第27話:年の功より、エルフの耳
赤い瞳を細め、彼女は情けなくぽかんと空いてしまった口を即座に閉じて、鋭い目つきで誠二を見つめなおした。
「……あ。すみません、完全に自分の世界に入ってしまってました。ごめんなさい! 今日の分の仕事ですよね」
「そんなことは今はどうでもええ。わしの質問に、きちんと答えるのじゃ」
そう言って指をパチンと鳴らすと、煙を出していた赤く赤熱した魔法炉の色が、すっと黒色へと変化する。炎が消え、金属皿の赤光も徐々にくすんでいく。どうやら、もう過熱をやめたらしい。
彼女は組んでいた足を組みなおして、誠二の目をじっと見つめる。赤い瞳が、わずかに興味深そうに揺れた。
「さ、名乗るがよい。何者で、どこから来た」
「セイジです。冒険者をやってます」
「ダウトじゃな。ただの冒険者で今みたいな補正ができるなら、世の研究者は半分失業じゃ。転移者じゃろう、お主」
「いや、それは」
「どうしてごまかそうとしたのかのう?」
「それは、」
「隠し事……まさか何かを企んでおるとか?」
「いや違く……」
「それはないじゃろうな。どちらかいうと、今のこの国の状況を気にしとる顔じゃ」
「お願いですから喋らせてください!!」
誠二の悲鳴じみた言葉を聞くと、彼女も正気に戻ったのか、脚を組みなおしつつ、わざとらしく咳払いをする。
「ふむ……では、落ち着いてもう一度じゃ。名前は?」
「田中誠二です。アルクメーネさんのおっしゃる通り、転移者です」
「ほう、やはりのう」
彼女は興味深そうに鼻を鳴らすと、褐色の指先で机をとん、と軽く叩いた。
「転移者で、その観察眼。しかもこのわしに対して、毒に気づいて止めろと言える度胸……」
赤い瞳がじろりと誠二を舐めるように見上げる。その視線には、値踏みする商人と同じ光が宿っていた。
「――その科学知識気に入った! 弟子にならんか、お主」
「…………は?」
あまりに唐突な言葉に、誠二の思考が一瞬真っ白になる。
「わしの弟子じゃ。魔術師見習い。素材を見る目は悪うないしのう。粗削りじゃが、磨けば光る石じゃ」
「お、俺なんかが弟子なんて無理ですよ」
反射的に首を振りながら、口が勝手に動く。
「正直、俺の科学知識なんて子供のお遊び程度ですし。それに別にそういう研究者とか興味ないっつうか……あくまで子供レベルの知識しかないですし。こっちの魔術に至ってはゼロですから。弟子なんて、とても」
そうやって自身を謙遜の鎧で守っていくうちに、誠二の声のトーンは段々と落ちていった。最後には、自身で言っているにも関わらず、気まずさと情けなさで苦笑いが勝手に浮かんでくる。
(ああ……いつも俺はこうだ……なに言ってんだよ。本当は……小さいころから研究者になりたがってたくせによ)
胸の奥で、小さな自嘲が苦く笑う。
アルクメーネは、その様子をじっと眺めていた。
言葉の内容よりも、言い切ったあとの目の沈み方と、拳から抜けていく力の方に注目しているかのように。
(……好きなものの話になると舌は回るのに、自分の価値となると急に濁る目じゃのう)
彼女は小さく息を吐いた。長い耳が、ふる、と揺れる。
「まあええ。今すぐ決めろとは言わん。――ひとつ、確認しておこうかの」
アルクメーネはメモ帳を取り上げ、ペラ、と一枚めくった。
「お主、いつまでこの国におるつもりじゃ?」
「まあ、ひと月程度ですかね。それからは、いろんな国を巡ってみようかと」
そう答えながら、誠二は自分でも気づかぬうちに視線を逸らしていた。
その瞬間を、アルクメーネは見逃さない。赤い瞳が、ほんのわずか細められる。
(行き先を語る舌と、行き先を信じきれておらん目じゃな。とことん自分に自信がない子供〈ガキ〉じゃ)
彼女は机をとん、と指で弾き、わざとらしく大きなため息をついた。
(こやつ……若いのに諦めた口じゃな。勿体無い)
