第22話 魔獣の姫君
「過去の文献によると魔獣の姫君の名はバニートゥフレイクスというそうだ。魔界の森中の魔獣を従えて人里に下りてきて暴れまわり甚大な被害が出たと記されている。しかしまああくまで伝承の話だ。作り話かもしれないがな」
アルメリア侯爵はそういって笑うが私は血の気が引く思いがした。
このタイミングでそんな話題が出てくるということはその魔獣が本当に実在していて近い内に封印が解けるフラグに決まっているじゃないか。
「アルメリア侯爵、悪い予感は大抵当たるものです。備えあれば憂いなしといいます。最悪の事態に備えて今の内に何か手を打ちましょう」
イガコイガだけなら兎も角、そんな凶悪な魔獣まで出てきたらもはや騎士団だけに任せておける状況ではなさそうだ。
私を含めてこの町に住む人全員が自分の町を守る為に力を合わせて立ち上がらないといけないだろう。
「そ、そうか。ならば私も部下に町を囲う城壁の強化や魔獣と戦う為の武具の調達を急がせよう」
「私は町の皆さんが魔獣に対抗できるように冒険者や魔物ハンターの衣装を仕立てます」
「頼んだよリーリエ嬢。リッカやルッカ、屋敷のメイド達にも君を手伝わせよう」
「有難うございます。是非ともお願いします」
私は早速屋敷のメイド達を連れて裁縫工場に戻ると従業員達を集めてこれから自分たちが行わなければならない事の意思統一をする。
今はドノヴァンさん達がたった五人で町の周りを警備してくれている。
その間にこの町に住む何千人という全ての住民に戦う為の衣装を仕立てなければならない。
それは簡単な事ではないがアルメリア侯爵からの通達を受けた多くの町の人が協力を申し出てくれたので僅か数日の内に全員分の衣装の用意をする事ができた。
そしてアルメリア侯爵からは全ての住民に対して身を守る為の武具が配布された。
勿論子供や老人まで戦ってもらうつもりはないけど、彼らが最低限身を守る事ができるように子供には戦うちびっ子が主人公のバトル漫画の衣装を、老人には老いてますます盛んな老師キャラの衣装をプレゼントする。
私は以前仕立てた女剣士オルフィアが上位職である剣聖にクラスチェンジにした時の衣装を新たに仕立てて身に纏う。
お父さんやトリスタンおじさん達はカウボーイスタイルで騎乗しながら腰に着けた投げ縄で魔獣を捕獲するのが役割だ。
こうしていつでも魔獣を迎撃できる準備が整った。
「イガコイガの群れが町に向かってくるぞ!」
悪い予感は的中した。
魔界の森を見張っていた騎士団が大声を上げながら町に戻ってきた。
それ聞いて町の皆は自分達の町を守る為に城壁の付近に移動して魔獣の襲撃に備える。
「うふふ、魔獣が相手だなんて腕が鳴りますねリーリエさん」
隣を見るとシスターマリアが言葉通りポキポキと拳を鳴らしている。
どこまでも戦闘狂のこの人は衣装のせいなのか素でこういう性格なのかよく分からなくなってきた。
しかし今はこれ以上頼もしい味方はいない。
「まだ動くな、そのまま限界まで引き付けて奴らが城門の前の落とし穴にはまったところで弓の雨を浴びせろ!」
城壁の上で皆の指揮を執るのは伝説の兵法家孫武の衣装を身に着けたシャノンさんだ。
この世界では古代中国風の衣装は浮くかもしれないと懸念していたがなかなかどうして良い感じで溶け込んでいる。
彼の策通り落とし穴の中に落ちたイガコイガは降り注ぐ矢によって全身を穴だらけになって多くの屍を晒した。
これで少しは穴だらけになって処分される衣服の気持ちが分かっただろうか。
しかしまだまだ魔獣の数は膨大だ。
仲間の屍を踏み越えながら城壁を乗り越えて町の中に侵入してくる。
「かかれっ! 所詮は衣服に穴をあける事しか能がない芋虫だ!」
シャノンさんの号令でドノヴァンさんら五人の騎士団や武器を手にした町の人達が一斉に魔獣に飛び掛かる。
私も彼らに続いて手にした剣で迫りくるイガコイガを切り裂いた。
いける。
これなら私達だけでも町を守れる。
確かな手応えを感じながら次の目標を定めて剣を振る。
城壁の付近には次々とイガコイガの屍が積みあがった。
「この屍の後始末一体誰がするのかしら」
「きっとアルメリア侯爵が何とかしてくれるんじゃないですか? いい魔導士を雇ってるといいますし、まとめて焼却処分してくれるでしょう」
シスターマリアが私の疑問に答えながらまだ動いているイガコイガをメイスで殴打して止めを刺す。
こうして皆々の連携の下で日が暮れる頃にはあれだけ沢山いたイガコイガの群れは屍の山と成り果てていた。
「はぁはぁ……これで終わったかしら?」
「いや、まだです! 全員城壁から離れろ! うわああっ」
シャノンさんの叫び声とともに突如目の前の城壁が大きく崩れた。
「シャノンさん!」
「ぐっ……私は大丈夫です。しかし最悪の事態になりました」
「……何あれ?」
崩れた城壁の向こうから巨大な女性の顔が町の中を覗き込んでいる。
まるで人形のように整ったその顔には表情がなくまるで命を持たない人形の様に冷たい印象を受けた。
「あれが……魔獣を統べる姫君バニートゥフレイクス……?」
城壁は先程の衝撃でぼろぼろと崩れ姫君の全身が露になった。
見れば首から下は人間のそれとは大きく異なりまるでカブトムシやカナブンの幼虫……いや赤茶色の体色を考えると衣類害虫であるヒメカツオブシムシの幼虫のような醜悪な姿をしていた。
その不気味な胴体と整った顔のコントラストにはある種の芸術的美しさと畏怖すら感じさせる。
刹那姫君の目玉だけがぎょろりと私の方を見た。
「リーリエ嬢下がって!」
「え?」
その異形の姿を目の当たりにして思考が停止していた私は一瞬反応が遅れてしまった。
気が付いた時にはバニートゥフレイクスの巨体が私の眼前まで迫っていた。