31話.城塞都市アグニⅡとの戦い(3)
城塞都市アグニⅡへ向かう街道には、砦が待ち構えています。
城塞都市アグニⅡへ向かう街道は、渓谷の谷間を通る険しい道が続く。
渓谷は、絶壁という言葉がぴたりとはまる垂直の壁を幾重にも重ねた様な風景を延々と描いていた。
絶壁のところどころから湧き出る水は、絶え間なく滝となり水しぶきが勢いよく落ち、街道を通る旅人を容赦なく襲う。
街道は、絶壁から落ちる水しぶきでぬかるみ、足を踏み出す度に靴が泥水を吸い込む。
道なのか川なのかさえ分からない絶壁の底をひた走る街道を黙々と歩く。
一見険しいと思える街道だが、城塞都市アグニⅡへ向かう道としては、最短で楽な道のりであった。
城塞都市アグニⅡへ向かう道は、この渓谷を抜ける街道以外にもある。
だが、ここよりもさらに険しい山道か、あるいは水のない乾ききった茫漠を越えることになる。
いつもなら商人や旅人が絶え間なく行きかう街道なのだが、今日に限っては、街道を行きかう馬車も旅人の姿もない。
街道を歩いているのは、大きな荷物を担いだカルと、カルの護衛を務めるローブを着込んだ冒険者の2人だけだ。
恐らく、この先の砦で街道を封鎖しているのだろう。
城塞都市ラプラスと戦争の最中なのだから当然の処置だ。
渓谷の絶壁から落ちる水しぶきを浴びてローブが何倍もの重さになった頃、ふたつの砦が見えてきた。
砦は、渓谷の中間地点に位置し、大小ふたつの砦が渓谷の両側に陣取っている。
砦には、高い塔がそびえ立ち、渓谷の遥か上の絶壁へと繋がる橋がかけられている。
この塔の橋を通ることでより高い絶壁に作られた道から弓矢で街道を通る者を狙い撃ちにできる構造になっている。
今までに街道を通過できた他国の軍隊も盗賊団もいない。
ここは、難攻不落の砦であった。
塔がより高くそびえ立ち見上げるほどに砦の近くへとやってきた。
「お前ら、ここから先は封鎖中だ。あと数日は通すことはできんぞ!」
街道を封鎖している数人の兵士が大声を張り上げた。
街道には、城門が固く閉ざされており何人たりともこの先への侵入を拒んでいた。
「ええっ、騎士隊のブルーニア隊長のご注文の武具をお届けに来たんです。ブルーニア隊長からは、騎士隊の兵舎へ直接届けるようにと言われて来たんですが」
「なに!ちょっと待て、注文書はあるのか」
「はい。これがそうです」
カルは、懐から何枚かの注文書を取り出すと、街道を守る兵士に手渡した。
兵士は、注文書を広げて読み始めたが、それが本物かどうかなど一介の兵士に分かるはずもない。
「このまま納品せずに帰ったら師匠に勘当されてしまいます。ブルーニア隊長にもなんと言われるか」
さらに追い打ちをかける様に泣きまねをして兵士を困らせる仕草を続けた。
「上官の指示を仰ぐからここで待て」
兵士は、慌ただしく砦の中へと消えていった。
”泣いたふり”をしたカルは、袖で涙を拭く素振りをしながら兵士の後ろ姿を注意深く目で追う。
要塞への扉に鍵らしきものは掛かっていない事は確認できた。それに、合図を送って扉を開けるような行為もなさそう。
偽物の注文書を信じて兵士が砦の通路に通してくれれば事が運びやすいが果たして。
しばらく砦の城門前で待つ。
なかなか注文書を持っていったきり兵士は砦の中から帰ってはこない。
さらに城門前で待つこと数分、注文書を持っていった兵士が戻ってきた。
「お前らこっちに来い。砦の通用口から通してやる。注文書の相手がブルーニア隊長でなければ、こんな事はしないんだぞ」
「こんな時に武具なんて注文するから面倒な事になるんだ。しかもこんな高い武具なんぞ買いやがって。俺らの給料の何年分だと思ってやがる・・・くそ!」
