幸せな私の結婚までのお話
よくある聖女召喚と転生のお話です。
軽く読んでいただければと思います。
晴れ渡る青空。
今日は私の結婚式。
お父様にエスコートされてバージンロードを進む私の視線の先には、満開の桜の木の下で透き通った瞳で私を見つめる最愛の方。
聖女に婚約者を奪われたと噂する方もいるけれど、それってとても心外だわ。
幸せな私の結婚までのお話、聞いて下さる?
私はプロイツ王国のブルク侯爵家当主フロイツの長女のルイーゼとして生を受けました。
お母さまのワイマー大公第2公女のフリーデリケは、難産の末、私を産み落とすと儚くなってしまわれました。
後妻に迎えられたのは、お母様の侍女として付き従った元伯爵令嬢のマリア様です。
お母様に対する忠誠心と、何よりもその愛情深さと才覚と美貌を買われ、当主以下使用人一同の並々ならぬ説得の末、やっとのことで侯爵夫人となることに頷いてくれたそうです。
フリーデリケお母様に対する崇拝により、私は義母であるマリアお母様に心から慈しまれ愛されて育ちました。
私の生みの母であるフリーデリケお母様がいかに素晴らしい女性だったかをうっとりと語り、その娘である私が
どれほど大切な存在かを態度で示し、侯爵であるお父様や使用人たちを巻き込んで、それはそれは可愛がられておりました。
マリアお母様には、長男のフリードと次男のデリックが生まれましたが、皆同じように慈しみ愛され、世間でよくある後妻や腹違いの兄弟との確執など皆無のとても温かい家庭でした。
家庭教師たちの人選も素晴らしく、侯爵家の令嬢子息として非の打ちどころの無い教育を施す一方、それぞれの才能や興味を酌み、それに相応しい環境も整えてくれました。
私が3歳の頃、やっと座れるようになったフリードをあやすために紙を折って飛ばして遊んでいたのです。
風に乗って遠くまで飛んでいく紙に周囲の大人たちは目を見張り、驚愕しました。
そして、これは誰にも見せてはいけないと強く諭されました。
初めて見る大人たちの真剣な顔が怖くて泣いてしまったことを覚えています。
それ以降、言ってはいけない、見せてはいけないと言われることが増えていく中、下の弟デリックの洗礼式の日、ついに教会で司教様の目に留まってしまいました。
お父様とマリアお母様が、まだ5歳と年端もいかぬ幼女であることを盾に、何とか教会に召し上げられることを避けるために、あらゆる伝手を辿り奔走してくださったおかげで、週に一度、教会へ「お勉強」をしに行くことで落ち着きました。
プロイツ王国では大司教を中心とした教会が、絶大な力を持っています。
教会は異界から聖女召喚の儀式を行い、聖女の力を奇跡として国を発展させ、信仰をゆるぎないものにしています。
私の無意識の行動は、歴代聖女の奇跡や行動に酷似しているため、「準聖女」として召し上げて家族から離したい教会と侯爵家、それに加えて教会の力を削ぎたい王家との攻防が続いていました。
そんな中、王家の思惑と侯爵家の希望が一致し、教会からの横槍を抑えて私は第四王子フィリップ様の婚約者に決まりました。
妃教育のため王宮に部屋を賜り、教会への「お勉強」には婚約者のフィリップ様も同行することもあって近衛騎士たちに囲まれた物々しい大所帯で向うことになりました。
流石は大司教様、内心では苦々しく思っている事を微塵も感じさせない厳かなお姿とは裏腹に、私とフィリップ様に端々に毒針を含んだ薫陶を授けておられます。
これが大人の在り方なんだねと、帰りの馬車の中で話し合う私たちは周囲の大人たちに温かく見守られていました。
私が6歳になった頃、先の聖女様が身罷られ、新たな聖女召喚儀式の日がやってきました。
