第23話:ツンデレ
お読みいただきありがとうございます。
今回は、冒険を終えた誠二の「お風呂上がり」から、リリーとの同室シーンになります。
いつも通りあたりは強めだけど、ちゃんと心配してくれているリリーの一面を楽しんでいただければ嬉しいです。
風呂から上がると、質素な脱衣所には、誠二のために用意されたらしい着替えが置かれていた。
白いシャツと茶色のズボン――今まで着ていたものとほとんど同じ、簡素な作りの服。その脇には、使い古されてごわごわになったタオルが、畳まれることもなく、ぽんと床に置かれている。
脱ぎ捨てたはずの汚れた服は、すでにどこかへと片づけられていた。
こんな時間にそんな気の利いたことをしてくれる人間は、一人しか思い浮かばない。
(あたりは強い子だけど……ほんと、根はいい子なんだよな)
苦笑しつつ、誠二はタオルで乱暴に髪と体を拭き、用意してくれていた服に袖を通した。
石造りの建物特有のひんやりとした空気が、まだ火照りの残る肌を撫でていく。それが、戦いのあとで荒れていた神経を少しだけ落ち着かせてくれる気がした。
着替えを済ませ、誠二は朝方に教えてもらった自室へと向かう。
修道院の廊下は、一定の間隔で取り付けられた燭台の灯りだけが頼りだった。
壁に沿って並ぶ蝋燭が、ゆらゆらと揺れる小さな炎をともしている。その光が長い影をつくり、歩くたびに、誠二自身の影が壁の上で伸びたり縮んだりと、ひどく大げさな身振りでついてくる。
見慣れない石壁に映る自分の影は、どこか異形じみていて、誠二には少しだけ不気味に感じられた。
それでも、暗闇を完全に追い払うのではなく、そっと押し返すだけの、頼りないけれど温かい灯りは、不思議と胸の奥に安心感をともしてくれる。
(火ってのは、つくづく面白いよな……怖いのに、落ち着くっていうか)
そんなふうに取りとめもなく考えているうちに、目的の部屋の前へとたどり着いた。
どうしてすぐに場所が分かったのかといえば、ひとつには朝方、「姐さん」と呼ばれているシスターとレーネに丁寧に案内してもらっていたからだ。
そしてもうひとつは――
「……開けっ放し、か」
目の前の扉が、半ばまで開いたままになっていたからだ。
静かな廊下に、扉の隙間からこぼれる淡い光が一筋だけ伸びている。
そっと中を覗き込むと、部屋の奥でリリーがベッドに腰かけていた。
枕元に置かれた小さな蝋燭の光だけを頼りに、本を広げている。その淡い光が、黒い髪と青い瞳の輪郭を柔らかく縁取っていた。
「着替え、ありがとう」
誠二が声をかけると、リリーは顔は本へ向けたまま、視線だけを持ち上げて誠二を見た。
ほんの一瞬、青い瞳がこちらを射抜き――次の瞬間には、誠二が扉をしっかりと閉めるのを確認したように、視線をまた文字の海へと落とす。
「……リリーは寝なくて平気なのか?」
気まずい静寂に耐えきれず、誠二は問いかける。
「……」
返事はない。
ページをめくる紙の音だけが、かさり、と小さく響く。
無視されている、というより、本に集中していて、あえて相手をしないと決めている――そんな空気だった。
(本を読むのを邪魔するのも悪いし、他の部屋で寝てるシスターを起こすわけにもいかないし……おとなしく寝るか)
ひとり納得して、誠二は扉の前から自分のベッドへと向かう。
この部屋にはベッドが二つ。
一つは入口から見て右奥、そこにリリーが座っている。
もう一つは、その対角線上――部屋の左手前に、ぽつんと置かれていた。
朝、最初にここへ通されたときには、二つのベッドはもっと近く、ほとんど隣り合うように並んでいたはずだ。
今はきっちりと距離が取られている。
誰がわざわざ動かしたのかは、考えるまでもない。
(……まあ、そりゃそうか)
苦笑しながら、改めて室内を見渡す。
ベッドのほかにあるのは、脇に置かれた小さな木製のテーブルが一つずつ。引き出しも飾りもない、本当に最低限の造りだった。
壁は素焼きの石が積まれただけで、装飾らしい装飾は何もない。絵も布も、余計なものは一切なく、質素という言葉をそのまま形にしたような部屋だ。
窓から差し込む月明かりだけは、そんなささやかな空間に、ほんの少しだけ遊び心を加えていた。
格子窓を通った光が床に格子状の影を描き、木製の床に編み目模様を浮かび上がらせる。そのおかげで、まるで薄いカーペットが敷かれているような錯覚すら覚える。
