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母の遺言で復讐を命じられましたが、怖すぎるので逃げ回ります

 


「復讐しなさい――お前を捨てたクイント伯に」


 その母の遺言は、私を恐怖のどん底へと駆り立てた。




 私――ラビーは老男爵の父に、目に入れても痛くないほどに愛されて育った。

 使用人たちはなぜか、臆病な私のことを「大胆でさばさばした性格のお嬢様」だと盛大に誤解して、可愛がってくれた。

 母は私が物心ついた時からずっと病弱だった。


 そして私が十五歳になった年、母の容態が急変して私は枕元に呼ばれた。


 そこで語られたのは私の出生の秘密だった。


「ラビー。私はかつて没落貴族の令嬢だった」


 か細い声で母は語る。

 若き日の母はある高位貴族の男性――クイント伯と愛を誓い合ったが、彼は別の令嬢と結婚した。その時、母はすでに私を身ごもっていたという。


「あいつは私を捨てた。認知も拒否した……!」


 絶望した母を拾ってくれたのが今の父である男爵。

 父はすべての真実を知った上で母と、そして私を実の娘として迎え入れて無償の愛を注いでくれたのだ。


「お前はクイント伯に認知されなかった私生児……」


 母の目が最期の光を宿して私を射抜く。


「私の無念を晴らしておくれ……」


 それが、母の最期だった。


 ……。



 なんて爆弾を落として死んでいったのだろうか!



 私は呆然としながら父の書斎へ向かった。

 父に震える声で先程のことを尋ねる。


「そうだ。だが安心しろ、ラビー。お前は私の大切な娘だ」


 本当のことだった!


 父の優しい言葉は、この瞬間まったく耳に入らなかった。


 高位貴族。復讐。

 その二つの単語が、頭の中でぐるぐると回る。

 ――高位貴族に盾突くなんて、確実に殺される。


 いや、復讐なんてしなくても危ない。私生児の存在が知られただけで口封じに――。


 怖い怖い怖い!


「どこで秘密が漏れるか分からない。一刻も早く母の面影を消さなければ!」


 私は屋敷中を駆け回り、使用人たちに叫んだ。


「葬儀の準備は半日で終わらせます!」


 メイド長の目が見開かれる。


「お嬢様?準備には三日はかかるはず……」

「半日です!」


 使用人たちが顔を見合わせる。次の瞬間、彼女たちの目に涙が浮かんだ。


「お嬢様……気丈にお務めを果たそうと……なんと健気な……!」


 ――そういうわけではない。

 命がかかっているんだ!



 次の日には超特急で組まれた葬儀が開かれた。

 私は母の遺品――特に日記や手紙類をすべて棺に入れるよう指示した。


「お母様が寂しくないように、愛用の品々を一緒に燃やします!」


 もちろん本当は証拠隠滅だ。

 万が一にも痕跡が残っていてはならない。


 火葬の炎が高く燃え上がるのを見て、使用人たちがひそひそと噂する。


「なんて大胆な。日記まで……」


「ラビーなりの供養なのだろう。母上のことを吹っ切ろうと……」


 父がそう言って、私を痛ましげに見つめている。


 しかし、その時の私の頭の中では「高位貴族!」「死!」という二つの言葉だけが炎と共に渦巻いていた。


 葬儀が終わり、私は心の底からホッと息をついた。


「これで、私の出生に関する証拠はほとんど消えた……」


 その晩、私は久しぶりにぐっすりと眠れた。


 翌朝。

 私は冷静になって母の遺言をどうするか考えた。


 高位貴族のクイント伯に、しがない男爵令嬢の私が立ち向かうなんて無理だ。

 母の怨念よりも自分の命が大事だ。


 薄情な娘でごめんなさい……


「男爵の娘として、目立たず慎ましくこの領地で一生を終えよう。ここで誰にも注目されずに静かに生きる!」


 私はそう決意を固めたのだ。



 しかし、母の死から三ヶ月後。私のささやかな決意は王都からの使者によって無慈悲にも打ち砕かれた。


「――貴族令嬢が十六歳で未だ社交界に出ていないのは王国の慣習に反します。今年の夏季社交シーズンには必ずデビューしていただく必要があります」


 使者の言葉に私は手にしていたカップを取り落としそうになった。


「社交界ですか?王都の?」

「いかにも」


 それって高位貴族がうじゃうじゃいる場所じゃない!

