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イヴィル回想

 イヴィルは物心ついた時から漠然と今の現状に不満と息苦しさを感じていた。

 スラム街という閉鎖された空間で行われる領地争いに、今日の飯にもありつけるか分からない貧困。今生きているうえで付き纏うこの状況や、闇組織の大人にびびりながら生きる息苦しい生活に生きづらさを彼は感じていた。

 

 イヴィルという男は自由な人生を求めた。彼の言う自由とは誰にも干渉されず己の力で生きていけることを指す。だが子供である自分にはそれを成すには何もなかった。

 子供の頃のイヴィルはまず力を求めた。

 当時スラム街では派閥争いが繰り広げられ何度も激しい抗争が行われた。

 それに生き残る為にイヴィルは仲間を求めた。

 腕っ節の強いバウト。

 レアなスキル持ちで金策や食糧の調達に長けたグリード。

 癖の強い奴が多いスラム街でも柔軟に人と付き合えるブルース。

 仲間を集めたイヴィルは組織を立ち上げ本格的に派閥争いに乗り出した。派閥争いといっても難しいことはない。敵対する全てをイヴィル達は暴力で蹂躙していった。

 そして結成から数年後、彼等はようやくスラムの頂点に立ったのだ。


 スラム街の頂点に立ったイヴィル達に歯向かう者はいなくなりある種平穏を彼等は勝ち取った。

 だが、スラムの頂点に立ってなお、イヴィルはまだ自身の環境の不自由さに悩んでいた。確かにスラム街は生きやすくはなった。歯向かう者は減り、食糧も安定して手に入るようになった。

 そんな彼が疎ましく思ったもの、それは――

 《《彼は仲間達を鬱陶しく感じたのだ。》》

 スラムの派閥のトップになったイヴィルには多くの人間が慕い、彼の元には人が集まるようになった。

 平穏になったスラム街の住民はその功績からイヴィルをリーダーだと認めたのだ。街を歩けば声をかけられ、何をするにも人がついて回る。

 イヴィルはそれがたまらなく嫌だった。

 まるで奴等が自分をスラムに縛り付けているような気がした。

 

 (違う。俺が求めた自由はこれじゃねぇ)

 

 だからイヴィルは決心した。

 スラムから抜け出して一時でもこの閉塞感から自由になろうと。そしてイヴィルはリーダーという重責を彼を慕う仲間を捨てスラム街を去ろうと一人で旅立った。

 だがそれが不幸の始まりだった。

 ある日の夜、一人でスラム街を出ようとしたイヴィルは行動に移した。

 スラム街といえど夜は月明かりのみなので基本的には誰もいないわけだ。だが、イヴィルが行動に移した日は例外だった。

 スラムを出ようとしている彼の前に数名の大人が立ち塞がったのだ。スラム街ではあまり見ない上質な服から恐らく闇組織の人間だ。

 

「……なんだお前ら、失せろ!」

 

 言葉とは裏腹にイヴィルは冷や汗をかく。

 目の前にいる大人の一人に見覚えがあるからだ。

 スイロク王国の闇を支配者。

 彼の部下を通して何度かやり取りしたことがある人物。

 人身売買組織『ギレウス』のボス、オリオンだ。

 オリオンはイヴィルにこう言った。

 

「俺と一緒に来い。いい所に連れてってやる」

 

 連れの男達はニヤニヤと笑っている。

 間違いなく人攫いのターゲットになっている。

 それに気づいたイヴィルは逃げだそうとするもすでに周りは囲まれている状態だった。

 イヴィルの逃げ場はなかった。

 

「不味い――」


 そう感じたイヴィルは契約している精霊を使って目の前のオリオンを攻撃してギレウスの全滅を図った。

 火の精霊による火球の魔法がオリオンを直撃する。

 だが――


「痛いじゃねぇか――クソガキ!」


 その燃え盛る炎の中男は何のことなく現れた。

 目の前の男はスイロク王国の闇を支配する男。

 ギレウスのボス――オリオン。

 まだ十代前半のイヴィルでは相手にすらならなかった。

 そしてそのままギレウスのメンバーになすすべなく敗北し、イヴィルは意識を手放し連れ去られた。

 その日以降、スラム街でイヴィルを見たものは誰もいなかった。


 ◇

 

 気がつくと俺は見覚えのない場所へと連れてこられた。そこは窓のない閉鎖的で広々とした部屋、恐らく地下だと思われる。

 周りを見ると自分の他にも三十人以上のガキ達が攫われていた。

 

「起きろ奴隷どもぉぉぉお‼︎」

 

 室内に怒号のような声が響き渡り、周りにいる子供達が萎縮する。

 現れたのは軍服を纏った黒髪の三十代ほどの体格のよい男。

 

「総員傾注! 我はこれから貴様等の飼主になるサー・ノワールだ。帝国へようこそ、我等は貴様らを歓迎しよう」

 

 全員が状況を飲み込めず固まっている。

 どうやら俺は帝国へ連れてこられたようだ。

 俺は意を決してサー・ノワールに問いかけた。

 

「……俺をどうするつもりだ?」

「ほう。貴様、名は何という?」

「………イヴィル」

 

  サー・ノワールがイヴィルの元へ歩きだす。

 すると思いきり力の込めた蹴りが俺の腹に叩き込まれた。

 

