第三章 異世界
これを更新するのも、随分と久方ぶりとなります。故あって長らく更新が停止しておりました。拙作の更新をお待ちいただいていた方がおられましたら、遅くなりましたことお詫び申し上げます。
さて、小説のあらすじにも書きました通り、この度更新再開と共にタイトルを「Satan's contactor ~悪魔の契約者~」に変更し、投稿済みの話にも若干の訂正を加えました。一部文章の加筆訂正と共に、第一章の前にあった間章を第一章と統合してあります。
また、定期的に投稿とはいかないかもしれませんが、これからも拙作をよろしくお願いいたします。
――暗い。
四方何処に目を向けても、ただただ暗いだけの空間。統也の意識は、その空間をあてどなく漂っていた。
一条の光すら無い完全なる闇。それでも、不思議とこの空間が無限に広がっているだろうことは解った。
――ここは……?
一体どれ程の時間、この空間をさまよい続けただろうか。十秒……一分……一時間。或いは一年を越しているかもしれない。
そのどれか一つにも思えるし、どれも違うようにも思える。
いっそ、時間という感覚が感じ取れないこの空間で、それを問う事こそが間違っているのか。統也は虚ろな意識の中で、そんな事を考えていた。
代わり映えの無い空間に変化が訪れたのは、正にそのとき。
統也の意識が漂っていく先、つい数瞬前には黒一色だったはずの景色。其処に、一つの光玉が煌いていた。
――あれは、何だ?
赤く、紅く、そして赫く。鮮烈なまでの不吉さをもって、血色の煌きは少しずつ統也へと近づいてくる。
それは、近くで見るほどにとてもキレイで――、オゾマシイ。その輝きの奥深くに潜むモノを、統也は一目で理解した。
――怖い。
恐怖。生物の持つ根源的な感情が、統也の心中を満たす。人としての理性ではなく、生物としての本能が、ソレに恐怖している。
この赫い光が何なのかは分からない。だが、少なくとも統也にとって歓迎しかねるモノだということは――、それだけは確かに理解できる。
徐々に接近する光玉から逃れようと足掻くも、ただ漂うだけの統也にその術はない。
遂に光玉との距離がゼロとなる。膨張する光に飲み込まれながら、統也の意識は暗転した。
「――ッ!」
声にならない叫びをあげ、統也は飛び起きた。冷や汗で体中が湿っている。不快感で思わず顔をしかめた。
べったりと汗で顔に張り付いた前髪をかきあげ、乱れた息を整える。
「……はぁ……はぁ……」
気分が悪い。何か、とても恐ろしい夢を見ていた気がする。どんな夢だったのか、内容は全く思い出せない。だが、その内容が途轍もなく悍ましく、そして忌まわしいものだという実感だけが、ただ強く残っていた。
「ここは……」
自らの部屋とは異なる、見慣れない場所。思わず疑問が口を衝く。ベッドから降り、未だぼんやりとした頭でどうしてこんな所に居るのかを考えながら、部屋の窓を開ける。
早朝の清涼な風が、全身を包み心地よい。差し込む朝日の眩しさに、咄嗟に目を窄めながら街の風景を眺めるに至って、ようやく統也は自身の置かれている現状を思い出した。
「地球じゃ……無いんだったな……」
大通りに面した宿。その二階にあるこの部屋から見える街の光景は、昨夜初めて見たときは俄かには信じがたいものがあった。
石畳を敷いた大通りに、馬や見たことのない動物の引く荷車や、中世風の衣装をまとった人々に鎧姿の偉丈夫が闊歩する光景。どう見たとて現代の風景には程遠い。
とは言え、遺跡で遭遇した巨人の事を考えると、成る程、寧ろ納得のいくことではある。斯様な生物が地球上に存在する筈もないのだから、確かにここは地球ならぬ異世界なのであろう。
もっとも、それが分かったところでそう易々と受け入れることが出来ようはずもない。
「現実は小説より奇なり……か」
昨夜はこの事態に混乱していたが、一晩経てば少しは冷静にもなれる。未だ事態を受け入れているとは言い難いが、これが現実と理解できる程度には統也も落ち着いていた。
