第13話:ギルドカードと初クエスト
冒険者ギルドにて、誠二はついに「冒険者」としての第一歩を踏み出す。
その胸に刻まれたのは、海の魔石〈グロウマリン〉の輝きと、「受けて、返す」という運命の言葉――。
初めて手にしたギルドカードとともに、彼の新たな旅路が始まろうとしていた。
誠二は、笑顔で見送ってくれたゴッデスとランに、はにかむように笑い返し、外套の隙間から親指を立てて合図した。先に歩き出したヴェンを追って、小走りで石床を叩く。さっきまで頬を紅らめていたはずの彼女の足取りには酔いの影など微塵もない。むしろ走り慣れていない誠二のぎこちない歩幅のほうが、場違いに見えるほどだ。
「待ってよ、ヴェン。さっきのお酒、払わなくていいのか?」
横に並んで問いかけると、ヴェンは視線を前に据えたまま、歩調も崩さず言葉をつないだ。
「ここのギルドは教会とのつながりが強いの。教会と隣の修道院のための仕事を優先的に、しかも格安で請け負ってる。それ以外にも狩りで出た獣肉なんかを分けたりもしてる」
「見返りに、教会が醸造しているエールや作るポーション、聖水なんかを分けてくれるのよ。その恩恵で、ギルドはエールを安く仕入れられる」
「それで、クラフト冒険者ギルドのギルドマスター――ガンガスは、冒険者同士の交流と士気を上げるため、一定量を無料提供にしてる。はじめの一杯は、ね」
薄い麦の香りと薬草の匂いが交ざる広間を抜けるあいだ、彼女の声音は淡々としているのに、どこか弾んで聞こえた。説明を終えると、ヴェンはふっと足を止め、くるりと誠二の方へ向き直る。琥珀色の瞳が下から覗き込む。
「ちゃんと聞いてた?」
「もちろん。つまり、国や街ごとに、冒険者ギルドの福利厚生――いや、冒険者へのサポートって結構違うんだな」
「正解。この国は、そういうところがわりと寛大」
彼女は顎で受付をしゃくった。
「――雑談はここまで。ほら、行ってらっしゃい」
視線の先、磨かれた木のカウンター。真鍮ランプが柔らかく灯り、奥では職員が笑顔で何かを手にしている。あれは――ギルドカードだ。胸の鼓動が一段、強く跳ねる。
「あれを受け取った瞬間から、あなたは“いちおう”冒険者よ」
ヴェンはその場に留まった。そばには来ない。誠二が助けを求めるように振り返ると、彼女は肩をすくめる。
「冒険者カードは、むやみに他人に見せるものじゃないの。ランクが上がるほど狙われやすくなるから。今のうちから身につけて覚えておきなさい」
背に軽く添えられた掌に押され、誠二は一歩、また一歩とカウンターへ。
職員の手にあるのは薄い石板――いや、間違いなく石だ。最下層のストーンランク。その名のとおり、カードは石から作られているらしい。
「発行が完了いたしました。お名前はセイジ様、ご年齢は20歳で相違ございませんね」
差し出されたカードはほんのり温かく、ざらりとした手触りに地下水のような涼しさが混じる。重さは見た目よりずっと軽い。表面には見慣れない文字が刻まれているのに、なぜか内容がするすると頭に入ってくる。日本語ではない――のに読めてしまうことに、誠二は内心たじろいだ。
「ランクはストーン。冒険のはじまりの等級でございます。そして――」
職員は石板の縁を指で軽く叩き、誇らしげに微笑む。
「セイジ様のカードに用いた石は〈グロウマリン〉。海の底で長いあいだ、潮と魔力を吸い込んだ石です。そして、ひとつ注意点が。グロウマリンは“音撃石”として扱われることがあり、強い熱や炎に近づけると大きな破裂音を立てます。火を吐く類の危険な魔物に近づく際は、カードを外套の内側にしまっておくなど、取り扱いにご注意を。――なにより、無茶はしすぎないこと。よろしいですね?」
「はい!」
誠二の素直な返事に、職員は柔らかく目を細めた。
