アシテカイサマ
――雨が降っている。
【ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……】
ああ、Aの話が聞きたいんだっけ?
半年くらい前かなあ。金曜日の夕方にさ、Aから連絡があったのよ。
「これから家で飲むから、お前も来ない?」
仕事もそんなに遅くならず終わりそうだったから「行くよ」って返事したらさ、
「りょ。自分が飲む分は自分で買ってこい」ってことだった。
だから、仕事帰りにド●キによって、飲み物だのつまみだの買い込んだのね。
店を出たら、雨が降っていた。
強くはないけど、傘はギリギリさした方がいいくらいの雨。
天気予報では「降るかもしれない」って言ってたから、ちゃんと折り畳み傘は持って来ていた。
それはまあ、よかったんだよ。
ツイてなかったのは、その後。
雨が降ってきたせいかどうか知らねーけど、なんかやたら寒くてさ。とにかく早くAのアパートまでたどり着きたかったから、裏ワザ使うことにした。
ああ、そんな大げさな話じゃねえから。
ド●キとAのアパートのちょうど真ん中あたりに神社があるんだけど、その神社、今、立ち入り禁止になってんの。
でも、そこを通り抜けると、5分くらいショートカットできんのよ。
え、立ち入り禁止の理由?
詳しくは知んねーよ。
鳥居の下にあった看板には、「有害鳥獣駆除中のため立入禁止」なんて張り紙がしてあったんだけど、クマだのイノシシだのが出るのは、もっと山のほうだろ。
ドクケムシかなんかじゃねーの、たぶん。
ハナシ続けていい?
んで、腰の高さくらいに張られたやる気のねえトラロープ乗り越えてさ、先に進んだのよ。
もう真っ暗だったんだけど、ガキの頃から知ってる神社だから、ぜんぜん迷うようなこともない。もちろん、これっぽっちも怖くなんかなかった。
だけどさ、途中で「ん?」ってなったんだよ。
前の方で、なんか音がするんだわ。
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
それって、手を打ち合わせる音――拍手みたいな音だった。
だから最初、誰かがお参りしているんだと思った。
でも、おかしいんだよ。
それだったらさ、手を鳴らすのって2回だろ?
その音、2回どころか、ずうっと鳴り続けているわけ。
俺、気になっちゃって、音のするほうにそっと近づいたンよ。
そしたら、本殿の賽銭箱の前あたりに、ヘンな奴がいた。
ソイツ、あきらかにイカれててさ。
逆立ちの状態で、靴も履いてねぇ足の裏をさ、こう、拍手するみたいに打ち合わせていた。
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
暗かったから、男か女かもわからなかった。
相当タッパあったから、男だったんじゃないかなあ。
まあ、そりゃあどうでもいいんだ。
(あ、これ、見つかったらヤベえぞ)
俺、直感的にそう思って、来た道をそっと戻ろうととしたのね。
でも、段差につまずいちゃってさ。
転びはしなかったけど、派手に足音を立てちゃった。
その途端、足を叩く音がピタッと止まった。
(しまった、見つかったか!?)