(……取り敢えず、生きてはいるんだ)
今はそれで良しとしよう。自分の身に何が起こったかは、追々調べていけばいい。棚上げではあるが、どうせ今考えたところで進展はないのだ。
……そうとでも思わなければ、正気を保っていられる自信が統也には無かった。
「あの、起きてますか?」
大人しげな少女の声と共に、部屋の扉がノックされる。反射的に身構えた統也は、そこで声に聞き覚えがあることに気付く。昨夜、言葉を交わした四人の内の一人――
「フィエナ・ファーリエル……?」
「あ、名前覚えてくれたんですね。あの、お部屋入ってもいいですか?」
無意識に口をついて出た名前に、声の主が反応する。僅かな呟きだったというのに、彼女は扉越しでそれを聞き取ったらしい。
度外れて耳がいいのか、それともこれも魔術とやらの一つなのだろうか。
思わずそんなことを考えていると、戸惑ったような声音で少女が再び入室の許可を請うてきた。それに是と答えると、恐る恐るといった様子で少女が部屋に入ってくる。
アッシュブロンドの長髪に、明るい碧眼が印象的な嫋やかな少女。まだ幼さの残る顔つきだが、将来美貌に花開くであろう可憐な容姿には、だが未成熟故の美しさがある。
「えっと……」
「名前でいいです。家名だと、お姉ちゃんとまぎらわしいですし」
何と呼べばいいか迷う統也に、彼女はそう言った。あまり異性を名前で呼ぶ経験がなかったため、統也は一瞬躊躇ったのちに「じゃあ、フィエナさん」と彼女の名を呼んだ。
「フィエナでいいですよ、敬語もいりませんし……。それはそうと、お腹すいてません? 今、下の食堂にみんな集まってるんです。統也さんの事も聞きたいので、いっしょに食べませんか?」
「……そうだな、頂くよ」
「よかった……。それでは、案内しますね!」
断られるかもしれないという不安があったのだろう。統也が食事の同席に同意すると、フィエナは安堵の息を吐き嬉しそうに微笑んだ。
嫋やかな微笑を浮かべたまま先導するフィエナに着いていきながら、統也は、自身の境遇を彼女たちにどう説明したものかと思い悩んでいた。
そのまま事実を語ったところで、まさか信じてもらえるはずもないが、かと言って話を偽ろうにも、即興で作った虚言が通じるとも思えない。
いっそ、嘘偽りなく語ってみるのも手だろうか。と、半ば自暴自棄な考えが頭をよぎる。
「あの、どうかしましたか?」
「え?」
「あまり顔色がよくないようですけど」
つい暗い顔をしていたのか、フィエナが案じるように声をかけてくる。これから虚偽を語ろうか迷っていたなどと言えるはずもなく、統也は曖昧に笑って何でもないと誤魔化した。
それでも、まだ心配そうな表情を崩さないフィエナに、統也は何か話題を逸らせそうな話はないかと頭を働かせる。
「そういえば……」
「はい?」
「いや、昨日部屋に居たエレナって女の人とフィエナの名字が同じだから、何か関係あるのかなって」
「はい、お姉ちゃんです。お姉ちゃん、ずっと昔から傭兵をやってて、剣もすごく強いんですよ」
明るく笑いながら嬉しそうに言うフィエナ。そういえば、先程自分を名前で呼ぶよう言っていたときに、姉と言う単語が出ていた。成る程、言われてみれば確かに似ている。
(それにしても、傭兵か)
レイルと名乗ったあの男も、自らを剣士などと言っていた。彼らと行動を共にしているということは、ともするとフィエナもその傭兵なのだろうか。
つくづく、現代日本人の感性には合わない世界に来たものだと、統也は内心で溜息を吐く。
「彼らと一緒にいるってことは、フィエナも傭兵なのか?」
統也のその問いに、フィエナは少し考えるような仕草の後、首を横に振り否定の意を示す。
「えっと……わたしは、お姉ちゃんに着いて行ってるだけで、正式な傭兵じゃないんです」
「そう……でも、傭兵ってことは、戦争に行ったりするんじゃないのか?」
