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二日目

 二日目の朝も鐘の音とともに始まりました。ポイボスの駆る馬車が太陽の輝きを四方八方に振り撒く、まさに晴天ともいえる天気模様でしたが、この日に限っては外界に思いを馳せることもなく、少女の関心は外よりも内に向かっていました。

 寝床についたときは空腹を感じましたが、始めて味わう飢えの始まりは心を満たすために十全の働きをしていたため、少女は心地よく眠りに落ちることができました。

 少年も慣れない寝台に最初こそ戸惑いましたが、柔らかな布団によって瞬く間に極上の眠りへと誘われ、鐘の音が響くまで一度も目を覚ましせんでした。いつもならば朝陽が昇る頃に目を覚まして仕事に向かうのですが、暖かな布団はその習慣すらも奪ってしまったのです。



 寝台を降りた少女は何よりも先に少年を連れてくるよう命じました。次いで少年の朝食を持ってくることを、また別の召使に命じました。自身の麗しい見た目を煌びやかに飾ることよりも、残り少ない時間でできるだけ少年を弄びたかったのでしょう。

 

 少年が部屋に辿り着くのと、朝食が運ばれてくるのは同時でした。部屋に入る少年の目は、朝食に釘付けになっているようで、少女は大層喜ばしい気持ちになりました。

 少年の食事をする光景を見れば、自分の空腹もさぞや増すだろうと考えていたのです。

 既に少女の頭の中では、今まで忌避してきた苦しみを受け入れる準備が整っており、それを止める者もどこにもいません。


「昨夜はよく眠れたかな」

「はい。まるで天使の羽根に包まれているかのような心地よさでございました」


「それは素晴らしい。今やお前は客人だ。欲しいものがあるならば申してみるがよい。……が、まずは朝食だな。先から随分と熱心に見ているようだが、それはお前のものだ。好きに食せ」

 と、朝食を指差して少女は言いました。


 少年は一言だけ心からの謝辞を述べると、嬉しそうに朝食にありつきました。パンも蜂蜜も、飢饉に襲われるよりも前の、朧げな遠い記憶に薄らと残っているだけで、その味も幻のようであり、今にも忘れてしまいそうなほどでしたが、それが美味であったということしか覚えていませんでした。蜂蜜をたっぷりと塗ったパンを口にして思い返されるのは、一家が揃って辛いながらも楽しい日々を送っていた頃の記憶でした。


 夢にまで見た美食にありつける今と、夢にしか見ることのできない過去、どちらが幸福かを少年に問うたとして、果たして少年はどう答えるのでしょうか。

 もしも少女がそういった質問を思いついていれば、その時点で幸福の形を明らかにすることもできたのかもしれませんが、現実は不幸に向き続けていました。


 少女だけは明確に堕落を唆す蛇の役割を担いました。

 少年の目の触れる可能性のある全ての場所から文字を排除し、朝食には貧民の想像できる程度の豪華さを演出しました。

 想像もできない幸福よりも、想像できるものの方が心に広く染み渡ると思ったからです。

 こうやって、思考を放棄しながらも幸福を味わえる環境を構築してやったのです。快楽こそが信仰を堕落させる唯一無二の毒であることに哀れな愚者が気付くことはなく、ただ享受することを選びました。

 だからといって、一体誰に責めることができましょうか。限りなく甘美な誘惑に抗うことのできる人間など、この世のどこにいるというのでしょうか。それが神の子であるならば別でありますが、人心を誑かす悪魔に抗うことなど、人間には不可能といってよいでしょう。

 もしも声高らかに心の強さを謳える方がいらっしゃるとすれば、よほど幸福か、或いはよほど無知であるかです。少なくとも創造されたときから、人間は欲望に抗えぬようになっているのですから。


 ここに至って口では信仰を善しとする少年も、大勢の人々と変わらないように深く快楽の虜となろうとしていました。

 幸福を知らなければ信仰を守れますが、信仰を守っていては幸福になれないと、少女はそう考えています。だからこそ、少女は信仰を奪うのです。


 信仰と幸福は等価なのですから、その両方を選び取ることはやはりできないのです。


「正直に言いますと、今日まで、富裕層は自分が幸福であればよいと考える者ばかりであると考えておりました。ですが、あなた様は虫けらのように無力な私にまでその財をわけてくださり、あまつさえ私の無知に怒ることすらない。信仰の有無が人間を作るなどと眉唾もいいところだと実感しております」


