プロローグ
――これは、命令で動くしかなかった少年兵の“目覚め”の記録。
記憶を失い、敵とされた存在と出会い、
真実を知ってしまった者たちの戦いが始まる。
ディストピアSF×戦争×人間性。
『紅羊戦記』、第0話をお届けします。
「私は誰だ?」
エリオット・カラムは、無数の赤い点が浮かぶ暗闇の中で目を覚ました。意識が朦朧とし、目の前に広がる光景は一瞬で理解できなかった。脳裏に過去の記憶は霞のようにぼんやりと浮かんでは消え、まるで自分が誰で、どこにいるのかすら分からないかのようだった。
彼は手を動かし、顔を触れた。肌は冷たく、硬直していた。体全体が重く、まるで何千キロもの鎖に繋がれているかのような感覚に囚われていた。しかし、最も驚くべきことは、体のどこを触れても、何も感じないということだった。
――これは、何かの夢だろうか?
エリオットは必死に目をこすり、意識を奮い立たせようとした。しかし、それでも景色は変わらず、彼の手からはひんやりとした感触だけが広がった。
ふと、頭の中に声が響いた。
「エリオット・カラム、目を覚ませ。」
その声は、どこか機械的で冷徹だった。あまりにも感情の欠片がない言葉だったが、何かしらの命令のように感じられた。
彼はその言葉に従って、ゆっくりと立ち上がろうとしたが、足元が頼りなく、体が震える。何かが不安定だ。まるで、自分の体が自分のものではないかのように感じられる。足を踏み出した瞬間、その異様な重さに耐えきれず、膝が地面に突き刺さった。
「動け、エリオット。」
その声が再び響き、今度はどこからともなく、鋭い金属音が響いてきた。エリオットは恐る恐る振り返った。暗闇の中で、一つの光が点滅し、その先に見えるもの――それは無数の機械的な装置と、壁一面に並べられた無機質なモニターだった。
「どこだ、ここは…?」
エリオットは口を開いたが、自分の声にすら驚いた。声は乾いていて、響きも少なかった。彼の目の前に現れたのは、冷徹な表情をした男性――それは彼の上司であるヴァレン・アズマだった。
「エリオット、お前が目を覚ましたということは、計画は順調に進んでいるということだ。」
ヴァレンの言葉は短く、感情の欠片も感じられなかった。彼の目には、何かを確信している冷徹さが宿っている。
「計画…?」
エリオットはしばらく言葉が出なかった。頭の中にうかんでくる言葉が、どれも一貫性を欠いていた。記憶が断片的に浮かんでは消える。しかし、浮かぶのは戦場の風景、無数の死体、そして自分の命を落とす瞬間だけだった。
「…お前が目を覚ましたのは、戦争のためだ。お前のような兵士は、すでに“グール”として改造されたからな。忘れたか?」
その一言が、エリオットの胸を強く突き刺した。グール──それが何を意味するのかは、すぐに分かった。彼は兵士として生まれ、戦争の道具として育てられたのだ。しかし、その先に待っているものは、ただひたすらに命を捨てるだけの過酷な現実だった。
「お前はもう、死んだも同然だ。今さら自分の過去を取り戻すつもりか?もう遅い。」
ヴァレンの言葉は冷酷で、エリオットの心を切り裂くように響いた。しかし、エリオットはそれでも、心の奥で何かが叫び、抗い続ける自分を感じていた。
「戦う理由は分からない。でも、戦わなければならないのだろう。」
エリオットはゆっくりと立ち上がり、前に進み始めた。その足取りは重く、無力に見えたが、彼はその先に何が待っているのか、何を守るべきなのかを少しずつ知り始めていた。
今はただ、戦うしかなかった。
「紅羊を倒すために。」
その言葉が、エリオットの口から漏れたとき、暗闇の中で一筋の光が差し込んだように感じられた。希望など存在しない。しかし、彼はその暗闇の中で、必ず見つけなければならないものがあると確信していた。
自分が誰で、どこから来たのか──それを取り戻すために。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
世界はすでに壊れていた。
それでも、人は“誰かを救いたい”と願う。
次回も、彼らの選択と闘いを綴っていきます。
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