第19話:クエストクリア、おつかれさまです
夜のギルドへ帰還した誠二とヴェンデッタ。眠気の残るまま報酬精算へ――酒場の喧騒、焼けた肉の匂い、受付嬢ナタリー、そして御者へのチップ。初めての「稼いだ重み」を描く小話です。
身体をゆさゆさと揺すられ、誠二は重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。薄闇の荷台に橙の筋が差しこみ、赤い頭巾の陰から切子細工のような緑の瞳がのぞく。縁からこぼれた金の髪が外灯を拾い、細い糸のように光った。ヴェンデッタの、近い顔。
「おはよう。町に着いたわよ」
藁と革のまじった匂い。冷えた木枠。車輪の揺れは止み、戸板の隙間から滲む橙が、外がもう夜の色に傾いていることを告げていた。どうやら誠二は馬車で眠り込んでいたらしい。
「すまん。疲れて……寝てたみたいだ」
「寝るなら家で寝なさい。ほら、起きた起きた」
彼女は遠慮のない手つきで誠二の腕をつかむ。細い指先とは裏腹に力強く引き起こされ、ミシッと床板が鳴った。立ち上がると、さっきまで目線より上にあった彼女の顔が胸の高さまで下がり、頭巾の影で表情が少し見えづらい。
「ふわあ……ありがとうな。……それじゃ、またあしたぁ――」
「ちょっと待ちなさい! 何のためにクエスト頑張ったと思ってるのよ。報酬をもらいに行くの!」
「……ああ、そうだった!」
寝ぼけた足が縁にかかっていたところを、きっぱりした声が引き戻す。
(あっぶねえ。命を張って稼いだ実りを落として帰るところだった)
荷台から外へ出ると、夜気が頬を撫でた。どこからともなく肉を焼く匂いが漂い、香ばしい脂と香草の煙が鼻腔をくすぐる。露店でも出ているのだろう、町全体が淡い湯気のような旨い匂いに包まれていた。御者台は空で、革の鞄だけがぽつねんと置かれている。
誠二がぴょいと飛び降りると、石畳が足裏を硬く受け止めた。一日中、畑の柔らかな土を踏んでいたせいで最初はわずかに違和感。しかし現代日本で育った身には、どこか落ち着く平坦さでもある。
(この硬さ、懐かしい)
後ろからヴェンデッタも荷台に身を乗り出した。
「ほら、ヴェン! 手、貸すよ!」
手を差し伸べると、荷台の高さのぶんだけ視線が同じ高さで結ばれる。近い距離で翠がきらりと揺れた。
「……別にいらないわよ」
そっけなく言って、彼女はぴょんと軽やかに跳ぶ。音もなく隣へ着地し、背の大きな鞄だけがゆさと揺れた。目元は平然、だが口角がごくわずかに上がる。
(仲良くなれたと思ったんだけどな。今のはちょっとクサかったか)
宙に残った掌を外套にそっとしまい、誠二は咳払いでごまかす。ヴェンデッタは御者席に置かれていた革袋を片手で取り、彼の脇をすり抜けてギルドの扉へ向かう。
「ほら、さっさとついてきなさい。早く寝たいんでしょ」
「……あ、ああ。分かった」
彼女は振り返って声をかける。先導しながら立ち止まって待つのは、今日が初めてかもしれない。その行動には少し驚かされる。
(仲良くは……慣れたっぽいな。ちょっと……いや、めちゃくちゃ優しい!)