 顔からさっと血の気が引いた私に使者は畳みかけるように告げた。


「全ての令嬢は適齢期に社交界デビューをする義務があります。もし拒否されれば男爵家の爵位に関わる問題です」


「爵位に!?」


 社交界に出れば、クイント伯の関係者と顔を合わせることになるかもしれない。

 誰かが母に似た私の顔立ちに気づいた瞬間に私は「都合の悪い存在」として消されるのでは……?


 でも拒否すれば爵位が剥奪される。

 私を実の娘として愛してくれた父を、私のせいで不幸にするわけにはいかない……!


 行くしかない。でも絶対に気づかれないようにしなければ!


 そうだ。

 社交界に出席はする。けれど存在感を消すのだ。


「目立たない服で高位貴族に絶対に近づかない!そうすれば安全だ!」


 こうして、私の「完璧に目立たない社交界デビュー計画」が始動したのだった。



 ◇



 王都の屋敷で社交界デビューの準備をする。


 私が選んだのは派手すぎず、かといって貧乏臭くもない絶妙なラインのドレスだ。

 これなら「ああ、田舎から出てきた男爵令嬢ね」と微笑ましく見られるはず!


 そして私は鏡の前で完璧な笑顔の練習を繰り返した。

 控えめだが感じが良く人懐っこい笑顔。これぞ「明るい田舎令嬢」の仮面だ。



 そして運命の社交界デビュー。

 王城の大広間は着飾った貴族たちで溢れかえっている。


 私は計画通り、会場のできるだけ出口に近い場所を陣取った。

 そこは同じように、高位貴族に気後れしている低位貴族の令嬢たちが集まる場所だった。


「王都へようこそ。わたくしは子爵家のマリーと申しますわ」

「ごきげんよう、マリー様。ラビーと申します。王都は本当にきらびやかで目が回りそうですわ!」


 人懐っこい笑顔でそう言うと、令嬢たちは「うふふ」と笑ってくれた。

 よし、掴みはオッケー!

 当たり障りのない天気の話や、流行のドレスの話で談笑する。


 しかし、内心は緊張で心臓がバクバクしていた。


 侍従が銀の盆に載せたオードブルを運んでくる。私の胃がきゅるりと鳴った。


 ――そう。私は人一倍怖がりで生存本能も人一倍高い。

 私の生存本能は恐怖を感じると「今のうちにエネルギーを蓄えろ!」と体に命令を下す。結果、私は極度の緊張や恐怖に陥ると異常なほどお腹が空く。

 食べている間だけは少しだけ恐怖を忘れられるのだ。


 食べたい……!


 私はにこやかな笑顔を崩さずに、本能のままに料理に手を伸ばした。

 次々と口に運び、もぐもぐと咀嚼する。


「ラビー様はおいしそうに召し上がりますのね」

「見ていて気持ちがいいわ。無邪気で可愛らしい」


 令嬢たちがくすくすと笑っている。

「食いしん坊な田舎娘」という印象付けに成功したようだ。


 私が口の中のローストビーフを飲み込んだ時だった。

 王宮務めの親を持つというマリー様が少し離れた一角を示した。


「あのあたりがクイント辺境伯の一派ですわね」


 ゴクン、と音がした。

 肉を飲み込んだ音ではない。私が息を呑んだ音だ。


「そして、その中心にいらっしゃるのが次期当主のエスクード辺境伯令息。いつ拝見しても見目麗しい美男子ですこと……」


 心臓が、喉から飛び出るかと思った。


 クイント!

 母を捨てた家。そして私の生家!


 私は令嬢たちの視線の先を盗み見た。人垣の中心に確かに彼はいた。

 遠目にも分かる整った顔立ち。輝くような金髪。確かに美男子だ。


 けれど、そんなことはどうでもいい!

