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暗闇に、月を葬る  作者: はなぶさ


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「芳郎は覚えてる?」

「……ん?」

「征二郎の宝箱」


宝箱?


「クッキー缶だよ。銀色の。お母さんがあの子にあげたんだ。何でもかんでも拾ってきては家のあちこちに置きっぱなしにするから」

大切なものは箱にしまえって。と、言われて考える。

「……何となく……? 覚えてるかも……」

でも、その缶がどのような形状だったかと聞かれたところで、特徴をすっと口にできるほどはっきりと記憶しているわけではない。多分、四角い箱だった。

「それが、何?」


「……シンクの下に隠してあったのは、その宝箱だったんだ」


そう。あれはただ置いてあったわけじゃない。隠してあったといえる。

冷たい銀の箱をシンクの下から取り出した。見覚えがある。ふたに猫の絵が描いてあった。

震える指と、急激に下がる体温。なのに、汗が噴き出す。額の横を水滴が走った。

予感がしたのだ。


良くないことが起きる、と。


収納から取り出したクッキー缶を一度、床に置く。ふたに指をかけて引っ張った。重い。重さなんて感じなるほど軽いはずなのに、ひどく重い。その感触を覚えている。

なぜかうまくあかなくて、指先が滑った。


「何が入ってたの?」

わかりやすいほどに、声が震える。

目の下に深い影を落とした父が、言葉を止めた。

「親父?」

「―――――蝶の翅」

「……蝶?」

聞き返すと「アゲハ蝶だと思う」と答える。

時間をかけて答えた割に、それほど奇妙なものではない気がした。男の子なら昆虫を集めても不思議じゃない。自分は育てなかったけれど、クラスメイトはクワガタを幼虫から飼育していた。

何だか肩透かしをくらった気分だ。けれど、


「トンボの羽、蟻の死骸、バッタの死骸、テントウムシの死骸、鳥の羽、ビー玉、おはじき、()()()()()()、シロツメ草」

他にもいろいろ入っていたと続ける。

「細かくは覚えていないよ。……でも、何となく思った」


これは戦利品だと。


「宝物じゃない。奪い取ったものだって。―――――だから、戦利品」


父も俺と同じことを思ったらしく、小さな子が昆虫に興味を持つのは分かると言った。

蟻の行列を踏みつぶすことだってもちろんあるし、採取したクワガタを虫かごに入れたまま忘れることだってあり得る。幼さ故の残虐性なのか、生と死をまだ理解していないからなのか、説明できるほど知っているわけじゃないけれど。征二郎にだってそういう一面があったかもしれない。だったら、さほど怖がることはない。

だけどなぜか嫌な感じがするのは。

そこに、積み木が入っていたからだ。

いろんな形状がある中で、あえて三角のものだけが箱に入っていた。

だとすれば、きっと意味があるはずだ。


さっき、親父は言っていたじゃないか。

征二郎は三角の積み木を、幸三郎の口の中に押し込もうとしていたって。


「それに。しおれたシロツメ草を見て、それだけ何だか異質だったのが気になった。草花をとって家に持ち帰るのは変じゃない。お父さんだって子供の頃、田んぼで摘んだレンゲ草をおばあちゃんにあげたことがあるよ。おばあちゃんはそれを仏壇に置いてた。それが、いつしかしおれて枯れてたことを覚えてる」

押し花にでもすれば良かったと傍は嘆いていたと話す。

だから、枯れた雑草を宝箱にしまっておいていたとしても別に不思議な話ではない。


「だけど思い出したんだ。きりんの滑り台の下に、たくさんのシロツメ草が花を咲かせていたことを」


「こじつけだと思う? 芳郎」


分からない、と答えたはずなのに唇はぱくぱくと動くだけで声にはならなかった。

座っているのに、視界が揺らぐ。

冷静でいるために必要なのは何だろう。よく回る頭脳か、強靭な精神か。何も持っていない場合は、どうすれば心を守れる?


「だからなの? だから親父は家を出たの?」

「……厳密にはちょっと違うな」

征二郎の宝箱を見つけたからといって、征二郎が幸三郎に何かしたとは思えなかった。と静かな声がひっそりと告げる。傷つけることはあったとしても命を奪うようなことはしないと信じていた、と。

実際、幸三郎が亡くなってからの征二郎は不思議なほどに大人しかったのだ。

以前は、気に入らないことがあれば癇癪を起すことが度々あったのに。

「……何より、あの事件の犯人は既に死んでいて……。全てはもう取返しがつかないと分かっていた。幸三郎が生き返るわけじゃない。犯人は死んだ。だったらそれらを受け入れて、生きていこう。そうすれば、いつかは立ち直ることができるかもって……」