「あ、いえ……お姉ちゃんたちは魔物専門ですから、戦争に参加したりとかはほとんどありません。わたしがいっしょに行くようになったのは、最近の事なんですけど……一度も、人を相手にしたことはありませんから」
わたしに気を使ってかもしれませんけどね、と笑いながら言うフィエナ。魔物が何なのかは――まあ、言葉尻から大体想像はつくが、傭兵にも種類があるということか。
この世界の倫理観は分からないが、人間を相手にするのと獣やその魔物とやらを相手にするのとでは、やはり違う筈。フィエナの言う自分に気を使って、というのもそういうことだろう。
それにしても――、と統也は天井を仰いだ。
(魔物なんて……そんなものまで居る世界で……)
街の様子を見るに、文明レベルは明らかに地球より下だ。当然治安も低い筈。加えて、魔物と言う脅威もある。命の危険は比べ物にならないだろう。
そんな世界で、これから一体どうすればいいのだろうか。最悪の考えばかりが浮かんで、陰鬱な気分にさせられる。
「レンジョウさん?」
名を呼ぶフィエナの声に、我に返る。眼前には、疎らに客の入った食堂があった。どうやら、思い耽っているうちに到着していたようだ。
「お、来たな。二人とも、こっちだ」
声の方に振り向くと、昨夜の四人が料理の並べられたテーブルを囲んで座っていた。
その中の一人、赤毛を短く揃えた鋭い眼差しの偉丈夫――昨夜ジーンと紹介された男が、ジョッキを此方に向けて掲げている。統也たちを呼んだのは彼か。
呼ばれるままに、彼らと同じテーブルにつく。そこに、昨夜レイル・ハーヴィと名乗った男が声をかけてくる。
「さて、揃ったな。昨夜も名乗りはしたが、もう一度自己紹介は必要か?」
「いえ……覚えています」
「そうか、存外に余裕がありそうだな。もう少し混乱していると思っていたんだがな、君は」
どうなんだろうか。確かに、今は自分でも不思議なくらい落ち着いている。だが、だからと言ってこの状況に困惑していないわけではない。
「まあいい。色々と聞きたいこともあるが、一先ず朝食をとるとしよう。こちらの料理が分かるか不明だったのでね。勝手に料理を頼ませてもらったが、食べられないものはあるか?」
「いえ、大丈夫です」
卓上に並ぶのは、ライ麦パンにソーセージ、ハム、コップに注がれた――臭いからして、恐らくは果実のジュース――飲料。コンチネンタル・ブレックファストと呼ばれる欧州の朝食の中でも、特にドイツのそれだ。
どうやら、食文化に然程差異は無いらしい。これなら、少なくとも奇異な食事に悩まされるという事はなさそうだ。
レイルの問いに統也が否と答えたのを機に、各々が眼前の食事に手を付けていく。統也もそれに倣い、静かに手を合わせた後料理を口に運んだ。
(……悪くないな、意外と)
余り食事と言う気分でもなかったが、思いのほか美味な朝食に食欲が刺激される。三日間も眠っていたのだから、身体も栄養を欲していたのだろう。忘れていた空腹を満たすように、次々に料理を喰らっていく。
供された料理を完食するまで、そう時間はかからない。最後の一口を飲み込んだ後、果実のジュースで喉を潤し一息つく。
やがて、他の面々も食事を終える。
「ふう……、皆食べ終わったな。では、そろそろ本題に入るとしよう」
口元を拭い、レイルがそう切り出す。他の四人も、真剣な眼差しを統也に向けていた。
「ここで話すか、それとも部屋の方が良いか?」
「どちらでも」
投げ遣りに返す統也に、レイルはエレナと目を合わせ頷いた。
「分かった。このまま話を進めさせてもらう。まずは、君の素性についてだが、出身は東の出で間違いないな?」
肯定の意を込めて頷く。
「では次だ。エレナが探索に出たあの遺跡に、何故君が居たのか。それもあんな軽装で。その理由を聞きたい」
来た。この質問こそ、彼らが一番知りたがっていることだろう。あの遺跡、統也を襲ったような化け物が他にもいるとすれば、街中で過ごすような布の衣服で訪れるような場所ではない。どう考えても、統也が軽装であの場に居たのは不自然だ。気にもなろうというもの。
