第15話:頭を使った戦い方。ゴブリン大粉砕
いよいよ主人公・誠二の初実戦。麦畑で火花が散る、血沸き肉躍るバチバチの攻防を存分にお楽しみください。
それは、醜悪な化け物だった。
肌は緑とも灰ともつかぬくすんだ色。体格は子どもほどだが、顔には老人めいた皺が深く刻まれ、むき出しの牙が唇を裂いている。節くれ立った樹の棍棒を握り、草いきれの中に鉄臭い獣の匂いを撒き散らす。二人を射抜く眼だけが、湿った獣道のように暗い。
前方に七、畑の中に五。囲まれてはいない――だが数の差は歴然だった。
こちらは誠二とヴェンデッタの二人。とりわけ誠二にとっては初めての実戦である。背筋を冷たい汗が伝い、握ったグラディウスが小刻みに震える。重い。いや、重いのは剣ではなく、恐怖だ。
「畑は後回し! まず目の前の七体!」
「了解! ……でも、さすがに怖いな、これは」
「――来るわよ」
言い終えるより早く、小柄な三体が地を蹴った。土塵が低く舞う。影のような速度で三メートルへ。先頭が棍棒を大きく振りかぶり、跳躍した。
それより速く、誠二の横を赤い影が抜ける。ヴェンデッタだ。
飛びかかりの軌道を一瞬で見切り、先に地を蹴ってふわりと浮く。上を取る。軽やかに閃いた膝が、がら空きの顔面へ――湿った破砕音。骨と軟骨が同時に潰れ、ゴブリンは空中でのけぞったまま後頭部から落下、二度三度痙攣して沈黙した。
着地と同時、ヴェンは地面を滑るように回転し、その勢いを殺さず前へ。迫る二体は無視して、さらに奥へと切り込む。
「二体は任せる!」
「おう!」
掛け声の頃には、二体のゴブリンがもう鼻先にいた。先程の一撃で学んだのか、飛びかからない。互い違いに散って、じりじり間合いを詰めてくる。
(命の取り合い……馬車で想像してたときは、正直、手が震えた。けど、目の前で始まると――)
背を取られたら終わる。ならば先手必勝。
誠二は背後を狙う横の一体ではなく、正面で棍棒を突き出して牽制する個体へ、両手で剣を振りかぶって突っ込んだ。
当然、大ぶりで遅い。迎撃好機と見たゴブリンが棍棒を振り上げ――その瞬間、誠二は踵で地を噛み、強くブレーキ。溜めた慣性だけを刃に乗せ、グラディウスを放る。
不意の投擲に反応が遅れた。半回転した刃が胸板へ――ずぶり。苦鳴とともに棍棒が落ち、両手が自分の胸をかき抱く。
誠二は踏み込み直す。だが横の一体はすでに距離を詰め、振りかぶっている――呼吸一つの猶予もない。
誠二は目の前のゴブリンの腕を掴んだ。ぶよぶよした生温い肉が指にまとわりつく。構っていられない。全力で引き寄せ、そのまま迫るもう一体へ突き出す。
刹那、横からの一撃。
紙一重で誠二の動きが勝り、胸にグラディウスを突き立てられた個体の脳天へ棍棒がめり込む。湿った破砕音。血飛沫が霧になって、誠二と残りの一体の顔を赤く染めた。
誠二は落ちた棍棒を拾って走り抜け、数メートル下がって呼吸を整える。生き残った一体は同族の死骸を蹴り払い、汚れた手で顔の血を拭うと、ぎらついた目で睨み付けてきた。
「……目の前でやってみると、案外、冷静でいられるもんだな」
片手で棍棒をぶら下げ、間合いを測る。耳も働かせる。近づく足音はない。御者は荷台に隠れたらしい。今は目の前に集中できる。
(さて、どうする。正面から殴り合っても勝てる気はしない。自分の手で“直接”ってのにも……まだ抵抗が――)
考えが形になるより早く、ゴブリンが跳んだ。重力を味方に棍棒を振り下ろす。剣道の癖が体を動かす。誠二は棍棒を斜めに構え、受ける。
ガツン、と木と木が噛み合う硬い音。腕に電流のような衝撃。棍棒がはじけ飛ぶ。受け流しは成功し軌道は逸れたが、着地の反動を利用して横薙ぎが来る――
直撃。鈍い音。横腹に火がついたような痛み。内側で骨が軋む。肺が圧迫され、空気が押し出される。
「カハッ……!」
声にならない。体の自由が奪われる感覚。それでも歯を食いしばる。
誠二は脇腹にめり込んだ棍棒を腕で抱え込むように固定した。視界が白むほどの痛み――それでも押さえる。
「『任せた』って言われてさ……ここで負けるとか、かっこわりぃだろ!」