 危険人物だ!

 あの人たちが私の存在を知ったら確実に消される!


 危険人物はあの一角にいる。絶対に近づかない。視線も合わせない。

 存在しないものとして扱う!


 私は壁の花。いや壁のシミだ。

 誰にも気づかれずに社交を乗り切るのだ。


 私は再び料理に手を伸ばす。

 食べなければ。恐怖に打ち勝つために食べなければ!




 しかし、人間の生理現象とは恐ろしいものだ。

 あれだけ食べても、緊張と人混みの熱気で気分が悪くなってきた。


 少しだけ外の空気を吸おう。

 私は令嬢たちに「少しお花を摘みにまいりますわ」と愛想笑いを残し、そっと会場を抜け出した。


 向かったのは涼しい夜風が吹き抜ける庭園。

 月明かりに照らされた噴水が水飛沫を上げている。


「ふう、生き返る」


 誰もいないことを確認し、大きく息をついた時。



「――こんばんは」



 背後から、柔らかく低い声がした。


 ビクッ!!

 体が、雷に打たれたかのように硬直した。

 ゆっくりと振り返る。そこに立っていたのは、さっき遠目で見た金髪。


 エスクード辺境伯令息!

 私の異母兄!


 心臓が激しく鳴り響き、冷や汗が滝のように背中を流れる。

 しかし、ここで逃げ出せば怪しまれる!


 私は練習の成果のすべてを今ここで発揮した。


「素敵な夜ですわね!」


 完璧だ。声は上擦りもせず明るく弾んでいる。私は満面の笑みで小首を傾げてみせた。


「星がとっても綺麗でつい外に出てきてしまいましたの!」


 彼は私の大袈裟なほどの明るさに一瞬目を丸くしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「ああ、確かに。喧騒から離れて静かに夜空を眺めるのも良いものだ」


 私の過剰な恐怖心と生存本能が警鐘を鳴らす。


 彼は私に興味を持った?

 まさか、顔が母に似ていると気づいた……?


 いや、年齢的にも母と令息に接点があるはずがない……。

 だとしても興味を持たれることは危険だ。目をつけられたら終わりだ。

 一刻も早く退散しなければ!


「ではわたくしもう戻りますわごきげんよう!」


 私はこれ以上ないほどの笑顔を貼り付け、くるりと踵を返した。

 そして、まるでスキップでもするかのように弾むような足取りでその場を走り去った。子供っぽく、無邪気に見えるように。



 ――恐怖のせいか、彼の目が怪しく光った気がした。



 私は屋敷の自室に戻るなり、ベッドに顔を埋めた。


「怖かった……!」


 震えが止まらない。

 私は震える手で侍女が夜食用に置いてくれていたクッキーの缶を開けた。

 食べなければ。落ち着かなければ!

 クッキーを数枚一気に口に放り込みながら、私は今後の行動計画を復唱しなおした。


「辺境伯令息――最重要危険人物!」

「彼が参加する舞踏会には病欠を装ってでも絶対に出席しない!」

「万が一再会したら即座に退散する!」


 私は万全を期すため、王都の社交界の情報網に詳しい商人――父が出入りしている呉服屋の主人を思い出した。


「金さえ積めば辺境伯家の予定表だって入手できるはず……!」


 すべては生き延びるために。



 ◇ ◇



 私は呉服屋から受け取った「クイント家の予定表」を握りしめた。

 なけなしの持参金は消え去ったが、それと引き換えに手に入れた命綱。


「これで完璧!」


 私は安堵のため息を漏らす。

 この紙切れ一枚に、私の未来がかかっている。


「クイント伯令息がいる場所を全て避けられる!」


 これでもう、あの恐怖の対象と鉢合わせすることはない。

 私の「完璧に目立たない社交界デビュー計画・改」は、今度こそ成功するはずだ。


 私は生き延びられる!


 しかし。

 なぜ。

 なぜなのだ!



 なぜ私がどこに行ってもエスクード様がいるのだ!