そして思考をまとめるように、ソファの背もたれに身を預け、ふんぞり返る。ギシッという軋む音が部屋に響いた。
そのまま背もたれに身を預け、目線だけを誠二に向ける。誠二の方が身長はあるはずなのに、なぜか見下ろされているような感覚がした。
「……お主、冒険者なぞやめたほうが良いぞ」
冒険者人生始まって今日で二日目。二日目にして誠二は、その人生を折ることを勧められたのだ。
「お主は見たところ冒険者の才能は無い。力は弱い、器用でもない、魔力もほとんどないし、神秘管も細い。続けたところで、死ぬのがオチじゃ」
「え……いや……」
淡々と言葉を投げかけてくる彼女に、誠二もなんとか意見しようとするが、言葉がうまく出てこない。それもそのはずだ。彼女が言っていることは、すべて正しいから。
(……間違っちゃいねえんだよな。この人の言ってること)
彼女は次に上体を起こし、前のめりになる。短い脚は地面に着くことなく、ぷらぷらと浮かんでいるが、細い腕を机について、今度は誠二の顔を覗き込むように見てくる。赤い瞳が、じろりと彼を射抜いた。
「じゃがのう……おそらくじゃが、こちらの才能はある。さっきの警告ひとつでよう分かったわい。お主は錬金術師になるべきじゃ」
そのたった一言が、彼に深く突き刺さる。「なるべき」――その短くも重い一言が、彼の中で何度も反芻される。歯を食いしばり、彼はうつむいた。それでもアルクメーネは言葉を止めない。
「心配する必要はない。錬金術師としてなら、間違いなく、お主は大きな功績を残せるはずじゃ。素材を見る目も、毒に対する感覚もある。なにより――考えることを楽しんどる」
次は、「はず」。この言葉を彼は日本でも言われ続けた。
田中誠二はずっと研究者になりたかった。彼は科学が好きだった。化学も物理学も生物学も、知らないこと、道を探求することが好きだった。
しかし両親はそれを良しとしなかった。彼の家系は医者の家系。何が何でも誠二を医者にするべく、彼の志望大学を勝手に決めたのである。だからこそ、彼は最後の抵抗として、受験を受けなかった。そして、そのまま引きこもりとなったのだ。
(日本にいた時も。ずっと言われ続けた……その言葉)
「悔しかったんだ。言い返せなくて、言葉が出てこなくて……」
誠二の心の中の言葉が、段々と口から零れ始めた。それはまるで、水甕にたまりすぎた水があふれ出していくかのように、止めようとしても止まらなかった。
「あの時は言葉にできなかった……論理的に説明がつけられるほど……俺は頭が良くなかったんだよ」
段々と彼の語気は強くなり、荒々しくなり始める。胸の奥に燻っていたものが、錬金室の熱と匂いにあぶられて、むき出しになっていく。
アルクメーネは彼の目をしっかりと見据えつつ、また体重を背もたれに預けた。そしてタイミングを計って、すっと言葉をさし込んでくる。
「大丈夫じゃ。わしはこれでも魔術会では有名な研究者じゃ。わしの言うとおりにすれば、絶対に成功――」
「成功できるだろうよ。あんたはすげえんだもんな。でもよ……でもよ……」
誠二の目の端から、水滴が一粒、ぽとりと流れ落ちる。それを見てか、アルクメーネはゆっくりと目を閉じた。しかし、しっかりと聞いているのだろう。長い耳はぴくぴくと動き、誠二の言葉を一つ漏らさず拾っていた。
「でもよ……楽しかったんだよ……冒険が。楽しいから……冒険者やりてえんだよ。だから……だから」
言葉と一緒に、胸の奥に溜まっていた熱が少しだけ抜けていく。喉の奥がひりつくのは、この部屋の薬品のせいだけではなかった。
「冒険者はやめねえ! でも……錬金術は……教えていただけませんか」
(自分の考えが間違ってて、相手の考えが正しいなら。自分の考え突き通して、相手の考えも受け入れればいいじゃねえか!)
