第6話:かわいい少女、名はレーネ
前回の続き。修道院の小食堂で、セイジとレーネのおしゃべりがスタート。
オスシとオテンプラ、若いシスター・リリーの乱入、そしてダリアから託される思い。
にぎやかな朝食の気配とともに、セイジの「異世界の朝」が本格的に動き出します。
木椅子が低くきしみ、向かい合って腰を下ろす。波打つ古ガラス越しの光が、白木の卓に水紋を落としていた。奥では銅鍋がことこと息をし、香草とバターの匂いがふわりと満ちる。そんな中――
「でもさ、お話って、なに話すの?」
顔が近い。どうやらこの子には顔を近づける癖があるらしい。黒目がちの瞳がすぐ目の前で揺れる。
「えっと、まずは自己紹介からでいいかな。『お兄さん』って呼ばれるの、ちょっとむずむずするし」
一拍置いて、胸の内に空気を貯める。
「俺は田中誠二。よろしく」
「レーネはね、レーネだよ! よろしく、タナカ!」
「タナカ……じゃなくて、できればセイジって呼んでほしいな」
(異世界に来てまで田中呼びはなんだかパッとしない。もちろん田中って苗字に不満があるわけじゃないけど……こっちの方が、かっこいい気がする!)
「分かった! よろしくね、セイジ!」
可愛らしい挨拶に、誠二はふと胸の内で言いようのない感覚を覚えた。ダリアの周りに満ちるのは、水のように周囲を落ち着かせる静かな気配。対してレーネは、灯った火のように場を明るくする――この世界の聖職者には、そういう“雰囲気”が宿るのだろうか、と考えかけたところで、彼女が勢いよく畳みかけてくる。
「セイジって、どこから来たの? タナカセイジだなんて変なお名前!」
「日本って国。かっこつけて言うなら極東の島国、かな」
「日本」と言った瞬間、台の向こうのシスターたちの視線がぴたりとこちらを撫で、すぐに散った。
「へぇ。ねえねえ、どんな国?」
「どんな国って……急には難しいな」
「じゃあ、ご飯はおいしい?」
「お、そこなら自信ある。めちゃくちゃおいしい。食べ物が名物みたいな国だし」
レーネの表情がぱっと花開いた。きらきら、という擬音が見える。
「どんなご飯なの!!」
「寿司って、炊いた米の上に生の魚の切り身を乗せた――」
「それ、オスシじゃない?」
首を傾げる。知っている顔だ。
「ここにもあるの? 寿司」
「だから“オスシ”だってば! 発音、おかしいよ!」
ふくれっ面で詰められ、誠二は思わず笑う。
「じゃあ天ぷらは?」
「“オテンプラ”でしょ? お野菜とか魚を油で揚げたやつ」
(ここ、本当に異世界だよな……?)
誠二の思考が一瞬止まる。異世界のはずなのに、日本の食文化が溶け込んでいる。冗談ではなく、当たり前に。
ぎぎ、と向かいの椅子が引かれた。二十歳ほどの若い女性が、軽く腰を下ろす。青い瞳が明るく笑う。
「食器並べ終わったから。あたしも混ぜて。」
「リリーお姉ちゃん! セイジがからかってくる! オスシとかオテンプラが“ニホン”って変な国のご飯だって!」
「レーネ、その人の言ってることは正しいよ。オスシもオテンプラも、日本からきた料理」
「ほんと!? ね、ほんとに?」
レーネが目を見開いて誠二の顔を覗く。
「セイジ、だよね。私はリリー。よろしく」
「よ、よろしくおね……ぐ、いった……舌噛んだ」
「あっはは、なにそれ。あんた面白いじゃん」
数年ぶりの同年代の女性との会話。しかも、まるで外国映画から抜け出したような美女。彼女の、少し下から向けられるまっすぐな視線に、誠二の心拍が勝手に跳ね上がる。舌がもつれ、こめかみに脂汗が滲んだ。
「リリーさんは、もう手伝い終わり、ですか」
「あたしは食器担当だから。もう終わり。――ってか、何も働いてない人には言われたくないけど?」
「こら、リリー! そういう言い方しないの!」
台の奥から、年長のシスターの叱声が飛ぶ。パン切り包丁がカン、とまな板を叩いた。
「わかってるってば。で、あんた、日本から来たんでしょ。どんな凄い力、持ってんの? 見せなさいよ」
「凄い……力?」
田中誠二に“凄い力”など、ない。ネット掲示板で鍛えた煽りスキルぐらい――いや、それは世界を滅ぼす。
「ありません」
「はあ!? なによあんた、隠す気?」
