灰域の底で
鋼鉄の扉が開き、冷気が吹き抜けた。
その先に広がっていたのは、死の色をした灰の大地だった。空は濁り、風は砂を巻き上げる。
「ここが……“灰域”……」
リリーはスコープ越しに周囲を確認しながら呟いた。
灰域――紅羊の“原核”が最初に出現した領域。人類が立ち入りを禁じた、死の渦源。
「地図上から抹消された地帯。俺たちは、文字通り“存在しない部隊”ってわけか。」
エリオットは背中のブレードを確認し、リリーの隣に並ぶ。
二人の任務は、灰域の中心に出現した“異常発光反応”の調査と回収。
「この任務……何か隠してるな。」
「当然でしょ。ヴァレンが素直に“調査”だけで済ませるわけがない。」
彼らの会話は、ヘルメット内通信に切り替えられていた。灰域では音も歪む。
◆
灰域に足を踏み入れてから二時間。
目に見える景色は、ただ、廃墟と灰と、赤黒く染まった地層。
その時だった。
「熱源反応……単体。距離50メートル。人型。」
リリーが声を張る。エリオットは即座に体勢を低くし、銃口を向けた。
──しかし、その影が現れた瞬間、彼の体が凍りつく。
「……嘘だろ……」
そこに立っていたのは、かつての仲間だった。
――オーガスト。元・グール部隊“白群”の一員。三ヶ月前、作戦中に行方不明となり、死亡扱いになっていた男。
「エリオット……? お前、生きて……いや、“お前も”か。」
オーガストの顔はボロボロだった。半分が義皮に覆われ、片目は赤く光り、言葉の間に微かなノイズが混じる。
「どういうことだ……お前、灰域で……」
「“棄てられた”んだよ。あの日、俺たちは回収対象じゃなかった。『制御不能』のラベルを貼られてな。」
リリーが一歩前に出る。
「あなたは、今……紅羊に?」
オーガストは皮肉な笑みを浮かべた。
「なってねえよ。だが“近づきすぎた”。あれに“触れた”せいで、人間扱いされなくなった。」
彼の背後には、無数の義肢が突き出した廃棄兵器の山。
そこには、かつての仲間たちの名札がまだ貼られていた。
「お前たち、まだ“上”の命令で動いてるのか? だったら、ここで引き返せ。あの中心には、まだ……俺たちが知らない“何か”がある。」
エリオットは唇を噛んだ。
「お前は、それを見たのか?」
「見た。……“自分の顔”をした、紅羊をな。」
その瞬間、空気が揺れた。
地面が振動し、遠くの地平線から赤い閃光が突き上がる。
「発光反応、再検出。距離、300メートル以内。」
リリーが叫ぶ。
オーガストは背を向け、ゆっくりと歩き出す。
「忠告はした。だが……お前が進むってんなら、止めはしねえよ。」
エリオットはその背中に向かって言った。
「……また会えるか?」
「さあな。だが今度会う時は、俺たちどっちかが“紅羊”かもな。」
◆
深部へと進む二人。
空気は重くなり、視界が揺れ始める。
「エリオット……見て。」
リリーが指さした先。
そこには、空間の裂け目のような歪みが浮かんでいた。
中で、何かが脈動している。
赤い心臓のように、脈打つ“何か”。
「……あれが、“原核”……?」
そして、その中心に浮かんでいたのは――
――一人の人間の姿だった。
それは、誰よりもエリオットに“似ていた”。