まさか……落ち人なのか?(イグニス視点)
その日、王立魔法騎士団に所属するイグニス・ハスフィールドは、魔獣討伐のための遠征に出かけていた。
二十六歳で一部隊を率いるイグニスは、魔法の才にも剣の技術にも恵まれた若き隊長だ。
広大なシェルバイン王国に棲みつく魔獣を駆逐することは、イグニスら魔法騎士団の重要な任務のひとつと言っていい。今回も三名の魔法師と四十名の騎士を引き連れ、魔獣の群れを駆逐し、帰路についていた。
野営も今日で三日目。この山間を抜ければ遠くに王都の街並みが臨めるだろう。一週間ぶりの帰郷がすぐそこに迫り、部隊の者たちの表情も明るい。
月のない夜でも足元に困らないのは、魔法で作った松明のおかげだ。魔法師にも劣らぬ魔力を持つイグニスにとって、低い魔力でも操れる生活魔法は息を吐くよりも簡単なことだった。
野営の一群を抜け、草の根をかき分けながら目指すのは山間を流れる小川だ。水魔法も操れるイグニスは汚れた身体を綺麗にする洗浄魔法も使えはするが、こうも蒸し暑い夜には頭から水をかぶる方が気持ちがいい。
小川に辿り着き、膝まで水につかりながら盛大に水を浴びていると、不意に視界の隅に光が走った。魔獣の類かと、即座に岸に戻って剣に手をかける。念のため部下を呼び出す通信魔法の詠唱をしかけたとき、目の前に突如として光の輪が浮かんだ。
「なんだ、これは……」
片手で剣を構えている間にも、光はふわふわと大きくなっていく。闇に紛れてわかりづらいが、白い光と黒い光が絡み合いながら広がって、人ひとり分ほどの大きさの輪になった。
やはり只事ではないと詠唱を完成させた彼の前で、二つの光は幻想的に揺れていた。かと思うと、輪の中心から黒い影が飛び出してきた。
「な……っ!!」
剣を構えた右手を咄嗟に引っ込める。左手と胸で受け止めたのは魔獣でも動物でもなく、小柄な人間のようだった。
「危なかった……。おい、大丈夫か?」
少しでも気づくのが遅ければ、右手の剣で切り刻んでいたところだった。胸に飛び込んできた者を軽くゆすれば、「ん……」と声を漏らしながら身じろぎした。
黒髪がはらりと溢れる。うっすらと開いた瞳の色は黒。人間、それも女性のようだ。
虚なその瞳と視線が絡み、とくり、とイグニスの胸が鳴る。
「お、おい、大丈夫か、しっかりしろ!」
女性を揺さぶりながら、彼女が飛び出してきた光の輪に目を向ける。揺らめく白と黒の光は徐々に小さくなって、やがてかき消えた。
「待ってくれ、どういうことだ? 今の光は? 君はいったい……」
得体の知れない穴から飛び出してきた女性の視点はふわふわと定まらない。なんとか意識を繋ごうと話しかけるが、黒い瞳はゆっくりと閉じて見えなくなった。
片手でも支えられそうなほどに細い彼女を抱え直し、イグニスは暗闇に目を向ける。見えるのはごく普通の山間の風景。聞こえるのは小川の微かなせせらぎ。
女性がひとりで山歩きをしていたとは考えにくい。ならばこの人物は———。
「まさか……落ち人なのか?」
その呟きは、彼を探しに来た部下たちの足音にかき消された。
◆◆◆
「イグニスが落ち人を見つけたというのは本当か?」
魔法騎士団の団長室で上司のギルズ魔法騎士団長に報告をしていたイグニスは、ノックもそこそこに飛び込んできた人物を見て空を仰いだ。
「恐れながら、あなたはもうここを気軽に訪れていいご身分ではないはずですが。パトリック王太子殿下」
「気にするな。同じ釜の飯を食った仲ではないか。あぁ、ギルズ団長も気にせず進めてくれ」