 食事を終えた少年は、恭しく頭を下げながら言いました。

 言葉とは裏腹に、見せられた方が不愉快になってしまいそうなほど、少年の態度は無遠慮で幸せそうでした。

 しかし少女は、らなく面白い気分になり、思わず吹き出してしまいそうなほどでした。

 不幸の演出が、無性に楽しく、胸躍るものだったからです。

 空腹を覚えながら少年の食事風景を眺めていると、自分が地に落ちたような屈辱的な気分になりましたが、少女は望んで屈辱を味わっているのです。

 他の召使たちも少女が何を望んでいるのかは承知していたので、少年に不敬だと言うようなことはしません。


「では、今のお前から見て私はどう映る?」

「少なくとも悪人には見えません。今まで目にした醜悪な金持ちは、奪うことばかり考え、何かを与えることは一切ありませんでした」


 少年の吐く言葉の一つ一つが、孔雀の羽のように心をくすぐります。笑いを吐き出しそうになるのを必死にこらえ、少女は口を開きます。


「昨日の話を聞くに、お前は実に哀れな人生を送った。私もあまりにひどい行いを多くしてきたものよ。贖罪になるとも思えないが、ほんの少しの間だけでもお前に幸福を感じてもらいたい。お前の幸福こそ、私の喜びなのだ」


 嘘を語る場合には真実を織り交ぜた方がよいと言いますが、まさしく少女の言葉はその通りでした。

 少女は心から少年に快楽を知ってもらいたいと思っていたからです。ただし心の底では黒い獣が呻き声を上げていることはおくびにも出さず、いかにも善人である風を装いました。

 少女の提供した食事は、昨日の出来事を上書きしてしまうほど魅力的だったのでしょうか、少年の心からは警戒心だとか恐怖心といった、生きる上で不可欠なものが少しずつ溶けていこうとしていました。

 もっとも、あまりに醜悪で想像もつかないほど下卑た少女の思考を読むことなど、何人にもできなかったでしょう。


 二日目の主題は少年の人生についてではなく、不幸についてでした。文面を見ればおおよそわかってしまう人生について、どれだけ仔細に聞いたところで仕方がないと思ったからです。

 飢えることに快楽を見出した少女は、同様に苦痛を伴う快楽を求めようと思いました。

 サディストだとかマゾヒストだとか、そういう下らない分類などに興味はなく、ただ少女は心地よいと思った全てに対して貪欲でした。


 未だ一晩明かしただけですが、食事を抜くこと自体が始めてだった少女にとって、その空腹は大きなものでした。

 しかし空腹感を苦に感じることはなく、それどころかもっと飢えを味わいたいとすら思いました。

 この世のありとあらゆる苦痛が、快楽の反対に位置することを不思議に思いました。性的嗜好者の中には、やはり苦痛に快楽を覚える者も大勢いるのに、どうして自分はそちらに分類されないと決め付けてしまうのだろうか、と少女は考えたのです。

 見方を変えてしまえば、サディストとは無償の奉仕を施す奉公人に過ぎませんし、マゾヒストは座して快楽を待つだけに過ぎません。装考えた場合、どちらが上に立っているかなど一目瞭然であるのに、まるでサディストは勝ち誇ったように自身の嗜好を吹聴します。

 どういうわけか、何事も型に嵌めなければ気がすまない人種というのはどこにでもいるのです。

 

 苦痛を与えることも味わうことも快楽であれば、人生の楽しみがどれほど増えるか理解している人間はそうおりません。

 

 無邪気に喜ぶ少年の姿と、昨日の傷に塗れた少年の姿を照らし合わせて、少女は考えました。


 ――喜びとは何か。

 ――恐怖とは何か。


 少女は三人の召使だけを連れて別室へと向かいました。少年に話を聞かれたくなかったのです。

 部屋に残された少年には、あらゆる娯楽を与えておきました。

 