 東の回廊で開かれたお茶会。

 予定表によればエスクード様は「王宮騎士団の演習視察」のはず。


 私は明るい田舎令嬢として子爵令嬢たちと当たり障りのない会話をしながら、神経の疲労を癒すためにスコーンをもりもりと食べていた。


「やあ奇遇だね」


 スコーンを飲み込む前に背後からあの声がした。

 ゴフッ、と変な音を立ててスコーンを飲み込む。

 振り向くと、そこには穏やかに微笑むエスクード様が立っていた。


 なんで!?演習は!?視察はどうしたの!?


 脳内で絶叫しながら、私は顔面に完璧な笑顔を貼り付けた。


「え!?おほほほ、本当に奇遇ですね!」


 椅子を蹴立てるように立ち上がる。逃げなければ。一秒でも長く同じ空気を吸ってはならない!


「でも急な用事を思い出しましたわ!そろそろお暇を……」


 慌てすぎた。

 私が勢いよく身を翻した瞬間、テーブルの端に置かれていたティーカップがスカートの裾に引っかかった。


「危ない!」


 強い腕が私の体を支えた。ガシャンとカップが落ちて割れる。

 見上げると至近距離にエスクード様の心配そうな顔がある。


「大丈夫ですか?」


 私は彼の腕の中から飛びのくと、満面の笑みで答えた。


「ええ大丈夫ですわ!わたくしドジなんです。いつもこうなの!」


 これ以上ないほどの笑顔でそう言い放ち、私は「ごきげんよう!」と叫んで回廊を走り去った。



 なぜ彼がここに?あの呉服屋、私を騙したな!?



 いや、まて。まだだ。まだ慌てる時間じゃない。


 次の日。王立図書館。

 予定表ではエスクード様は「宰相閣下との昼食会」となっている。

 図書館は王城の正反対。ここなら安全だ。


 私は一番奥の「南部辺境における芋の品種改良の歴史」という棚の前に陣取った。この地味で退屈な場所には高位貴族も来ないだろう。


 私は緊張からくる空腹に、持参したクッキーをかじりながら芋の本を盾に息を潜めていた。


「やあ、熱心だね」


 クッキーが喉に詰まった。


 ゆっくりと芋の本を下げると、すぐそこにエスクード様が立っていた。


 なんで!?どうして予定表と違う場所にいるの!?昼食会は!?


 私の思考は完全に停止した。これはもう偶然ではない。


「せっかく王都に来られましたので、珍しい書物をと思いまして!」


 私は芋の本を棚に叩きつけるように戻し、彼に背を向けた。


「ではわたくしはこれで!」


 図書館の静寂を破る勢いで走り去りながら、私は混乱の極みに達していた。


 予定表が間違っている? 二度も?


 いや、違う。 これは……。



 もしかして……私を追跡している!?



 その結論に至った瞬間、全身の血の気が引いた。


 バレたのだ。

 私がクイント伯の私生児だとバレたんだ!

「都合の悪い存在」として私を消しに来たんだ!


 お茶会での偶然。図書館での遭遇。

 あれは全て、私を追い詰めるための罠!