そう言い切り、誠二はゆっくりと、頭を下げる。
「そうか……」
アルクメーネはそっと目を開けた。赤い瞳が、先ほどまでの鋭さを少しだけ和らげる。
「ならば仕方ない。今回だけは、諦めてやろうかの」
そう言うと彼女はニヤッと意地の悪いようで、どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、誠二の顔を見た。
そこでようやく誠二は気づいた。目の前の彼女は、おそらくこの言葉を言わせるために、わざときつい言葉を投げかけてきていたのだろうと。
「……すまんな。粗治療をしたまでじゃ」
「……へ? 粗治療、ですか」
「そうじゃ。どうにも、ここに悪いものが詰まっておるように見えての」
彼女は自身の胸元を、とんとん、と指で叩いた。
「心につっかえがあるような状態でポーションを作ると、ろくなことにならん。
魔力も神秘管も、感情に引きずられるもんじゃからな。せっかく良い観察眼を持っとるのに、澱んだ心で曇らせておるのは、宝の持ち腐れじゃ。ポーションの材料もタダじゃないしのお」
わざとらしく肩をすくめると、赤い瞳を細めて笑う。
「今後はそういう悪い感情は、すぐに吐き出すようにするのじゃ。ええな。――仮にも、わしの弟子候補じゃからな」
「どうして……分かったんですか?」
(こういった感情を、本心なんて親にも見せたことなかった。それなのにどうしてこの人は……)
「年寄りの感じゃよ。長う生きとると、なあんとなく分かるんじゃ」
そう言うと、アルクメーネはひょいと立ち上がった。
ちょうどその時、誠二の頬を伝って落ちた涙が、床に落ちる直前、小さな魔法陣に触れる。彼女の褐色の指先から、赤い光の線がさらりと描かれていた。
「――レイ・クライ」
ぽたり、と落ちるはずだった涙の粒が、ふわりと空中で浮かび上がる。
次の瞬間、それは小さな花火のようにぱん、と弾け、淡い色の光の花弁を散らした。音だけはやけに控えめで、まるで室内用に調整された打ち上げ花火の縮小版だ。
「あ……」
誠二は思わず目を瞬かせる。視界の端で、また一粒、涙が光の花に変わって消えた。
「これ……ダリアさんと同じ魔法……」
昨日、今のように涙を流した時のことを思い返す。これはその時に、ダリアが誠二にかけてくれた魔術だった。
「そりゃそうじゃ。あやつに魔術を教えたのは、わしじゃからな」
アルクメーネは、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。
「ダ、ダリアさんの師匠なんですか!?」
「師匠などと言えるほど、教えちゃあいないがのお」
そう言って、宙に浮かんだ最後の涙に指先をそっと触れる。
ぱん、と小さな光の輪が咲き、錬金室の空気に、一瞬だけ明るい色が差した。
「――さて、作業じゃ。泣くのが済んだなら、手を動かせ。研究者も冒険者も、前に進むには結局そこしかない」
そう言って彼女は、手元にある羊皮紙を誠二へと手渡した。
そこには回復ポーションの生成方法が、細かな文字と簡潔な図解で書かれていた。似たような水溶液は知っているものの、中には日本では見たことも聞いたこともないような素材の名が並んでいる。
血のように赤い苔、月光を吸ったという銀色の花弁、竜の骨粉とおぼしき白い粉末――そこに記された素材の一つひとつが、まさしく「異世界らしさ」をこれでもかと突きつけてくる。
「……ありがとうございます!」
胸の奥のつっかえを少し軽くした誠二は、涙の跡が残る頬を袖で乱暴に拭い、羊皮紙を握りしめながら、ぐるりと錬金室を見渡した。
薬草の匂いと薬液の湯気、魔法陣の微かな光、さっきまで自分の涙が弾けていた空間、そして、隣でじっとこちらを見つめる褐色肌のエルフの研究者――。
(……別にあっちの世界でも、父さんが言ってたことを間違ってるとは思ってなかった。確かに医者になりゃ将来安泰だ。でも俺はその考えも受け入れず、自分の考えすら閉ざしちまった。だからこそ……この世界ではどっちもやってみせる。やりたいことは全部!!)
決意を固め、誠二が踵を返した瞬間、バンと勢いよく錬金室の扉が開かれた。
「ご、ごげ……ごぐふ……はあ……はあ。ごめん……なさい。アルクメーネ様……」
そこには、息も絶え絶えで死にそうな顔のリリーが立ち尽くしていた。
そこから先は、リリーに作業工程を教えてもらいつつ、途中からは何故だか立場が逆転して、誠二がリリーに作業を教えることになり――二人は、朝餉の時間まで黙々と錬金術の作業を続けることになったのだった。




