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光と闇のデュオ〜異世界に落ちた悪役の母は、息子たちと幸せ家族を目指します〜  作者: ayame@アンジェリカ書籍化決定


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8/8

遠回りして帰れないかな(ミオ視点)

 帰り際、イグニスが本を貸出の手続きをしてくれた。その(かたわ)らでミオはふと、返却棚に積み上げられた本に目を留めた。


 "アギ帝国"と書かれている。先ほど彼が言っていた隣国のものだろうか。今自分が借りようとしている本とはどこか違う文字に見えた。


 手を伸ばしてページをめくれば、イグニスが「それは帝国語の本だぞ」と声をかけてきた。


「あの……私、これ読めます」


 イグニスがこちらを見た。


「帝国語が?」

「はい。シェルバインの本とは違う文字ですよね?」


 イグニスは一瞬考え、それから何か話しかけてきた。今話している言語とは違う響きだったが、ミオにはその意味がわかった。


「今のが帝国語ですか? ”図書館を出るか”と聞きましたよね」


 イグニスの表情が、はっきりと変わった。


「……話せるのか」

「どうやら……」


 さらに一冊、下に積まれた本を引っ張り出せば、それも違う文字のように見えた。帝国語よりは難解だが、こちらも読める。


「"光の神オーサー"って、何かの神話ですか? あとこれは……"聖女"?」


 ミオの呟きに反応したのはイグニスだけではなかった。図書館の司書と思しき男性が目を丸くしている。


「大陸古語も読めるのか? 帝国語は貴族や官僚なら皆習得しているが、大陸古語は神殿関係者か研究者くらいしか知らないぞ」


 イグニスが司書の男性を振り返れば、彼もまたうんうんと何度も頷いていた。司書も交えて帝国語で言葉を交わしてみたが、ミオにわかるのは日常会話を少し膨らませた程度のようだ。ただし読み書きは少なくとも官僚レベルのものが使えそうだと判明した。大陸古語については、新米の研究者程度ではないかとのこと。なお他の国の文字も見せてもらったが、わかるものは見つからなかった。


「シェルバイン語と帝国語、それに大陸古語か。三ヶ国語が堪能ということだな」

「堪能というほどでは……。大陸古語は全然完璧ではなかったです。帝国語も複雑な会話は難しそうでしたし」


 なぜ三言語だったのか。図書館を出て石畳の廊下を歩きながら考えていると、ふと亡くなった父のことが頭に浮かんだ。


 元の世界でミオが日常的に使っていたのは当然ながら日本語で、それ以外に英語が多少できた。ただしビジネス会話は苦手で、せいぜい読み書きに苦労しない程度だ。それに加えて中国語が少しだけできた。父親が中国古典の研究者だったためだ。幼い頃から父の膝で古典を読み聞かせてもらっていたミオは、自然とその言葉を耳で覚えていた。片言ではあるが、読み書きも含めて少しは使える。


 日本語とシェルバイン語、英語と帝国語、中国の古典と大陸古語。こう考えれば、元の世界で積み重ねた努力の分だけが、そのままここに反映されていると言える。


 イグニスにその推測について打ち明ければ、彼もまた納得したようだった。


「なるほど、それはまた……面白いな」

「ですよね。こんなところがそのまま反映されるだなんて」


 自分がどういった理由でこの国に落ちてきたのかはわからないが、もし見えざる何かの力が働いているのだとしたら、ズルは許さないと言われているようで、それがどうにも面白かった。


 それに、元から持っているものだけを持たされたのだとしたら——自分はこのままでいいということなのかもしれない。


 二人して笑いを噛み殺しながら歩いていく。会話を交わしているわけでもないのに同じことを感じているようで、廊下を流れる空気までが柔らかい。


 その心地よさに、もう少しだけ遠回りして帰れないかなと、ミオが思ったときだった。


「イグニス!」


 廊下の向こうから、鈴を転がすような声が飛んできた。ふわりとした赤い髪に、水色の軽やかなドレス。二十歳前後だろうか、笑顔でこちらへ駆けてくる女性の目は、まっすぐにイグニスに向いていた。


