私、護衛とかなくても大丈夫です(ミオ視点)
「ようこそシェルバイン王国へ、落ち人殿」
イグニスに案内されてミオが向かったのはこの国のお城の中。豪奢な一室で自分を待ち構えていたのは、着飾った若い男女だった。
「はじめまして、ミオ・エンドウと申します」
言いながら丁寧に頭を下げれば、彼らもまたソファから立ち上がる気配があった。
「なるほど、聞いていた通り、黒い瞳の持ち主なのだな。珍しい」
「パトリック様、女性をそう不躾にご覧になるのは失礼ですわ」
興味深そうにミオを見つめてくるのは、青い髪をした明るい表情の青年。その隣ではらはらしたように彼を嗜めるのは穏やかな印象の女性だった。
事前にイグニスから彼らの正体を聞いていて本当によかったと思う。心づもりをしてきたからなんとか挨拶だけはこなせた。この場で初めて明かされていたら、驚きのあまり何も言えなくなってしまっていただろう。
そんなミオの心情を知ってか知らずか、二人揃ってにこやかに挨拶をしてくれた。
「これは失礼。私はパトリック・ブレアノ・シェルバイン。この国の王太子だ。こちらは妻のルミネ」
「初めまして。ルミネと申します。ミオ様とお呼びしてよろしいでしょうか」
「あの、敬称はつけていただかなくてかまいません。私はただの一般人ですので」
「まぁ。でも落ち人様は王家の大切な客人ですわ。そうですわよね、パトリック様」
ルミネが瞬きをしながら夫を見上げれば、パトリックもまた鷹揚に頷いた。
「もちろんだ。少なくとも後見人が決まってこの城を出るまでは、我々王族と同等の身分が約束されることになっている。そのあたりは説明されていなかったかな?」
王太子がミオを見て、次にイグニスを見た。
「もちろんご案内済みです、殿下。ですが、ミオはとても謙虚な人でして」
「ほう。君が呼び捨てにしているとは。随分仲良くなったようだな」
「……殿下! 決してそういうわけでは」
「まぁいい。ほかならぬ落ち人殿の要望だ。私もルミネもそのようにさせてもらおうか」
「もちろんですわ。年齢も近いことですし、友人になっていただけると私も嬉しく思います」
互いに視線を合わせることでイグニスの反論を封じた二人は、上機嫌でミオに着席を勧めた。すぐにお茶が運ばれてくる。
まさか王太子夫妻と呼ばれるような方々と同席することが人生にあるとは思いもしなかった。異世界に転移したことだけでも驚きなのに、意識を取り戻した昨日から気の休まらないことばかりだ。
出されたお茶を前にどうしていいのかわからず戸惑っていると、パトリックがイグニスに声をかけた。
「おまえも座れ、イグニス。デカい図体で背後に立たれるとミオも気が休まらんだろう」
「お言葉ですが王太子夫妻と席を共にすることの方が気が休まらないと思います。彼女はまだ病み上がりなので、謁見はもう少し待ってほしいと進言したはずですがね」
「だから父上との謁見の予定は遅らせただろう。それに、王家の客人をいつまでも放置するわけにもいかない」
「ただ単にあなたが待てなかっただけでしょうが」
「バレたか」
肩を竦めて笑う王太子を相手に、平然とそう言い返すイグニス。失礼とも思えるような軽妙なやりとりに目を丸くしていると、イグニスは「失礼します」と言いながらミオの隣に座った。
そのまま茶器に手を伸ばし、カップに口をつける。大きな彼の手にはカップが随分小さく見えるが、扱い方はとても丁寧だ。彼に倣ってミオもお茶に手を伸ばす。
一口含むとえも言われぬ香りが立ち上った。この世界に来て初めてほっとしたかもしれない。軽く息をつけば、前に座っていたルミネと目が合った。
「うふふ、お口に合って嬉しいわ。私の実家の領地でとれた茶葉ですの」
「あ、あの、とても美味しいです」
高貴な女性に見つめられて緊張し、それ以上の言葉が出てこなかった。自分の口下手を恨めしく思っていると、パトリックが話題を変えた。
「昨晩は魔法騎士団の医務室で休んだそうだな。体調はもう大丈夫なのかい?」
「はい。皆様に大変よくしていただいて、もうすっかり元気です」
「それはよかった。ならば今日からはぜひ王城の客室を使ってほしい。必要な物があれば言ってくれ」
「パトリック様やイグニスさんに言いづらいことはぜひ私におっしゃってくださいな、ミオさん」
「あの、本当にありがとうございます」
見知らぬ世界に飛ばされて行き場がないだけでなく、生きていく術すら知らない自分にとっては破格の対応だ。
穏やかに微笑む王太子夫妻を前に、あぁ本当にここは日本ではないんだなと実感した。一方で、元の世界のことが頭をよぎって気持ちが沈む。
やり残した仕事はどうなったのだろうか。自分がここに来て丸一日が経過している。いくら身寄りがないとはいえ、突然出社しなくなれば探されるのではないか。借りていたアパートはどうなるのだろう。考え始めれば次から次へと不安が押し寄せる。
「ミオ? 大丈夫か?」
