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赤ずきんのヴェンデッタ 〜ギフト未所持の最弱転移者、赤ずきんの少女に拾われて人生リスタート〜  作者: まぴ56


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第34話:血みどろの闘い

 ヴェンデッタを追いかけ、誠二は家の扉を跳ねるようにして外へ飛び出した。乾いた木戸が鳴り、夜気が肺の奥まで滑り込んでくる。夜の匂い――冷えた土、薪の残り香、遠くの家畜小屋の気配。それらが混ざり合って、村の夜が「いま異常事態の中にある」と肌で告げていた。


 ワンテンポ遅れてフレッドが、さらに続いてシェーナが家を飛び出す。村の外へ通じる出入り口――簡素な柵と見張り台、その向こうに広がる草原――そこから、御者の男がよろよろと走ってきた。足がもつれているのに、それでも止まれない、という顔をしている。息は切れ、喉が引きつるように鳴っていた。


「大丈夫ですか!?」


「くっ……はあ、ゴホッ!」


 近くで見ると、男の身体に目立つ外傷はない。服は泥で汚れているが、裂けた様子もなく、血の匂いもしない。ただ、急いで走ってきたせいで心臓が跳ね上がり、呼吸が追いついていないのが分かる。誠二は落ち着かせるように背中をさすり、男がほんの一瞬だけ呼吸を整えるのを待った。


「山間の方から、ウェアウルフの群れが下りてきたんだ! 馬が襲われた! 助けてくれ!」


「もう大丈夫。さっきヴェンが向かったから。……だから、そこの空き家で待っててくれ」


 誠二の言葉に、男の目の焦点がようやく合いはじめる。かっと見開かれていた瞳が、安堵と恐怖の狭間で揺れ、やがて穏やかな垂れ目に戻っていった。息も少しずつ落ち着く。


「おい誠二! 早くヴェンデッタさんの方へ向かおう!」


「ああ、分かった」


 二人の間にフレッドが割り込む。村の入口へ向かう道は、踏み固められた土が夜露で黒く光り、ところどころに灯りの落ちたランタンが転がっていた。風が草を寝かせ、遠くで家々の戸が閉められる音が続く。まるで村全体が息をひそめ、嵐の中心を避けるように身を縮めている。


 そして三人は走った。ヴェンデッタのいる方へ――村と外界の境目へ。


 少し走ると、すぐに戦場が見えてきた。


 草原の端、村へ続く広い道の上。月明かりを削るように黒い影が群れ、そこへ赤い頭巾が縦横無尽に跳ね、奔っていた。火花のように、血のように、赤が夜を裂く。


 そこにいたのは狼のような化け物だった。人の形をして二足で立つが、肩は異様に盛り上がり、前腕が長い。指先は爪というより刃で、ぬらりとした光を宿している。口を開けば獣の吐息が白く噴き、喉の奥で唸り声が骨に響くみたいに低い。


 敵の数は尋常じゃない。ざっと見ただけでも三十体以上。草原の起伏に紛れて、さらに増える気配さえある。


 ――なのに。


 ウェアウルフの群れは、まるで砂糖菓子が熱に溶けるみたいに、みるみる消えていった。


 誠二程度の動体視力では、何が起きているのか理解できない。ヴェンデッタの体は赤い閃光となって尾を引き、ウェアウルフの間を通り抜けた。次の瞬間には、そこにいたはずの巨体が、ばらばらと細かな賽の目みたいに崩れ落ちる。血飛沫が夜気に散り、草の先を濡らすのに、音だけが一拍遅れて届く。遅れて響くのは爪と骨の裂ける音、肉の落ちる湿った音、そして獣たちの断末魔。


 そこにいるものすべてを魅了する――まさに鬼神のごとき強さだった。


「……って、いけねえ!」


 目を奪われかけた誠二が、歯を食いしばって現実に引き戻る。


「二人とも! 俺らもやれることはやるぞ! ヴェンが取りこぼした奴が民家に向かってってる! だから俺たちで……!」


 振り返った瞬間、ようやく気づいた。


 二人とも、その場で完全に身体が硬直してしまっている。赤い影を目で追うだけで、足が、手が、一切動いていない。恐怖で固まるというより、あまりに現実離れした状況に、魂のほうが置いていかれているみたいだった。


