第22話:踏んだり蹴ったり
お読みいただきありがとうございます。
今日は、誠二が教会へ戻るシーンからの続きです。
ちょっとだけシスター・リリーの一面が見える回となっています。
ゆっくり楽しんでいってください。
たった一日とはいえ、大冒険を終えた誠二の体は、すでに限界に近かった。
丘の斜面を登るたび、足の筋肉がじんじんと悲鳴を上げる。
坂の上にある教会のシルエットが、夜空を背景に浮かび上がっている。高く伸びた尖塔は星明かりを背に黒い影となり、その根本を囲うように、敷地を分ける鉄製の大きな門が道を塞いでいた。
門はしっかりと閉ざされている。
街から見上げた時には、教会のステンドグラスから柔らかな光がこぼれていたはずなのに、今はその彩りも消え失せ、建物は闇の中に沈んでいた。代わりに、隣接する修道院の窓から、蝋燭かランプだろうか、黄味を帯びた薄い光がいくつか滲み出ている。
しかし、人の話し声も、祈りのささやきも聞こえない。
夜気はしんと冷え、風が石畳を撫でる音だけが微かに耳に届く。世界全体に布がかけられたかのような静寂に包まれ、誠二は、胸の奥をきゅっと掴まれたような感覚に襲われた。
(朝から今の今まで、ずっと誰かと一緒だったからかな……。
なんか、たった一日二日程度なのに、一人に弱くなってるのかも)
自分の中に生まれた違和感を確かめるように、誠二はそっと胸に手を当てた。
硬い胸当てと、革のグローブが擦れ合い、ぎゅっ――と小さな音を立てる。
周囲があまりにも静かなせいで、そのささやかな摩擦音でさえ、やけに大きく響いたように感じた。
いつまでも立ち尽くしているわけにはいかない。
誠二は小さく息を吸い込み、鉄の門に手をかける。
昼間に陽を浴びていたはずの鉄はすっかり冷えきっており、皮手袋越しだというに指先にひやりとした感触を伝えてきた。それでも、腕に力を込めて押す。
ギギギ――。
軋んだ金属の音が、静まり返った夜にいやに大きくこだました。
できるだけ音を殺そうとしたものの、古びた門はそんな遠慮を知らないらしい。
誠二は、どうにか人ひとり通れる程度に門を開けると、その隙間に体を滑り込ませる。
(もしかしたら、もうみんな寝てるかもしれないしな。あんまりうるさくするわけにはいかない……)
敷地の中に入ると、振り返って内側からそっと門を閉じる。
重い鉄扉が元の位置に戻るとき、短く低い音が鳴り、それきりぴたりと静まり返った。
鍵がないかと、門柱の周りを見回してみる。
けれど、目に入るのは荒く削られた石と、ところどころ剥げた塗装ぐらいで、それらしい鍵は見当たらない。
「……まあ、いいか」
ひとりぼっちで、誠二は修道院の方へと歩き出した。
靴底が敷地の石畳を叩くたび、こつ、こつ、と乾いた音が夜気に溶けていく。
道の両脇には、昼間には気にも留めなかった花壇が暗がりの中に並び、月明かりに縁取られた草花の影が、風に揺れて震えていた。ほんのりと、土と草の冷えた匂いが鼻先をかすめる。
やがて、修道院の建物が目の前に迫る。
朝方、自分の手で押し開けた大きな扉は、今はぴたりと閉ざされており、その合わせ目のわずかな隙間から、室内の光が細い線となって漏れていた。
「……よし。いっちょやったるか!」
誠二は小声で自分に気合を入れると、肩をぐるりと回して筋肉のこわばりをほぐし、大きな木の扉に両手をかける。
全身の体重を後ろに引くようにして、思いきり引っ張った。
朝と同じく、その扉はとんでもなく重い。
最初の数秒間はびくともしなかったが、地面を踏ん張り、歯を食いしばって力を込め続けると、やがてぎ……ぎぎ……と木がきしむ音を立て、ほんのわずかずつ動き始める。
汗ばんだ手のひらと古びた木の表面が擦れ、ささくれだった部分が掌に引っかかった。
ようやく、自分が通れる程度の隙間ができたところで、誠二は息を吐き、手を離す。
「ふう……」
軽く両手をぱんぱんと叩いて、手に付いた木くずと埃を払い落とす。
そのまま、できた隙間から体を横向きにして、こそこそと修道院の中へと滑り込んだ。
中へ入った、その瞬間だった。
青い瞳と、ばっちり目が合う。
「……っ!」
思わず喉の奥から声が飛び出しそうになり、誠二は慌てて片手で口を押さえた。
視線の先、入口からすぐの場所に置かれた一人掛けの椅子に、リリーが腰かけていた。
朝見たときと同じ修道服を身にまとってはいるものの、頭を覆っていたベールは外されている。代わりに、修道服の黒とよく似た色の髪が、その下からのぞいていた。
ただ、その髪は、誠二の記憶の中のリリーとはまるで違っていた。
肩にかかるどころか、うなじのあたりでばっさりと切り揃えられた、男性でも短いと言われそうな長さ。白い髪が、蝋燭の明かりを受けてほのかに輝いている。
一瞬、本気で誰だか分からなかったほどだ。
それほどまでに印象が違って見えた。
リリーは椅子に浅く腰掛け、腕を背もたれに預けてこちらを見ている。その視線には、眠気とも退屈ともつかない色がにじんでいた。入口の真正面という位置のせいで、誠二が中に入ったと同時に、ストレートに目が合ってしまったのだ。
リリーが、ゆっくりと口を開く。
「突っ立ってないでよ。寒いんだけど」
「え? ……ああ、わりぃ! すぐに扉閉めるよ!」
慌てて誠二は、背後で開いたままになっていた扉に飛びつくようにして両手をかけ、押し戻した。
