第4話:首領会議
魔王城跡の広間に、乾いた風が吹き抜けていた。
崩れ落ちた石壁の隙間から、月明かりが差し込み、瓦礫の山に長い影を落とす。
かつて栄華を誇った大魔王の玉座は半ば崩れ、今はただ黒ずんだ破片を残すのみ。
それでもなお、この場に漂う威圧は消え去ってはいなかった。
セリーナは胸に冷たい空気を吸い込みながら、隣を歩くリオネルに視線を向けた。
「で、具体的にこの魔族領って今はどうなってるのかしら?」
リオネルは沈黙を貫いたまま歩みを止めず、ややあって赤い瞳を伏せた。
その声音には、深い疲労と諦めが滲んでいる。
「……四天王がそれぞれの利権を握って争っていると話しただろう。竜王は山を崩し、海王は航路を奪い、蛇王は影から民を操り、炎姫は宴と称して村を焼く。力なき魔族は踏みにじられ、秩序はない。魔王亡き今、誰も統べる者がいないからだ」
セリーナは小さく眉をひそめ、肩をすくめた。
「なるほど、思ってた以上に救いがないらしいですわね。でもその秩序を保つのが、魔王の息子である貴方なのではなくて?」
リオネルは一瞬だけ顔を歪め、唇を噛む。
「……悔しいが、その通りだ」
その声の奥に、どうしようもない自責と憤りが混ざっていた。
セリーナは片手を広げて、いたずらっぽく笑った。
「まあ、その手助けをするという約束なのだから、ここはひとつわたくしに考えがありますわ。リオネル、ここにその四天王とやらを呼び出してもらえないかしら?」
「なんだと……?」
リオネルの赤い瞳が大きく揺れる。
「わたくしが直接、話をつけますわ」
彼女の口調は軽い。しかし、その笑みに隠された強さを感じ取り、リオネルは眉を跳ね上げた。
「四天王を……? お前、正気か」
「ええ、正気よ」
セリーナはあっけらかんと言い切った。
「むしろ今やらなきゃ、もっと悪化するでしょう? 領地同士の争いが膨らんで、いずれは魔族同士で滅び合うわ」
リオネルはしばらく黙して彼女を凝視した。――その姿は、かつて見た誰よりも愚かしく、誰よりもまっすぐで、誰よりも恐ろしいほどに揺るがない。
そして、重苦しいため息を吐く。
「……好きにしろ。ただし、死んでも知らんぞ」
「ふふ、上等ですわ♪」
◆
夜が更け、魔王城跡の大広間に久しく絶えていた重苦しい気配が戻ってきた。
崩れた柱の影から、四つの影がゆっくりと姿を現す。内二つが広大な部屋を覆い尽くし鎮座し、華奢な二つは徐に椅子に腰掛けた。ここが元来、四天王の座する場所だったのだろう。
漆黒の鱗を持つ巨躯の竜王――ドラグノア。
水滴を滴らせる蒼き海竜――リヴァイア。
漆黒のローブを纏う蛇首の男――ヴェルド。
炎の翼をひらめかせた女王――フェニクシア。
――魔族の四天王。
彼らの視線は一斉に、リオネルと、その隣に立つ人間の娘へ注がれた。
「ほう……」
最初に口を開いたのはリヴァイアだった。
「魔王の跡取りが、人間を連れてきたか! カカッ、笑わせてくれる!」
ヴェルドの舌がちろりと動く。
「実に滑稽ですねえ……後世の記録に残せば、間違いなく恥、というところか」
フェニクシアは唇を歪め、からかうように言った。
「ボウヤにしては悪くない趣味ね。けど……そのオモチャはどうやって遊ぶのかしら?」
嘲笑が広間を埋め尽くす。
瓦礫の山に反響し、石の破片がかすかに震えた。
その中心で、ドラグノアが一歩前に出る。
「リオネル」
低く響く声が場を震わせる。
「魔王のように我ら四天王を統べられぬ貴様が……よりにもよって人間を傍に置くとは何事だ。魔王の血を汚す気か」
リオネルは唇を噛み、答えを探すように沈黙する。
彼の脳裏には、過去に繰り返された嘲りと敗北が甦っていた。
その隣で、セリーナがすっと一歩前に出る。
「あらあら……随分と勝手なことをおっしゃいますのね」
四天王の視線が一斉に彼女へ突き刺さる。
リオネルは反射的に手を伸ばし、制止しようとした。
「やめろ、セリーナ。やつらを挑発すれば――」
「挑発? 違いますわ。これは宣言ですの」
セリーナは微笑みを崩さず、右手を掲げて指を鳴らした。
「ルクス・プロージオ」
轟、と魔力が爆ぜた。
閃光が奔り、床に亀裂が走る。
四天王の衣や鱗を揺らす衝撃に、広間の空気が一変する。
「わたくしはセリーナ。あなた方の言う通り、矮小な人間風情ですわ」
セリーナは響き渡る声で続けた。
「まあアナタみたいな、その無駄に大きな体をしている魔族からみれば人間は見下されても仕方ないでしょうね。けれど――あなた達四天王こそ、恥を知るべきですわ」
リヴァイアの目が細まり、ヴェルドの舌が止まる。
リオネルは驚愕と恐怖の入り混じった眼差しで彼女を見つめていた。
「民を守ることもせず、互いに領地を食い合い、欲にまみれて腐る。それでいて『魔王の血を汚すな』と?笑わせないで。あなた達こそ、魔王が築いた威光を踏みにじっている張本人でしょう!」
セリーナの声は瓦礫に反響し、広間全体を揺らす。
リオネルでさえ言葉を呑み込むほどの迫力だった。
フェニクシアが小さく笑った。
「口の減らない子ね。けど……嫌いじゃないわ」
「ふん、知ったような口を! 我らに秩序を説くか!」
リヴァイアは豪快に吠えたが、笑みの裏に怒りとも動揺ともつかぬ色を滲ませていた。
ヴェルドは目を細め、低く囁いた。
「……妙な女だ。恐れを知らんのか」
セリーナは高らかに告げた。
「わたくしはリオネルを――真の魔王にしてみせますわ! あなた達がどれだけ嘲笑しようと、軽んじようと関係ない。わたくしは、この荒れ果てた魔族の地を正すためにここにいますの!」
広間に再び沈黙が走った。
竜王・ドラグノアが鋭く細めた瞳で彼女を射抜く。
「……面白い」
その声は低く重いが、笑みを含んでいた。
「人間の分際で、そこまで言うか。ならば――やれるものならやってみろ」
それは挑発でも嘲笑でもない。
圧倒的な支配者としての命令だった。
「我が領地へ来い。貴様の言葉が虚構でないのなら――証明してみせろ」
四天王は次々に立ち去り、広間に静寂が戻る。
フェニクシアは最後に肩を竦め、「退屈しのぎにはなりそうね」と笑いながら炎の翼を翻した。
セリーナは肩をすくめて、リオネルを振り返る。
「ふふ……最初の相手は決まったわね」
リオネルの赤い瞳が揺れる。
彼は未だ信じ切れない――それでも、心の奥底で確かに「何かが動いた」と自覚していた。
セリーナの笑みは揺らぐことなく、ただ前だけを見据えていた。