 それでもフレッドの口だけが、震えながら動く。


「ヴぇ、ヴェンデッタさん! 僕たちはどうすれば!」


 いつもは大きすぎるように感じるフレッドの声が、戦場ではやけに小さく響いた。もちろんヴェンデッタには届かない。というより、彼女でさえこちらに意識を割く余裕がない。次から次へと、山の影や草原の起伏の向こうから、二メートルほどの巨体が跳び出してくるのが見える。


「なにやってんだフレッド! 急いで村の方へ――」


「いや、でも……ヴェンデッタさんが……」


 誠二がどれだけ声をかけても、フレッドはヴェンデッタから目を離せない。しびれを切らした誠二はシェーナへ目を向けたが、彼女の方は完全に駄目そうだった。両腕で身の丈以上の杖にしがみつき、唇は青く、瞳から恐怖がこぼれ落ちている。


(どうする……放っておいたら、村の人たちが。でも、俺だってめちゃくちゃ弱いんだぞ……)


 現状、動けるのは自分だけ。その現実が誠二を焦らせる。冒険者歴たった二日の初心者。剣は握れても、まだまだ闘いの恐怖は残っている。


 それでも――


「……でも、そうか。俺は、村の人を助けたい。それがやりたいことなら!」


 誠二はグラディウスの柄をぎゅっと握る。手のひらの汗が冷えて、逆に剣の感触だけがやけに確かになる。覚悟を決めるように目を閉じ、一呼吸置いた。吸って、吐いて――最後の空気を吐ききったところで、今度は一気に吸い込む。


 踵を返し、たった一人で村の方へ走った。


(ざっと見た感じ、ヴェンが取り逃したのは三体……いや、そんなわけない。混乱の中で、すり抜けた奴がもっといる。俺がやらなきゃ……誰がやる!)


 村の通りは、夜の色に沈んでいた。家々の窓は板で塞がれ、戸が乱暴に閉じられた跡がある。誰かが落とした薪が道に散らばり、踏めば乾いた音が鳴った。遠くで赤子の泣き声が途切れ、代わりに獣の咆哮が近づいた。


 視界の端に、扉がこじ開けられたような民家が見えた。蝶番が歪み、板が裂け、内側の闇が口を開けている。誠二はそちらへ駆け込んだ。


 中に飛び込む。木造家屋特有の湿った木の匂い、倒れた椅子、散らばる食器。家の角に向かって立つ、大きな背中――ウェアウルフ。肩が天井近くまで届きそうで、毛が月明かりを吸って黒く蠢く。


 その隙間から、部屋の角に追い詰められた村民の姿が見えた。二人の子供と一人の女性を庇うように、ガタイのいい男が両手を広げ、魔物の前に立っている。男の喉は乾ききり、声が出ない――そんな顔で誠二と目が合った。


 誠二はとっさに自分の口を指さし、叫べ、とでも言うように顔をしかめて手をぐーぱーさせた。理解したのか、男が腹の底から絞り出すように叫ぶ。


「やめろ!! 来るな!! 頼むから子供たちと嫁だけは!!」


 その刹那、ウェアウルフの意識が完全に男へ向いた。耳が、肩が、殺意が、男の方へ傾く。


 誠二は駆けた。


 両手でグラディウスの柄を握りしめ、勢いのまま、目の前の大きな背中へ突き立てる。


「っおんどらあ!!」


 不意打ちは成功した。肉を貫く、ぐにゃりとした嫌な感触。その直後、剣先がふっと軽くなる。骨の隙間をすり抜けた刃が心臓を貫き、反対側へ抜けていた。剣先を伝って、生ぬるい液体が指に落ちる。


「っし!!」


 勢いよく剣を抜くと、びしゃっと鮮血が飛び散る。魔物はごぼりと血を吐き、次の瞬間、ばたりと床へ崩れ落ちた。倒れたあとも体は痙攣し、床板の目に赤が染み込んでいく。


「……ふう。大丈夫ですか。怪我は?」


「け、怪我はないです。あ、あの! ありがとうございます!!」


 男の顔に、堪えていた涙がぶわっと浮かぶ。感謝の言葉と同時に、床へ額を叩きつけそうな勢いで頭を下げた。


「ちょ、そういうの大丈夫だから!」


「いえ、貴方は命の恩人だ! お名前は?」


「……ただの冒険者だよ」


 誠二は少しだけ格好をつけるように、刀身を肩に乗せて言った――が、その瞬間、遅れて気づく。


(……やばい。俺、防具ないじゃん)