「あ、イグニス、さん」
深い碧の瞳に覗き込まれて、我に返った。
「まだ本調子でないなら、早々に休んだほうがいい。パトリックの相手など、わざわざしてやる必要はないんだ」
「おい、たいそうな言い様だな、イグニス。不敬が過ぎるならミオの護衛から外すぞ」
「昨日下した命令をもう撤回なさるのですか。さすがの権力ですね」
「君は自分の立場をもっと自覚すべきだよな」
「そのままお返ししますよ、王太子殿下」
突如として繰り広げられる舌戦に、思わず面食らった。イグニスが魔法騎士団でも役職持ちだということはすでに知っているが、王太子相手にあまりに軽口が過ぎやしないだろうか。
心配で自分ばかりが焦っていると、ころころと笑う声が割って入った。
「どうかお気になさらないで、ミオさん。この二人はいつもこんな調子なの。確か……悪友っていうんだったかしら」
「それは言い得て妙だな、ルミネ。ただし悪いのはイグニスだけだ。僕はいつでも品行方正だし、君一筋だからね」
「まるで俺が浮気者のような言い方をやめろ、パトリック。ミオ、信じなくていいからな」
パトリックをじろりと睨んだイグニスは、組んでいた腕をほどいてミオを振り返った。
「パトリックと俺は幼馴染なんだ。亡くなられた王妃殿下とうちの母が友人でね」
王妃殿下というのは王太子の母親のことだという。それぞれの母親のお腹の中にいたときからの付き合いだと、パトリックもまた笑った。
「いわゆる腐れ縁という奴だね。つい半年前までは魔法騎士団で寝食を共にする仲でもあったのだ」
その話は事前にイグニスから聞いていた。第二王子として生を受けたパトリックは、将来臣籍降下する未来もあるやもしれぬと、十代の頃から魔法騎士団に所属していたそうだ。だが兄である前王太子に不幸があり、彼に代わって立太子することになったのだという。
王族というのは庶民の自分とはまったく違うしきたりの中で生きているのだなと、改めて思った。そんなパトリックと幼い頃から友人だったというイグニスもまた、似たような地位にいるのではないかと気になった。
「もしかしてイグニスさんも王族なんですか?」
恐々とそう尋ねれば、彼はまさか、と首を振った。
「俺はそんなたいそうな人間じゃないさ」
「イグニス、嘘はよくないぞ。確か君の曽祖母は当時の国王陛下の姪だったはずだ」
「それだけ遠ければ他人のようなものだろう」
呆れたように呟くイグニスの横顔を眺める。パトリックがいかにも王子様といったきらびやかな容姿をしているのに対して、イグニスは精悍な顔つきをしていた。剣を持って戦うとすれば断然イグニスの方が絵になる。
自分がこの世界に飛び込んできたときのことを不意に思い出した。勢いよく現れたミオを片手で支えて受け止めてくれた人。パトリックも決して小柄ではないが、もし相手が彼だったら、二人して地面に倒れ込んでいたかもしれない。
最初に出会ったのがイグニスでよかった。パトリックを押し倒そうものなら不敬罪ではすまされなかっただろうし、ルミネにも失礼だったかもしれない。
そんなことを呑気に考えていると、ルミネが微笑みながら説明を加えてくれた。
「イグニスさんは魔法騎士団の肩書きだけでなく、ハスフィールド侯爵の位もお持ちですわ」
「こ、侯爵ですか!?」
聞き覚えのある単語をきっかけに昔の記憶を引っ張り出す。両親を失くすまでは読書がミオの趣味だった。とくに西洋風のファンタジー小説が大好きで、お小遣いを握りしめては本屋に足繁く通ったものだ。
ひとりになってからは無駄遣いをやめようと、その趣味を卒業したのだが、知識は知恵となって未だ頭の中に残っている。侯爵は貴族の中でもかなり偉い立場だったはずだ。
「あのっ、私、護衛とかなくても大丈夫です!」
「ミオ、突然何を言い出すんだ。俺が護衛では不満か?」
「とんでもないです! そうじゃなくて……」
「ではなぜだ。不満があるなら言ってほしい。自慢するわけではないが、魔法騎士団の中でも剣術には長けている方だ。王城を守護する近衛騎士にも負けない自信がある」
「いえ、あの、イグニスさんみたいな偉い方に護っていただくのは申し訳ないというか」
貴族である彼がただの一般人の自分を護るというのはどうあっても変だ。必死に訴えたミオだったが、イグニスは「自分に足りないところは直すから言ってくれ」と明後日の方向の返事をするばかりだ。
いったいどうすれば会話が噛み合うのか。冷や汗をかいていると、突然パトリックが爆笑した。
「あはははははっ、これはいい! イグニスがこんなに必死になるとは。ルミネ、随分面白いものが見られたな」
「えぇ、本当に。ミオさんが来てくださって本当によかったですわ」
パトリックは笑い転げ、ルミネはにこにこと微笑むばかりで、ミオを助ける気配はまるでなかった。最終的には押し迫るイグニスの気迫に負けて、引き続き彼が護衛をすることで決着させられてしまった。




