第1話 婚約なんて無かった
「おお……なんという美しさだ。一瞬女神様が現世に降臨なさったのかと思ったよ」
「まあ、お上手ですことセリオス様」
王宮で催された王太子セリオスの誕生日を祝うパーティー会場で一際美しいドレスを身に纏ったひとりの女性がセリオス殿下本人のハートを射止めた。
彼女の名前はフレミア。
ここコスタミア王国の国教であるクロウス教会の大司教の娘にして、女神の代理といわれる聖女の称号を与えられている女性だ。
周りの参列者とは明らかにレベルが違うオーラを纏った彼女の姿に誰もが見惚れ言葉を失っている。
セリオス殿下はしばし呼吸をする事も忘れたかのように静止し両の眼でその美しさを堪能した後、姿勢を正し徐に切り出しました。
「フレミア嬢、どうか私の妻になってくれないだろうか」
セリオス殿下の告白にフレミアは困ったように眉を顰める。
「……しかしセリオス様には既にリーリエ様という婚約者がいらっしゃると伺いましたわ」
「いや、あれは父上が勝手にそう言っているだけだ。父上は生憎体調を崩されてこの場にはいないがお前の美しい姿を見れば考えを改めるに決まっている」
力強くそう断言するセリオス殿下の姿にフレミアは漸く笑みを浮かべた。
「勿体ないお言葉。私などで宜しければ喜んでお受けいたしますわ」
「本当かフレミア!」
セリオス殿下はフレミアを抱き寄せゆっくりと口づけを交わす。
次の瞬間会場内から割れんばかりの歓声と拍手が湧き上がった。
「おめでとうございますセリオス殿下」
「フレミア嬢が次期王妃となれば王国の未来も安泰だ」
「王国の、そしてセリオス殿下とフレミア嬢の未来に乾杯!」
会場中の誰もが二人に惜しみない賛辞を贈る中、先程フレミアのセリフの中に出てきた私ことリーリエはひとり壁際で茫然と立ち尽くしながらそれを眺めていた。
私には今のセリオス殿下の情熱的な行動はお預けを解除されたワンちゃんが喜びながら餌に飛び付く様子にしか見えず、とても祝福をする気分にはなれない。
皆は私のことを心の狭い女だと思うだろうか。
いやそんなことはない。
事情を知れば誰もがあの二人を祝福しようとは思わないはずだ。
今日のパーティーにはセリオス殿下の誕生日を祝う事とは別にもう一つの目的があった。
それはフレミアではなく私リーリエ・ローデリアを王太子セリオスの婚約者として大々的にお披露目する事だ。
会場内に居並ぶ諸侯の前で美しいドレスを身に纏った私をセリオス殿下が見初めその場で婚約を申し込む。
世の淑女たちが憧れ後世まで語り継がれるようなロマンティックなシンデレラストーリー。
それが国王陛下が描いていたシナリオだった。
しかし陛下の思惑は私ではなくフレミアにひと目惚れをしてしまったセリオス殿下によって呆気なく打ち砕かれる。
元々政治的な婚約でありセリオス殿下とお会いするのも今日が初めてだったが、まさか顔合わせをする前に他の女に奪われるとは思いも寄らなかった事態だ。
まあセリオス殿下にはまだ何の愛情も抱いていないのでそれはもうこの際どうでもいいのだけど、私が許せないのは今日フレミアが身に纏っている美しいドレスの方だ。
「そう、そういう事だったのね……」
思わず握り拳に力が入る。
薄いピンク色をした修道服がモチーフとなっており、腰の後ろについた大きな赤いリボンがチャームポイントの少し変わった見た目のあのドレスは私の前世で人気だった乙女ゲーム【魔法聖女マジカル☆リーリエ】の主人公リーリエがエンディングで身に纏っていたドレスを私が再現した物である。
絶対に見間違うはずがない。
そもそも私が知る限りこの世界にはあのような衣装をデザインできる人間は存在しないはずだ。
私は王都にある庶民の家に生まれた。
母ミーシアは私が幼い頃に流行り病でこの世を去り、父マルセルが男手ひとつで私を育ててくれた。
裕福な家庭ではなかったので私たち親子は質素な暮らしを続けていたが、ある日転んで頭をぶつけたことで私は前世の記憶を思い出してしまった。
所謂異世界転生というやつである。
そしてその瞬間この世界ではファッション文化が前世と比べて絶望的に発達していない事実に気付いてしまったのだ。
この世界の人々が普段着ている衣服は前世でいうジャージのようなものだった。
それは平民だろうと王侯貴族だろうと変わらない。
彼らにとって精一杯のお洒落がジャージの色が違うとか縦じま模様が入ってるとかそのレベルだ。
前世の私は所謂コスプレイヤーで、よく自作の衣装を着てイベントに参加する程アニメやゲームの世界にのめり込んでいた。
特に創作物の中で描かれていた貴族たちのエレガントな生活には強く憧れを抱いていたものだ。
町に出れば自分たちの服装とは対照的に美しい装飾が施された数々のアート作品が目に留まる。
この世界の人たちは決して美的センスがない訳ではないのだ。
それなのに……折角前世で憧れていたファンタジーな世界に転生できたというのに何故か服装という一点のみが致命的にダサく、全てを台無しにしている。
私はこの世界に転生した自分が成すべき使命を直感で理解した。
この世界のファッションの文化が未発達というなら自分がファッションリーダーとして引っ張っていけば良い。
私がそう考えるに至ったのも当然の成り行きだろう。
偶然にも前世でよく遊んでいたゲームの中に今の私と同じ名前のキャラクターがいた。
それは女性向けの恋愛シミュレーションゲーム【魔法聖女マジカル☆リーリエ】の主人公であるリーリエという魔法使いの少女だ。
彼女の私服はとてもチャーミングなワンピースでファンからの人気も高く、私も一度はコスプレしてみたいと考えていたものだ。
思い立ったが吉日。
私は早速衣服の修繕に使う為に押し入れに保管してあった裁縫箱と生地を持ってきて前世の記憶を頼りに衣装の製作に取りかかった。
食事と睡眠以外の殆どの時間を注ぎ込むこと三日、ようやくその衣装が完成し真っ先にお父さんに見せにいったところ目を見開いて驚き瞬く間に虜になってしまった。
今までジャージがファッションの最先端だった世界である。
その衝撃は計り知れなかっただろう。
そして私が仕立てた衣装の噂は瞬く間に町中にも広がり、僅か数日の内にクロウス教会の大司教様の耳に入った。