疑念
26
……腹に何かが乗っている。
覚醒しきらない意識の中でそう感じた。
「……すけ……ようすけ」
誰かが俺を呼んでいる。
「……じゃ……起きるのじゃ」
その声につられて瞼が少し開く。俺の腹に乗っていたのは
「……小学生?」
「誰が小学生じゃあ!」
いきなりの大声で目が覚めた。
「石蕗?」
そうだ、俺は暇だから昼寝をして……ぐっすり眠ってしまったらしい。
「こんな所で寝てたら風邪ひくのじゃ」
「さすがにそれはないだろ」
で、何で石蕗はここにいるんだ? この場所は俺しか知らないはずなのに。
「咲はこれでも新聞部じゃぞ? このくらいは知ってて当たり前なのじゃ」
俺の疑問が顔に出ていたのか、石蕗が説明してくれた。
「でも何でここに来たんだ?」
「陽介に会いたかったからに決まってるじゃろ」
……何でそういうこと言うの? 危うく勘違いするところだった。
「お、陽介が赤くなったのじゃ」
「暑いんだよ。それより俺の上から降りてくんない?」
石蕗はいまだ俺の腹に乗っているので、石蕗が動くと純白の布が見えてしまう。ていうか、石蕗も少しは気にしろよ……。
「それにしても、陽介は頭が良いのかバカなのか分からないのぅ」
俺から降りながら言う。
「役員はみんなカンカンじゃ」
「だろうな。ていうより怒ってくれなきゃ困る」
怒れば判断力だって鈍くなるし、俺だけに矛先が向く。
間違っても俺以外を巻き込んじゃいけない。
「それと生徒会長が探してたぞ。午後は遊びじゃから会議室にも行きやすいじゃろ」
大会は午前で終わる。午後は自由だ。
遊んでもいいし、帰ってもいい。ただ役員は後片付けがあるから、残らなければいけないが……。
「そうか、ありがとな」
「うむ、また話そうぞ」
そう言って石蕗は屋上を出ていく。
いつの間にか、青空の端に黒い雲が横たわっていた。
◆◇◆◇
屋上から階段を降り、新館の中を歩く。電気がついてないから薄暗い。
「陽介く~ん」
渡り廊下を進んでいると、突然後ろから声をかけられた。
「竜胆先生、何か用ですか?」
「少しお話しましょ?」
先生はそう言うと俺に近づき、外を見ながら欄干に寄りかかる。
「今日も陽介くんには楽しませてもらったわ」
「見てたんすか」
「えぇ、優しい解決方法ね」
優しい? そんなことはないだろう。
「役員を全員不参加にしたのは陽介の優しさよ。元凶の役員だけを不参加にしたら、その人たちが攻撃を受けるもの」
「深読みしすぎです」
「そうかしら?」
俺の顔を覗きこんでくる。瞳には温度がないように感じた。
「でも、ちょっとうまく行き過ぎね」
ゾッとした。底冷えのする声。普段のイメージとかけ離れた声だった。
「なんてね~冗談よ冗談」
あははと笑いながら背中を叩いてくる。……本当に冗談なのだろうか。
「先生、あんたは苧環たちに何か吹き込んだんじゃないですか?」
ずっと気になっていたことをぶつける。
「聞かれて答えると思う? でも吹き込むなんて事はしないわよ」
だいたい、今回の依頼はおかしかった。
苧環たちにしてみても今思えば計画的だったように感じる。
「でも残念だわ~。ま、次のお楽しみかしらね」
「どういう……」
「それじゃまたね、陽介くん」
先生はクルリと背を向け新館に戻っていく。その背中が一瞬、よく知った人と重なったように見えた。
……っと、生徒会長に会わなきゃ。
◆◇◆◇
会議室のドアに手を掛ける。手が止まったのは何故だろう。
ドアを開けると会議室には一人の女子がいた。生徒会長だ。
「あ、紫花くん。探しましたよ」
やっと名前を覚えてもらえた……。
「えっと……すみません」
「何で謝るんですか?」
「怒ってないんですか?」
生徒会長が俺に悪印象を持っているのは当然だ。最後の球技大会をぶち壊したんだから。
「怒ってなんかないですよ。最低な人だなと思っただけです」
……あれ? 怒ってる?
