第一章 遭遇
其処は、嘗て大陸一の大国として栄華を得ていた、ある国の王都だった。
素晴らしい文化を持ち、極めて高度な文明が栄え、他の何れをも圧倒する軍事を誇り、また広大で豊穣な国土に恵まれたその国は、しかし内紛により歴史からその名を消した。
まさに栄枯衰退。大陸の全てが集まると謳われたこの都も、今では考古学者や物好きな旅人冒険家の類ですら訪れず、遺跡荒らし専門の盗賊にすら見向きもされない。
幾星霜の年月の中風雨に晒されながらも、未だ原型を残した石造りの建物が、嘗てこの地に栄えた大国の技術を教えてくれる。
その遺跡の中でも、一際大きな建物があった。
他の建物と同じく、風化しながらも辛うじて原型を止めているその建物は、細かく流麗に刻まれた彫刻と、屋根より下界を睥睨する幻獣像が、こと周囲の建物との違いを際立てていた。
神殿。文化だけでなく、宗教においても世界の中心であったこの都。遠き日には大陸中から参拝者の訪れたであろうその荘厳たる姿には、誰もが感嘆を覚えずにはいられまい。
だが、一度神殿の門をくぐれば、未だかつての壮麗さの片鱗を見せる外観とは異なり、澱んだ空気と呆れるほどに何もない内装は、いっそ薄ら寒いほどの空虚を見るものに与える。
そして、そこから更に進んだ神殿の奥。頑強な壁に囲まれ、外界とのつながりが一切存在しない隠し部屋。空気の澱みがより一層酷くなり、常人では無意識に近寄ることすら避けるであろうその部屋は、どこか牢獄すら思わせた。
窓一つ無く、一筋の光明すら差し込まぬその部屋は然し、中央にて暗く輝く光が仄かに室内を照らしていた。
輝きを放っているのは、一振りの剣。黒い刃を持ったその剣が放つ輝きは、光でありながらその真逆の印象が感じられる。恐らくは、この剣が神殿内部、そしてこの部屋に漂う邪気の源なのだろう。
この神殿の門に刻まれたレリーフを見れば、此処は光神を奉る神殿である事は瞭然。にも拘らず、斯様な魔剣が在るということは、この部屋はこの魔剣を封じるためのものなのであろうか。
だとするならば、長い年月の経過による劣化でその封印が衰えたのだろう。神の家に邪気が漂うのも、それならば得心もいく。
ぼう、と剣が放つ光が強まる。かと思えば、その光は今にも消えそうなほどに弱まっていく。
更に幾度、光は明滅を続ける。さながら、信号を送るかのように続いたそれは唐突に止み、何事も無かったかのように再び暗い光を放ち始めた。
この廃都の神殿で、何が起ころうとしているのか。それを見るものは、まだ誰もいない。
§
消えゆく意識が、突如として鮮明さを増していくのを、統也は感じた。
虚ろだった思考も形を成し、体の感覚も徐々に戻ってきている。
「う……あ……」
喉を震わせば、言葉に成らずも確かな声が洩れ出る。
感覚を確かめようと体を動かせば、指先が土を掻く感触が統哉の脳を刺激する。
「が……はっ……」
意識を失っている間、一時的に呼吸でも止まっていたのか、酸素を欲した肺が、統哉に大きく息を吸わせた。
「う……ここは……一体?」
未だ覚醒しきらぬ頭を左右に振りながら、ゆっくりと体を起こしていく。
「ん……」
口の中に錆びくさいものを感じ、反射的に唾を吐くと、唾と共に赤黒くなった血が吐き出されてくる。
口内に残る鉄の錆び臭さが感じさせる不快感に顔を顰め、統也は意識を失う寸前の記憶を思い浮かべた。
「……そうだ、俺は街で刺されて、それで――」
死んだはず。そう口にしようとした瞬間、そのときの映像がフラッシュバックし、統也の脳裏にまざまざと甦った。
「う……ぐっ……げぼっ……!」
湧き上がる嫌悪感と不快感に胃の中のものが逆流する。
あの感覚。血が、命が抜け落ちていく、どうしようもなく死を意識させられるあの感覚は、紛れも無く現実のもの。ならば、この身は確かに死を迎えたはずだ。
だというのに、これはどういうことなのか。
無意識に触っていた右胸にも、傷はない。たが、一部が赤黒く染まった服は、何かに刺されたかのように破れていた。