そんなわけがないのに、とその人は言う。


親父が当時、どれほど混乱していたのかが手に取るように分かる。

今もまだ、心の整理がついていないのだろう。当たり前だ。俺だってそうなんだから。

「家を出た理由はたくさんあるよ。一つだけが理由ってことはない。ただ、怖かったんだ」

幼いからこその残虐性だと折り合いをつけたはずなのに、それでも息子を疑ってしまう自分が恐ろしかったと、テーブルに重ねた自分の両手に顔を埋めた。その後頭部を、見つめる。


ここまできても、誰が幸三郎に手をかけたのか確信を得ることができない。

状況的に見て、―――――もしかしたら征二郎なのかもしれないという疑念が深まっていくだけだ。

こうなったら本人に訊くのが一番早い。

でも、できるだろうか。俺に。


『芳くんはさ、もっと自由でいていいんじゃない? 幸ちゃんは弟だよ。大切な弟。だけどさ、ただの弟だ。おれと同じ。死んじゃったけど、でも、おれと同じ、ただの弟。だから、気にしないでとは言わないけど。気にしすぎないで』そう言ってくれた弟。


幸三郎のことをもう、よく覚えていないとも言っていた。

幸ちゃんを亡くしたとき、自身も幼すぎたからと。

征二郎の言い分は、確かに間違っていない。あの顔は、嘘をついているとも思えなかった。


だったら、一体だれが嘘をついていて、何が真実なのだろう。



父親の家からの帰り道。

電車の窓から外を眺めていると、駅でもないのに電車が止まった。『信号停車です』とアナウンスが流れる。見るともなしにぼんやりと、あまり覚えのない風景を眺めた。

そのとき、近くの電柱に『交通安全』のポスターが貼られていることに気づく。

色が褪せていて年季を感じる掲示物だった。交通安全の文字と一緒に描かれていたのは、一時流行っていた絵本の妖精である。

また幸三郎が好きだった絵本のことが頭を掠めた。

最近、よく思い出す。


幸三郎も絵本に描かれていた妖精を気に入っていたけれど、社会全体があの個性的なキャラクターにとらわれていた。つまり社会現象だったのだ。

絵本に出てきた妖精があらゆる形でグッズ化されて売り出された。

文房具に、バックに靴に洋服に至るまで。他にも日用品にまで及んでいたと思う。

同じクラスの女の子たちがこぞって、あの妖精がプリントされた文房具を集めていた。下敷き、シャーペン、消しゴム。色んなものに幸三郎の好きだった妖精が描かれている。

それを、どんな気持ちで眺めていたか誰にも理解できないだろう。

亡くなった幸三郎が小さな指で示した可愛い妖精が、日常生活の至るところにいて。目にするたびに息が詰まるような心地になる。


あの子が生きてたら。


ぬいぐるみを買ってあげたいな。

もし、生きてたら。

文房具を欲しがるかも。

もし、生きてたら。

お絵描き帳やクレヨンを揃えてあげようかな。

もし、生きてたら。


やってあげたいことが、たくさんあった。



「お袋が征二郎のことに気づいたのはいつ?」


問えば、母は俯く。喉がかわくかもしれないとグラスに麦茶を注いでいたけれど、その人は手に取らない。

グラスの下に水滴が落ちて、小さな水たまりを作っている。コースターを用意すれば良かったかもしれないと、詮無いことを思う。


父と話をしてから数日後。征二郎が学校に行ったのを見計らって、母と二人で話す時間を設けた。

「幸ちゃんの遺体を確認して。その日は何が何だか分からないまま家に帰されたの。遺体を解剖するって言われたわ」

あんな小さな子の体にメスが入る。咄嗟に痛そうだと思った。

あの子は耐えられないし、きっと泣く。泣いたら抱っこして慰めてあげよう―――――。そう考えてから、違う。あの子は死んだんだと思い至った。

混乱していたのだ。


家に帰ってからもずっと、訳が分からないままでいた。リビングにはまだ、あの子が遊んでいた積み木が散らばっていて。それを一つ拾い上げてから、あの子に片付けるように言わなくちゃと、無意識にその姿を捜している。

とりあえずと夫が用意してくれた出来合いのお弁当を食べて、長男と次男が自室に入るのを見送り、夫と少しの会話をしてたった一人、キッチンに立ち竦んだ。


何をしようとしていたんだっけ?