私は教会からの要請で、聖女召喚に立ち会うことになり、お父様とマリアお母様に手を引かれて、普段は固く閉ざされている召喚の間に控えていました。
部屋の中央に魔方陣が現れ、青白い光が立ち上り始めたと思うと、瞬く間に部屋は目を開けていられないほどの光に包まれました。両親は私をかばうように抱きしめ合い、二人の腕の中で私はぎゅっと目を瞑りました。
光が収まり、目を開けると、魔方陣の真ん中に女の子が呆然と座り込んでいました。
「…ホスピスのパジャマ…」
自分の口から零れた言葉に驚いたと同時に意識が遠のき始め、必死の表情で手を握りながら私の名前を呼ぶ両親の顔を眺めながら、ゆっくりと意識が途絶えました。
‥‥◆◆‥‥◆◆‥‥
目が覚めると、明るい調度の心地よい部屋に似合わない点滴のポールが目に入る。
やはりこれだけは部屋にそぐわない質感だなとふと笑みが零れる。
このホスピスに入所してから4日目になる。
来週が48歳の誕生日だが、おそらく年を重ねることなくこの世を去ることになるんだろうな。
さすが有名なホスピス。あれほど苦しんだ痛みがほとんどなく穏やかに過ごせている。
お見合い結婚をして、10歳年上のまじめな夫とのごく普通の結婚生活は穏やかで幸せだったと思う。
一人娘も素直に優しく育ってくれて、大好きな人と紹介された男性と思い合って結ばれ、孫を抱くこともできた。
がんが見つかってから治療は積極的にせず、早期退職した夫と共に動ける限り好きなことをして行きたいところに行き、食べたいものも食べ、この4か月間、人生で初めて思い切りわがままに過ごしてきた。
ホスピスに入ってからは食べる事を楽しみにしている。
今日のお昼は、いつか行ってみたいと思っていた超高級店のウナギをリクエストした。
それはもうにこにこと頬張って堪能していると、買ってきてくれた娘に「そんなにウナギが好きだったんだね」としみじみ聞かれた。一緒に目を輝かせて食べている5歳の孫に、命日にはみんなでウナギを食べてねと言うと、元気に「うん!」
と返事をしてくれた。おいしいウナギ=優しいおばあちゃん。刷り込みは完了だ。
うん、思い残すことはないな。
あ、最後にもう一つ、夕食はこれまたいつか行きたいと思っていた有名割烹の茶わん蒸しを付けてもらおう。
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目を開けるとお父様とマリアお母様が私の手を握って顔を覗き込んでいました。
(茶わん蒸しを食べ損ねた…)
という声が頭の中に響いたと思ったら、一気に48年分の誰かの記憶が流れ込んできました。
私は6歳のルイーゼのはず。手を広げて見てみても顔を触ってみても、明るい栗色の髪をひと房掬って見てみても、6歳のルイーゼに間違いなさそうです。
お父様とマリアお母様は泣きながら私をぎゅうぎゅう抱きしめて、よかったと繰り返しています。
一体何が起こってこの状況なのでしょうか。
色んな情報が入り混じって、なんだか頭の整理が追いつきません。
皆の興奮が納まりお部屋の中が少し落ち着いて、お医者様が来てくださったりお話をしたりしているうちに、何が起こったのか、なんとなく思い出してきました。
(ホスピスのパジャマを着た女の子が聖女として召喚されて…)
あら?異界の服の名前をなぜ知っているのでしょうか。
(小学生くらいかな…7、8歳くらい…)
48歳の誰かの記憶は留まることを知らず、聖女様を分析してゆきます。
しかしちょっと待ってください。48歳って、私が生まれる前に亡くなったおじい様やおばあ様よりも年上ではありませんか!