 隣でイグニスの足が止まる。女性の視線がミオを掠める。


 こちらに向けられたその色は、一瞬だけ——けれど確かに、きらりと鋭い光を宿していた。


「ローゼリアか。ここでいったい何を?」

「ルミネのところに行った帰りなの。偶然あなたに会えて嬉しいわ」


 朗らかに告げる女性に対し、イグニスは眉を寄せた。


「ルミネ"妃殿下"だ。不敬だぞ」

「あら、彼女はそんな些細なこと気にしないわ。幼友達である私が来るのをいつも楽しみにしてくれているもの」

「それとこれとは話が別だ。妃殿下とおまえはすでに立場が違う。最低限の礼儀も身につけられないなら、もう城には来るな」

「まあ、イグニスにそんなこと言う資格あって?」


 言いながら彼女は距離を詰め、イグニスの胸元に手を置こうとした。その距離の近さに、見ていたミオの方が赤面しかけると、彼女の小づくりな顔がこちらを向いた。


「あら……まあ。もしかしてあなたが噂の"落ち人"さん?」

「ローゼリア、それも不敬だ。彼女は王家の客人だぞ」

「イグニスが護衛をしているって本当だったのね。近衛騎士でもないのにどうしてって思っていたんだけど、パトリック殿下に頼まれて断れなかったってことでしょう?」


 その言葉がじくり、とミオの胸を刺す。彼が護衛についた背景にはそんな事情があったのかとイグニスを見上げれば、彼は「違う」と首を振った。


 だが、言葉を続ける前に女性が二人の間を遮った。


「初めまして、私はローゼリア・ノット。ノット子爵家の娘です」

「あ、初めまして。ミオ・エンドウと言います」

「エンドウ? やっぱり聞き慣れない名前ね。失礼ですけど、どちらの家名かしら。おうちの爵位は?」

「いえ、私はただの一般人で……」

「まあ! では平民ってことかしら」

「ローゼリア! いい加減にしないか」


 怒りを孕んだイグニスの声が静かな廊下に響く。思わず肩を跳ねさせたミオとは対照的に、ローゼリアは軽く口を尖らせるだけだった。


「本当のことを言っただけじゃない。イグニスは頭が硬いんだから。ねぇ、落ち人さん。ミオさんって呼んでも?」

「は、はい……」

「嬉しいわ。私のこともローゼリアと呼んで頂戴。今度ルミネも交えて三人でお茶をしましょうよ。私、あなたが平民でも気にしないわ。ルミネは……今少し大変な時期だからわからないけれど、問題ないのじゃないかしら」

「あの、ルミネ妃殿下には私もお茶に誘われていて……」

「あら、私、聞いてないわよ。まったく、ルミネったら昔からぼんやりだったんだから。それで、いつ? 私も混ぜてちょうだいな。仲間外れはやめてね」


 捲し立てるようにそう告げたローゼリアは、こちらの返事も聞かずに「それじゃあね」と去っていった。


 去り際にイグニスの腕に軽く触れていったのを、ミオは見逃さなかった。


「ローゼリアがすまない」

「……いえ。お知り合いですか?」

「ノット子爵家とは遠縁でね、子どもの頃からの付き合いだ。彼女はルミネ妃殿下の友人でもあるからな」


 ルミネとローゼリアは領地が隣同士の幼馴染らしい。家格も共に子爵家ということもあって、交流があったそうだ。


「子爵令嬢だと本来は城に気軽に遊びにこられる身分ではないんだが、パトリックが妃殿下のために特別に許可を与えているんだ。それに感謝して礼儀を弁えるべきなのだが、どうにも昔の感覚が抜けないようでな」


 王族となった人を今でも親しげに呼び捨てにするのは、本来は許されない行為らしい。だがルミネ自身が許している節もあり、いろいろ難しいようだった。


「パトリックたちが臣下となっていれば皆見て見ぬふりもしてくれただろうが、すでに状況が違う。ノット子爵がもっと厳しく接してくれればいいんだが」


 イグニスに促されて再び歩き出す。あれほど穏やかだった空気は霧散して、夕暮れの時間が迫っていた。


「……あの、イグニスさん。私、やっぱり護衛はなくても大丈夫です。イグニスさんをいつまでも引き止めるのも申し訳ないですし」

「ミオ、急にどうしたんだ。もしかしてローゼリアが言っていたことを気にしているのか? 確かにパトリックに頼まれたのは事実だが、今は自分がしたくてこの仕事をしているんだ」

「自分がしたくて……ですか?」


 思いもしなかった言葉に顔をあげれば、しまった、という表情でイグニスがわずかに言葉に詰まった。


「いや、その、だな。ミオがこの世界に落ちてきたのを受け止めたのは俺だろう。やはりそこは責任をとってだな」


 責任、という言葉がずしりと胸に沈む。そうだ、この短い時間でも、彼が責任感の強いひとだというのは知れていた。


「ミオ、だから気にしないでほしい。どうか俺に護衛を続けさせてくれ」


 面倒を見るのは、自分の責任。それはたまたま拾った人間を見捨てられない彼の優しさに過ぎない。ミオは彼がいなければ図書館にすら行けない、生まれたばかりの雛鳥のようなものだ。


 そうわかっていても——彼を本気で振り払うことができなかった。それだけではない、こんな不安だらけの状況で、彼に側にいて欲しいとさえ思っている。この世界で新しいページをめくるとき、傍らで見守っていてほしいとまで。


 けれど今、それを彼に告げる勇気はなかった。


「あの、本をありがとうございました。今日はこれで失礼します」


 客間に到着したミオは、目を逸らしたまま本を受け取った。重いだろうからと彼が運んでくれた三冊の本。久々に読書にふけることができると胸を躍らせていた。わからないところはメモしておいて、明日彼に尋ねようとさえ思っていた。


 けれど今は——ローゼリアと親しげに触れ合うイグニスの姿が瞼にちらついて、ゆっくり読めそうにない。


(彼は義務で私の護衛をしているだけ。彼は侯爵で、私はこの世界では平民だから)


 たとえばローゼリアなら、子爵令嬢である彼女なら、イグニスの側にいてもおかしくないのだろう。ルミネだって王太子妃になれたのだ。それより下のイグニスとなら、爵位に差があるとは言えなさそうだ。


 瞳が熱くなるのを、ぐっと堪える。なぜこんな気持ちが込み上げてくるのか、自分でもよくわからない。


 だから今のミオにできることはここから逃げることだけだった。何かを言いかけたイグニスを振り切るように、ミオは客間の扉を閉じた。


 




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