うちの猫が今日もかわいい。
——幼い頃、拾った子猫を死なせてしまった。
幼い、とはいってももう年齢が二桁に上ろうかといった頃の話だ。それ故、まったく分別がつかないというわけではなかった。
けれど、その日は好きだったはずのオムライスも全く手につかずに、ただ静かに泣きじゃくるしかなかった。
彼女の『死』というものが、本来不可逆であるはずの『終わり』であることを知っていたから。
けれど——何の因果か、わからないけど。
——少しずつ冷えていった彼女から、小さな鳴き声が聞こえたときの感動を。
——掌に灯っていった小さな温もりを。
——そして、いつの間にか二股に裂けていた小さな尻尾を。
俺はきっと、生涯忘れることはないだろう。
*
「そろそろ夏休みだね、延岡くん」
文芸部の部室に、空調音が響く。
目の前の席に座る白髪の美少女——みや、こと都城 みやこが、空調の風に当たりながら尋ねてきた。
「明日終業式だっけ?」
俺の問いに、彼女はこくりと頷く。
「はじめての夏休みですね」
本棚をまじまじと眺めながらそう言ったのは、みやと瓜二つの姿をした美少女。みやの妹で宇宙人の、都城 まいである。
……この宇宙人がここに来たのはつい数日前のことのはずだが、もう既に妙に馴染んでしまっている。
「そうだね。高校生になってから初めてだ」
みやの言葉に、まいもこくりと頷いた。
三人だけの文芸部。先輩たちは今日も忙しいようだ。
「夏休み、なにしよっか」
みやはそう、笑って尋ねた。
「……クーラーの効いた部屋でだらだら本でも読んでいたい。猫でも撫でながら」
「いいねー……ってか、延岡くん猫飼ってるんだ」
そんな問いに、俺は「うん」と頷く。
「えー、写真見せてよー」
「みたいです。ねこさん」
せがむ姉妹に、しかし俺は首を横に振った。
「すまんな。あいつカメラがどうも苦手らしくて」
「そっかー。残念」
残念そうにため息を吐いた二人。……仕方ない。
「……うちに見に来るか?」
そう尋ねると「行くっ」「行きますっ」と食い気味で答えた。
「わかった。電話する」
五分後。
「母さんにも本人にもオッケーもらえたわ」
電話が終わった俺。
「やったー! 延岡くんのおうち!」
「ふふふふふ、実家ご挨拶」
「そそそそれよりも本人って!?」
部室は一気に賑やかになった。……って、なんで串間が!?
いつの間にかいた赤髪ツインテぼっち少女——実は魔法少女なクラスメイト、串間 凪の存在に驚く俺。
「串間ちゃんも猫見たいんだって」
みやの言葉に、俺は「……そっか」と頷くほかなかった。
*
そうして、いつもの帰り道を四人で帰ることになった俺は、姦しい女子三人の会話をラジオ感覚で聞きながら道を先導していた。
「串間ちゃん。最近、ユーチューブなに見てるー?」
「わわ、私ですかっ!? 私は、えっと、えーっと……」
「あんまり緊張しなくていいですから」
「えと、あっ。あのあの……猫也 ゆゆって配信者、知ってます?」
「え、知らない」
「あのあのっ、ゲーム配信者なんですけど、ゲームも上手くて、すっごくかわいい声の子なんですけどぉ……最近、歌ってみたも出しててっ、愛嬌がすごくて甘え上手でかわいいんですよぉ」
オタク特有の早口で説明する串間。……みやもまいもちょっと引いてないか?
俺はやれやれ、とこの少し気まずくなった雰囲気に助け船を出すようなつもりで告げた。
「家はもうすぐだぞー」
そうして、辿り着いた家の前。
「……延岡くんちって」
「結構おっきいんですね……」
都城姉妹の絶句に、串間は「実在するんだこんな家……」とか言って呆けている。なんてことのないデカい瓦葺きの家だが、まあここらじゃ珍しい古風な家だから仕方がないのかもしれない。
「昔は結構土地持ってたってばあちゃんが言ってた。いわゆる大地主だってさ」
言いながら玄関のチャイムを鳴らすと、すぐにダダダダーッと猫が走ってくる音が聞こえて。
「あーい、いま開けるよぉっ」
元気な声が聞こえ。
ガラガラピシャンと引き戸が勢いよく開いた。
「にぃに————っ!」
弾丸のように俺の胸に飛び込んできた『猫』。
「……え、この子誰……?」
困惑するみや。
「うちの猫だが」
「いや、いやいやいや——」
否定しようとするもの無理はないか。俺はため息を吐きながら。
「——その子、どう見ても人間の女の子じゃん」
ぐるぐると咽を鳴らすその猫——というか少女を撫で繰り回した。
「紹介するよ。うちの猫。猫又のゆゆだ」
告げると、その猫——ゆゆは「んにゃあ〜」と大きなあくびをした。
*
というわけで。
「どうも、ゆゆです」
俺の隣で、うちの猫がぺこりと頭を下げた。
「地球の猫って人と同じ形をしているんですね。学習」