前世であろうこのことは、小さい頃から片鱗を見てきたお父様とマリアお母様に打ち明けて相談するとして、年齢は言わないほうが良いかもしれませんね。
なんとなく。
ずっと私の手を握りしめたままのお父様とマリアお母様に、にっこり笑いかけました。
もう大丈夫です、と。
48歳の記憶と6歳のルイーゼの記憶との折り合いがつきはじめ、曖昧ながら線引きが出来るようになってきて改めて思い出しました。
あの子は、48歳の私が最後に過ごしたホスピスのパジャマを着ていたのです。
恐らく物心がつく頃から闘病していたことでしょう。きっと子供らしく遊ぶこともままならなかったのではないでしょうか。
あのホスピスは待遇もお値段も最高との評判で、人生にほぼ納得できた48歳の私が選んで入ったことと7、8歳の子どもが入ることは大きく意味が変わります。
そこに入るという事は本人も周囲も治療をあきらめたという事です。
そのことに思い至った私は、幼くして人生をあきらめ、亡くなったと思った瞬間に転生して召喚されてきっと混乱しているだろう聖女様のこれからの人生を支えようと決心しました。
召喚の日から10日程経った教会での「お勉強」の日、私は聖女様との面会を希望しました。
聖女様は召喚の日以来、怯え切って誰とも話をせずお食事もほとんど取っていらっしゃらないそうです。
すぐに聖女様のお部屋に伺い、憔悴した様子の聖女様に日本語で話しかけました。
大司教様やフィリップ様はじめ周囲の驚愕は言うまでもありませんが、そんなことはさておき、泣きながら私にくっついて離れない聖女様を小さな体で抱きかかえて大司教様の制止を振り切って王宮に戻りました。
私の暴挙に大司教様から聖女様の誘拐として厳重な抗議が王室とブルク侯爵家に届いたようですが、憔悴しきった聖女様は王宮医師の診察で極度の栄養失調の診断と絶対安静を指示されたことで、大切な聖女様の命を脅かしたとして、逆に王室から教会へ責任追及の沙汰が下され、聖女様は当面王宮管理となりました。
聖女様は「心美」というお名前でした。
この世界では「ココミ」は発音し難いため、改めて聖女ココ様と呼ばれるようになりました。
外見から7、8歳かと思っていましたが、ココ様は10歳でした。
生まれた時から病気がちで年齢に体の成長が追いつかなかったようです。
大きな旧家の家柄で、健康な跡取りが必要との事で実のお母さんは小さい頃に家を出され、後妻さんが嫁いできて以来、ココ様は病弱を理由にずっと小児病院で暮らしていたそうです。
私が入っていたホスピスと同じ系列の小児用ホスピスに入ったのは1か月ほど前で、ただの転院だと思っていた様です。ホスピスがどういう所か知らずに入ったことには安堵しましたが、ホスピスではみんながとても優しくてご飯がとてもおいしかったことや、病院着ではなく、初めて着た落ち着いた淡いピンクの可愛いパジャマがうれしかったと聞いて、やはり胸が痛みました。
★★★
召喚の日から1年、ココ様は王宮で離れて暮らしている私の元へ頻繁に訪れるお父様とマリアお母様と弟たちにも大切にされ、「なんだか私も家族の一員みたい」と楽しそうに過ごせるようになりました。
さて、聖女様を奪還すべく様々な言いがかりをつけていた教会がそろそろしびれを切らして物理的に何か行動を起こして来る頃でしょう。
その前にココ様の立場を確立しておかなければなりませんね。
ココ様の体調が戻って以来、フィリップ様とのお茶会にはココ様もいつも同席してもらっていました。
理由は、フィリップ様がココ様に一目惚れをしたから。
現在7歳の見た目で意識は48歳の私にとって、見た目年齢が同い年のフィリップ様は嬉しそうにウナギを食べていた孫と同じなのですもの。
婚約者のいる王子様として一生懸命隠しているけれど、ココ様と話している時の目の輝きは隠せていないのです。
ココ様もそんなフィリップ様の気持ちに気付いている様で、戸惑いながらも芽生えてしまった恋心を一生懸命隠そうとしています。
幼い二人の恋をほほえましく見ている私とは裏腹に、気づいた周囲の大人たちはフィリップ様とココ様をそれとなく引き離そうとしているようです。
おばあちゃまは孫のためにひと肌脱ぐとしましょう。
☆彡☆彡☆彡
私の8歳の誕生日のガーデンパーティの席で、私はちょっとした細工をしていました。
水槽に水を入れ、太陽の光を反射させて虹を出現させるという、理科の実験を応用したものです。
それはパーティーの参加者が見守る中、神託を受けたことを確固たる事実として知らしめるため。
もちろん、お父様とマリアお母様、国王王妃両陛下には前世の記憶と、フィリップ様とココ様の事も含めて全て計画を話して協力を仰いでいます。
お父様とマリアお母様はフィリップ様との婚約解消が私の心の傷にならないかとても心配していたけれど。
前日までに虹が出現する位置とおおよその時間を確認しておき、当日はそのタイミングに合わせて虹の出現と共にその場に手を前に組んで跪きました。
女神様曰く、
侯爵令嬢ルイーゼは聖女ココの助けとするべくこの世に生を授け、聖女様と同じ異世界の英知を与えたと。
聖女ココの英知は広く王国民に提供されるものであり、教会の中での祈りで奇跡を起こす類いの物ではない。
聖女ココは王族の伴侶となり、王族として国のためにその英智と奇跡を公開するために選ばれたと。
私の純白のドレスに虹が映し出され、幾重にも重なったレースを通してキラキラと輝いています。
その様子と8歳の幼女らしからぬ落ち着きすぎた佇まいと低い声音により、その場のすべての人々が跪きました。
お忍びという名目で参加していた国王王妃両陛下までが首を垂れる様子に、大司教様も神託を否定することが出来ず祈りの姿勢を取っています。
大司教様が祈りを捧げるように私の前に跪き私だけに聞こえるように小声で囁いています。
女神を騙る大罪? 神罰が当たる?