兵士は、小声で何やら上官へのいやみを言いながら、腰を屈めないと通れない小さな扉を開け、カル達を砦の中へと向かい入れた。
城壁の内側はかなり狭く、剣での模擬戦などができる様な場所すらなかった。
兵士達は、武具の手入れをする者、立ち話をする者、地面に座り込んで煙草を吸う者など様々だだが、兵士達からはピリピリとした緊張感は伝わってこない。
やはり砦の中は安全だという安心感がそうさせているのかもしれない。カル達がこれからする事など、誰も考えてもいないだろう。
狭い砦の城壁の下を通ると目線の先に先ほどと同じ様な小さな扉が見えた。あの扉の先は、城塞都市アグニⅡの領域だ。
カルの目標は、城塞都市アグニⅡの領主の館にいる鬼人族の領主だ。だが、あの小さな扉をくぐる前にやるべき事がある。
先導する兵士の背中越しにカルは、ローブで隠された腰の鞄から小さな魔石筒を手に取り、誰にも悟られない様に最小の動作でそれを地面に叩きつけた。
”パリン”。
硝子が割れる音なのか、硝子筒に封じられた魔石が砕けた音なのか、軽い音が砦の城壁内に響いた。
カル達を先導する兵士がふと振り返る。
「何の・・・音だ?」
カル達を先導した兵士の周囲がみるみるうちに白い霧で見えなくなっていく。いや、霧よりも濃い自分の手すら見えないほど濃い何かが砦の中に広がっていく。
カルは、1歩後ずさる。目の前にいる兵士に自分のいる位置を特定されないために。
「なんだ。何が起こった。敵襲か、火事か」
「おい、誰か返事をしろ!」
誰も何も答えない。渓谷の底を流れる激しい川の流れる音も、絶壁から流れ落ちる水しぶきの音も聞こえない。
ただ、白く濃い霧の中を動く何かが見える。うっすらと。それは、白く濃い霧と同じ白いフワフワとした何かだ。
”メ~、メ~、メ~”。
鳴き声?この砦には動物などいない。いったい何が鳴いているんだ。
兵士は、白い濃いモヤの中を手探りをしながら目を凝らした。
そこには、白くモコモコで丸々とした体毛から黒い顔と細い目と小さな耳を出した”羊”がいた。
”メ~”。
それは、間の抜けた鳴き声を響かせながら兵士の前から姿を消した。
「なっ、なぜ砦の中に羊がいるんだ、いったいどうなっている」
また目の前に羊が現れた。さっきの羊よりも大きな羊だ。
「おっ、さっきの羊より大きい・・・」
”メ~”。
その羊が兵士の前から消えると、また別の羊が現れた。
「また羊か、これで羊が3匹だ。いったいどうなって・・・」
”メ~”。
「また羊か、羊が4匹・・・」
”メ~”。
「羊が5匹・・・」
兵士の目の前を毛のモコモコとした羊がまた1匹、また1匹と姿を現し飛び跳ねては姿を消していく。
兵士は、目の前に現れる羊の数を数えて・・・まぶたがだんだんと重くなり、やがて地面に倒れ深い深い眠りへと入っていった。
砦の中に動くものはいない。動いているのは、カルとカルの護衛の冒険者の姿をしたゴーレムだけ。それと羊達。
「集団睡眠魔法。使い方を工夫しないといけない魔法だけど、こうも上手くいくなんて・・・」
濃い霧はなかなか晴れずにいた。高い城壁に阻まれて濃い霧はいつまでもそこに滞留しつづけた。
カルの周りには、毛のモコモコした羊が群れを成していた。
この集団睡眠魔法は、術者の周囲50m四方を強制睡眠領域にしてしまう。
欠点は、術者まで強制的に眠らされるという実に面倒な魔法であること。
ただし、この魔法から逃れる方法がひとつだけある。
「羊さんがいっぱい。羊さんがいっぱい。羊さんがいっぱい」
これが術の解除ワード。