「でも……助かりました。ありがとうございます」
俺を真っ直ぐに見て伝えてくる。
「い、いえ。俺がやったのは感謝されるような事じゃないです」
そうだ。俺がやった方法では誰も救われてない。
平等な世界なんてない。あるのは平等に傷を押し付ける世界だけ。
「それでも言わせてください……ありがとうございました」
ガバッと頭を下げて言った。その動きを黒髪が追う。
「ですが、あんな危険なやり方は関心しません。もっと自分を大切にしてください」
「ありがとうございます。そんじゃ、俺は行きます」
そう言って俺は会議室を出る。
俺は何に対して『ありがとう』と言ったのか。
感謝されたから? 俺を心配してくれたから?
たぶんどちらも違う。けれど律儀な彼女にも矛先が向いてはいけないと、改めて認識した。
◆◇◆◇
役員の後片付けも終わり、球技大会は幕を閉じた。そもそも幕が開いていたか怪しいが……。
会議室はアンチ紫花の空気だった。怒り、敵意を隠そうともしない視線が向けられる。
この手の視線には慣れているから何とも思わない。
「球技大会、お疲れ様でした」
生徒会長が号令をかける。
雰囲気が緩み、これから打ち上げ行こうぜーなどと聞こえてくる。
俺はその声を背にして会議室を出た。どうせ誘われないし、誘われても行かない。長居するだけ無駄だ。
茜には俺に話しかけないように言っておいた。怒りが冷めるまでは、俺に近づかない方が賢明だろう。
昇降口で靴を履き、千代さんに報告しに行かなければと考える。
夕立が来そうな空だった。
◆◇◆◇
灰色の空だと屋敷の雰囲気も暗く見える。千代さんにはあらかじめ連絡しておいたから、門は開いていた。
いつもの部屋に入ると、千代さんは足を組んで待っていた。
「さて、今回はどんな方法で解決したのかな?」
俺は端的に説明する。話しを進めると、段々と千代さんの表情が曇っていく。
「実に君らしい解決方法だ。だが、手放しで褒めることはできないな」
千代さんはニヒルな笑みを浮かべる。
「もう少し自分を大切にしたらどうだい?」
「……善処します。それじゃ、俺はこれで」
そう言って部屋を出る。
ダメだ。何故か今日は気が立っている。早めに家に帰ろう。
だが外はバケツをひっくり返したような夕立だった。
濡れることも厭わず自転車を漕ぎだす。
雨が当たって痛い。体温は奪われているはずなのに、心は熱を帯びていった。
◆◇◆◇
……だりぃ。昨日の雨で風邪を引いたかもしれない。取り合えず薬を飲んで登校する。
特に変わった事もなく校舎に入る。明日が終業式。周りの奴らの声も明るい。
誰とも挨拶せず下駄箱へ向かう。
――ゴミが入っていた。
まぁ、そう来るだろうな。特にこれといった動揺はない。むしろ想定内すぎて滑稽ですらある。
俺はゴミを取り出すことなく靴を履き替える。
夏休みも間近だ。エスカレートする前に休みに入る。
そこは良かったかもしれない。
さて、机にはどんなイタズラがしてあるかな。俺は少しだけウキウキしながら教室へ向かった。
今回もお読みくださり、ありがとうございます。
今回で「1学期編」は終了です。改めて感謝します。
物語はまだまだ続きますので、これからもよろしくお願いいたします。
「1学期編」の終了に際して、感想、評価など頂けたら嬉しいです。
ではこの辺りで失礼します。