 恐怖が限界を超え、私の胃が「ぐうう」と情けない音を立てた。

 生き延びるためにはエネルギーが必要だ。


 私は屋敷に帰る途中で市場に馬車を止めさせ、焼きたてのアップルパイを丸ごと一つ買った。馬車の中で、私は恐怖に震えながら、熱いパイを夢中で頬張った。



 ◇ ◇ ◇


 その頃、エスクードは――


「エスクード様。あの令嬢、またエスクード様を見ると慌ててその場から立ち去りましたね」


 図書館の窓から、慌てて馬車に乗り込む男爵令嬢の姿を見下ろしながら護衛が報告する。


「……そうだな」


 エスクードは複雑な表情で呟いた。

 これで三度目だ。


 庭園で会った時。

 お茶会で会った時。

 そして今。


 彼女はいつも大袈裟に笑って逃げていく。


「彼女は僕を避けている。やはり気づいているのか?」


 護衛が続ける。


「しかも呉服屋に出入りし、何やら情報を入手しているとのこと」

「情報?」

「はい。『クイント家』に関する情報をかなりの金額で買ったと」


 エスクードの目が鋭くなった。


「クイント……?」


 ということは――。


「調べろ。彼女の母親について。そしてクイント『()()()』との関係を」


 そう、我がクイント『()()()()』と同名のクイント『()()()』。



 数日後。エスクードの手元に調査報告書が届いた。


「ラビー男爵令嬢の母親は没落貴族の令嬢だった。クイント伯爵と恋仲にあったという噂がある」

「クイント伯爵……!」


 エスクードは歯ぎしりした。

 クイント伯爵。愛人を作っては捨てることで有名な男だ。


 全てのピースがはまった。


「そうか。彼女は……母の仇に復讐しようとしているのか」


 エスクードは拳を握りしめた。

 あの、か弱そうな男爵令嬢が。


「なんと勇敢な。男爵令嬢の身でありながら、高位貴族に立ち向かおうとするとは……!」


 天真爛漫で、美味しそうにご飯を食べる無邪気なラビー令嬢。

 あの姿はすべて母の仇を取るという、壮絶な覚悟を隠すための仮面。


 なんと気高く、健気で、そして危うい令嬢だろうか!


 エスクードは誓った。


 何としても彼女を守る!

 彼女の気高き復讐を完遂させてやらねばならない!


 ――もちろん、完全なる誤解だった。



 ◇ ◇ ◇



 もう駄目だ。あの呉服屋はグルだったんだ!私をクイント辺境伯に売り渡したに違いない!


 私は屋敷の自室に引きこもり、ベッドの上で毛布を被ってガタガタと震えていた。彼は私を捕まえるために、王都中に網を張っているんだ!


「殺される……!」


 恐怖を感じると私の胃は「今のうちにエネルギーを蓄えろ!」と叫ぶ。私はベッドサイドに積んだパンの籠に手を伸ばした。


 パンを貪りながら考える。

 このまま隠れていても、いずれ見つかって消される。


 ――いや、まだだ。


「捕まって殺される前にこっちから出向くのよ!」


 私はガバリとベッドから起き上がった。

 真正面から乗り込んで、土下座して謝る。


『お母様がご迷惑をおかけしました。私は復讐なんて一切考えていません。一生領地から出ませんから命だけは……』って!


 臆病者なりの必死の生存戦略。

 私はなけなしの勇気を振り絞り、クッキーを数枚懐に詰め込むと、恐怖で震える足でクイント辺境伯家の屋敷へと向かった。

 



 門前払いされても仕方がないと思いながら、クイント辺境伯邸を訪ねる。


「あの……ラビー男爵令嬢と申します。エスクード様に、お目通りを……!」


 しかし門番は私の名前を聞くと目を見開き、慌てて扉を開けた。


「お待ちしておりました。エスクード様がお待ちです」


 え?お待ちして……?

 私の行動を察知していたというの!?

 や、やっぱり帰った方が……


 私が逃げ出そうとするより早く、屈強な使用人たちに両脇を固められる。私は応接室へと「ご案内」されてしまった。



 応接室でガタガタと震えていると、すぐに扉が開いてエスクード様が入ってきた。


「君が単身ここへ来てくれたこと。勇気ある行動だと思う」


 どう命乞いをしよう……

 私の恐怖は最高潮で足が震える。懐に入ったクッキーを今にも食べ出しそうな勢いだ。


「そして、謝罪しなければならない。君の出自を、勝手に調べてしまった」


 出自。やっぱり、バレてる。

 私が土下座のために膝をつこうとしたとき、彼は変なことを言い始めた。


「君は……あの忌まわしきクイント『()()()』の私生児だったんだね」


 ――――は?

 忌まわしき? というより、()()()()()()()ではなく……?


「伯爵……家?」


 エスクード様が怪訝そうに眉をひそめる。


「ああ。クイント伯爵家だ。我がクイント辺境伯家とは同名の、あの家の私生児……だろう?」


 辺境伯家。

 伯爵家。


 頭の中で、何かが音を立てて崩れた。


 母が言っていたのは「伯」。

 もしかして辺境伯じゃなかった?伯爵だった?