 さっき慌てて飛び出す時、革鎧を置きっぱなしにしていた。重さに慣れていないからと馬車の中からずっと外していた。それが、今は命取りになりうる。


(今は運が良かっただけだ。一撃でももらったら、多分死んでた)


「……いや。考えてる暇ねえか」


 誠二は出口へ踵を返し、外へ駆け出した。外に出ると、冷気が血の熱を容赦なく奪う。誠二は一度だけ立ち止まり、耳を澄ました。


「……た、すけて……だれか……!」


 遠くから、かすかに叫び声が聞こえる。目の前にも家はあるが、そこじゃない。もっと奥、通りの先だ。


 誠二は声のする方向へ走った。運動不足が祟り、呼吸が乱れる。冷たい空気が肺と鼻腔をひりひりと刺し、吐く息が白くほどける。それでも足は止めない。声が段々と大きくなる。


 角を曲がると、脚を引きずり、腕から血を流しながら走ってくる女性の姿があった。髪は乱れ、顔は蒼白で、恐怖だけが身体を動かしている。


 誠二は急いで駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


「あ、貴方は? 早く逃げないと……後ろから魔物が……!」


「大丈夫! 俺は冒険者だ」


 誠二は片膝をつき、できるだけ優しく見えるよう作り笑いを作った。震える彼女の呼吸を少しでも落ち着かせるために。急いで背嚢を開き、中からポーションを取り出す。朝作ったばかりの回復ポーションだ。透明で、光を受けると淡くきらめく。


「ちょっとしみるけど、我慢してね」


 女性が震えながらも頷く。誠二はコルクを噛んで引き抜き、まずは足の傷へ、次に肩の傷へ注いだ。液体が触れた瞬間、傷口はシュウ、と湯気のような音を立て、目に見える速さで塞がっていく。血の匂いが薄れ、皮膚が元の色に戻っていく。


 誠二はもう一本を素早く取り出し、彼女へ手渡した。


「これ、飲んでください。体の内側の傷も治ります」


 言い終える前に立ち上がり、地面に置いていたグラディウスを拾い上げる。


「あ、ありが……」


「貴方を追ってた魔物はどこに?」


「あっちです……!」


「ありがとう!」


 悠長に話している暇はない。誠二は魔物の方向だけ聞き取り、また走った。


 曲がり角を曲がった瞬間、視界の端に大きな毛むくじゃらの影が飛び込んできた。誠二が反応するより早く、ウェアウルフが腕を振り下ろす。


 ――間一髪。


 グラディウスで、上から叩きつけられる腕を受け止めた。金属が鳴り、手首から肘にかけて衝撃が突き抜ける。恐ろしいのは、刃で受けたにもかかわらず、灰色の毛と太い骨の腕から血が一滴も流れないことだった。


 そこからは防戦一方だった。


 魔物はすぐさまもう一本の腕で誠二を掴みにくる。誠二は反射的に後ろへ跳ぶが、着地のことなど考えていない。小石に足を取られ、派手に転ぶ。それでも転がる勢いを殺さず、くるりと身を回し、片膝を立てて向き直る。


 追撃が迫る。誠二は必死にそれをいなし続ける。金属と硬い骨がぶつかり合う音が、夜の通りに何度も反響した。


 ガン! ガキン! ガン! ガキン!


