紅羊の遺産
ゼノンの一撃が地面を割り、粉塵が視界を覆う。耳鳴りが止まらず、空気が重く圧し掛かる中、エリオットは必死に息を吸い込んだ。
足元がふらつき、握る剣が血で滑る。視界が霞み、ゼノンの姿が二重に見えた。
「まだ…倒れられねぇ…」
自分に言い聞かせるように呟く。だが、ゼノンは冷徹に一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
その巨体から放たれる威圧感が、エリオットの心臓を押し潰すように脈打った。
ゼノンの赤い瞳が光る。その瞬間、何かが割れる音がした。
パンッ!
乾いた音と共に、鋭い衝撃が背中を貫いた。
「ッ――!」
息が詰まり、足元が崩れる。倒れ込んだ地面に赤い雫がぽたりと落ちた。
「…な…に…?」
振り向こうとするが、視界が暗転していく。ゼノンがゆらりと剣を振り上げた。
「終わりだ。」
ゼノンの剣がきらりと光り、空を切る風圧がエリオットの顔を叩いた。その瞬間――
――お前は、まだ死ぬわけにはいかない。
声がした。
懐かしく、恐ろしいほど静謐な声。頭の中に直接響く声だった。
「紅羊…?」
身体の中を、焼けつくような熱が駆け巡る。
細胞がひとつひとつ軋み、筋繊維がねじれ、骨が軋む音が脳に響く。
『お前に力を託す。だが、それは全てを奪う力だ。』
紅羊の声が、淡々と告げる。
理解する間もなく、エリオットの肉体が変化を始めた。
「ぐああああああああッ!!」
苦痛で背中を反らし、喉が裂けそうなほど絶叫を上げる。
全身の血液が滾り、心臓が千切れそうなほど脈打った。
皮膚の下で赤黒い紋様が脈動し、血管が盛り上がり、目から光が溢れる。
指先が弾け、鋭い爪が生える。髪は逆立ち、全身から熱気が噴き出す。
『立て。お前は私の後継者だ。』
ゼノンの剣が落ちてくる。
しかし、その刃を受け止めたのは、鋼のように硬化したエリオットの腕だった。
「なに…!?」
ゼノンの顔に初めて驚愕が走る。
エリオットはゼノンの剣を握り潰し、鋭い眼光を向けた。
「もう、終わりだ…!」
紅羊の力がエリオットの筋肉に収束し、雷鳴のような衝撃とともにゼノンへ拳を叩き込む。
ゼノンの巨体が吹き飛び、地面を抉りながら遠くまで弾き飛ばされた。
エリオットは荒い呼吸を繰り返し、片膝をつく。
力の収束が止まらず、今度は自分の肉体がひび割れていく感覚が襲う。
「ハァ…ハァ…ッ…紅羊…」
紅羊の声が、遠ざかるように微かになる。
『お前に託した力は、私そのもの。お前の生存と引き換えに、私は消える。』
「おい…待て…!勝手に…!」
『これが、私の終わりであり、お前の始まりだ。』
エリオットの瞳から光が消え、紅羊の気配がすっと離れていった。
その途端、彼の肉体に走る激痛がさらに強まり、膝が地面を叩く。
爪は砕け、赤黒い紋様は消え始める。
「くそ…っ…!」
だがゼノンはすでに倒れていた。
エリオットは震える手で立ち上がり、遠ざかる紅羊の意識に必死で声を投げかけた。
「おい、まだ…!話は…!」
しかし返事はなかった。
紅羊は完全に消えたのだ。
ーー紅羊の力は去り、勝利の代償が心に刻まれた。
残された道は、決して平坦ではない。