 私、ずっと……無関係な人を避けてた?


「あ……ああ……」


 呉服屋で買った予定表。

 私は「クイント家」としか言わなかったから伯爵家の予定表を渡された。

 でもエスクード様は辺境伯家の人だから、予定と全然違う場所にいた……!


「ラビー令嬢? 顔色が悪いが」

「大丈夫です……」


 大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。

 じゃあ私、何しに来たの?


 エスクード様が、優しく微笑んだ。


「安心してくれ。僕は君を守りたいんだ」

「……え?」


「君が復讐のためにここへ来てくれたこと。本当に嬉しく思う」


 復讐?


「クイント伯爵家に対する、お母様の無念を晴らす復讐を計画していたんだね」


 ……違う!


「君は勇敢だ。弱冠の男爵令嬢が高位貴族に単身で立ち向かおうとしている」


 なぜそんな話になった?

 まだ何も言っていないのに!


「そして――」


 エスクード様が立ち上がる。


「君のおかげで、証拠が全て揃ったんだ」

「……証拠?」

「ああ。君が僕に示してくれた、伯爵家の不正の動かぬ証拠だ」


 何のこと?

 私、何もしてないけど……?


「さあ、行こう」


 エスクード様が私の手を取った。


「え、どこへ……」

「王城だよ」


 ――――は?


「今から国王陛下にこの証拠を提出する」

「え、ちょ、待って――」

「君は主役なんだ。一緒に来てくれ」


 私の手が強く引かれる。


「待ってください! 私そんな……」


 扉が開く。

 屈強な護衛たちが、待ち構えていた。


「馬車の準備を」

「はっ!」


 あっという間に、私は屋敷の外へ。


「待って、待ってください!」


 馬車に押し込まれる。

 エスクード様が隣に座る。


「落ち着いて、ラビー」


 落ち着けるわけがない!


「私、何も……証拠なんて……」


「謙遜はいらないよ」


 エスクード様が優しく微笑む。


「君の聡明さと勇気は、すぐに証明される」


 私の混乱をよそに、馬車が走り出したのだった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 王城の謁見の間。

 私は豪華絢爛な絨毯の上で、生まれて初めて見る国王陛下を前にガタガタと震えていた。


 怖い。空気が怖い。

 胃がきゅるきゅると鳴っている。お腹すいた……。


 エスクード様が国王陛下を前に朗々と報告を始めた。


「――以上がクイント伯爵家による違法な武器取引、毒殺未遂、及び長年にわたる贈収賄の証拠にございます」


 重臣の一人がゴクリと息を呑むのが聞こえた。

 エスクード様はおもむろに私に向き直った。


「そして、これらすべての証拠を入手するきっかけを作ったのが、ここにいるラビー男爵令嬢でございます」


 ――なんでそんなことになってるの!?

 国王陛下と重臣たちの視線が一斉に私に突き刺さる。


 エスクード様は国王陛下に向かって熱っぽく語り始めた。


「まず、王城の夜会。彼女は庭園の茂みで伯爵が違法な武器取引の密談をしていることに気づいていたようです」


 気持ち悪くて庭園に出ただけなのに、なぜそんなことになっているの?


「彼女はわざと大声を上げて密談を妨害し、慌てた伯爵が証拠の紋章入り金貨を落とすよう仕向けたのです!」


 国王と重臣が「おお!」とどよめく。


「次にお茶会にて。彼女は伯爵夫人が政敵の令嬢に盛ろうとした『毒入りカップ』を瞬時に見抜きました」


 それを聞いて私はさらに恐怖を募らせた。

 あのお茶会に毒を盛られていたとは……。やっぱり高位貴族は怖い!


「そして、わざとドジを装ってそのカップを派手に叩き割り、毒殺を未然に防いだのです!この機転により、我々は毒の残滓を回収できました!」


 重臣たちが「なんと勇敢な……」と息を呑む。


「そして極めつけは図書館です!」


 エスクード様は一冊の古びた本を陛下に差し出した。あ、その本は……。



「『南部辺境における芋の品種改良の歴史』……ただの農業書に見えますが、これは伯爵家が長年隠してきた『裏帳簿』なのです」


 芋の本が裏帳簿!?