誠二は頬をゆるめ、小走りで肩を並べた。二人で重い扉に手をかけ、ぐっと押し開ける。
むわっと湿った熱気と酒の匂いが、夜の涼しさを押し返して吹き出した。日中よりも人が多い。カウンターの高椅子は片づけられ、中央には木樽が日中よりも多く置かれ、その周りで冒険者たちが木のジョッキを掲げている。壁の灯りは橙に滲み、床板はこぼれた酒で黒く艶めき、笑い声と歌が梁を震わせた。
ヴェンデッタが何か言ったが、酔客のどよめきにかき消された。彼女は短く息を吐き、誠二の手首を取って一直線にカウンターへ。横顔は少し呆れ顔、それでも目尻がほんのり柔らいでいる。
「――あっ、冒険者様、お疲れさまです!」
銀縁の眼鏡に長い黒髪の受付嬢が、ぱっと花が咲くように笑った。朝、冒険者登録を担当した女性だ。灯りの色のせいか、頬が薄く朱を差して見える。
「え、えへへ……あ、ありがとうございます」
誠二の鼻の下が自覚できるほど伸びる。
(うわ、かっわいい……やっぱ、この世界の人って美人ばっかりだなあ)
次の瞬間――
「……っ」
ヴェンデッタの肘がそっと脇腹に入った。折れ気味の肋骨へ電撃が走り、膝がカクンと鳴る。
「ぐ、ぐああ! いってぇ!」
「ごめんなさい。荷物が重くてよろけちゃったわ。――ありがとう誠二、支えてくれて」
台詞は柔らかいが、目元はジト目で針のよう。誠二がうめく間に、革袋がどさっとカウンターへ置かれた。カウンター越しの職員の苦笑いが、さらに追い打ちをかける。
「中、拝見してもよろしいですか?」
「ええ、確認お願い。数は十二。全部、グリン・ゴブリンよ」
受付嬢は紐を解き、顔色ひとつ変えずに中身を確かめる。革と血の匂いがむっと立つのに、まつ毛ひとつ揺れない。綺麗な人が平然としている――この世界の当たり前に、誠二の目はまだ少し慣れない。
確認を終えると、彼女は袋の口をきゅっと縛り、手元に置いた。
「はい、確認が取れました。グリン・ゴブリン十二体の討伐、お疲れさまでした。報酬をご用意しますので、少々お待ちください」
「ええ、ありがとう。――それと報酬の二割は御者に。いいわね、誠二?」
「もちろん。御者さんには世話になったし、いわゆるチップってやつだろ。いっそのこと、三人で山分けでも――」
「それは嫌.。報酬の二割を彼に渡してください」
言い終える前に、ヴェンデッタが静かに言葉を挟む。橙の灯に縁どられた翠の瞳が細くなる。カウンター奥へ消えかけた受付嬢が、ふと目を丸くし、すぐにこりと笑う。
「報酬の内、二割。ずいぶん気前がいいんですね。承知しました」
扉が閉まり、喧騒がふたたび押し寄せる。樽がごとりと鳴った。ヴェンデッタは誠二を横目で一瞥し、短く顎を引く。
「あの感じ、もしかしてチップとか払わなくてもよかったの?」
「あくまで御者へのチップは任意よ。相場は多くても一割。――でも、私たちは二人パーティでしょ」
「……一割だと、俺たちの分配が面倒だから、ってことか」
誠二が顔を上げると、ヴェンデッタは小さく首を縦に振った。
「加えて、先輩からのアドバイスよ。御者は足を出すだけじゃない。道中の運搬と固定、怪我人が出たときの応急手当や担架、討伐現場での第三者証言。門では通行証のやり取り、橋が落ちていれば迂回路の選定、雨上がりなら泥道の見極めまでやる。荷の重量と数の見届け人にもなるし、戻れば時刻・場所・天候・遭遇魔物を帳面にまとめてギルドへ回す。御者印のある納品は処理が早いし、彼らは町と町を走る情報の網でもある――良い宿や鍛冶屋、治療院の紹介から、危ない野盗の噂まで。嫌われたら、冒険者として終わりよ」
「ただし、渡しすぎれば他の冒険者から疎まれることもある。だから程度は大事なの」
「……なるほどたしかに。それならちゃんとしないとな」
「お待たせしました!」
さっきより半音高い声がして、受付嬢が両手に革袋をひとつずつ提げて戻ってきた。目尻がふわりと下がり、自然な笑み。
「御者さん、とても喜んでおられました。“足に困ったらいつでも頼ってくれ”とのことです!」
ヴェンデッタは一瞬だけ頬を緩め、すぐ涼しい顔に戻す。