大丈夫だわ、たぶん。
「お勉強」と称して過ごした教会での経験から、教会は長年に渡り召喚した少女たちの記憶を奇跡と称して富と名声を得ていることを確信していました。召喚されて行き場もなく頼る者のない少女たちを懐柔し、質素すぎる生活を強いて利用していることを私は許せなかったのです。
私が前世であろう記憶を思い出したのも、かつての聖女たちの待遇をおかしいと気づけたこともきっと何かしらの意味があってのことですもの。
それにもう一つ、まだ確信は出来ないけれど予感めいたものも思い出したのです。
虹が消え、神託を終えた私はその場で気を失いました。(もちろん演技)
そのままパーティはお開きになりましたが、あっという間に噂は広がり、国の発展のためにココ様と王族の婚約の噂でもちきりとなりました。
聖女ココ様のお相手として、婚約者がいるとはいえ未婚の王族はフィリップ様しかいません。フィリップ様の婚約者であるブルク侯爵令嬢ルイーゼ様は一体どうなるのか。
その日のうちに私は神託の巫女と呼ばれるようになり、貴族たちは固唾を呑んで発表を待っていました。
フィリップ様とココ様は虹が消えて神託を終え、意識のない私が運び込まれた寝室の前で私が目覚めるまで待ってくれていました。
幼い二人に必要以上に心配をかけてはいけません。
私が目覚めたと聞いて寝室に入ってきた二人に、私は明るく声を掛けました。
「お見舞いありがとうございます。
私、最近の記憶が曖昧でごめんなさい。私たちお友達だったのかしら?
お名前を伺ってもよろしくて?」
侍女から、第四王子のフィリップ殿下と聖女ココ様ですよと告げられて慌てて礼を執ろうとした私は二人に押しとどめられました。
「こんなに素敵なお二人とお友達だったなんて、私、とっても果報者だったのですね!」
目をキラキラさせて話をする私に、二人は困惑した表情を見せながらも優しく接してくれました。
しばらくお話をしましたが、フィリップ様もココ様も、私がフィリップ様の婚約者だったことは告げずに帰っていきました。
「本当にこれで良かったのか?」
二人と入れ替わりに部屋に入って来たお父様とマリアお母様に抱きしめられ、お父様に聞かれました。
「えぇ、これで良かったのです。
大丈夫です。頑張った私にはこれから女神さまのご褒美があるかもしれません。」
そう言って微笑んで、安心させるためにちょっとだけ前世の思い出をお話ししました。
後日、神託の巫女であるブルク侯爵家ルイーゼ嬢は、女神に与えられた役目を終えて、聖女に関わる一切とその間の記憶を全て女神様へお返ししたと発表されました。
そして、ルイーゼ嬢の記憶にないフィリップ殿下との婚約は白紙となり、女神様の神託通り聖女ココ様と結ばれて国の繁栄のために尽くすことになると。
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余命宣告後の最期の旅行で、咲き誇る桜の木の下で視線に気が付いて顔を向けると、夫は透き通る瞳でまっすぐに私を見つめて言った。
「生まれ変わったら今度は君と同い年になる。出会った時の君と同じ18歳の春、僕は君にもう一度一目ぼれをして恋をするんだ。」
突然の事であっけにとられて返事が出来ずにいたけれど、とても、とてもうれしかった。
◎◎‥‥◎◎‥‥◎◎‥‥
今日は私の18歳の誕生日。
その後親友として親交を深めていったフィリップ殿下とココ妃殿下ご夫妻の主催で、桜の咲き誇る離宮の庭園で私の誕生日パーティーが開催されています。
ひときわ美しく満開を迎えた桜の木の下、透き通る瞳でまっすぐに私を見つめる視線に気づきました。
やっと出会えた。
