが残念そうにゆっくりこっちを向いた。
「お前……鈴木まで利用するとは汚いぞ」
「そんな人聞きの悪い!彼は自分から協力すると言ってくれたんです!」
どっちにしろ鈴木は後で殴ろう。
「とりあえず今日はここで手を打とう。引き分けだ」
もはや花菱も次の手はないだろう。俺から言い出すのは俺なりの譲歩だ。
「わかりました……私も鈴木君を利用したのは反則気味だったかもですし。でも今日は惜しいところまでいけました。次は必ず乗り気で一緒の格好してもらいますから!」
花菱が言い切る。なんてやつだ。絶対やらん。
ふう。とりあえず今日はこれで終わりだ。しかし……。「花菱、なんでサボテンなんだ?」
そう言うと、花菱がふっふっふっと頭の上を指さした。
「須田君。ここ見ててくださいね」
そう言うと、テコテコ歩いて俺の前に立つ。
「えいっ」
気合を入れると頭からぴょこんと花が出た。得意げに花菱が言う。
「あとで花言葉調べてくださいねっ」
そして教室を出ていった。おそらくサボテンを片付けてくるのだろう。
こうしてあっけなくサボテン地獄は終わった。なんだったんだ本当に。
しかしサボテンの花言葉は……。いや、いいや。俺は絶対に調べない。
調べたら……それはギリギリ俺の負けのような気がした。