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アスティアの翼  作者: 水瀬紫苑
序章
3/27

月夜に賢者は思案する

 立ち去る少女の後ろ姿を好々爺然と見守っていた男は、やがて目を伏せ、そっと月夜を見上げた。静かに月の光を浴びるその姿は、先程の少女の様子と重なった。


 少女は歴代でも5指に入ると言われるほどにほど優秀な神子であった。

 そもそも、神子に選ばれるのは8~16歳の少女なのだが、それでも毎回神子に相応しい能力を持った者が生まれてくる訳ではない。神子たるに相応しい少女がいなければ、それなりの者を代わりに据えるしかないのだ。

 神子の能力を持った少女は、親の手を離れると神殿へ入る。そして当代の巫女のもとで修業をするのだ。

 神子としては力及ばずともその力の片鱗をもつ少女は、神子の采女として神殿へと入り、神子に相応しい者が現れなかった場合は、その采女の中から選ばれる事になる。

 しかし、元々は神子足り得ないと判断された者たちだ。能力的にはどうしても劣る。その場合は、潔斎や修行で能力を最大まで高め、そして一気に爆発させる。――嫌な言い方をすれば、無理矢理搾り取るようなものだ。

 だからこそ、神子の任期は短い。采女あがりの代理神子であれば、長くても5年ともたない。神子としての能力が有る者でさえ、その力は年々減っていくがゆえに、10年が精々だ。

 勿論、歴代の神子達の中でも特に能力の高い者の中では、一生を神子として過ごした者もいる。――アリエスもその中の1人であった。

 アリエスが産まれた時、当代神子より託宣を受けた。それから3つで親元を離れ、神殿にて育てられた。そして8つになった時、正式な神子となった。

 それ以来世俗とは隔離され、年頃の少女達が花を咲かせる恋話や御洒落などにも興味を抱くことなく、只神の為だけに奉仕し続けた。

 それ故か神の寵愛も深く、19になった今でもその能力が落ちる気配も無く、一生を神子として過ごすものだと誰もが思っていた。


 神の告げた託宣とはいえ、少女があっさりと神子の立場を辞せる訳ではない。まだ少女の後任は決まっておらず、一族の動揺も容易に想像がつく。実際に嫁ぐ事になるのは、もっと先――下手をすれば数年はかかるかもしれない。


 ふと、或る青年の眼差しを思い出す。部族長の子であるという自覚からか、幼い頃より、年頃の少年らしい浮ついた所など微塵も見せることなく、老齢の落ち着きを見せていた真面目な青年。その強い眼差しは常に先を見据え、僅かにも揺らぐ事はなかった。

 アリエスはとても美しかった。神子という特殊な立場であるが故に、邪な感情を抱かれる事も、軽く手を出される様な事も無かったが、それでも年頃の少年達の視線や話題を独り占めしていた。

 青年――ダリウスはそんな少年達の浮ついた会話に参加することはなかったが、それでもアリエスに熱を帯びた視線を向けていた事を知っている。

 その視線も感情も、彼らしく巧妙に隠されており、恐らく気付いた者は居ないだろう。――自分を、除いて。


 恐らくこれから大変な騒動となる事だろう。

 歴代の中でも特に秀でた神子がその座を降りるのだから。そしてその騒動の渦中に晒されながら、人としての生活や常識を学ばなければならない。

 そんな中、屹度彼は彼女を支え、導いてくれる筈だ。そして少女の中にも淡い想いが芽生えると良い。

 余計な御世話だと思いながらも、そう願わずにはいられない。彼女の為にも、そして、彼の為にも――

 一族の次代を担う、実直な青年。彼には年頃の友人も勿論居たのだが、何所か一線を引いており、決して対等な立場であるとは思えなかった。

 それは次代族長であるという周りからの風評もあるであろうし、彼の自覚故に「対等」ではなく「護る対象」だと思っていた節もある。

 だからアリエスには、ダリウスの隣に立って欲しいのだ。護る対象でも仲間でも部下でもなく、信頼できるただ1人として。

 彼らには幸せになって欲しいと――なれると確信している。


 ――そう、「彼等」は……


 閉じていた瞼をゆるりと持ち上げる。その瞳は少女に向けていた温和な光など微塵も残らず、鋭い光を宿していた。


 大変なのは彼等――ダリウスとアリエスではない。その御子達だ。


 自分は予言の力など持ち合わせていない。しかし、己の中の膨大な記憶と知識が未来を告げる。


「――産まれるのですか……彼の者達が……」

 尊きあの方々の意志を継ぐ者達が――


 1人か、それとも2人揃ってか。

 恐らく後者であろうことも分かっている。この先に待ち受ける過酷な運命も――


「……では、貴方が目覚められると言う事なのですね」

 記憶の中にある彼の姿を思い描く。彼は相変わらず面倒くさそうな顔をするのだろうか。自分の姿を見て、嫌そうに眉を顰めるのだろうか。再び揃った彼等を見て、呆れた顔をするのだろうか――彼の口癖は健在なのだろうか。

 ゆるりとその口元が綻んでいく。

 ――さあ、彼に会ったら開口一番なんと言おう?

 「久しぶり」と言うべきか「初めまして」と言うべきか。

 ずっと焦がれた存在に、まさか自分の代で邂逅出来るとは思ってもみなかった。これから起こるであろう過酷な未来を思えば不謹慎だと思わなくもないが、それでも今は――この瞬間だけは、子供のようにはしゃいでしまってもいいだろう。

 それは男が一族の全てを引き継いでから、始めて見せた無邪気な顔だった。


 風に吹かれ、さあっと音を立てて木の葉が揺れる。いつの間にか辺りには生命の息吹に溢れ、止まっていた時間が動き出したかのようだ。


「……刻は、動き始めた」

 もう後戻りは出来ない。それならばせめて、継いだ能力を最大限に駆使し、彼等を支えるだけだ。矮小な自分に出来る事など、それだけしかないのだから。


 ――ねぇ、そうでしょう……?

「……グリード様……」

 大切に呟いた特別な名は、風に攫われ誰の耳にも届く事はなかった。


 ――貴方には、届いたのだろうか……。




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