机をばん、と叩いて身を乗り出す。誠二は反射でのけぞった。次の瞬間、こつん、と良い音がして、お玉がリリーの頭頂に軽く着地する。
「いい加減にしなさい。支度は終わったから、ご飯にするわよ」
「いったぁ!……叩かなくても言えばわかるっての、姐さん!」
年長のシスターは、誠二に向き直り、肩をすくめた。
「ごめんなさいね。この子、えっと……その……」
ちらりとダリアのほうを見る。彼は離れた場所で棚を探っている最中で、こちらに気づいていない。
「頭が、ちょっと馬鹿」
「姐さん! 今、馬鹿って言ったでしょ!」
「言ってないわ」
「言った!」
二人が火花を散らすあいだ、救い求めてレーネを見ると、彼女は配られたスープに視線を釘づけにし、きらきらした目で再び小さな涎を――。
(すごい……これが異世界か。騒がしいけど、なんか――悪くない)
気がつけば、この世界に来てから初めて、誠二の口元がゆるんでいた。
「ダリアさん! 配膳、終わったみたいです!」
誠二の呼び声に、ささくれだった空気がすっと落ち着く。教会の力関係が、よくわかる。
「ありがとうございます。皆さん、助かりました。少し探し物をしていて……任せきりで申し訳ない」
ダリアが何かを抱えて戻ってきた。光を受けて鈍く沈んだ艶を放つ、それは――刃渡り五十センチほどの直剣。
さっきまで勢いのよかった二人の顔色が、同時に青くなる。
「え、えっと、ダリアさん。流石にそこまでしなくても……!」
両手を前に出してなだめる誠二に、ダリアはきょとんと目を瞬かせた。
「どうされました? 皆さん、そんな怖い顔をして」
「あの~……それで、二人を――」
「セイジさんのこれからに、役立ちそうなものを探していただけですよ」
場が一拍で静まる。安堵、呆れ、空腹――それぞれの沈黙が同じ机に座った。
「なんだ、そうでしたか。ところでそれは?」
「私が若いころ、冒険者まがいの真似をしていた時に使っていたものです。いわゆる〈グラディウス〉ですね。」
柄には革が丁寧に巻かれ、丸い鍔は控えめで、刀身は肉厚。刃は研ぎ減りながらも、なお鋭さを湛える。革鞘は色が落ち、使い込まれた指の跡がうっすらと艶になって残っていた。油と鉄の匂いが、パンとスープの香りに、奇妙に調和して漂う。
「冒険に、刃は必須。もしよろしければ、誠二さんに使っていただきたい」
「いいんですか。高いものなんじゃ……」
「剣は“使われて”こそ生きます。我らが祈るのが生の意味なら、剣の生の意味は、持ち主の身を守ること。食器棚で眠るのは、その逆です」
ダリアは剣を鞘に収め、両手で誠二へ差し出した。ほんのわずか、躊躇。次いで、受け取る。
「……それなら。いただきます」
手が離れた瞬間、ずしりと重さが腕に降りた。両手で持てば何とか。片手では無理だ。革の感触、鉄の冷たさ、油の匂い――ゲームの中、画面の向こう側で軽々振り回されていた“剣”が、いま自分の両手にある。
「重い……こんなに重いんだ、剣って」
「だからこそ、持つ者に安心を与えるのです」
ダリアは目を細め、食卓へ視線を移す。
「では――祈りを短く。レーネが、もう限界のようですから」
皆が一斉にそちらを見る。小さな手が、切り分けたパンへそっと伸び――年長のシスターと目が合って、慌てて引っ込んだ。
食卓の上には、湯気を立てるスープ、香草を練り込んだ黒パン、熟した山羊のチーズ、庭の赤い実を煮たコンフィ。窓からの光は、薄い湯気を金に染める。人の声、ナイフが木の皿を擦る音、遠い中庭の水音。異世界に来たはずなのに、妙に懐かしい“人の温もり”が、ここにはあった。
短い祈りが終わり、手が動き出す。誠二は香草とバターの匂いを胸いっぱいに吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。昨日までの恐怖も、絶望も、熱いスープの湯気にまぎれて少しずつほどけていく。
レーネの距離感ゼロな元気と、修道院の生活感で、セイジの緊張がやっとほぐれてきました。
ダリアから託された〈グラディウス〉は、物語の小さな転機。
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