ゴブリンが力任せに引き抜こうとした、その刹那。
誠二は腕から力を抜いた。あまりにあっさりと――だからこそ、相手の体勢は崩れる。大きく仰け反って背中から転倒、大の字に倒れ込む。
逃さない。
誠二は飛びかかって馬乗りになり、細い首に両手を回す。喉が軋み、「グ……ギギ」と泡立つ音。そんな中、ゴブリンの右腕に力が集まる気配――
頭突き。
乾いた破砕音。鼻梁が砕け、温いものが顔へ撒き散る。鉄の味が舌に張り付く。
やめない。締めながら、額を何度も叩きつける。
「俺は! 弱いからよォ! 頭使って、戦うんだよ!!」
十数発目には、相手の四肢は力を失っていた。舌がだらりと出て、血が土へ滲む。最低限、意識はない――いや、もう動かない。
「……ふぅ」
荒い息を吐き、ヴェンへ視線を移す。
ちょうどその瞬間、彼女は地を滑って脚の間をすり抜け、足首をさらって引き倒した。背に落ちた相手の腕関節を踏み砕き、短剣の切っ先を背から胸の中心――心臓へ。音もなく沈め、引き抜く。道を塞いでいた七体目が、静かに崩れた。
「……ふぅ」
ヴェンは頬の血を袖で拭い、誠二を見る。視線が合う。
緑と黒の瞳。だが、どちらの顔も同じ赤で濡れていた。
「大丈夫? 怪我は」
「滅茶苦茶痛い! 腹に一発もらった!」
「生きてるのね! なら無傷と同じ!」
広い麦畑に、二人の声だけが浮く。
その声を裂いて、畑の緑からさらに三体が飛び出した。一直線にヴェンへ。
最後の抵抗――だが一瞬で断たれる。
大きな岩を抱えた個体が飛び込む。ヴェンは最小の軌道で身を外し、岩が通り過ぎる瞬間、逆手の刺突短剣を順手に返して喉元へ滑り込ませた。重力を足した刃は抵抗なく喉から頭蓋へ抜け、命を断つ。
両脇に着地した残る二体――一方は棍棒、一方は素手。
ヴェンが先に選ぶのは棍棒持ち。突き立てた刃を引き抜き、低い姿勢で地を蹴る。這うような速度は、相手の想像をやすやすと越えた。振り下ろされた棍棒は空を切り、足元を瞬きの間にすり抜ける。両手の短剣が踝の腱を断った。支えを失った体が前へ崩れるより早く、ブレーキ、切り返し、背へ蹴り。弾かれた体は、ちょうど側へ来た仲間へ倒れ込み、二体まとめてもつれ落ちる。
ヴェンは短剣を投げた。吐息のような囁きが添う。
「……ヴォルテ」
ふわりと離れた刃は、次の瞬間、銀の線となって加速する。絡み合う胴をまとめて貫き、胸郭に風穴を穿った。
(これで十体……じゃあ、あと二体は!?)
黒い放物線が視界を横切る。野球ボールほどの石が飛ぶ。人を殺すには十分な質量。
「ヴェン――!」
誠二の声より早く、彼女は首を傾げていた。石は紙一重で頬を掠め、空へ抜ける。ヴェンは反転し、飛来方向へ葉型の短剣を投げる。
「……ヴォルテ」
刃が麦の緑に消え、畑の奥から断末魔。「グギャアアアア!!」
「セイジ! 最後の一体――そっち!」
誠二の正面の麦が揺れ、ゴブリンが飛び出した。地を蹴って一直線。武器はない。
誠二は即座に足元の砂を掴み、顔へ叩きつける。
ゴブリンが一瞬ひるむ。だが目を閉じたまま突っ込んできた。視界を失っても止まらない――踏み外した足が、倒れていた同族の手を踏み、派手に転倒する。
誠二はその隙に、下敷きの死体が落とした棍棒をもぎ取り、静かに立ち上がる。砂利がさくりと鳴る。ぴくり、と耳が動き、顔がこちらを向く。
(見えてる……違う、聴覚だ。さっきヴェンが言ってた。こいつらは洞窟に住む夜行性――なら、異様に耳がいい可能性がある)
両手を前に伸ばし、音に向かって駆けてくる。
誠二は息を潜め、音を殺して棍棒をゆっくり振りかぶった。
リーチに入った瞬間――振り下ろす。
濡れた破裂音。脳天に命中した棍棒の手応えが骨を通して掌へ返る。ゴブリンは地へ叩きつけられ、二、三度痙攣して、動かなくなった。
顔を上げると、ヴェンが親指を立てている。
誠二も痛みを堪えながら、にやりと返す。親指を、同じく立てて。
――田中誠二、初めての戦闘。
大勝利にて、幕を下ろした。
戦闘は無事終了。無傷とは言えないけれど、誠二はしっかり立っている――そして意外な才能の片鱗も。次回は戦後処理と余韻です。