そう思って、全力で駆けだしたよ。
神社の境内をぬけて、立ち入り禁止のトラロープをまたいで……
そこで振り返ったらさ、
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
音がどんどん近づいて来る。
追いかけて来てるんだよ、あの変態が。
あたりを見回したけど、周りは田んぼだから、人気はまったくない。
もう混乱しちゃってさ、めちゃくちゃに走りまくって、気がついたら、Aのアパートの部屋のドアを叩いていた。
Aはすぐにドアを開けてくれた。
「おぅ、いらっしゃ――なんだ!? どうした!?」
俺は、Aの部屋に転がり込むと、すぐに鍵を閉め、チェーンをかけた。
そこまでして、気が緩んだんだろうなあ。
まだ玄関にもかかわらず、へたり込んじゃったんだ。
走ったから、傘も役に立たなかったみたいで、体中雨でびしょびしょ。
Aにタオル借りて、身体拭いて、買って来たス●ゼロを一気飲みしたら、ようやく落ち着いた。
で、Aにあの変態の話をしたんだ。
「近所にそんな変な奴がいるなんて、聞いたことねえけどなあ……」
あの野郎、そんなこと言ってニヤニヤしてた。
そりゃあそうだ。
実際に見てみないと、あの怖さはわかんねえよ。
「警察に通報でもしてみるか?」
Aはそんな提案してきたけど、立ち入り禁止の神社を通ったってうしろめたさがあったから、俺はあんまり乗り気じゃなかった。
――そうしてグダグダしてるうちに、あの音が聞こえてきたんだ。
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
だんだん近づいて来るみたいだった。
すぐにわかったよ。あの変態だって。
俺、もう泣きそうでさ、
「まじぃよ、あの音がする。後をつけられたみたいだ」って言ったのね。
そしたら、Aのやつ首を傾げて
「なんだかよくわかんねえから、様子を見に行こう」なんて言い出した。
――アイツ、剣道と空手の段持ちで、腕っぷしには自信があるんだよな。
でもさ、俺、何となくわかってたんだ。
あの変態、多分、人間じゃない。
だから俺は、必死になって止めた。
でも、Aは聞かない。
「そんなアタオカごときに遅れをとるわけねえだろ!」なんて言うわけ。
お互い酒が入っていたもんだから、ちょっとしたケンカみたいになっちゃってさ、結局、Aだけが様子を見にいくことになったんだ。
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、
……ぴしゃん
Aが部屋から出て5分も経たないうちに、音が止んだんだよ。
(あれ? 変態野郎がボコボコにされてんのかな……)
そんな風に思った。でも、すぐにそうじゃないことがわかった。
また、あの音が鳴り始めたから。
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
それがさ、なんだかおかしいんだよ。
音が、増えている気がしたんだ。
それまで一人で叩いていたのが、二人になった感じって言えば、わかる?
音は、どんどん近づいて来る。
とうとう、部屋の玄関の前までやって来た。
「おーい、開けてくれ」
それは、確かにAの声だった。
おかしい。
俺、玄関の鍵を閉めたりはしてなかったんだよ。怖かったけど、そんなことをしたら、万が一Aが逃げてきたときに困るだろうと思って。
だから、中に入ろうとするんだったら、普通にドアを開ければいいだけなんだ。
それにここ、Aの家だぜ。
なんでわざわざ、俺に開けてくれなんて声をかけるんだ?
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
何もかもおかしかった。
覗き穴から見てみれば一発だったろうけど、そんな勇気はとてもなかった。
だから俺、ドア越しにAに声をかけたんだ。
「かっ……鍵は開いてるから、勝手に入ってくればいいだろ」
そしたらまた、
「おーい、開けてくれよ」って。
「どうして俺が開けなきゃいけないんだよ」
「おーい、開けてくれよ」
「お……お前、ほんとにAか?」
「おーい、開けてくれよ」
「おーい、開けてくれよ」
「おーい、開けてくれよ」
「おーい、開けてくれよ」
アイツがオウムみたいに同じ言葉を繰り返している間も、ずっとあの音は鳴り続けていた。
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……
(Aはもう、まともじゃない)
そう思ったとたん、急に気が遠くなっちゃってさ。
俺、ビビッて気を失ったんだ。ホント、みっともねえよな。
……で、気がついたら、朝になってた。
あたりを見回したけれど、部屋には俺ひとりきり。
Aはどこにもいなかった。
あの音はもう止んでいたから、そっと玄関のドアを開けて、外を覗いてみた。
誰もいない。
……だけど、ドアを開けてすぐのコンクリ床に、濡れた手形がついていた。
いくつも、いくつも。
よくみたら、その手形、大きさが微妙に違うんだよ。
多分ここには、二人いた。
俺、すぐに駅前の交番に行って、友達が戻って来ないって話をした。
頭おかしいと思われたくないから、あの化物の話はしなかったけどさ。
そしたらお巡りさん、俺の話を聞いて、一緒にAのアパートにまで来てくれた。
ただ、なんだっけ、「事件性」だっけ? それが見当たらなかったから、しばらく様子を見ましょうってことになった。
あとはお前も知ってるだろ。Aとは今も連絡が取れないまま。
Aとツルんでたやつらにも聞いてみたけど、やっぱり連絡取れないって。
――でもさ、アイツ、意外と近くにいる気がするんだよ。
【ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……】
今でもさ、今日みたいに雨が降っている夜にはさ、
部屋の外で足を鳴らす音が聞こえるんだよ。
【ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん、ぴしゃあん……】
な、聞こえるだろ。
お前にも聞こえるよな?
俺だけが聞こえているんじゃ、ないよな?