「…………」
幾ら考えども、答えは出そうにない。嘔吐物で汚れた口元を拭いながら、統也は辺りを見渡した。だが、目に入るのは石造りの建築物跡だけ。辛うじて原形を残すそれも、一目で遠く悠久の彼方に造られたものとわかる。
統也が生きているのは間違いない。だが、なおさら此処が何処なのかわからない。
立て続けの変事に、混乱を過ぎて寧ろ冷静になった頭で考える。この遺跡、如何見ても日本の古代に建てられた物ではあるまい。
かといって、日本以外の何処かの国、というのも些か無理があるように思う。あの状況下で、そんな長距離を移動しなければならないような理由もない。
何より気になるのは、刺された傷が綺麗さっぱりと消えていることだ。
よもや、傷が癒えた後に意識のないままだった統也に刺されたときの服を着せ、誰かが此処に運び込んだ。等ということもあるまい。
そこまで考えてから、統也はため息をつき思考を中断させた。
今この時点で何を考えても無駄なのだ。先ほども、答えは出ないと思ったばかりではないか。
一先ず、この遺跡を出るのが先決か。統也は、自らの身体に異常がないことを確認し、あたりを警戒しながら立ち上がった。
倒れていたのはかつての大通りだったのか、かなり幅のある道の両端に、整然と建物跡が並んでいる。
「取り敢えず……、通りに沿って進んでみるか」
気を抜くと、再び浮かんでこようとする死の記憶を振り払い、一先ずの方針を決めた統也は、行動の切欠となすかのようにそれを声に出した。
それにしても、軽く歩いてみただけではあるが、この遺跡は中々に広大な都市だったようだ。統也が居るのが遺跡の中心部なだけかもしれないが、歩けど歩けど遺跡が途切れる様子はない。
ともすれば、この遺跡は嘗て栄えた名高き文明の都だったのかもしれない。
(ん? あれは……)
暫く歩いていると、前方に一際目立つ巨大な建築物が見えてきた。
――――神殿、か? 宮殿のようには見えないが……
何処か神秘的な装飾と、真白い外装をした建物は、そう呼ぶに相応しい荘厳さを放っていた。
然し、それにしてもいかな技術で建てられたものか。
素人目でも、数十年どころか数百年は経っているのでは、と思わせるほど朽ち果てた遺跡ではあるが、民家ですら原形を保ち、教会と思しき建物のような巨大な建築物を遺している。
その威風たるや、専門の学者や研究者でなくとも、中々に好奇心を刺激される。
(少し、休憩するか)
一向に外に着く気配のない、さながら迷宮のような遺跡を、かれこれ一時間は歩いていたためだろうか。体力には自信があったが、それでも無視できない疲労を感じている。
それに、この遺跡を見ていると、郷愁と憧憬に似たえも言われぬ強い感情が心の中から湧き上っていくのを感じる。何とも知れない奇妙な感覚だ。先程まで抱いていた不安や恐怖、警戒など皆吹き飛ばし、唯“それ”だけが統也の心中を支配していた。
ふと気が付けば、無意識のうちに神殿の門扉の眼前にまで近づいていた。どのみち休憩するのだから、ものはついでに見物していくのも一興か。
統也は、喜色を浮かべながら足を速めた。
油断、と言うのだろうか。
奇妙な感覚に気を取られ、未知の土地に対する警戒を解いてしまった。いずれ抗えぬものだったとしても、それを自覚した時に再び気を引き締めることは可能であった。もし、統也が遺跡に住み着いた野獣猛獣の類を警戒していれば、或いは、これから起こる出来事の結果はおのずと変わっていたかもしれない。
だが、そのような後悔を抱く暇もなく、それは統也を襲った。
「―――――――――――!!」
その叫びと共に放たれた一撃を、統也は辛うじてかわした。だが、上空よりの落下の加速を加えたそれは、衝撃だけですら統也の身を軽々と弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
