愚かな集団
20
「今日はどんな用だい?」
千代さんが俺に尋ねる。
俺は千代さんに聞きたい事があってここを訪れた。茜は一人で帰らせるのは心配なので、ついてきてもらっている。
茜はここに来る途中、例の悪癖が発症して
「陽介が……あたしのことを……心配してる……いや、本当の目的は……夜道であたしを……」
と、妄想を爆発させていた。こんなに酷かったっけ……?
「ちょっと聞きたい事がありまして……」
千代さんは既に風呂に入ったのか薄着だった。
ネグリジェとでも言うのだろうか、ゆったりとして涼しそうな装いで、チラリと見える抜ける様に白い肌が俺の鼓動を早める。
「聞きたいこと? 何だい?」
「集団、群衆の時の心理についてです」
「それまたどうして?」
「単純な興味ですかね……自分で調べても良かったんですけど、千代さんの方が詳しそうだったんで」
「ふふっ、ネットより詳しいと言うのか」
千代さんはクスリと笑い、その長い脚を組んで話し始める。
「それでは、基本的な群衆心理の法則を教えようか。一つは道徳性の低下。都会の人は冷たいというのは、これが原因と言われている」
俺は千代さんの言葉を頭に叩き込むつもりで聞く。
「二つ目は思考能力の低下。自分で考えるよりも周りに合わせた方が、労力が少なくて済むからね」
チラと横を見ると、茜は舟を漕いでいた。俺の視線に気づいたのか、千代さんも微笑する。
「三つ目、暗示にかかりやすくなる。集団がパニックに陥りやすいのがいい例だ。そして四つ目、感情の起伏が激しくなる。簡単に言えば、興奮しやすいということだ」
ふむふむ、人は一人でも愚かだが、集団だと愚かさが増すということは解った。
「人は集団だと流されやすいってのは、本当ですか?」
「あぁ、心理学的には『同調』と呼ばれる。人は毎日、多くの選択を迫られる。そこで、他の人の評価や言動だけで判断するんだ。その方が脳の負担を減らす事ができるからね」
なるほど……一つのグループが休んだその日、他の奴らはその様子を見て休んだのか。それだけで片付く気はしないが……。
「ありがとうございました。時間も遅いですし、後は自分で調べます」
俺は茜を揺する。
「茜、起きろ、帰るぞ」
「ふぁああ、はいはい」
「それでは、気をつけて帰るんだぞ」
千代さんも立ち上がり、玄関まで送ってくれる。
「そんじゃ、失礼します」
「千代さん、また遊びに来てもいいですか?」
茜はどうやらここが気に入ってるらしい。
「あぁ、いつでも来るといい。この子も待ってるよ」
千代さんの足元には、いつの間にかポチが座っていた。ふてぶてしい顔と耳の傷は健在だ。
俺らは自転車を漕いで家路を辿る。夜道を照らすのは、街灯と自転車のライトだけだった。
◆◇◆◇
会議室は喧騒に包まれていた。
生徒会長――桔梗麗香。
所謂イケメン――苧環。
二人が騒ぎの中心だった。
俺はその騒ぎを無視して、定位置に座る。
「何の騒ぎだろうね?」
茜が人だかりを見ながら尋ねてくる。
「さあな、別にどうでもいい。こっちに被害がなけりゃな」
さりとて興味は無いが、あまりにもうるさいので中心の二人を観察してみる。
「君達は昨日、なぜ無断で休んだんだい?」
生徒会長はかなり怒ってらっしゃる。眦が少し上がり、頬も上気している。綺麗な人は怒っても綺麗なんだなと、場違いな感想を持ってしまった。
「いやー、俺らも反省していろいろ考えてたんですよ」
一方、苧環がヘラヘラと反論する。……お前は辞書で反省の意味を調べてこい。
「ほぅ、何を考えていたんだ?」
細い腰に片手を当てて、口角を上げながら聞く。
「このままじゃ、本番に間に合わないじゃないですか。だから、俺らは男女合同で球技大会を行うって案を出します」
俺は驚いた。むしろ尊敬する。よくもまぁ、いけしゃあしゃあと言えたもんだ。厚顔無恥、ここに極まれり。
生徒会長も唖然としている。が、すぐに復活した。
「本番に間に合わないのは、騒いで仕事をせず、挙げ句の果てに無断欠席。君達に因るところが大きいんじゃないかい?」
彼女は頬をひくつかせながら言う。
尚も言い合いが続いているが、俺は不意に違和感に襲われた。
何だ? 何が引っ掛かる?
苧環を筆頭に、今回の役員は上位カーストの奴が多い。
普通ならそんな面倒な事はせず、二番手のカーストにお鉢が回るはずだ。なのに、何でこんなに多い?
それに、苧環たちが休んだ日、何であんなにも大勢が休んだ? ただの同調なのか?
俺が思考に耽っていると、会議室が静かになっていることに気づく。
「……分かりました。君達の案も検討します。ですから今日はもう帰ってください。今日はこれで解散とします」
生徒会長は椅子に座り額に手を当て静かにそう言った。
一人、また一人と会議室から出ていく。残ったのは生徒会長と俺と茜だけだった。
◆◇◆◇
「ふふ、ふふふフフフ」
あ、あれ? さっきから俯いてるから、落ち込んでいるのかと思ったら、急に笑い出したぞ……。
「よ、陽介、どうしよう! 生徒会長が壊れた!!」
茜はその暗い笑い声を聞き、慌て始める。
「そ、そうだ! 叩けば直るかな?」
「まずはお前が落ち着け。それに叩いても直らな……」
「とうっ!」
「だから人の話を聞けって言ってんだろうがぁ!!」
少し前にもこんなやり取りしたな……。茜は生徒会長の脳天にズビシッとチョップをかます。
すると生徒会長の笑いは止まり、代わりにため息が出た。
「はぁ、どうしましょう……確かにこのままでは間に合わないかもしれません。だからと言って、言う通りにすれば収拾がつかなくなります……」
そうだよな……苧環たちの提案を採用すれば、ますます調子に乗るだろう。
「生徒会長、俺に一ついい考えがあります」
俺がそう言うと、茜と生徒会長は期待の眼差しを俺に向ける。
「俺が苧環たちに殴られて、あいつらを退学にしましょう」
「陽介、努力の方向が明後日だよ……」
「斜め上の解決案をありがとう……」
二人がげんなりした表情で言う。おっかしーなー? いい案だと思うんだけどな。
「後は自分で考えます。そのために解散させたんですから」
生徒会長は立ち上がり、帰りの支度を始めた。
「ほら、二人も出てください。鍵を閉めますよ」
俺と茜は追い払われる様に部屋から出された。生徒会長は鍵を閉めると俺達と向かい合って言葉を発する。
「では、明日も来てくださいね? それと天雄さん」
「はい?」
生徒会長はポケッとしている茜の頭に手刀を落とす。
「っ~~~!?」
「ふふ、お返しです」
そう笑うと彼女は歩いていく。艶のある黒髪が歩を進める度に揺れていた。
いまだ悶絶する茜を横目に、その背中に少しだけ見とれてしまった。
どーも、「たい」です。
お読みくださり、ありがとうございます。
陽介の違和感は何でしょうね?
ではこの辺りで失礼します。