扉が閉じる前、外気が細い隙間をすり抜けてひゅっと鳴り、冷たい風が廊下の床を撫でていく。
扉がぴたりと閉じると、修道院の中に残ったのは、蝋燭の明かりと、夜の静けさだけだった。
誠二はようやく振り返り、リリーの方を見やる。
彼女は先ほどと同じように椅子に腰掛けたまま、片腕を背もたれに回し、脚を組んでいた。修道服の裾から覗く脚と、そのラフな姿勢は、「シスターらしさ」とはだいぶ遠い。
「えーっと……なにしてるんだ?」
恐る恐る問いかけると、リリーは眉一つ動かさないまま、ため息まじりに答えた。
「あんた、鍵のかけ方知らないでしょ」
「えーっと……まあ」
言葉に詰まった誠二は、さりげなく扉の周りに視線を走らせる。
そこには、扉の内側の柱に取り付けられた、鉄製の四角い輪が三つ。そのすぐ傍には、ホコリをかぶった細長い木の板が、壁に立てかけられている。
(これ……たぶん閂だよな)
そう察しはしたものの、下手なことを言ってさらに怒らせたくはない。誠二は、喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、静かに口を閉じた。
「だから、誰かがあんたが帰ってくるまで起きてなくちゃいけなかったのよ」
リリーは、わざとらしく肩をすくめ、ぼそりと言う。
「それは……ごめん。明日から気を付けるよ」
誠二は苦笑いを浮かべ、右手を頭に当ててかきながら謝った。
申し訳なさと気恥ずかしさが混じった表情のまま、ぺこりと頭を下げる。
リリーはそんな誠二をちらりと一瞥すると、静かに椅子から立ち上がる。
そして、ホコリをかぶっていた木の板の前まで歩み寄り、それを片手で持ち上げ、鉄の輪にはめ込んだ。
それはまさしく閂だった。
ただ、その木の板は、見ているだけで心配になるほど軽そうで、表面にはひびが入り、ところどころ朽ちている。
こんなものが本当に扉の鍵として役に立つのかと誠二は内心で首をかしげる。
だが、逆に言えば、それだけこの国が平和だということなのかもしれない。
「そうだ! 教会の手伝いを――」
何か思い出したように口を開いた誠二よりも先に、リリーの声がすぱっと割り込んだ。
「もう全部終わった。
てか察し悪いわね。もう皆、とっくに寝たわよ」
彼女は誠二とは目を合わせず、そのまま彼の横を通り過ぎて廊下を歩き出す。
ランプの灯りに照らされた横顔は、無表情に近く見えた。
置いていかれまいと、誠二も慌てて足を速め、その背中を追いかける。
「そっか……悪いことしたな」
歩きながらぽつりとこぼすと、リリーの肩がわずかに動いた。
「悪いと思ってるなら、冒険者なんかせずに、こっちを手伝いなさいよ」
廊下に並ぶ部屋の扉を横目に見ながら、リリーはぶっきらぼうに言う。
蝋燭の光が石壁に揺らめき、二人の影を長く引き伸ばした。
「それができたらいいんだけどさ……ずっとここにいるわけにもいかないし」
誠二の言葉が終わるのとほとんど同時に、リリーの足がぴたりと止まった。
誠二も慌てて歩を止め、彼女の横に並ぶ。
視線を横に向ければ、ランプの明かりに照らされたリリーの表情が見えた。
声の棘からは、苛立っているようにも思えた。
だが、実際に目に入った彼女の顔は、ほとんど真顔に近い。
ただ、ほんの少しだけ眉尻が下がっていて、その陰りが、どこか寂しそうにも見えた。
「朝からそんな気がしてたんだけど、もしかして……心配してくれてる?」
ふと、胸の内で引っかかっていた疑問が口をついて出る。
その瞬間――
誠二の足に、鋭い痛みが走った。
「っ……!」
反射的に視線を落とすと、リリーの足が誠二の足の甲にしっかりと乗っていた。
彼女は無言のまま、ぐりぐりと体重をかけて踏みつけている。
革のブーツのおかげで、直接骨に響くような痛みは和らいでいるものの、その分、遠慮なく力を込められているせいで、十分に痛かった。
「いった! いたいいたい! 冗談言って悪かった!!」
慌てて謝ると、リリーはさらに足に込める力を強める。
一度、彼女の足がふわりと誠二の足から離れたかと思うと――
ドンッ、と再び勢いよく踏みつけられた。
「ちょ、たんま! たんま!」
たまらず誠二は彼女から距離を取り、両手を前に突き出して静止のポーズを取る。
リリーはそれ以上追撃してくることはなかったが、やはり顔は見せないまま、くるりと踵を返して廊下を歩き出した。
石の床を打つ靴音が、一定のリズムで遠ざかっていく。
「そこ、お風呂だから。寝る前に入って。
あなた、鉄くさいわ」
振り返りもせずに投げられたその一言に、誠二は自分の鎧に染み付いた血と汗の匂いを改めて意識させられた。
「ああ……分かった」
短く返事をする。
彼女の背中はもう少し先の廊下の曲がり角に差しかかっており、淡い灯りの中で影になっていた。
その影を見送りながら、誠二は、足の甲の鈍い痛みと、胸の奥のじんわりした温かさを同時に抱え込むように、そっと息を吐いた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
二人の描写はまだ続きますので、次回もぜひお付き合いください。
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