 適当に選んだ本だったはずのなのに。こんなに伯爵の悪事に関わることになるとは、もはや奇跡のようである。


「彼女はこの暗号化された裏帳簿の存在を突き止め、追手の私に気づくと、わざとこの本を棚に叩きつけるように戻し、『これを見ろ』と合図を送ってくれたのです!」


「違います!」

 と、叫びかけた私の口を、エスクード様の興奮した声が遮った。


「彼女のこの聡明なアシストのおかげで、伯爵の不正の確固たる証拠が全て揃いました!」


 私はもう、何が何だか分からなかった。

 ただただ自分の命を守るために逃げ回り、恐怖で食べていただけなのに。


 国王陛下が芋の本から解読されたリストを手に取り、感嘆の声を上げる。


「見事だ……!これだけの証拠があれば、伯爵も言い逃れはできまい」


 国王の厳かな声が響く。


「ただちにクイント伯爵とその一派を捕らえ、屋敷を捜索せよ!」


 衛兵たちが一斉に動き出す。

 私はその様子を呆然と眺めていた。


 お母様を捨てたという実の父親の顔を一度も見ることなく復讐が終わってしまった。

 私はただ、殺されるのが怖くて命乞いに行っただけなのに……。




 エスクード様の熱弁は止まらない。

 私はただ国王陛下と高位貴族たちの視線に射抜かれ、今にも泣き出しそうだった。お腹が空いた……。懐のクッキーの存在だけが私の意識をこの場に繋ぎ止めている。


「ラビー男爵令嬢。母の仇を討とうとする君の秘めたる勇敢さ」


 ち、違……。


「そしてクイント伯爵の罪を暴く、その類まれなる聡明さ」


 それは偶然で……。


「私は大胆に行動を起こせる君を、ぜひとも我がクイント辺境伯家に引き入れたいと思った」


 え?


 エスクード様は私に向き直ると、はっきりと言い放った。


「僕の妻にならないか?」


 ――――は?


 しん、と静まり返っていた謁見の間が一気にざわめいた。


「なんと……!あのエスクード辺境伯令息が男爵令嬢に求婚を?すごい玉の輿ではないか!」

「しかし今回の件を聞けば納得だ!」

「実の父の罪さえ暴く正義感。大胆な機転。聡明さ。辺境伯家の妻として申し分ない!」


 重臣たちが口々に私を褒めそやす。


 私は殺されるのが怖くて、お腹が空いていただけなのに……!


 このまま誤解されたまま結婚なんてしたら、絶対に後で大変なことになる。

「聡明な妻」を期待されて嫁いだ先で、私がただの臆病者で食いしん坊がバレたら……?



 そっちのほうがよっぽど殺されるかもしれない!



 怖い!お腹すいた!

 私は、震える手で懐のクッキーを握りしめた。なけなしの勇気を振り絞って、私は叫んだ。


「エスクード様。実は今回の件は全て誤解なのです!」


 私の必死の声に、謁見の間が再び水を打ったように静まり返る。全員が目を丸くして私を見ていた。


「私は……ただ気持ち悪くなって庭園に出たら、たまたま密談に出くわしただけで……」

「お茶会では本当にドジでカップを割ってしまったら、たまたま毒が入っていて……」

「図書館の本も適当に手に取っただけで、それがたまたま裏帳簿だったのです!」

「……」


 言った。全部言ってやった!


 あまりの恐怖と緊張で、私はハアハアと肩で息をする。

 これで誤解は解けたはず。もう私に「聡明な辺境伯夫人」なんて誰も期待しないだろう。


 静寂の中、一人の重臣がぽつりと呟いた。



「……それって、どんな天文学的な確率だ?」



 いや、私もそう思うけど!!



