その4
死のうと思った。いつもと同じように重い足を引きずって終電一つ前の電車に向かう途中、ごく自然にそう思った。僕のような人間がこの先生きていてもろくなことはない。この先希望のある未来が待ち受けているとは到底思えなかった。
死のう。そう決めてしまうと心が軽くなった。一日の疲れや、柴坂さんとの苦い記憶も途端に吹っ飛んだ。
気がつくと駅のホームに立っていた。ホームにはまばらに人がいる程度で、すぐ近くに人影はなかった。五分後、特急列車が通過する。その特急列車に飛び込んでやるつもりだった。大勢の乗客に迷惑をかけることだろう。でもだから何だというのだ。これまで散々誰からも気づかれない人生を送ってきたのだから、最後の最期くらい迷惑かけたっていいじゃないか。そう思うと気分が高揚してきた。
「2番線、特急列車が通過します。黄色い線の内側までお下がりください」
ホームに駅員のマイク放送が流れる。駅員に怪しまれないよう、一旦黄色い線の内側に下がった。特急列車が入ってくるタイミングで走って飛ぼうと思った。
タイミングを間違えないよう、大きく深呼吸して待つ。
もう一度確認の意味で周囲を見回したが、デートの帰りらしい若いカップルと酔っ払って盛り上がっている会社員の一団が少し離れた場所にいるだけで、すぐ近くには誰もいない。好都合だった。飛び込もうとした所で誰かお節介な人間に邪魔をされたらたまったものじゃない。
そして、轟音をまき散らしながら、特急列車がホームに侵入してくる。
今だ! 小学生の時の運動測定でやった走り幅跳びを思いだし、駆けだそうとしたその時。
何故か尻餅をついてホームの黄色い線の内側に倒れ込んでいた。
目の前を特急列車がもの凄い速度で通過していく。
何が起きたのか分からなかった。確かに僕は走り出そうとしていたはずだった。
それが突然何かに引っ張られたように倒れ込んでしまった。
周りには誰もいない。いや、いた。すぐ目の前に男がいた。
びっくりして悲鳴をあげてしまった。
「ぎゃあ!」
目の前に男の顔。年齢不詳。無表情。しかもこれほどの無表情は見たことがないほどの無表情。
が、すぐに男の顔が消えた。
「え?」
と思ったらまた男の顔が現れる。どこを見ているのか分からない目。もじゃもじゃの髭。少し白いのも混ざっている。と思ったらまた消えた。
な、な、何だ。目の前に男がいるのかいないのか分からない。幻を見ているのか、それとも本当は電車にひかれて頭がおかしくなっているのか。
「……れが、……るか」
再び男の顔が現れた。テレビのスイッチが突然点いたみたいに。何かを言っているようだがくぐもっていてよく聞こえない。
「……俺が、見えるのか?」
男に近づき、耳を傾けると、そう言っているのが聞こえた。
「み、見える」
男は、重々しく頷いた。
「そうか。君、良かったら俺の弟子にならないか?」