衝撃それ自体によるダメージはないが、弾き飛ばされた統也の体は、神殿の門にたたきつけられた。幾星霜の年月を経て劣化した神殿の扉は、統也の体を受け止めきれず、あっさりと砕け散る。
勢いのままに神殿の床を数度転がり、跳ね起きる。統也は視線を外に向けた。
「な……に?」
壊れた門扉の残骸をさらに踏み砕き、それは神殿に入ってきた。
巨人。
見るもの誰もがそう形容するであろう体躯に、手に持つ大岩と見間違えそうな石剣。物語の世界から抜け出してきたかのような異形の姿が、そこにはあった。
「……っ!」
統也がその姿を見ていたのは、秒にも満たない。一目その姿を視界に入れた次の瞬間には、統也はきびすを返し、全速で神殿の奥へと走っていた。
あれは駄目だ。見た目こそ人に似ているが、本質的に人とは異なっている。
統也とて、その年にしてはかなり高水準の身体能力を持ってはいるが、所詮十代の少年でしかない。もとより人を遥か凌駕する存在相手に、それがなんの足しになろうか。
「はぁ……はぁ……!」
間近へ迫った死の恐怖でか、統也は無様に息を乱し、ひたすらに走り続けた。
後方からは、巨人が辺りかまわず破壊しながら、統哉を追走してくる。その音が恐怖心をあおり、統也を追い詰めていく。
「―――――――!」
横なぎに放たれた一撃を、統也は前方に転がりかわす。
頭の数センチ上を通り過ぎる石剣に背筋を凍らせながら、当れば即死の一撃を躱せたことに対する安堵が、統也の心中を満たす。
まさにその瞬間だった。
統也が腹部に衝撃を感じたときには、既に左方の壁に叩き付けられていた。激痛に襲われながらも、統也は巨人に目を向ける。
其処には、脚を振り上げられた巨人の姿。体勢の崩れた統也を、力任せに蹴り上げたのか。
「ぐ……あ……」
呻き声を上げながら、地面に崩れ落ちる統也。だがそれが、続けて放たれた巨人の拳撃から統也を救った。
巨人の拳が、寸前まで統哉の体があった空間を打ち抜く。諸共に砕かれた壁の向こうには、広大な空間が広がっていた。
意識してか、或いは偶然か、統也は倒れこむようにその空間へと身を投げる。
統也を追って入ってくる巨人。その脅威から逃れるために、痛む体に鞭打ちながら更に奥へと進もうとした統也は、そこで己の過ちを知った。
窓ひとつなく暗澹とした空間を、ただ中央から放たれる仄かな光のみが照らし出した其処は、今ほど巨人が砕いた壁の穴を除いて、唯の一つも外界に繋がる出口が存在しなかった。
「…………!」
巨人に蹴飛ばされた際に、肋を折り内臓を傷めたのか、秒ごとに強まる痛みが統也に限界を伝えてくる。恐らく、そう長くない内に動けなくなるだろう。今でさえ、半ば無理やりに体を動かしているのだから。
故に、此処から出るには巨人の背後の穴を抜けるしかない。それも、巨人のすぐそばを通り抜けて、だ。
巨人を穴の前から離そうにも、それだけの間動けるかわからない。否、此処から無事出られようと、この巨人の追撃から逃れることが出来ようか。
「―――――――――――!!」
獲物を追い詰めたと悟ってか、巨人が高らかに咆哮を上げる。
「くっ……!」
その咆哮に統也が怯んだ隙を突き、巨人が石剣を振り下ろした。体を無理やり反らし、危ういところでその一撃をかわした統也だが、急な動きをしたせいか、体に奔った激痛に思わず地面へと倒れた。
止めといわんばかりに放たれる巨人の攻撃を、地面を転がることで辛うじてかわしていく。
突然、何かが背中にぶつかった。起き上がり振り向けば、黒い長剣が台座のような物に刺さっていた。その刀身は、淡く光を放っている。この長剣がこの部屋を照らしていたのか。
かくも不可解な光景だが、それを疑問に思う暇もなく、巨人の石剣が統也の頭上に振り下ろされた。
「ちっ――!」
咄嗟に長剣を抜き、石剣の横腹に力任せに叩き込んだ。
石剣の軌道を逸らすことに成功し、統哉のすぐ左に石剣が叩き込まれた。
「……これなら!」