然し、どう言いつくろったものか。まさか、馬鹿正直に別の世界から来ましたなどと、その様な事言えようはずもない。
そも、言ったところで誰が信じるというのか。それは、部屋から食堂に来るまでにも考えたことだ。やはり、虚偽を告げそれで通すしかあるまい。
「……何と言っていいのか。こちらも、望んであの遺跡に居たわけではないのです」
「ほう」
恐る恐る、そう口にすると、レイルは興味深げに続きを促した。取り敢えず、頭から疑ってかかる気はなさそうだ。
「軽装であの遺跡にいたのも、そもそもあの遺跡に行く予定などなかったから。でもなければ、あんな化け物が襲ってくる場所など、誰が好き好んでいきますか」
「ふむ、確かにそうだ。だが、それではなぜ君はあの遺跡に?」
「……分かりません、自分でも。気が付いたらあの場に居たとしか」
「おいおい。つーことは何だ。いきなり転移魔術でもかけられたってのかよ。そんな与太話を信じろとでも?」
眉間を潜めながら、ジーンが会話に割り込んでくる。
やはり無理か。此処から説得しようにも、こちらの常識が分からない以上、下手に言いつくろってはぼろが出る。
だが、そこで思わぬ助けが入った。
「本人がそう言うのなら、それでいいじゃない。少なくとも、迷い込んだっていうのは間違いないでしょうし」
「は……本気か、エレナ。何の考えがあってかは知らんがよ、一体どういうつもりだ?」
統也を擁護するようなエレナの発言に、一瞬唖然とした表情を見せたものの、直ぐに険しい面持ちでエレナを問いただすジーン。
対するエレナは、ただ涼やかにその怒気を躱す。
「そのままの意味よ。レイルの言ったとおり、あの遺跡に訪れるにしては、彼の格好は軽装過ぎる。実際、私が居なかったら死んでいたわ。なら、あの場に居たのは本人の意図せぬ事と、そう考えるのが妥当でしょう?」
「だから、はいそうですかと言い分を信じろってか。冗談はよせ」
「なら、どんな理由があってあの場に居たと? 貴方だって、彼が目的あってあの遺跡に居たとは思ってないでしょう?」
「それはそうだが――!」
どこ吹く風のエレナに、身を乗り出し声を荒げるジーン。穏やかならざる雰囲気に、フィエナが不安げに視線を双方に彷徨わせる。
どうも、妙な状況になってきた。どこか掴みどころのない印象があったが、まさかエレナがこちらの擁護に回るとは。
深まる険悪な空気に、レイルが眉間を揉みながら仲裁しようとする。が、手を叩く乾いた音がそこに割り込んだ。
「はいはい。二人とも喧嘩しない。あなた達は、どうしてこう直ぐぶつかるのかしら」
場の空気を壊すかのように、明るい声音でそう言ったのは、ナターシャ・アイレディア。呆れたような表情で、彼女はエレナとジーンを見つめていた。
「取り敢えずジーンは落ち着いて。私だって、エレナの言うことに納得しているわけじゃないもの。あなたの言うことも分かるけど、直ぐ熱くなるのは悪い癖よ」
「む……」
ナターシャの言に頭を冷やしたのか、ジーンが憮然とした表情で無造作に椅子に座る。ジーンが悋気を納めたのを見て、ナターシャは「それと――」とエレナに向き直った。
「エレナ、今言ったように、私もあなたの言うことに納得はしていない。レイルもそうだし、たぶんフィエナもそう。
――とは言え、私達の雇い主はエレナよ。だから、そうと弁えた上でエレナが彼の言い分を受け入れるというなら、私達はそれに従います」
その言葉に、レイルが首肯する。ジーンも、不承不承といった体で頷いた。
「……ええ、そうよ。これは雇い主としての私の決定」
「そう、なら私たちもそれに従うわ。ただし、決して納得しているわけじゃないという事は忘れないでね」
「分かってるわ」
統也が状況についていけないうちに、話は決着する。どうやら、統也の言い分を受け入れることで決まったようだ。
統也としては、あまりに都合のいい展開。だからこそ、手放しには喜べない。
エレナ・ファーリエル。一体何を考えているのか。もしや、統也の素性やその身に起こった現象の事も、総て承知しているのではないか。そんな疑念が頭をよぎる。