 じりじりと追い詰められ、誠二の踵が硬い壁に当たる。


「やばっ!!」


 勝機と見たのか、ウェアウルフは両腕を壁へ突き立てた。ばきゃっ、と木が裂ける音。爪が貫き、誠二の左右へ腕が突き刺さり、退路が塞がれる。大きく裂けた口が、誠二の喉元へ迫った。


「くっ……!!」


 誠二は咄嗟に、空いている左手を正拳突きのように突っ込んだ。狙いはある。少しでも止めるために、喉の奥へ、喉の奥へ――。


 次の瞬間、魔物の口が閉じる。


 鋭い牙が左腕へ突き刺さり、骨を砕く乾いた音が町に響いた。


 バキャッ。


「クッソがあああ!!」


 激痛で視界が白くなる。それでも誠二は左腕に力を込め、喉の奥の“柔らかい何か”をぐにゃりと握りしめた。嗚咽するように魔物が口を開ける。誠二を引き剥がそうと顔を左右に振り回すが、誠二は決して離さない。


 魔物の両腕は壁に深く刺さって抜けそうにない。首を振られた勢いで誠二は地面へ転がる。それでも片足で踏ん張り、右腕に全ての力を集めた。


 ――今しかない。


 誠二は剣を下から突き上げ、魔物の喉元へ突き立てた。


 剣先は喉から侵入し、頭蓋の奥へ食い込む。貫通はしないが、血がぼとぼとと落ち、やがて魔物の身体から力が抜けた。腕を壁に突き刺したまま、巨体がだらりと垂れ下がる。


「……っく。はあ……っつう……はあ……」


 誠二は魔物の口内から、ぬるりと左腕を抜き取る。左腕は穴だらけで血が溢れ、力を入れても動かない。肘から先が自分のものじゃないみたいに、だらんと垂れ下がっていた。


「ポーションは……」


 剣を地面に突き立て、右手で背嚢を漁る。しかし、もうガラス瓶はない。


「……いや。まだ、いける」


 誠二は青い外套の端を足と手で引き裂き、布を絞って一本の紐にする。口と右手を器用に使い、左腕の付け根――脇のあたりをきつく縛り上げた。止血の痛みが遅れて刺さる。だが、痛いということは、生きているということだ。


 そしてまた走る。


 敵を見つけては飛びかかり、剣を突き立てる。牙や爪で裂かれ、貫かれ、それでも止まらない。最初は“三体”と思った。だが、混乱の闇の中で、いくらでもすり抜けてくる。村の通りのどこかで、また誰かが叫ぶ。誠二の足は、その声へ引っ張られる。


 どれだけ倒したのか、もう分からない。


 その時だった。


 一気に、いくつもの視線を感じた。


 周囲を見渡すと、闇の中でギラリと光る眼が十。誠二を囲むように、ウェアウルフたちが唸り声を重ねていた。誠二の体はぼろぼろだ。腹には噛まれたいくつもの穴。左腕は使い物にならない。右腕も傷だらけで、血のせいで足元もおぼつかない。頭からの出血が頬を伝い、視界が滲む。


「……はあ。やりたいこと……俺は……やりきっ……」


 言葉が途中で崩れ、膝が折れる。それでも誠二は剣を杖代わりにして、無理やり立ち上がった。立つことだけは、譲れなかった。


 ――その時。


 聞き覚えのある声が、夜を切った。


「もう、大丈夫よ」


 刹那、視界の端を赤い閃光が通り抜けた。血潮に濡れた赤頭巾。闇夜にたなびく赤い外套。ヴェンデッタが、誠二の前へ立つ。


 獣たちの視線が一斉に少女へ集まり、次の瞬間、五体の魔物が同時に飛びかかる。しかし彼女は動揺しない。まるで最初から“そうなる”ことを知っているみたいに、淡々と言葉を紡いだ。


「風よ……柔らかなる風よ……すべてを包むその慈愛で――殺せ」


 ヴェンデッタの足元に、淡い白光の魔法陣が咲く。幾重にも重なる紋様が回転し、空気が一瞬で張り詰めた。


「《ル・サンクチュエール・デ・ヴォルテックス》」


 次の瞬間、風が――怒りのように旋回した。


 ヴェンデッタと誠二を包み込むように渦が立ち上がり、巨大な上昇気流となって、周囲の魔物をまとめて天へ引き剥がす。獣たちは悲鳴を上げる暇すらなく、無数の小さな風の刃で切り刻まれ、赤い霧となって夜へ溶けた。


 最後に残ったのは、風が過ぎ去った後の静寂だけだった。

 草がざわりと揺れ、月が、さっきまでの騒乱が嘘だったかのように白く光る。

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