思い出せずに、お風呂にでも入ろうかと思って時計を見れば、もう明け方に近い。もうそろそろ子どもたちが起きてくる。そうだ。朝ごはんを用意しなくちゃ。

そう思って冷蔵庫を開ければ、あの子が楽しみにとっておいたプリンが入っていた。


ピー、ピー、ピー。

冷蔵庫の扉を開けたままぼんやりとしていたから、扉を閉めるように警告音が鳴る。いつの間に、そんなに時間が経っていたのだろう。トイレに起きてきたらしい夫に「少しは寝たほうがいい」とベッドへ促された。眠れないと言っても、横になるように懇願される。休めるときに休んだほうがいいと。


休めるとき?

今は、休めるときなのだろうか。


寝室に入ってベッドに横たわり、目を閉じる。暗闇が訪れると、池の底に沈んでいたというあの子の顔が浮かんできた。苦痛にみちた、一見、自分の子とは分からない顔で死んでいた。

己の短い叫び声で目が覚める。

隣を見たら、夫が死んだように眠っていた。少しも動かないので口元に手の平をあててみる。柔らかい風が手首にあたった。


何だ、生きてる。


あれ? そうだ。誰だっけ。誰かいなくなった?


跳ね起きてから子供部屋に向かった。三人の名前が書かれたプレートのかかった扉を開けて、ベッドの中を覗き込む。二段ベッド下段には芳郎と、上段に征二郎がいる。

どきどきと速度を増していく心臓。

幸三郎がいない。

そうだ。いつも芳郎のベッドにもぐりこんで、顔まですっぽりと毛布に隠れていたんだった。芳郎を起こさないように布団を軽くめくると、そこに栗色の猫毛が見える。


ああ、良かった。怖かった。夢だったんだ。

その髪に触れると、眠った振りをしていた幸三郎がぱっと顔を上げて「ママ」と笑った。


「良かった。夢で」


―――――そう呟いた自分の声で、夢から覚める。


「幸ちゃんの夢を見たのは、あれが最後なの。今はどんなに願っても、夢にさえ出てきてくれない。会いたいって、いつも思ってるのに。きっと、私が会いに行くまで会えないのね」

母はふいに、ベランダに繋がる掃き出し窓に目を向けた。

その視線を追う。

少し窓を開けているから、そこから風が入る。良い日よりだ。

前住んでいたリビングは日当たりが良かった。掃き出し窓を開けるとそのままウッドデッキに出られる。そこに大きなクッションを置いて、日向ぼっこをした。

いつか猫でも飼おうかと、父が言ってくれたのを思い出す。

幸三郎がまだ小さいから、動物にいたずらするかもしれない。追いかけまわしたり、加減も分からずに抱きしめたら猫が可哀相だから。幸ちゃんがもう少し大きくなったら、猫を飼って、一緒に日向ぼっこするんだって。


「司法解剖には時間がかかると聞いていたの。終わるまで……、あの子が家に帰るまで何も手につかない。やることがたくさんあるはずなのに。でも、何もしたくない」


夜はだんだん眠れなくなって、一人でずっと起きていた。眠らなきゃ、明日のお昼に支障が出る。身体がしんどくなるかもしれない。けれど、そんなのはどうでもいい。生きていても仕方ない。


息子が死んだ。可愛い幸三郎が。

息が苦しくて、ずっと誰かに喉を締め上げられているみたい。

とりあえず横になろうとベッドに入っても目が覚めてしまう。だから今度はリビングに移動して。()()幸三郎がそこに残していったものを目敏く発見してしまう。クッキーの破片。

動物の形をしたそれ。食べこぼしたのかな? そういえば、ここ数日掃除機をかけていない。

掃除しなきゃ。

でも、掃除したら幸三郎の置いて行ったものが全部、失われてしまう。そんな気がした。


何で? 何で、幸ちゃんなんだろう。


ふと、ベランダに出てみる。

家の周辺に居た報道陣も、夜はさすがに休むのか静まり返っていた。

ウッドデッキに立って、庭の一角に作った小さな砂場を眺める。そこに、幸三郎が置きっぱなしにしていた赤いじょうろがあった。片付けなさいと言ったきり、次もどうせあそこで遊ぶからあのままでもいいかとほったらかしにしていたことを覚えている。


幼児用のじょうろ。

もうこの先、誰も使わないじょうろ。


拾おうと思ってサンダルを履き、庭に下りた。すると、そこでチカッと鋭い光が目に入る。眩しさに目を細めて立ち止った。誰かがフラッシュでも焚いた? 辺りを見回すけど、やはり誰もいないようで、静けさだけが広がっている。

気のせいだろうか。眠っていないから、目が疲れているのかも。そう思い直して一歩踏み出すと、またチカッと何かが光った。


―――――砂場だ。


砂の一部がきらりと光る。敷地の外の街灯から明かりを拾い、何かが反射している。

近づいてみて気づいた。


砂場に、何か埋まっている。






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