そう言い切って勧められもしないソファに座り込んだ王太子は、人好きのする緩やかな笑みを浮かべた。子どもの頃からの付き合いであるパトリックのこういう振る舞いにはとうに慣れている。
すべてを諦めた体のギルズ団長が報告を続けるよう促した。
「それで、ハスフィールド隊長。君が拾った女性が落ち人だと?」
「その可能性があるかと。人里離れた山の中、突如として開いた光の穴から飛び出してきました」
「なるほど! 文献に残された落ち人の記録と一致するな。それで、どんな人物なんだ? 性別は? 年齢は? どこから来たのだ?」
ソファから上る嬉々とした声に上司との会話を遮られ、イグニスは視線を団長から王太子へと戻した。遅かれ早かれ国王陛下の耳にも入れなければならない情報だ。王太子に先に説明するのも悪手ではない。
ギルズ団長の沈黙を欅かと受け止め、イグニスはパトリックに向き合った。
「女性でした。年齢は……すぐに気を失ったのでわかりませんが、未成年かもしれません。黒髪に、黒い瞳をしていました」
「黒い瞳か! 珍しいな。今はどうしている?」
「魔法騎士団の医務室に預けています。それ以外はまだ」
「ふむ」
パトリックは顎に手を当てたまま頷いた。
「落ち人であるなら王家の客人としてもてなす必要がある。女性なら私よりルミネに任せるのがいいのだろうが、その者が完全に無害だと証明されなくてはならない。愛する妻に危害が加えられるのは論外だ」
「もちろん、ルミネ王太子妃殿下の御身はしっかりと守らせていただきます」
ギルズ団長が慇懃にそう答える。
パトリックは王族には珍しく恋愛結婚だ。元子爵令嬢であるルミネ妃は王家に嫁ぐには家格が足りなかったところを、パトリックが一代限りの公爵として臣籍降下することで押し通した。それが突然の兄太子の訃報で、彼らに王太子夫妻の重責が回ってくることになった。
「今のルミネにあまり心労をかけたくないのだが、私が直接関わるのはもっと悪い。落ち人の彼女とやらがまっとうな性質であることを願うよ」
大袈裟に広げた両手を胸の前でわざとらしく組み合わせる。シェルバイン王国で崇拝されている光の神オーサーに祈りを捧げるときの仕草だ。ここ最近の神殿の影響力をよく思っていない彼の皮肉だと、イグニスは即座に見抜いた。
パトリックの言葉を聞きながら、ふと腕に抱き止めた女性のことを思い出す。
艶やかな黒髪、細い肢体、そのぬくもりと重みは妙に心地よかった。
そして一瞬だけ見えた、黒曜石のような瞳。あの輝きに邪悪な気配はなかった。
「……そう悪い者には思えません。とても———綺麗な目をしていましたので」
呟けば、パトリックがぽかんと口を開けた。
「聞いたか、ギルズ団長! 女嫌いのとうへんぼくで通っているイグニスが、女性を褒め称えたぞ!」
「それは……珍しいですね」
「だろう! これは面白くなりそうだ。そうだ、イグニス、君を落ち人殿の護衛に任命しよう」
「は? なぜ俺が」
「王太子命令だ、遠慮なく受け取るといい。ギルズ団長、かまわないかな?」
「殿下のご命令とあらば、謹んで調整いたしましょう」
「ちょっと待ってくれ、パトリック!」
詰め寄ろうとするイグニスをひらりと躱してパトリックが立ち上がったとき、団長室の扉を叩く者があった。
「失礼いたします。保護した女性が目を覚ましました」
落ち人の世話を任せていた女性騎士がそう告げた。
今回の小説の目標はスピード感です。どうかすると書きすぎて冗長になる悪い癖を治したいと思っています。そのため描写が物足りないと感じられるかもしれません。バランスが難しいですね。