 私が内心で絶叫していると、エスクード様がゆっくりと私に近づいてきた。

 そして彼は私の目の前まで来ると深々と頭を下げた。


「ごめん、ラビー」


「え?」


「確かに、妻に迎えるのに、政略的な利や君の功績だけを語るのは女性に対して失礼な行いだった」


 え、そっち?

 私が「功績は全部嘘です」って言ったのに、そっちの謝罪?


 エスクード様が顔を上げる。

 その瞳は今までにないほど真剣な光を宿していた。


「本当は……最初に君に声をかけたのは、君があまりに美味しそうに食事を頬張っていたからなんだ」


 ……え?


「庭園で会う前、会場の隅で君を見ていた。ローストビーフを幸せそうに頬張る姿が、とても……可愛らしくて」


 か、可愛……?

 あの、恐怖に駆られてエネルギーを補給していただけの姿が?


「それから君のことが気になって、つい後を追ってしまった。お茶会でも、図書館でも」


「……!」



「いつもおいしそうに食事を頬張り、周囲の令嬢たちと明るく話し、どんな時もにこやかな笑顔を浮かべる君が……好きだ」



 彼の整った凛々しい顔立ちが、目の前にある。



「ぜひ、僕と結婚してくれ」



 まっすぐな瞳が私を射抜く。

 さっきまでの恐怖とは違う理由で心臓がバクバクと鳴り始めた。

 顔が一気に熱くなるのが分かる。


 食いしん坊なところを、好き……?

 私がただの「明るい田舎令嬢」を演じていただけの、あの笑顔を……?


 私は混乱したまま、その勢いに負けて、思わず返事をしてしまったのだ。


「は、はい……」


 その瞬間、謁見の間が割れんばかりの拍手に包まれた。


「おお!」

「おめでとう!」


 祝福の声が飛び交う。


 ――あ。

 あ、思わず返事をしてしまった!これは、違くて……いや、違くないのか?


 呆然とする私を、エスクード様が嬉しそうに抱きしめた。

 もう、何が何だか分からなかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 こうして、ラビーは玉の輿に乗ることになる。


 しかし、クイント辺境伯家に嫁いだところで性根が突然変わるわけではない。相変わらず高位貴族は怖い。夫となったエスクード様は優しいけれど、辺境伯家の権勢が怖すぎる。


 王都から逃げるように辺境の領地へ引っ込み、そこで内政に全力を尽くすことにした。


 持ち前の臆病さと生存本能がラビーに警鐘を鳴らし続ける。そして恐怖を感じるとお腹が空く。ラビーは領地内に巨大な食料備蓄庫を次々と建設させる。芋、小麦、干し肉、保存食……。


 そして数年後。

 王国全土を未曾有の大干ばつが襲った。


 多くの領地が飢饉に苦しむ中、有り余るほどの食料を備蓄していたクイント辺境伯領は領民に十分な食料を分け与え、さらに王都や他の領地へも大量の支援物資を送ることができたのだ。

 後の世の王国の記録には、こう記されることとなる。


『ラビー辺境伯夫人は、実の父さえ断罪するほどの強い正義感を持ち、若くして大貴族の不正を暴いた。嫁いだ後もその聡明さを発揮し、天災を予見したかのような大胆な備蓄政策で、王国を飢饉から救った賢母である』


 ……と。


 もちろん、その「賢母」が、ただ高位貴族に怯え、お腹が空くから備蓄をしていただけの臆病者だったとは誰も知らない。


 が、それはまた別の話。



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― 新着の感想 ―
そうか。私がすぐ空腹になるほど燃費が悪いのは恐怖からくる生存本能だったのか!? それはともかく、ラビーちゃんの健康はちょっと心配かも。むくんだり、太ったりしない? そして高位貴族を怖いと思うのも間違っ…
食べ物のの備蓄量が想定を上回った…って? byエスクード╰(*´︶`*)╯♡ 主人公「あ、はい…そのアナタ、」 すぐさま支援物資が、王国の隅々に(^◇^;) 主人公「どうして?ホワイ⁇」めでたしめ…
ラビーちゃんかわいそ可愛い(^▽^)
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