「そういえば、少し気になったことがあって。さっきの言い方的に、ストーンランクのカードって、人によって使う石が違うんですか?」
問いかけると、職員はゆっくりと頷いた。
「はい。その通りでございます。発行の際、その時点で手元にある石を無作為に用います。ただ、どの石になったかを占いにかける風習もありまして、新米の皆さまの格好の話の種になっているんですよ。――あちらのご同伴者様とも、後ほど話題にされるとよろしいかもしれませんね」
パン、と職員が手を打ち、話に区切りをつけた。
「それでは最終手続きに入ります。カードと、こちらの印台に指先を。針は使いません。深呼吸をひとつ――息をゆっくり吐きながら、名前を心の中で唱えてください」
促されるまま、誠二は淡く光る印台に触れる。温い水に溶けるような感覚が皮膚から腕へ、胸の奥へと伝わってゆく。次の瞬間、カードの青と灰が潮騒のようにまたたき、表面の文字がわずかに組み替わった。
「……!」
「個人紐付けが完了しました。これで、このギルドカードはセイジ様のものです」
言われた通りに指で撫でると、石目の下から薄銀の文字が浮かんだ。名前、年齢、〈ストーン〉の等級。その空白だった欄に新たな記号が現れる――STR、VIT、DEX、AGI、INT、LUK。どれも一桁台だが、DEXとINTだけが他より明らかに高く、三倍ほどの数値を示していた。
職員は一瞬だけ目を丸くし、すぐににこやかな表情へ戻す。
「使用上の注意は三つ。ひとつ、常に肌身離さず。失くしたら直ちに最寄りのギルドで失効手続きを。ふたつ、第三者へ“見せびらかさない”。とくに酒場では。みっつ、施設の出入り口で“鍵”として使えますので、無理にこじ開けないこと。壊れると再発行に時間がかかります」
「最後に――〈グロウマリン〉の“石占い”を少しだけ。これは海の石。“溜めて、返す”。焦って掴みにいくより、受けてから返す者に向く、と言われます。潮の満ち引きみたいに」
「受けて、返す……」
胸の奥で何かが腑に落ちる音がした。この世界に来てから、誠二はいつも“受ける”ばかりだった。けれど、返す番は――これからだ。
「以上で手続きは完了です。ようこそ、クラフト冒険者ギルドへ。ご武運を」
会釈とともに一歩下がる職員。広間のざわめきが改めて押し寄せる。掲示板には羊皮紙の依頼が並び、卓上では銀のジョッキが触れ合って小さく鳴った。柱の陰には薬草束が吊るされ、どこかで焙った蜜蝋が甘い匂いを漂わせている。
振り返ると、ヴェンが腕を組んで待っていた。いつもの無表情――に見えるが、口元の線がわずかにやわらいでいる。
「おかえり、――冒険者さん」
軽く肘でつつかれ、誠二はカードを胸ポケットへしまう。
「そのカード、今は仕舞って。見せなくていい。……で、占いは何て?」
「“溜めて、返す”。海の石、グロウマリンだって」
「ふうん。じゃあ、今日は受けるほうは終わり。これからは返す番ね」
ヴェンは掲示板を指差した。
「さて、まだ午前。初めてのクエスト、行ってみましょうか」
二人は蜂蜜色の明かりの下、並んで掲示板へ。羊皮紙には、小さな絵と星印、そして依頼の文。竜のような影、奇妙な草、黒猫の姿。絵の下には星マーク――一つ星から五つ星まで。そして説明文。猫探し、紛失鍵の探索、清掃の手伝い――生活感のある雑務。スライムの討伐と素材採集。猪の討伐と解体。いちばん下には成功報酬。前金ありのものも混じっている。
「上から、絵が対象、星は難易度。少ないほど簡単。下が依頼内容らしいわ」
ヴェンが呟き、二つ星の紙を指す。緑がかった人影の絵。誠二は文字へ目を走らせた。
「川を占領する、パープルトードの討伐……か」
言葉が口をつくと、ヴェンがわずかに目を丸くした。
「あれ……俺、変なこと言った?」
「いえ。――文字、読めるのね、あなた。驚いちゃった」