ジーンもこれ以上の異言は無いとみて、再びレイルが場を仕切りなおす。
「では、話を次に進めよう。トウヤ・レンジョウ、君のこれからについてだ」
「……はい」
これは、統也も思い悩んでいたこと。何故だか言葉は通じているものの、この見知らぬ土地で、一人生きていくことができるとは思っていない。もし生き延びようと欲すなら、誰かの庇護を受けるしかない。
(第一候補は、やっぱりこの人たちか)
他に頼る当てもない。今の統也が縋れる相手は彼らのみ。だが、彼らは統也の事を東国の人間だと思っている。都合よく考えても、祖国に帰る段取りをつけてくれるだけではなかろうか。
だが、それでは結局意味がない。なんとしても彼らに同行するより他、統也に生きる術は無いだろう。
「先ず、ここがどこなのか教えていただけませんか? それすらも分からないでは、今後どうするかなんて考えようもありませんし」
「そうだな。そこから話した方がいいか」
そう言うと、レイルは給仕を呼び食器を片付けさせる。そうして空いた卓上に広げて見せたのは、一枚の地図だった。この話になる事は、レイルも予想していたらしい。
「先ず、君の出身のクシャリナ皇国がここだ。そして、今我々が居るハルメイアがこのオルドロワの南方」
クシャリナ皇国と言うのが、レイル達が統也の祖国と勘違いしている国らしい。対して、今統也が居るのがオルドロワという王国。レイルの指を追って地図を見れば、この二国、かなりの距離がある。
「距離もそうだが、一番の問題はここだ。知っているだろうが、クルグァ山脈が大陸東部を隔てるように横断している。魔物も多いうえに、充満する魔力が年中異常気象を起こしている以上、陸路での突破はまず不可能だ。クシャリナには海路を使っていくしかないが……海魔のせいで一般の船は航海が出来ない。大陸東部とそれ以外で国交がほぼ断絶している理由だな。
……つまり、大陸東部から出てきてしまった君は、もう二度と祖国に戻る方法はない」
「…………」
正直、クシャリナに行く手立てがないというのはどうでもいい。そもそも、祖国でも何でもない以上、行ったところで意味はないのだから。
(それにしても、海魔……)
何か、とは聞かない。どうせ、あのトロールとかいう巨人と同じ化け物の類だろう。航海できない、というのだから、船を出しても海魔とやらに沈められるのだろうか。つくづく、危険度の高い世界だ。
そんなことを考えている様を、祖国に帰る術がなく落胆していると思ったのか、レイルは慰めるように統也の肩に手を置いた。
「君の気持が分かる、などと言うつもりはない。だが、あまり思いつめてくれるなよ」
「……いえ、大丈夫です。もしかしたら、とは覚悟していましたから」
まだショックを受けている、と言う様を装い地図から顔を上げる。
「だが、こうなってしまうと、君は一生涯をこちらで暮らす必要がある。これからの事について、何か考えはあるか?」
「……いえ、何も」
あるわけがない。この世界の事を何も知らず、知ったところでどうしようもない。
「だろうな。そこで、君に一つ我々から提案がある」
「提案?」
「そうだ。君も、この国の事は何も分からないだろう。これからこの国で暮らすにしても、そう容易い話ではない。そこでなんだが、我々と共に来る気はないか?」
「貴方がたと?」
それは――まさに統也が望んでいたこと。傭兵である彼らと行動するなら、危険は避けられないだろう。それでも、彼らの庇護を受けられれば、この世界でも生きていける。
――だが、この申し出を受けていいものか? 幾らなんでも都合がよすぎる。偶然助けただけの相手を、事情があるとはいえ、自分たちに同行させたりまでするだろうか。
ただの善意でという事はない筈。その意図も分からず、この申し出に頷くことは出来ない。
「何故、そこまで?」
「それは、私から説明するわ」
