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まのかん  作者: kishegh
第一章
7/13

I


ファングは歩いていた。


薄暗い世界、鉄色の霧と、オイルの蒸気、思い出したかのように明滅する電灯、中層と下層の境界を歩いていた。


彼のほかに歩く者も、そして人の気配も無い。


散歩、ジョギング、そんな平和な行動はここの人間とは無縁の事だ。


いや、そもそもここに、人の営みなどあるのだろうか?


対流の無い所に特有の、滞留した空気に満たされた空間。


彼の住処はここだ、彼の住居はここにある。


普通に考えれば、中層どころか、上層階にも住めるだけの資産は持っているだろう。上層階に引き上げられるだけのコネもある。彼のファンは、上層階にも存在するからだ。


しかし、彼はここに住んでいた。


光の通わぬ、整備もされぬ中層階の最低層に。


仮想の人間からすれば、かえって面倒で、中層の人間からすれば危険。そんなお互いの、一種の気分的な盲点。人のエアスポット、それがここだ。


幾つかのセキュリティーをすばやく解除すると、部屋の中に入り、扉を閉める。入ってきた時とは逆に、各セキュリティーを設定すると、最後にアラームだけをオフにした。


セキュリティーは、あまり大仰にするとかえって賊を呼ぶ、しかし、あまりにも無抵抗でも、やはり賊を呼ぶ。ファングにとって、それは言ってみれば飾りでしかない、猛犬注意のステッカーに近い。


冷蔵庫を開けると、そこには固形物は存在しない。


酒、水、各種の栄養ドリンクに、如何使うのか一般的には縁の薄いブドウ糖点滴や、生理食塩水なども入っている。


彼は、一本の瓶入りのミネラルウォーターを取り出すと、頭からドバドバとかけまわした。


灰色がかった髪は、元から持っていた、赤黒い色へと変わる。


人種といったものが既になくなったこの時代であっても、まず存在しない色だ。変わり者が髪を染めている場合で無ければありえない、しかし、その髪を光の下で見れば、明らかに地毛だと分かるだろう。傷一つ無く、まったく痛んだ様子の無い髪は、染色によってダメージを受けた髪とは印象が異なる。


彼は濡れた服を脱ぐと、ランドリーに放りこんだ。不思議な事に、床には一滴の水もこぼれていない。それに、薄暗いので気付きにくいが、外とは違い、部屋の床には少しの埃も無く、空気も驚くほど澄んでいる。


暗い部屋の中、たった一つだけ赤い明かりが点いている。


彼がその明かりに触れると、壁銃に埋め込まれたモニターやデータ表示機の数々が、一斉に起動した。暗かった部屋に、明かりがしみこむ。


中央の一際大きなモニターの前に座ると、前にキーボードがせり出してくる。いまや常識となった、口頭指示でも、ホログラフィックキーボードでも、動作視認指示でもない、古めかしい、実体を持ったキーボードだ。


「殺人・人体解体・個人・黒髪」


すばやくキーワードを打ち込むと、コンピューターの隅で、人工調律データ生命体(オートマトン)が緑の光を点す、確認の合図だ。


ファングは、それを確認すると、再び赤い光点に触れる。


瞬間、光は消え失せて、唯一赤い光のみが部屋に浮かぶ。ファングは、しばらくその場で座っていたが、やがてベッドのシーツの中に、その裸体を埋めた。


寝息すらも聞こえない、穏やかな空間は、突然の光とアラームに引き裂かれた。


モニターが一斉に点灯し、先ほどのオートマトンがけたたましく叫びを上げている。


ファングは無言で起き上がると、モニターをざっと見渡した。モニターには、静かな住宅と、口に物を詰められて震えている女性の姿があった。ファングは急いで服を着る、漆黒のシャツとチノパン、身体にそったジャケットを羽織り、口の中で何かを呟く。


「………」


次の瞬間、ファングの姿は部屋から消え、モニターの明かりもアラームも鳴りを潜め、部屋には再び赤い光点だけが残った。




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