「ああ。日本語じゃないのに、何故か読める。……ヴェンは読めないのか?」
「……そうよ。というか、読める人のほうが圧倒的に少ないわ」
(なるほど。さっきから口頭の説明が多いと思ったら、識字率の問題か。……あれ? にしてはSTRだとかの説明は無かったな。どうしてだろう)
「ねえねえ。じゃあ、これは?」
確かめるように別の紙を指差すヴェン。
「薬草の素材の……採取、だね」
「こっちは?」
「ポメラルドンの討伐。隣は教会への肉の配達。その上はヌマウオの採取」
「驚いた。以前、その絵で受けた依頼の内容と一致してる。本当に読めてるのね」
感心の色を浮かべる視線に、誠二は胸の内で小さくガッツポーズを作る。ここに来てから誰かの役に立てたと実感したのは初めてだ。
「それじゃあ……これは?」
つま先立ちで高い位置の紙を指すヴェン。誠二は背伸びして画鋲を外し、視線の高さまで下ろした。
「田畑を荒らす、ゴブリンの群れの討伐。星は三つ。追記で“アイアン以上推奨”ってあるな」
ヴェンは顎に手を当て、ひと呼吸だけ考え込むと、紙を指ではじいた。
「――とりあえず、これを受けてみなさい」
「いやいや、アイアン以上推奨だぞ? 俺はさっき冒険者になったばかりのストーンだし。流石に無理があるって」
「私がいるから大丈夫。とりあえず受けてらっしゃい。なにより貴方は……まあ、あれだから。大丈夫」
“転移者”と言いかけた言葉を、彼女は周囲を見て飲み込む。折れてくれる気配はない。誠二の逡巡を受け流し、無言で背中を押して受付へ歩かせた。
「冒険者なんだから、少しは頑張んなさい。やらない理由なんて、仕事上いくらでも出てくるんだから」
先ほどの職員が迎えてくれる。小柄な少女に背中を押されて運ばれてきた格好に、苦笑しながらも応対は丁寧だ。
「最初のクエストはお決まりですか?」
「ええ、決まったみたい」
ヴェンの返答に、さらにぐいっと背中を押され、誠二はバン、と紙をカウンターへ――思った以上に音が響き、周囲の視線が集まる。
「ええと……ゴブリンの群れの討伐、ですか。初めてにしては難易度が高いかと……」
「受けます。私が監督するから、問題はないわ」
ヴェンは外套の隙間から、職員にだけ見えるよう何かを示した。職員の目が一瞬驚きに見開かれ、すぐににこやかさを取り戻す。
「依頼内容は、田畑を荒らすゴブリンの討伐、および巣の特定・根絶。報酬は三千ゴールド。お間違いありませんね?」
「いや、ちょっと待っ.....」
「ええ。受けるわ」
「……承知しました。無事の達成を祈っています。頑張ってください!」
驚くほどすんなりと受諾が済んだ。同時に「頑張ってください!」の明るい声が広間へ弾けた瞬間、酔いの回った冒険者たちから歓声が上がる。
「あいつ、初依頼で星三だとよ!」「ひょろ長いくせに度胸あるじゃねえか!」「足の骨でも折ってこいよ、兄弟!」「お前みたいな野郎が魔王をぶっ飛ばすんだよな!」
声援とも野次ともつかない怒号が渦を巻く。その中で状況を理解しきれていないのは、誠二ひとりだけだった。自分には不釣り合いな依頼がすごい勢いで決まり、歓声が降る。悪い気はしない――が、困惑が勝つ。
「おいおい。しょっぱなから大丈夫かよ……」
袖を軽く叩く気配。見下ろすと、先ほど世話になったランが心配そうに見上げていた。小柄でがっしりした体躯に、煤の匂いがわずかに残っている。
「俺……今日で死ぬかもしれません」
半分冗談、半分本気の呟き。直後、強い力で腕が引かれる。ヴェンだ。
「死なせない。――行くわよ、セイジ」
蜂蜜色の光が背に流れ、入口の影が伸びる。誠二は胸ポケットのカードの冷たさを確かめ、深く息を吸った。海の石の占いが、静かに背中を押す。
次回――初任務「ゴブリン討伐」。おそらく。
果たして新米ストーンランクの彼は、生きて帰れるのか。