私はその人に桜に負けない華やかな笑顔を向けました。
◇…◇…◇…
今日、最愛の娘が嫁いでいく。
晴れ渡る青空の下、恋をした誠実な青年と、愛し愛されて結ばれる。
彼女もこの結婚式をどこかで見ているはずだ。
きっとあの日の様に、花が綻ぶようなふわりとした笑顔を湛えて。
私がブルク侯爵を継いだのは、幼少の頃から婚約者として家族のように過ごしてきた、大公息女のフリーデリケと結婚してすぐの事だった。
父の前侯爵が病で急逝したことによる突然の代替わりであったが、執事や領地管理人が優秀であったことが幸いし、二人で手を取り合って侯爵家を守り立ててゆく目途が立った頃、フリーデリケ懐妊の知らせを受け、邸中の皆が喜びに沸き立った。
丈夫とは言えない体質で、侯爵夫人としての責務や仕事を懸命に熟してくれていた彼女を心配し、私も周囲も無理をしないよう出来るだけサポートしたつもりだった。
無事に二人揃って子どもを迎え、慈しんで育てていけることを疑っていなかった。
しかし、私の望みは届かなかった。
自分にそっくりな女の子を出産後、最後の力を振り絞って娘を胸に抱きながら二人で決めていた名前を何度も呼んだ。
私に娘を託すと、私と私の腕の中の娘に優しく微笑みながらフリーデリケは旅立ってしまった。
燃え上がるような恋ではなかったが、幼い頃から長い間信頼し合い、お互いに理解をし合って穏やかに家族のような愛情を育んできた。常に隣にいるのが当たり前で、体の一部の様だったフリーデリケを失うことは、魂の一部をもぎ取られたような喪失感を生んだ。
二人の腕の中でルイーゼを愛し慈しんでいくはずだった。
フリーデリケの腕を失って、どうやってルイーゼを愛していけばいいのだろう。
そう途方に暮れて、ルイーゼに手を伸ばす事が出来ない私に変わり、全身全霊をもって慈しみ愛して抱きしめてくれたのがマリアだった。
フリーデリケの侍女であったマリアは、自身の命の恩人であるフリーデリケに崇拝に近い親愛をもって仕えていた。
常々、フリーデリケがこの世の中の全てであり、自身が生きる意味だと豪語していた彼女は、フリーデリケを失った周囲の皆が悲しみに暮れ、暗く沈む中、一人気丈にルイーゼに手を伸ばし、愛情で包み込んでくれた。
ルイーゼの泣き声にふと目覚め、初めて子供部屋を訪れた夜。
月明かりに照らされ、ルイーゼを抱いてロッキングチェアに揺られながら、フリーデリケがどれほどルイーゼを愛していたか、生まれてくるのを楽しみにしていたか、母親であるフリーデリケがどんなに素敵な女性だったかを歌うように囁いているマリアを見て息を呑む。
月明かりの加減か、ロッキングチェアに手を添えて慈愛に満ちた微笑みを湛えてマリアとルイーゼを見つめるフリーデリケの幻が見えた気がした。その視線が私に移り、花が綻ぶようにふわりと笑った。
この二人を必ず幸せにしたい。
そうすることを許してもらえると確信した瞬間だった。
それ以来、私は全身全霊を懸けてマリアとルイーゼ、マリアとの間に生まれた二人の息子を愛し慈しんできた。
ルイーゼには女神の加護ではないかと思われる不思議な記憶があった。
その事で一時期は教会や王家に振り回され、傷つけられたルイーゼをこの国に置いておくことが許せず、腹に据えかねていた私たち家族は、ルイーゼから聞かされた予言が実際に起こらなければ王国を去る覚悟も準備をもしていた。
果たして予言はその通りに起こり、ルイーゼはこの国で最愛の伴侶を得た。
あの青年と一緒なら、間違いなくルイーゼは幸せになれるだろう。
フリーデリケは安心してくれているだろうか。
どうか私たちの最愛の娘をこれからも見守ってほしい。
最愛の娘ルイーゼにこれからも幸多からんことを。