記憶の断片
視界が赤く染まっていた。
痛みも、重さも、声すらも――何もかもが遠い。
ただ、切る。裂く。壊す。
戦場の音が、エリオットの中で崩れていく。
「やめろ……俺じゃ……ない……!」
意識の奥で、叫びがこだまする。けれど体は止まらなかった。
すでに敵は沈黙している。紅羊の“殻”は活動を停止し、周囲は灰に包まれていた。
それでも、エリオットの腕はなおも変形し、砕けた地面を掘り続けていた。
何かを探すように。誰かを呼ぶように。
≪キヲ……トリモドセ……ワレラハ……オマエ……≫
また、あの声が聞こえた。
◆
「プロトコルB、発動。グール兵エリオット・カラム、暴走認定。排除を許可する。」
ヴァレンの声が、戦場に響く。
だがその命令を聞いた瞬間、リリーの瞳が激しく揺れた。
「……ふざけないで」
彼女は通信装置を切ると、周囲の部隊を無視して駆け出した。
エリオットの元へ。暴走したその前へ。
「エリオット!! 聞こえる!? 私よ、リリーよ!!」
返事はなかった。
いや、聞こえていないのではない。――彼は、自分すら失っている。
リリーは歯を食いしばり、腰のホルスターから薬剤を取り出す。
『深層接続剤β-3』――グール同士の神経共鳴を強制的に発生させる、非公式の違法ツールだ。
「こんなもの……二度と使いたくなかったのに……!」
薬剤を自分の首に刺し、神経リンクを起動する。
――そして、彼女の意識は暗闇の中へと落ちていった。
◆
そこは、雪の降る坂道だった。
古びた家々と、軋む木の階段。夕暮れの風景の中、子どもの笑い声が響いていた。
「早く、エリオット! ほら、雪合戦始まってるよ!」
女の子の声。それは紛れもなく、幼い頃のリリーだった。
そして――
「待ってよ、リリー!」
笑いながら駆ける少年。エリオット。
今の彼とは違う、柔らかく、あたたかい表情を浮かべていた。
(これは……記憶……?)
リリーはその風景の中に立ちながら、息を呑んだ。
エリオットの記憶の奥。彼が忘れてしまった、大切なもの。
(そうよ……エリオットには、ちゃんと“あった”のよ。戦いの前に……人間としての人生が……)
だが、次の瞬間。風景が黒く染まった。
街が崩れ、空が裂け、紅い光が全てを呑み込む。
幼きリリーが叫ぶ。幼きエリオットが手を伸ばす――その先に、黒く歪んだ影が立っていた。
≪ヒト……ワレラ……ナゼ……?≫
それは紅羊。だが、言葉にならない苦悶と哀しみが、そこにはあった。
◆
「……っ!!」
リリーは目を覚ました。
彼女の前には、地面に倒れ込んだエリオットがいた。暴走は止まり、右腕は人間の形に戻りつつあった。
「……リリー……?」
かすかに、彼が呼んだ。瞳に、焦点が戻っていた。
リリーは、無言でその顔を見つめた。そして静かに言った。
「思い出して。あなたは……人間だった。今でも、そうよ。」
エリオットは、しばらく黙っていた。
だがその目の奥に、確かに“感情”が灯っていた。
◆
一方、遠くのモニター室。
ヴァレンは全てを監視していた。
「……予想外の共鳴か。だが、悪くない。」
その背後、上層部の会議映像が現れる。
「計画は継続する。紅羊との接触は第一段階を超えた。」
ヴァレンは静かに頷いた。
「次は、彼女の番だ。リリー・ドレイク。彼女もまた、“鍵”の一つだ。」
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