 少女と三人の召使は、先ほどの部屋とは打って変わって暗く陰鬱な部屋にいました。

 幾多の人々の血を啜ってきた部屋は、そのものが意志を持っているかのように重苦しい雰囲気を漂わせています。


 それでも、過去にその部屋へ連れられて来た多くの人々は、泣き喚きながらもどこか余裕を感じさせる態度をとっていました。自分が死ぬ筈はないと、地獄の門に立たされたところで死を自覚することはありませんでした。それを自覚する頃には既に門を潜り終えていて、微かばかりの希望を残した弛緩した顔だけが世に残されるのです。

 浅はかな彼らのために地獄の門には但し書きがなされておりますが、この屋敷にそのようなものはありません。底なしの欲望に飲み込まれた認識すらなく、少年は幸福な微睡みに揺られていることでしょう。

 少なくとも屋敷に踏み込んだ時点で、それは終わりなのです。


「殺すのは実に容易い。“技巧”の椅子に座らせて、ほんの少し痛みを与えてやればそれで終わる。では、死とはそれだけか? そんな程度のことが、そこまで恐ろしいか?」


 少女は“技巧”の椅子に座りながら、目の前の机に置かれた恐ろしい器具の数々を手遊びするように弄りながら言います。それは薄いベニヤ板に釘を貫通させただけの簡易なものから、拉げた(ひしゃげた)無数の針金に小さな車輪が複雑に繋がった一件して用途のわからぬものまで、三人の召使が趣向を凝らした様々な拷問器具でした。

 

「死とは何も生命活動の停止を指すものではございません。手足もなく、芸もできない。このようになってしまえば、なまじ思考できる分、死ぬよりも恐ろしいと言えるでしょう」


「“技巧”の言うとおり、生命活動の停止のみが死ではございません。ですが真に恐ろしいのは、思考すらできぬことでしょう。恐怖すら感じることができず、ただ暗い眠りが続く。なまじ魂が開放されていない分、死んでしまった方がよほど幸せ。なにせ、自らの手で死ぬことすら選べなくなってしまうのですから」


「そもそも、死は恐ろしいものという考え自体、与えられたものなのです。死んだこともないのに、皆一様に口を揃えて死を悪く言うには理由があるのです。死んでしまえば労働力がなくなってしまいますから、他人の死ですら喜びません。本当は死が素晴らしいものだったとしても、それを言う人はおりません。死を恐れることこそ、心が未だ宗教に縛られている証左なのでございます」


 死を恐れることが過ちであるという“道徳”の考えは、少女の求める答えにもっとも近かったため、自然に少女もそれが正しいと思いました。

 自殺願望とは誰しもが抱いているものですが、その大小は様々ですし、気分だとか天候だとか、些細なことで否応にもぶれてしまうものです。

 少女に関して言えば、人生の中で“死”を認識してしまったこの瞬間がまさに、自殺願望の芽生えであり、同時に花開いた瞬間でした。

 病気や人間関係からではなく、純粋に死を求める。マゾヒズムの究極の形でもあり、自分を殺すというサディズムの究極でもある、歪んだ欲求があますことなく全身を支配しました。

 

 少女は衝動的にばん、と右手で机を叩きました。ベニヤ板を貫く釘に落下した手のひらからは、真紅の花のように血が滴っています。

 “技巧”と“博識”が思わず息を呑む中で、“道徳”だけが優しく笑っていました。


 溢れる血と共に冷えた心に暖かさが染み渡っていきました。手のひらから流れるものは、少女が今までに見たどんな血よりも美しく咲き誇っていたのです。

 浮き沈みの激しい心に、再び火が灯りました。

 味わったことのない温もりに包まれる、なんとも言いようのない快楽の駆け巡るあまり、涙すら流してしまう有様でした。

 

