紫花 陽介は考える
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俺は家に帰るとすぐにソファーに寝転がる。目を閉じると彼女の憂いを帯びた瞳が浮かんだ。
人の印象は見た目が九割だと言われている。それは第一印象に限らず、その後にも影響する。つまり、人は人を見た目でしか判断できないのだ。
でも千代さんがお嬢様じゃないってのはビックリだ。屋敷の他にもどこか品のある感じだったからな。育ちはいいのだろう。
……千代さんは罪滅ぼしと言った。何に対しての罪滅ぼしなのだろうか。
彼女達の過去に何があったのだろうか……。竜胆先生は解離性の記憶障害で、過去の記憶が一部無いと千代さんは言った。この手の障害は若い女性に多いらしい。
『一部』ということは、心に傷を負った時の出来事を忘れているのだろう。
あのゆるふわ教師にそんな過去があったとは……。まぁ忘れているから、あんななのかもな。
俺は思考をリセットしようとして、窓を開けて外を見る。生ぬるい風が顔を撫でた。
彼女は俺に何を忠告しようとしたのか。先生と関係があることなのだろうか。考えれば考えるほど泥沼にはまっていく錯覚を覚える。
……考えるだけ無駄か。この事を当人に聞く気はない。ボッチは基本的に他人に不干渉だからだ。
俺は窓を閉め、時計に目をやる。
時刻は四時。帰り道で俺を焼いた光は少し弱くなっていた。
◆◇◆◇
月曜日、それは一週間の始まりでもある。始まりは、いつだって何だって憂鬱だ。
始まりがあれば終わりがある。終わるまでには辛いこと苦しいことがたくさんある。けれど終わっても、辛いこと苦しいことは終わらないかもしれない。
そんなことを考えるくらい学校に行きたくなかった。
だが恨めしいかな、体は意志に反して動く。
いつもと同じ道を自転車で辿るが、違うことと言えば
「いやー、快適快適」
後ろに茜を乗せていることか。
家を出る時に茜に捕まり、後ろに乗せてとせがまれたのだ。
「いい加減降りろ。お前は走った方が速いんじゃない?」
「そんなことないもん。陽介のバーカ」
茜はお返しとばかりに俺に抱きついてくる。ギャァアア!ま、マシュマロがぁ……制服の上からでも柔らかいよぅ……。
すると、前から自転車に乗った中年男性の警察官がやって来た。
「あ、茜! 降りろ。捕まるって!」
そう言っても茜は知らんぷり。ここでへそ曲げんなよ。
俺と警察官の距離が縮み、交差する。バレなかったか?
「ちょっと君ー。止まりなさーい」
……ですよね。警察官は自転車を止めて俺らに近づく。さすがにここからじゃ振り切れないだろう。制服も見られてるし。
「二人乗りはいくらカップルでも駄目だよー。今回は見逃してあげるけど、次からは気をつけてねー」
そう言って、警察官は去っていく。
よ、よかったー。助かった。茜はさっきから黙ったままだ。どうしたのかなーと思って後ろを見る。
「か、カップル……警察に認められた……」
夏なのに湯気が出そうなくらい赤くなっていた。俺の背中に額を当てて、ぶつぶつ言っている。
上気したうなじにドキッとしたのは、たぶん気のせいだろう。
俺は気を紛らわせる為に、足に力を入れてペダルを漕いだ。
◆◇◆◇
人はなぜ群れるのか。いろいろ考えられる。
自分の身を守るため。いざという時に仲間を売るため。一人だと攻撃されるから。自分のカースト順位を上げるため。
とまぁ、こんな感じだろう。
皆、自己保身のために群れ、仲間を作っているのだ。
そして自分が排他されるのを嫌がる。忌避していると言ってもいい。
だから休みの日でもかいがいしく友達と遊びに行ったり、一緒にトイレに行ったりするのだろう。
自分のいないところで、自分が攻撃されるかもしれないから。
……結局、人は自分のことしか考えず、自分が最優先なのだ。それは俺も例外ではない。
体育の時間、俺はそんなことを考えながらボーッとしていた。
今は五時限目、授業内容はサッカーだ。
この学校は体育が男女別で、展開場所も違う。
一つのボールを三、四人が追いかける姿は遠くから見ていると滑稽だ。
そして積極的にボールを追いかけるのは、専ら上位カーストの奴ら。
俺は何をしてるかって? 俺は後衛と言う名の傍観者だ。
ここでゴールキーパーをやるのは間違いだ。ゴールキーパーは点が入った時に面倒だしな。
だから正解はゴール付近に立っていて、ボールが来たときだけそこから離れる。これに限る。
この学校のジャージは野暮ったい紺のジャージだが、今日は持ち帰って洗わないで良さそうだ。
◆◇◆◇
放課後、俺は廊下を歩きながらこの後どうするか考える。本屋で新しい本を見つけてこようかな。
「陽介く~ん」
廊下の奥、渡り廊下の入り口付近で俺を呼ぶ声がする。
読んでいる本の続きは出たかなー。出てるといいなー。
「陽介くんってば~」
手を振られているが人違いだろう。
「二年二組、紫花陽介く~ん」
フルネームどころか、クラスまで呼ばれた……。他の生徒も俺のことを怪訝そうに見ている。
俺はため息を一つついて、俺を呼んだ人に近づく。
「何の用ですか?」
声の主、竜胆先生に話しかける。
「ちょっとお話しましょ~」
断ろうとも思ったが、千代さんに泣きつかれても困るので仕方なく了承する。
「良かった~。もし断られたら……」
先生はそこで言葉を切って、人差し指を瑞々しい唇に当てる。
ねぇ、断ったら何するつもりだったの? 怖いんだけど……。
どーも、「たい」です。
千代さんの罪滅ぼしって一体何なんでしょうね(すっとぼけ)。
今回も読んで下さりありがとうございました。
では失礼します。