妙なものを学習したまいに、「……この子が特殊なだけだからね? たぶん」とツッコミを入れるみや。
俺の横に座るゆゆは、ぴょこんと白い耳を動かし「もういっ!?」と俺を見上げた。
白いオーバーサイズのパーカーで、少し黄みがかった白いもふもふの髪の上に三角のお耳。パーカーの下からは長い二本の尻尾が伸びている。
俺はその髪をしれっともふもふしながら「おう、いいぞー」と答え。
ゆゆは「やったーっ」と俺の膝元に飛び込んで、スリスリしてきた。どう見ても猫の行動だ。かわいい。
「……えと、妹さん、ですか?」
串間の問いに、俺は「何を言ってるんだ。ペットだが?」と答えた。
「ええ、いや……でででも、どっからどう見ても人、というか……」
怪訝な目で俺を見る串間の心を読んだのか、ゆゆは「にゃにー?」とニヤニヤ笑って。
「あっ、にぃにが妹に『猫ちゃんごっこ』を強いてるド変態に見えるって言いたいんでしょー!」
無邪気に言った。串間はかあっと顔を赤くした。
「こら、ゆゆ。勝手に他人の心を読むんじゃないよ」
「えー? でもでもぉー」
「でももだってもないぞー。……おやつ抜きにするからな?」
「やだー!」
そう言って、ゴロゴロ畳の上を転がるゆゆ。……かわいそうなので、あとでちゅーるをあげるか。
ゆゆとじゃれる俺。それを指さして、みやは叫んだ。
「これ絶対おかしい! だって、どう見てもゆゆちゃんって人間だよね!?」
「でも猫耳生えてるぞ?」
「つけ耳でしょ! 人間をペット扱いするなんて、見損なったよ延岡くん!」
まくし立てるみやに、俺とゆゆは顔を見合わせて。
「つけ耳でもつけ尻尾でもないのにな」
ため息をついて、俺はゆゆに指示した。
「もう一つの姿、見せてやりな」
「えー? やだ。あの姿結構暑いもん」
「あとでちゅーるやるから」
「やったー!」
ゆゆの扱いは手慣れたものだ。
彼女は三歩下がって。
「いい? よーく見ててね? 一回しかやらないから」
三人娘の注目を集めてから「せーのっ」と軽く宙返りし、ボンッと薄い煙が出る。目隠しの霧のようなものだ。
そして、次の瞬間。
「んにゃーっ」
そこに、小さな白猫がいた。
「かわいい〜!」
すぐさま撫でようとしてきたみやを、その猫——ゆゆはさっと避ける。
「ひどいっ!」涙目になるみや。
「これが本当の猫ですか」
まいは興味津々にその猫を観察して。
一方、串間は。
「かわいい……でも、あれ?」
軽く目をこすって、俺に尋ねてきた。
「この子、尻尾が二本ありません、か?」
「ほんとだ! かわいいっ!」
驚くみや。抱きつこうとする彼女を避けた上で、ゆゆは口を開いた。
「にぃに、言ってたでしょ? あたしは『猫又』だって」
「延岡くん。猫又ってなーに?」
みやは、なにも知らなさそうな顔で尋ねてきた。
俺はため息をついてから、説明した。
「猫又ってのは、猫が妖怪になったものだ。普通は年老いた猫がなるものらしいが」
「え、ゆゆちゃんってこう見えておばあちゃんなの?」
「ずっと一歳だにゃ」
「拾ってからもう七年経つがな」
「うん! 一歳七年目!」
「???」
……確かに、うん。冷静に考えると意味不明だな。
「猫又ってか、化け猫っていった方が正しい、のか?」
「重要なのそこじゃなくない、です?」
串間の静かなツッコミに、視線が集まる。
「……そもそも、妖怪なんて存在するんですか?」
魔法少女が、何を今更……とも思ったが、まあ普通の人間なら当然の疑問か。
「今いるじゃにゃいか。ここに」
ゆゆの言葉に、串間は「うん、まあ、そうだけど……そもそもっ、妖怪ってすごーく非現実的なやつだからぁ……」なんて引き気味で告げる。ついでにしれっとゆゆを撫でる。
「んにゃあ……クシマちゃん、だっけぇ? キミの手きもちいにゃー……じゃなくて」
その白猫は、すごく気持ちよさそうな顔をして——二股の尻尾をゆらゆら揺らしながら、告げた。
「そういえば今夜、妖怪たちのお祭りがあるんだけどー……来る?」
「行きたいっ!」
即答したみや。「お姉ちゃん!?」と困惑する妹を差し置いた答えに、ゆゆは人間の姿に戻って、叫んだ。
「んにゃあ、準備するにゃ。行こう、百鬼夜行っ!」
To be continued.
次回予告
百鬼夜行が始まった。
それは、妖怪たちの夏祭り。楽しむ少年と少女たち。
楽しく過ぎていったその時間は、しかし急な乱入者によって遮られる。
次回、『やっぱり世界終わるかも。』
この次も、サービスしちゃうわよっ!
※内容はあくまで予定です。変わったらすみません。
面白かったら、ぜひ下の星マークやハートマークをクリックしてくださると作者が喜びます。ブックマークや感想もお待ちしております。