ごわごわとした掛け布団の端をつまみ、めくり上げて、ベッドにもぐり込もうとしたところで――
「……私になんか言うことあるんじゃないの」
対角線上から、ぽつりと声が飛んできた。
「え?」
一瞬、何を指しているのか分からず、誠二の思考が固まる。
(夜遅くまで帰ってこなかったことは……謝ったはずだよな。
着替えの礼も言ったし。他に何か――)
誠二が考えを巡らせている間に、リリーは深く、呆れたようなため息をひとつ零した。
「そんな傷で寝れるっていうの?」
本をぱたりと閉じる音がして、リリーが顔を上げる。
暗がりの中で、青い瞳が真っ直ぐ誠二をとらえた。二人の視線が、月明かりと蝋燭の明かりの交わるところでぶつかる。
「分かるのか?」
思わず問い返すと、彼女は当然だと言わんばかりに眉をひそめた。
「分かるに決まってるでしょ。シスターよ? なめてんの?」
その眉間には、見慣れた縦皺がきゅっと刻まれる。
「ごめん。こっちの世界だと、そういうの分かるのってお医者さんぐらいだからさ。
てか、リリーでも治せるの?」
「……知らないかもしれないけど、物理的な怪我人の治療は基本的にシスターや神父の仕事。お医者の仕事はそれ以外」
呆れた口調で言い捨てながら、リリーはベッドから立ち上がり、ゆっくりと誠二の方へ歩み寄ってくる。
蝋燭の灯りが彼女の修道服の裾を揺らめかせ、その影が床の上でふわりと伸びた。
「……ほら、早く横になりなさい」
すぐ傍まで来ると、彼女は少しだけ身を屈め、じっと誠二を見下ろした。
青い瞳の奥が、わずかに険しくなる。
「あばら骨に頭蓋骨、いたるところの骨にひび。それに内臓もやばそう。そんなじゃ痛くて寝れないでしょ……」
「……なんで見ただけでそこまで分かるんだよ。目の中にレントゲンでも入ってるのか!?」
冗談めかして言いかけて、ふと、気づく。
「……もしかして、ずっと起きてたり、玄関で待ってたのも――」
「あんた少し黙りなさい! 次は殴るわよ!」
語気が一段跳ね上がり、リリーが拳をぎゅっと握りしめる。
肩が僅かに引かれ、そのまま振りかぶられかけたところで、誠二は慌てて両手を前に突き出し、必死に制止した。
「分かった! 分かったから!」
現状でも全身ぼろぼろなのに、ここで一撃もらったら、本気で笑えない。
「……分かったなら、早く寝なさいよ」
ぷい、と顔をそむけたリリーの頬は、ほんのりと赤く染まっていた。
だが、そのぶん目つきは鋭く、これ以上余計なことを言えばどうなるか、目だけで雄弁に語っている。
誠二はそれを敏感に察し、素直に従うことにした。
ゆっくりと体をベッドへ沈めていく。
途中、傷口が軋んだのか、胸や腹に鋭い痛みが走り、思わず動きが止まる。
しかし、そんな誠二の様子を見て、リリーは何も言わず、さりげなく腕を貸してくれた。背中に手を添え、体勢を支えてくれるおかげで、どうにか横になることができる。
硬いはずのマットレスが、今はやけにありがたく感じられた。
「あのさ、リリーってさ……」
なんとなく、口が勝手に動く。
頭の中には、さっきからぐるぐるしていた言葉があった。
「なによ……」
リリーがじろりと睨む。
蝋燭の光のせいか、その青い瞳はいつもより鋭く見えた。
「……ツンデレだよぬ、グボァ!!」
言い切るのと、リリーの肘が振り下ろされるのと、ほぼ同時だった。
みぞおちに、すさまじい衝撃。
彼女の全体重が乗った、見事な肘鉄が誠二の腹部に突き刺さる。
肺から、強制的に空気が絞り出されるような感覚が走った。
「~~~~っ!」
声にならない悲鳴を上げたところで――視界の端から、ゆっくりと色が抜け落ちていった。
蝋燭の灯りも、月明かりも、リリーの表情も、遠ざかっていく。
意識が闇へと引きずり込まれていく、そのぎりぎりのところで、誠二はぼんやりと考えていた。
(ツンデレって……異世界でも意味……通じるのかよ……)
そこで、完全に意識は途切れた。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
ボロボロの誠二と、口より先に肘が飛んでくる(?)ツンデレ気味なリリー回でした。二人の距離感は、少しずつですが確実に変わっていきます。
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