記録と鍵
白い天井が、じわじわと視界を侵食してくる。
静寂。無機質な灯り。低く唸る監視装置の音。
「……またここか」
エリオットは独房のベッドに横たわりながら、呟いた。
拘束されたのは、リリーの“命令違反”によって暴走が止められた直後のことだった。
彼女は処罰対象として連行され、エリオット自身も“記憶干渉の疑い”で隔離された。
記憶。紅羊。声。――曖昧に残るその残響が、胸に刺さっていた。
(あれは……俺の記憶なのか? それとも……紅羊の……?)
◆
一方、リリーは処分会議室に座らされていた。
鉄の椅子。冷たい床。周囲を囲む軍服の男たち。
その中央に、ヴァレンが立っていた。
「命令違反、戦術規定逸脱、違法薬剤の使用。軍規第11条により、即時廃棄も可能だ。」
ヴァレンの声は変わらず冷徹だった。
だが、リリーはその視線を真正面から受け止める。
「私がやらなければ、彼は“壊れて”いた。あなたも、それを分かっていたはずでしょう。」
「感情で動く兵士は、長くは保たない。」
「でも、感情のない兵士は、人間じゃない。」
その言葉に、一瞬だけ沈黙が生まれた。
ヴァレンは目を伏せると、懐から一枚の記録データを机に置いた。
「……見せるつもりはなかった。だが、もう制御できないなら、真実を知れ。」
リリーは手を伸ばし、映像を再生する。
――そこに映っていたのは、研究室。
ベッドに横たわる少年。その顔は、エリオット。
彼の隣には、幼い少女が立っていた。リリー自身だ。
「……私と、エリオット……?」
≪被験体E-07およびD-13、適合率92%。精神同調実験、継続認可≫
機械音声が読み上げていた。
「私たちは……最初から、“選ばれて”いた……?」
「記憶は封じられた。“戦場に不要なもの”と判断されてな。」
ヴァレンは椅子に腰を下ろすと、指先を組んで呟いた。
「紅羊に接触し、記憶が戻りかけた者は、全員暴走か自壊する。だが……エリオットは違った。」
「……なぜ、彼は壊れなかったの?」
「“鍵”があったからだ。」
ヴァレンはリリーを見つめた。
「お前だ。お前との記憶が、彼の意識を“人間の側”に繋ぎとめた。」
リリーは黙っていた。全てが繋がっていく。
――なぜ自分だけが彼に強く干渉できたのか。
――なぜ、彼の中に懐かしい感情が芽生えるのか。
「君たちは、“観測者”であり、“触媒”でもある。」
その言葉に、彼女はわずかに目を細めた。
「……あなたは、何を知っているの?」
「まだ話す段階ではない。」
そう言ってヴァレンは立ち上がった。
「だが、必要があれば“記憶封鎖”を解除する。君が本当に、それに耐えられるならな。」
リリーは唇を噛み、静かに言った。
「私は逃げない。エリオットの過去が、私の過去でもあるのなら……」
◆
その夜。
エリオットの独房の扉が開き、リリーが現れた。
「……出られるわよ。釈放命令が出た。」
「……あの男の仕業か?」
「ええ。でも、ただの温情じゃない。これから“もっと深いもの”に触れることになる。」
エリオットは立ち上がる。
体は重い。けれど、先ほどまでの暴走とは違っていた。
「……お前、俺の中に入ってきたんだな。」
「ごめん。でも、どうしても救いたかった。」
エリオットは一瞬、目を伏せた後、ゆっくりと彼女を見た。
「……あの光景。雪の坂道、子供の俺と……お前……あれは、夢じゃなかったんだな。」
「そう。あれが、あなたの“始まり”よ。」
沈黙の中で、エリオットはかすかに笑った。
「なら……俺は、もう一度“始める”。」
リリーはその瞳を見て、頷いた。
「ここからよ。戦うだけじゃなく、“取り戻す”戦いを。」