白い濃い霧の中に羊さんが現れたら解除ワードを3回唱える。たったそれだけ。とても戦いで使える魔法ではないが、使い処さえ間違えなければ逆に使える魔法でもある。
「おい、あれはなんだ」
「火事か、敵襲か」
「だれか、見に行け」
砦から白い霧に覆われているのは、渓谷の反対側にある砦からもよく見えているはずだ。
兵士の騒ぐ声が渓谷に絶壁に反射して聞こえては消えていく。
「ゴーレムさん、この魔石筒を川向こうの砦に投げ入れて」
とう告げて集団強制睡眠魔法が封じられた魔石筒を手渡すと、ゴーレムはうなずいて石作りの塔を見上げた。
このゴーレムは、カルの言葉の殆どを理解してくれる。ゴーレムというよりもカルの冒険者仲間という感じだ。
ゴーレムは、まるで蜘蛛が壁を這う様に石作りの塔の外壁を器用に昇っていき、あっという間に小さくなり塔の頂上近くの回廊の屋根へと乗り移った。
今度は、回廊の三角の屋根の上を反対側の砦に向かって器用に走っていく。
砦の兵士がゴーレムに弓矢で攻撃を行っているが、器用に回廊の屋根の上を走るゴーレムに全く当たらない。
「そうだった。ゴーレムさんに見とれてはいてはいけなかった」
既に魔法の白い靄は殆ど消えて視界もだいぶよくなり、羊の姿も見えなくなっていた。
大盾の内側でノックを3回。
”コン、コン、コン”。
大盾の内側に小さな扉が現れ、それを開けると扉の向こう側から兵士が顔をのぞかせる。
「もう砦の半分は、奪ったから後はお願いします」
「「「了解した」」」
大盾の扉からぞろぞろと城塞都市ラプラスの兵士達が出て来る。
大盾の内側には、盾のダンジョンへの扉があり、扉の中はダンジョンの安全地帯へと繋がっている。
ルルと200人の兵士には、その安全地帯で待機してもらっていた。
兵士達は、次々と砦の中へと散らばり、眠りこけている砦の兵士達を縛り上げていく。
「こんな技が使えたら今までの戦いなど無意味だな」
最後に大盾の中から出て来たルルさんが呆れ顔で愚痴をこぼした。
「敵が僕の事を知らないのが大前提ですから、警戒されたら出来ない芸当です」
「まあ、そうだな」
渓谷の絶壁に立つふたつの砦をつなぐ回廊を渡ったゴーレムは、魔石筒を砦の城壁の内側へと投げ入れた。
しばらくすると集団睡眠魔法の白い濃い霧が砦の内部に広がり、砦の兵士達が次々と倒れていく。
程なくして渓谷の外で待機していたラプラスの後続部隊が砦へと入城した。
これで城塞都市アグニⅡの砦の占領は終わりを告げた。
「あっけなかったですね」
「ああ、だがこんなものは作戦とは呼べんな。カル殿ひとりが頼みの綱では、危なすぎて使えん」
「おっしゃる通りです。ですが、カル殿のおかげで兵士に負傷者が出ませんでした」
「こんな戦いも初めてです」
「そうだな。わしが敵なら笑ってしまうほどのバカバカしい戦いだ」
「カル殿を敵にしたくはないですな」
ルルと部隊長は、砦の城壁の上でこの戦いがいかに不合理であったのかを話していた。
その横でカルは、まだ見た事のない渓谷の先にある城塞都市アグニⅡを見据えた。
「僕の街の平和を脅かすやつらがこの先にいる」
カルの表情は、いつになく真剣だった。
つい最近まで村はずれの森の中ににひとりで住んでいた少年は、一切の無双スキルを持たない。
だが、神が封印された短剣と魔人が封印された盾を手にした少年は、その力を以って己の敵に立ち向かう決意を新たにしていた。
皆さま。『僕の盾は魔人でダンジョンで!』読んでいただきありがとうございます。
さて、次回で第1章の最終回となります。つたない文章ですが、最後までお付き合いくださいますようよろしくお願いいたします。