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選択の位置

 放送室の空気は、まだ完全には止まっていない。

 ただ、それを“動いている”と言うのも違っていた。

 音は続いている。

 レコードは回っている。

 針は止まったまま。

 その矛盾だけが、最初からそこにあったように定着している。

 明は机の縁に指を置いていた。

 触れているはずの位置が、わずかにずれている。

 戻そうと思えば戻せる距離なのに、戻す理由が見つからない。

「……やるしかない、ってことだよね」

 唯の声は、少し遅れて届く。

 届いたあとに、意味が生まれる。

 美遊はすぐには答えない。

 一度だけ窓の外を見る。

 光は同じ形のまま重なっている。

 その重なりだけが、少しずつずれている。

「やるしかない、はもう決まってる」

 言葉は軽い。

 軽さだけが正しく聞こえるのが不自然だった。

 唯はすぐに返さない。

 返さない時間が、少し長い。

 長いのに、短い。

「……戻れないんだよね」

 確認ではない。

 遅れて届いた理解だった。

 明は頷こうとして、一瞬だけ止まる。

 止まったあとで、最後まで頷く。

「戻るっていうのが、もう違う気がする」

 言葉を出したあとで、自分の声が少し遅れて聞こえる。

 その遅れに、違和感はもうない。

 唯はそれを見ている。

 見ているのに、反応だけが少し遅れる。

「じゃあ、何するの?」

 問いはすでに終わっている場所に落ちる。

 美遊は少しだけ肩を動かす。

 その動きが終わってから、意味がついてくる。

「選ぶ」

 一言。

 それ以上は何もない。

 それなのに、その言葉だけが部屋の中心に残る。

 唯は息を吸う。

 吸った感覚が、少し遅れて追いつく。

「選ぶって……何を」

 言いながら、すでに分かっている気がする。

 でも理解は最後に来る。

 明は視線を落とす。

 机の上の線が、わずかにずれて見える。

 同じもののはずなのに、重ならない。

「もう、全部じゃない?」

 明の声は静かだった。

 静かすぎて、意味が一拍遅れる。

 唯は笑おうとしてやめる。

 やめた理由はない。

 ただ、途中で止まった。

 その止まり方だけが残る。

「全部って、なにそれ」

 声は軽い。

 軽いまま、揺れている。

 美遊はその揺れを見ている。

 見ているだけで、入らない。

 その距離が変わらない。

「もう一回やる」

 美遊が言う。

 昨日と同じ言葉。

 でも意味は違う。

 もう試す言葉ではない。

 確定に向かう言葉だった。

 唯は一瞬だけ目を閉じる。

 閉じたあと、少し遅れて開く。

「……一回だけね」

 同意ではない。

 遅れて成立した受諾だった。

 明は立ち上がる。

 立ち上がる動作の途中で、世界が少しだけ後からついてくる。

 椅子の音が、遅れて鳴る。

 その遅れを、誰も修正しない。

 三人は同じ位置に立つ。

 同じ場所にいるのに、完全には重ならない。

 影だけが、わずかにずれている。

 そのずれは戻らない。

 放送室のレコードはまだ回っている。

 針は止まっている。

 それでも音は続いている。

 そしてその音は、もう外の世界と一致していない。

 美遊がドアを見る。

 その視線は、すでに少し先にある。

「行くよ」

 その言葉は合図ではない。

 確認でもない。

 ただ、始まってしまったことの後に残る言葉だった。

 唯は少し遅れて頷く。

 明も遅れて続く。

 三人が動き出す。

 その瞬間だけ、世界がわずかに遅れて追従する。

 そして、その遅れは戻らなかった。


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