「あら、なら良かったわ。またよろしくって伝えて」
「はい。それでは――クエスト報酬、五千ゴールド。うち二割の千ゴールドを御者様へ。残り四千ゴールドをお二人へ、二千ゴールドずつ。ご確認ください」
ドサッ。置かれた袋の重みで、木のカウンターが低くきしむ。ずしり、と腕に広がるのは紛れもない金属の重さだ。
「ありがとう。そちらもお疲れさま」
ヴェンデッタが片方を取って軽く頷く。誠二は棒立ちのまま袋を見つめ、彼女にじろりと見上げられて肩をびくつかせた。
「何してるの。早く受け取りなさい。片方はあなたの取り分よ」
「あ、ああ。そうだよな」
袋を受け取ると、二の腕にじわりと重みが乗る。鼓動が速くなる。
(これが……自分で稼いだ金の重み。今までバイトもしてこなかったから。人生で初めてのお給料だ)
「クエスト完了です。お疲れさまでした!」
受付嬢は両手を胸前で組み、深々と頭を下げた。その所作に、実感がどっと押し寄せる。誠二は袋の布目と結び目を宝物のようにまじまじ眺め、隣へ視線を移した。
ヴェンデッタはすでに口を開け、冷静に中身を確かめている。視線に気づくと、口角をほんの少し上げた。
「……初報酬ね。おめでとう」
声音はいつもより半歩低く、どこか先輩の響き。そのひと言に、誠二の頬が熱を帯び、目がすこし潤む。
(やったな、俺)
「ありがとう。これが……お金の重みなんだな。すっげぇ」
「ったく。中身を確認しなさい。大事なのは袋じゃなくてコインでしょ」
「わかってる。けど……もう少しこの余韻に浸らせてくれ」
誠二が袋にほおずりしはじめると、ヴェンデッタと受付嬢は同時に目を細めた。完全に珍獣を見る目である。
「好きにしなさい。――私はこのあと用事があるから、ここで解散でもいいかしら」
ヴェンデッタは大きな鞄を床に下ろし、内側からさらに大きなマネーバッグを取り出すと、コインをさらさらと移し替え、紐をきゅっと固結びにした。空になった小袋はカウンター越しに受付嬢へひょいと返す。
「この革袋、返したほうがいいんですかね?」
「ご安心を。本来は差し上げるものですが、かさ張るので返される方も多いんです」
受付嬢がにっこり笑う。誠二は自分の袋を腰の**背嚢**に大事に詰めた。
「えっと、ここで解散ってことで。俺は構わないぞ」
「そう。それじゃあお先に失礼するわ」
踵を返しかけたヴェンデッタが、ふいに足を止め、半身だけ振り向く。頭巾の影から緑が細く笑い、口元を引き締めた。
「報酬はたくさん入ったけど、羽目は外しすぎないこと。明日も朝からクエストなんだからね」
「わかってる。――ていうか今から教会に戻って、シスターさんたちの手伝いだし。遊んでる暇なんてないって」
「……そう。ならいいけど」
少し不機嫌そうな顔のまま、彼女は背を向けて歩き出した。
「なあ、ヴェン! 外、暗いけど――家まで送ってくか?」
背へ投げた声に返事はない。ヴェンデッタは手をひらひらさせて早足になり、ギルドの階段を上がって二階へ姿を消した。
「エールでも飲んいかれたらどうです?」
一人になった誠二に、受付嬢が気遣う声をかける。
「いえ……用事が終わるのを待つのも嫌がられそうですし。実際、教会での手伝いも残ってるので。今日はおとなしく帰ります」
少し寂しそうに苦笑して答えると、彼は深々と頭を下げた。
「今日は色々ありがとうございました。これからもご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします!」
「そ、そんな! 顔を上げてください!」
慌てて両手を前に出して制す受付嬢に、誠二は「すみません」と頭を上げる。
「――あ、私の名前はナタリーです。長いお付き合いになるでしょうし、名前で呼んでください」
柔らかな微笑みが添えられる。
「……はい。よろしくお願いします、ナタリーさん」
軽く会釈して、誠二はギルドを後にした。向かう先は教会。
ダリアとの約束どおり、シスターたちを手伝う時間が、静かに始まる。
御者は“足”以上の相棒――運搬・応急・記録・情報の要。だから礼は一割、渡しすぎは角が立つ、が今回の肝でした。