大降りの一撃を外し、一瞬動きの止まった巨人の胴を、すれ違いざまに長剣で薙ぐ。
伝わる確かな手ごたえに、統也の口元に笑みが浮かぶ。流石にこれ一撃で倒せたとは思わないが、少なくともかなりのダメージは負っているはずだ。
長剣を杖代わりに体を支え、その場を後にしようとした統也は、ふと感じた悪寒に振り返る。
巨人が、その手に持つ石剣を今まさに振り下ろさんとしていた。
「何っ――!?」
先ほどよりも速い一撃。避けるも受け流すも間に合いそうにない。
「くっ……!」
咄嗟に長剣を掲げ、その一撃を受け止める。衝撃で腕の骨が軋む。
火事場の馬鹿力とでも言うのか、徐々に押されてはいるものの、辛うじて石剣を受け止めている。
「ぐ……!」
歯を食いしばり、今にも激痛で力が抜けてしまいそうな体で持ちこたえる。
ふと、統也の視線が巨人の胴に行く。先程統也が放った一撃、それによって付けられた傷が、其処にはあるはずだった。然し――
「っ……莫迦な――!」
統也の目に映ったのは、確かに存在した傷が、見る見る内に癒えていく光景だった。
有り得ない。
腹部を刺され、死んだと思っていたら謎の遺跡で目覚めたことより、ゆうに三・四メートルには達しようという巨人に襲われたことより、その光景は尚現実離れしたものだった。
統也の知る限り、地球上の如何なる動物も、重傷を負ってすぐにその傷が癒えることはない。だが――成る程、これならば巨人が傷を気にした様子もなく襲ってきた理由もわかる。
驚愕に目を見開いた統也は、一瞬に満たない時ではあるが、僅かに力が緩んだ。
「―――――!」
それを見逃してくれるほど、目の前の巨人は愚鈍ではなかった。
叫びと共に、更に強い力が石剣に込められる。そのまま押しつぶされそうになるのを、背後に跳ぶことで免れる。
「がっ……!」
だが、巨人は石剣の軌道を無理やり変え、統也を弾き飛ばした。
壁にあいた穴から廊下へと弾かれ、逆の壁に叩き付けられる。力なく崩れ落ちた統也に、巨人が石剣を振り上げながら歩み寄ってきた。
既にダメージが許容量を超え、体を満足に動かすことも出来ない。恐らく、次放たれる攻撃を避けることは、今の統也には出来ないであろう。
「く……そっ……!」
動かぬ体で呻く統也に、無慈悲な刃が振り下ろされた。
「遍く生命を導きし無式の精霊オムニスよ、汝が疾風にて災いを断て」
窓もなく、閉鎖された空間に、突如として突風が吹き荒れた。
統也と巨人の間を、一筋の風が通り抜けた。刹那の後には、巨人の腕が半ばから断たれ、噴水のような血飛沫が噴き出していた。
「―――――――!」
「っ――。何、が……?」
痛みに叫び声を上げた巨人と、突然の事態に呆然とした統也の耳に、その声が風に乗って届いた。まるで、数百年の間停滞していた空気を吹き飛ばすかのような鮮烈をもって。
「門が壊れていたから、気になって来てみたのだけど……正解だったわね」
その声の主は、一人の少女だった。
純白の軽鎧に身を包んだその姿は、さながら神話の戦乙女のような錯覚を統也に与えた。
「重ねて乞う。精霊よ、禍津を刻め―――、凄烈に」
巨人の腕を断ち切った風の刃が、粉塵を巻き上げながら数多吹き荒れ、巨人を切り裂いていく。
「―――――――!」
あまりにも圧倒的な光景。寸前まで、統也を追い詰めていたとは思えないほど呆気無く、巨人はその命を散らしていった。
「さて、と。貴方、大丈夫?」
事態の推移に理解が及ばない統也に、少女は何事も無かったかのように話しかけた。
「あ、ああ……問題は―――っ!」
返事をしようと体を起こすが、体を奔った激痛に統也は再び地に倒れ伏す。
「……その傷、大丈夫じゃないじゃないわね。動かないで」
只でさえ重症だった体を限界まで酷使した反動か、今まで以上の激痛が統也の体を襲う。
「ちょっ――た、聞――て―? ―え、――――」
遠くなっていく少女の声を聞きながら、迫り来る激痛の奔流に、統也はその意識を手放した