 全てを手に入れられる少女でしたが、温もりを感じたのは始めてだったのです。

 求めなければ与えられないということは、知らなければ手に入らないということなのです。

 痛みも、温もりも少女は知りませんでした。

 目に見える快楽だけは際限なく手に入ったのに、温もりだけは求める術を知らなかったのです。

 偽りの家族に温もりを求めたとて心は満たされませんし、既に偽りの家族すらこの世にいないため、少女は愛を知らずにいました。


 誰もが当然のように享受する愛を、知りませんでした。

 誰もが真っ先に体験する幸福を、知りませんでした。


 ただの一度も愛されたことのない少女は、哀れにも自身の中に温もりを見出してしまいました。

 もしも、生まれてから一度でも無償の愛を与えられていたならば、少女は麗しい令嬢でいられたことでしょう。

 もしも、少女の周囲にいる人々の中で、ただの一人でも徳のある人間がいたならば、少女の心に狂気が宿ることもなかったかもしれません。


 けれども少女の渇きは、もはや自分の血で満たす以外にありませんでした。


 右手を治療するように“技巧”に命じると、空いた左手で机の隅におかれた短刀を手に取りました。少女は右手を治療させながら、自分の左足に短刀を突き立てたのです。

 “技巧”の卓越した能力は傷の治療に対しても十全の成果を発揮しましたが、彼が医者と異なる点は、少女の自傷を止めることがないということです。本来ならば止めるべきところをそうせず、次に治すであろう傷に思慮を巡らせる。そういう風に考える、根っからの召使でした。


 少女はざくざくと美しい体を傷つけていくにつれ、堪らなく嬉しいような悲しいような、支離滅裂な感情に襲われ、脳髄をぐちゃぐちゃにかき回してしまいたいほどにもどかしい気分になりました。

 そうしている間にも“技巧”は雨漏りを修繕するように次々と手当てをしていき、少女の四肢は左腕だけを残して包帯だらけになってしまいました。


「私にはどうしても理解の及ばぬ事象があるのですが、それは“博識”にすら理解のできぬことなのでございます。魂の領域、謂わば信仰の領域を僅かばかりでも知った気になっている私にすら理解できぬ事象があるのです。それは哲学者が永遠に議論したとて、ゼノンとエピクロスが語らったとて、答えは出ないに違いありません。信仰に背く快楽と、信仰に殉ずる快楽の狭間にあり、なおかつその両方に属する議題なのですから、誰にもわかる筈がないのです」


 少女が一通りの自傷を終えたと見て、“道徳”は再び口を開きました。それも少女の気を引くよう、できるだけ多くの悪徳を引率するように言葉を選びました。


「それは何か?」


 少女は痛みに冷や汗を流しながらも、表情だけは悠然としながら聞きました。


「神に仇なす罪に快楽を見出すのであれば、これは悪徳に違いありません。しかし、悪徳を喜びとする者に限って、誰しもが避忌なさる罪があるように思えてなりません。神の赦しを拒なければ、退廃的な快楽などありはしないでしょう。ハーピィに啄ばまれたとて、それを快楽とせずして何が倒錯者でございましょう。現を見る健常者に悦びなど訪れず、幻に耽る気狂いでなければサテュロスと興じることなどできぬのです。誰もが蔑む山羊頭を崇拝する者こそ、不可視の快楽を味わうことができるのです。救国の聖女でさえ、焼かれる際には恍惚と共に逝ったのでしょう。殉教の快楽に打ち震えたに違いありません」


 果たしてその言葉にどのような意味があるのか、美徳を善しとする人間にはまるでわからなかったでしょう。

 それは真の信徒にとって、そもそも存在してはならぬ思考なのでございます。

 七つの大罪などと、わざわざ分類するまでもない罪。


 即ち死性愛(タナトフィリア)


 禁じられるまで多くの信徒が酔いしれた美徳であり、今や誰もが禁忌となす悪徳。

 そういったものに溺れなければ、真の快楽は得られぬと“道徳”は言いました。


 “道徳”が甘言をもって誘惑する悪魔のようになっているのは、何も悪意からではありません。ただ、そういう風に、主の求めるものを提供するだけの出来た召使だったという話なのです。


 快楽装置が実在したのなら、どんな副作用があろうとも提供せずにはいられぬ性質なのです。


 熟れた林檎が木から落ちるように、少女の人生ももはや成熟し、あとは終わるだけなのです。

 体のいい道連れとともに、その人生に終止符を打つときが来ました。

 他の誰でもない、少女自身の手によって。


 三人の召使は御役御免。

 

 少女は華麗な花びらと舞い踊り、幸せを咀嚼しながら終わってゆきました。

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