【第一章】誕生記念日
救済とも罰とも解釈できる、過去の記録を、怨み続けた。
纏わり付く忌まわしい過去は、その眼で私を睨み、放そうとしない。
私は逃げ続けた。裏切り続けた。信じ続けた。
「これで自由だよね……」と。
気が付けば、春の足音を感じる頃だった。春という季節には、私にとって大事な行事がある。それは“誕生記念日”だ。灰と化した私の人生に、唯一、潤いを感じるモノである。
しかし世論では、誕生記念日に対しては、若年のピークを境に、忌み嫌うプログラムも一部存在するようだが、当の本人は、誕生記念日を悲観するものではないと考える。「だって、生きている証じゃないか。人生は灰と化しても、私自身は灰じゃない」。
思い起こせば、私が幼少の頃、社会が高度経済成長に無理心中を計り、全てを飲み込まれた果てに、息絶えた。彼等の人生もまた、灰と化したのだ。
そんな出発点に立たされた私は、家族が滅び、離散して行く様、教育の場での差別や中傷、貧困などに嘆き悲しんだものだった。
父もまた灰と化していた。酒こそ飲まないが、母との離婚後も、相変わらず、ギャンブルに埋め尽くされ、思い出に呪われたせいか、精神的成長が見られず、ただひたすら、“貧困を高価に買い取る変わり者”だった。
6歳上の兄もまた、私と同じ境遇に在ったのだ。しかし心に受けた傷は兄の方が深刻であったと記憶している。母と引き離され上、理解者でもあった姉が母に引き取られたのだ。捻れた人格形成の過程は、兄の方が勝っていたようにも思える。
いずれにせよ、そうした幼少期が、歪んだ自我を形成したのだろうが、他方、自身の勝手な甘えとルールもまた、自我形成に影響を与えた面は無視できない。
私の精神に不衛生な影響を及ぼした忌まわしい過去と、私自身の小さなパラダイムは、これからも、共存共栄して行くのだろうか……。
そんな禍々しい記憶に支配されていると、何だか人生が詰まる。
そうだ、私は地獄を脱け出し、原位置とも言える環境に置かれたのだ。これから知恵を身に付け、動けるヤツに成って行くんだ……なんて早計な目標を立てていた。
しかし、中途半端な田舎で底辺の生育環境に淘汰された私だ。原位置に在っても、知恵は平均を遥かに下回っていた。極めて不愉快に感じた事が、今でも心で熱を持っている。
……地獄のような故郷に永遠の別れを告げ、東海地方へとやって来たのは、21回目の誕生記念日を記憶に刻印するのと、ほぼ同時であった。物理的な荷物は身体一つだったが、心に山程の荷を抱え、見知らぬ都市部へとやって来た当時、あんな大悪夢に見舞われるとは、まさか、夢にも思わなかった。
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故郷が在る関東地方から、在来線を乗り継ぎ、東京で初めての新幹線に相見えた。幸い空いていたので座席に着き、窓から景色を見送っていると、少し不安が和らいでゆく気がした。
東海地区の某都市部へ降り立ったのは正午を過ぎた頃だった。乗車直後から駆られていた喫煙欲が解放された模様で、直ちにコンビニを探す。その道すがら、韋駄天も顔を顰るほどの、俊足かつ迅速な身体の対応に驚いた。あまりにも短すぎる所要時間に、思わず来た道を振り返ったほどだ。この反射神経を労働に変換できないものか……と錯覚したが、都市部なんだから、コンビニなんて徒歩5分以内には、だいたい在る。
「脚が速い訳でもなければ、顔を顰める韋駄天様も居られない」。
……と、嘆かわしい私の姿を他所に、道行く人々の眼差しは毅然とし、絶対的な目的意識が垣間見える。小さなコンビニは、立地的に駐車場は用意できないようで、サラリーマンやOL、工事関係者や若者などで、内外ごった返していた。
同時に、田舎者(私)は、人混みをロックオンすると、祭りか事件かと衝動に駆られる事が分かってしまった瞬間でもあった。
そんな人混みを他所に、安価な煙草を燻らせる私。ふと、視界の片隅に、真新しい無料の求人誌が積まれていた。必ずと言っても良い。仕事はする事になる。就業先となる会社へは、「住み込み、給与前借」などの条件の一致が絶対である。住む場所も無く、所持金も1週間程度の宿泊費と食費しか持ち合わせていない……つくづく思うが、私の脳は、自己都合100%ジュースだ。
しかし、こんな危機的状況に在るにも関わらず、焦りは微塵も現れていない。寧ろ地獄から解放された安堵感の方が勝っている。それは無理もない。十数年もの歳月、餓鬼のような生き方を強いられてきたのだ。解放からの反動はでかい。支配された国の政治変動にも匹敵する。そうだ、自由に決めて良いんだ。「~しなければならない」という戒律は崩壊した。
今はただ、見知らぬ街で、行きずりの人々が起こす波に、流されていたい。そうしているだけでも、少しだけ孤独が和らいでゆく気がした。
私は新しく生まれ変われるのだろうか……この地で。