第14話:漢の恥、そして堅い胸当て
戦闘に入る前の.....嵐の前の静けさです。
クエストを受注した誠二とヴェンデッタは、二人きりの貸し切り状態で馬車に揺られていた。御者台にはギルド専属の御者。手綱さばきは熟練のもので、家並みの続く居住区を抜けると、視界はいっきに緑色の麦で満ちる。どうやらこの国は、中心に人々の暮らす街があり、その外周を麦畑、さらに外に草原や森、湿地が輪のように取り囲む地形らしい。二人が向かっているのは――ゴブリンが出没しているという、麦畑と森の境だ。
誠二は依頼書を手に内容を追い、ヴェンは外を流れる風景に目を細めている。
「なあ、ヴェン。そのさ……なんでさっきから周りの人に対して、その……つんけんしてるっていうか……不愛想にしてるんだ?」
酒場のカウンターで冒険者二人に絡まれたことを思い返しながら、誠二は疑問を投げた。
「……冒険者だからよ。さっきも言った通り、冒険者はまともな仕事じゃない。そんな仕事をやる連中も、だいたいまともじゃない。いつこちらを騙すか分からないから。あなたも人が良さそうだし、気をつけなさい。騙し、裏切り、利用――それが冒険者の常よ」
風にあおられて赤頭巾がたなびき、金の髪の隙間から緑の瞳がのぞく。言い切る横顔には、どこか悲しげな影が差していた。
(この子、初めて会った時から何かと気にかけてくれた。つんけんしてるところもあるけど、それでも人の良さが溢れてて、こぼれ落ちてる。……たぶん、この性格のせいでいろいろ苦労したんだろうな)
気づけば誠二の視線は羊皮紙から少女へ移り、黒と緑の瞳が正面からぶつかった。
「どうしたの? ……私の顔に何かついてる?」
「いや! 別に何も……」
ヴェンは本気で気にしたのか、外套の端で頬をぬぐう。皮肉でも何でもないらしい。その素直さに誠二は内心驚き、同時に訪れた沈黙の気まずさに、視線を持て余す。
「あのさ、ゴブリンっていうのは……どういう生き物なんだ? 俺のイメージ的には、緑色で、ちっちゃくて凶暴なモンスターってイメージなんだけど?」
「そうね……おおむね正しいわ。基本的に日中は穴や洞窟に潜って、夜になると外に出て狩りをする。だから、こうやって日中に出るのは珍しいの。――珍しい分、腹も減っていて、気が立ってることが多いけどね」
誠二の中に、未知への恐怖と好奇心が同時に芽吹く。
「どれくらい強いんだ? 俺でも勝てるかな」
「……もしかしたら負けるかもね」
血の気が引いた。目の前の少女は実質的に魔物の専門家だ。その彼女が「負けるかも」と言うのなら、誠二にとっては恐怖以外の何物でもない。
「あなた、自分が貰ったギフトのこと、全然分かってないんでしょ。ギフトが分かれば負けようがない。でも分からないなら、見たところただのひ弱な男だし」
「ギ……フト?」
「あ、いや! そうだな! たしかに!」
(危ない。この子には“転移のタイミングでギフトを貰った”って、嘘をついてたんだった)
裏返った声に、ヴェンはわずかに眉をひそめる。嘘が露呈するのを恐れ、誠二は話題を巻き戻した。
「ひ弱だもんな、俺。でもそれじゃあ、なんでこのクエストを……」
「私たちの体は皆、一様に“神様の加護”を受けてる。努力した分が報われるように。だから、戦えば戦うほど、体は戦闘に特化して成長する。無理してでも戦いを重ねた方が、結局は強くなれるのよ」
「つまり、ゲームとかのレベルアップシステムみたいなもの……なのかな」
理屈は分かる。ならば――
「たしかに、それなら戦って強くなるしかないもんな!」
気合と共に立ち上がった、その瞬間。車輪が石を踏み、馬車が大きく跳ねる。誠二は体勢を崩し、盛大に尻もち。
「なにやってるのよ。危ないわよ」
「ごめんごめん。ちょっと気合入りすぎた」
強がって笑う誠二に、ヴェンの視線が腰の剣へと滑る。
「ちなみにあなた、剣の腕は? 腰にいい物を挿してるみたいだけど」
指さすのは誠二のグラディウスだ。
「ああ、あんまり……かな。友達の影響で中高の六年間、剣道部に入って……」
ヴェンの思考が単語で詰まるのが見て取れた。口が小さく開いたまま、ぽかんと止まる。
「ええと……六年くらい“剣の稽古”はしてたけど、さぼりがちで。強さは全然。年下の女の子に負けるくらいには弱い……かな。腕力もほとんどないし」
言い換えると、ヴェンの口が“かちり”と閉じた。分かりやすい。
「でも、最低限の型はあるのね。なら良かったわ。それに――タイミングもばっちり……」
「タイ……ミング?」
彼女の口元に薄い笑みが浮かぶ。目尻がわずかに和らぎ、口角が上がる。その気配で誠二は大体を察し、苦笑を浮かべた。
「――止まれぇ!」
御者の絶叫。きぃ、と鋭い制動音。車体が前のめりに沈み、二人は同じ側の壁へと投げ出される。誠二は反射でヴェンの外套を掴み、抱き込んだ。背中から壁にぶつかり、衝撃を一身に受ける。
「ゴブリンだ! 前方の道に七、畑に五! こっちを――狙ってるぞ、こんのくそだらが!」
御者の怒鳴り声。誠二の腕の中、ヴェンの体は無事だ。残念ながら革の胸当ては硬いが、彼女に怪我はない。誠二は後頭部に鈍い痛み――出血はなさそうだ。肺の空気が押し出され、声が出にくい。
「か、はっ……大丈夫か……?」
「ったく、なにやってんのよ!」
腕の中から顔だけこちらへ向け、ヴェンが怒鳴る。頭巾に隠れて表情は見えないが、怒り心頭の顔は想像に難くない。
「もう! 早くその手、どかしなさい! いま襲われてる最中よ!」
「え!? いや、ごめん!!」
誠二が慌てて放すと、ヴェンは素早く立ち上がり、外套の埃を叩き落とす。背を向けたまま、さっきとは打って変わった小さな声が落ちた。
「でも……その……ありがとう」
「……あたぼうよ! 助けてもらった恩もある。それになにより――女の子に怪我させるのを見てるだけなんざ、男としての恥だろ」
満面の笑みで言い切る。彼女の表情は見えない。それでも、その言葉を口にできただけで、背中の痛みが少し軽くなった気がした。
「それはそれ。――戦闘よ! 武器を抜いて外へ!」
「おう!」
ヴェンは荷台を疾走し、跳躍の最中に二振りの短剣を抜き放つ。猫のように柔らかく地面へ着地。誠二もよろめきながら立ち上がり、不慣れな手つきでグラディウスを抜いて飛び降りた。
真昼の光に灼けた麦の香。畦道の向こう、緑黒い影が地を蹴る。道に七、畑に五――十二の黄色い眼が、こちらを真っ直ぐに射抜いた。唾を飲み込む音が、自分の耳にだけやけに大きく響く。
ついにここまで来ました。長い道のりを経て、ようやく誠二の「初めての戦闘」が描けます。
不器用な青年が、初めて“命のやり取り”を経験する瞬間。その緊張と恐怖を、丁寧に描いていきます。
次回――血煙の中、彼が見せる“男の覚悟”を、ぜひお楽しみに。