そう答えたのは、エレナ・ファーリエル。今までのやり取りからしても、おそらく彼女がこの五人のリーダーなのだろう。
「貴男が疑問に思うのも当然だけど、別に善意でばかり助けようというのではないのよ。これを、覚えているかしら?」
「それは……」
彼女が取り出したのは、鞘に納められた一振りの長剣。それを、少しだけ鞘から抜いて見せる。刀身まで闇色に染まったその剣は、確かに見覚えがあった。
あの化け物から襲われた時、逃げ込んだ建物の中にあったもの。エレナに助けられた時も、確か持っていた筈。彼女が回収していたのか。
「その様子だと、覚えているみたいね」
「ええ……確か、あの化け物から逃げている時に、神殿の中で見つけたものです」
「そう、だと思ったわ。貴男に同行を提案した理由は、他ならぬこの剣にあるのよ」
(あの遺跡に居たのは、それが目的? でも――)
「その剣が目的だというなら、それだけ持っていけばいい話では?」
統也を自分たちに同行させる必要があるとは思えない。
「これだけが目的であれば、確かにそう。問題は、貴男がこの剣を手にしていた事にあるわ。この剣は、封印されていたのよ」
「封印? それは……」
確かに、この剣があった部屋には、外界に繋がる扉も窓も一切が存在しなかった。それがこの剣を人の世から隔離するためとなれば、あの奇異な部屋も分かる。
それにしても、たかが剣を――と言うのは愚問か。魔術だのなんだのと、そんなものが存在する世界だ。剣一つが妙な力を持っていても不思議ではない。
「この剣を貴男が持っていたという事は、貴男が封印を解いた他ならない証拠」
「待って、待ってください。あの部屋はを壊したのは――」
「トロール如きに破壊できるような、そんな軟な封印ではないわ。勿論、自然に解けることもない。あなたが原因となって封印が解けたのは間違いないのよ」
黒剣を鞘に納め、エレナは静かに席を立つ。静謐ながらも、どこか他者を圧倒するような雰囲気を纏い、ゆっくりと統也の許に歩み寄る。
「貴男がこの剣の封印を解けたのは、貴男に相応の所以があったから。私には、その所以が必要なのよ」
だから――と、統也に手を差し伸べてくる。何処までも澄みきったその瞳から、目が離せない。意識が吸い込まれていくような感覚。まるで女神の様に艶やかに、天使の様に清らかで、そして悪魔の囁きの様に甘く、その言葉はするりと統也の心に入り込んできた。
「――私と一緒に来て、錬条統也」
頭に浮かんでいた疑問も、同行の申し出に抱いた警戒も、その何もかもが消え失せていく。今はただ、この手を取る事こそが正しいと――そう、感じている。
「分かりました」
ゆっくりと、右手をエレナに伸ばし、
「その申し出を、受けさせて頂きます」
差し出されたその手を取った。ありがとう――と、エレナが美貌に笑みを浮かべる。その美麗に、統也は自分の頬が紅潮しているのを感じた。
「それでは、これからの事を話しましょう。フィエナ、部屋からあれを持ってきて貰える?」
「登録証だよね。うん、わかった」
エレナの指示を受けたフィエナが、二階に続く階段に姿を消す。フィエナの姿を見送ると、エレナは統也の手を離し、自分の席に戻っていった。離された手に、名残惜しさを感じながら、統也も正面に向き直る。
彼女たちと共に行くと決めた。きっと、これからいろんな困難が統也の身に降りかかるだろう。勿論、命の危険も。それは、彼女たちに付いて行った結果かもしれない。後悔だってきっとする。
だけれど、今だけはこの選択が間違っていなかったと、そう信じたい。
さて、二話に続き今回も説明回となっております。避けては通れなかった回とはいえ、些か冗長に過ぎたかもしれません。
それもあって、最後は半ば無理やり終わらせましたが、この話はいずれ書き直すつもりでいます。まあ、話の流れを変えるつもりはありませんが。
一応、次話も世界観説明は入ってしまいます。それでも、戦闘シーンもありますので、三話よりはましかと。
それでは皆様、次は「第四章 傭兵」でお会いしましょう。