「かはっ!!」

 

 あまりの衝撃に身体が吹き飛ばされ地面に転がる。

 

「誰が勝手に喋っていいと言ったゴミが! 立場を弁えろ」

 

 ゴミを見る目で男は俺に向かって吐き捨てた。

 

「き、きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 それから数拍置いて、周りにいた子供達から悲鳴が上がる。恐怖で泣き出す奴に失禁して震えている奴、周りは混乱状態だった。

 

「黙れぇぇぇぇえ‼︎」

 

 怒号が悲鳴をかき消し、全員の視線がサー・ノワールに注がれる。奴は倒れている俺の頭をブーツで踏みつけた。周りに立場の違いを植え付けるように。

 

「貴様らはこれから奴隷としてその命を帝国、ノワール家のために使ってもらう。喜べゴミムシ共、貴様らの無価値な命を帝国が意味を持たせてやるのだぞ」


 見せつけられた暴力に口を挟ませないと言わんばかりの相貌。

 それらを見せられもはや誰も彼に逆らうことが出来なかった。


 

 そして始まったのが奴隷生活。

 それから地獄の日々が始まった。

 俺達はサー・ノワールの奴隷となり、この身に余る屈辱と痛みを施された。

 サー・ノワールは帝国の闇組織の人間で、ギレウスからレアスキルを持っている奴隷を買い取り、その人間を集めては戦力を作ろうとしていた。

 後から知った話だが、スイロク国の貴族も帝国との繋がりもあり、ギレウスのこと含め黙認しているため大事にならないそうだ。

 

 それもそうだ、たかがスラム街のガキ一人居なくなったところで誰も騒ぎ立てやしない。スラム街はギレウスの……いや、ノワール家の養豚場だったのだ。

 それに奴隷は換えも効くし危険な場所に送っても困らない。要は死んでも足は残らない便利な駒というわけだ。

 中でも実力があった俺は何度も危険な任務に送られた。

 暗殺、強盗、恐喝、詐欺、犯罪になるようなことは一通りやらされ、捕まりそうな時は仲間を犠牲にして逃げのびる日々。

 たまにスキルの人体実験としてどこかから連れてきた精霊を使役させられたりもした。中には邪精霊という危険なものもいて何度も命を危険に晒した。

 初めは抵抗したが、ここに来る時に契約魔法で縛られているがわかり無駄だと理解する。

 それでも命令に従わなかった俺は見せしめとして変態どものおもちゃにされ蹂躙された。

 豚共の悪意と醜い欲が俺に降り掛かり痛みを植え付けていく。

 

 (ここは地獄だ)


 変態どもに蹂躙される中、イヴィルは虚空を見つめながらそう思った。

 スラムにはまだ自由があったがここには何一つない。

 ここで徹底的に埋めこまれたのは弱肉強食の価値観だ。

 奴隷という弱者の自分達は、支配者という強者には逆らえない。弱者の俺は強者であるサー・ノワールに逆らえないということだ。

 

 《《強者とは自由なのだ。》》

 弱かったから強者であるギレウスに捕まり、売り飛ばされた。だから強くなるために苦しみに耐え、泥水をすすり、イヴィルは強くなるしかなかった。

 いつまで続くか分からない地獄の中で生きるにはそれしかなかった。



 しかし、そんな地獄の毎日にある日終わりが見える。

 奴隷となってから年月が経ち、イヴィルにとある転機が訪れた。

 あの強者であるサー・ノワール死亡の知らせが来た。

 奴はライナナ国の闇組織との抗争で殺されたらしい。

 そこで俺は気づいた。

 自身に施された契約魔法が無効になっていることに。

 この時俺は知ったのだ。

 契約している人物を消せば自由になれることを――。


 (まだだ、時期じゃねぇ)


 今逃げても捕まるだけだと悟った彼は力を蓄えることにした。自由になるために――

 サー・ノワールの代わりの男は彼より劣る愚鈍な男だった。だが、実力はイヴィルよりも遥かに上な為、彼を事故死させるのに十年以上の時間がかかってしまった。

 『幻惑の精霊』で帝国軍人の一人を操り契約者を事故死させ殺害。

 結果、奴との契約魔法が無効となりイヴィルは自由になった。

 契約が解けた瞬間、俺が逃げようとするとノワール家の部下達がイヴィルを逃すまいと立ち塞がる。

 だがその時の俺には障害にすらならなかった。

 

「どけ豚ども! 俺は自由だ!!」

 

 ノワール家によって拷問に近い訓練を施され強者となった俺はサー・ノワールの残した組織を壊して自由になった。

 ノワール家から逃げ出した俺は自由を手にした。

 十年以上にもわたる奴隷生活から解き放たれ邪魔くさい仲間も俺の自由を奪う敵もいない、もう誰からも縛られることがない自由を手にしたのだ。

 ――俺は自由だ。

 そう思っていた。


 自由を手に入れた俺はすぐさま帝国を抜けて各国を旅した。

 たまに襲ってくる盗賊などから金銭を奪いながら色んな場所を見て回った。煩わしい仲間も自由を奪う敵もいない静かな旅だった。

 ついに得られた静寂と自由。

 だがいざ手にしてみたら満足していたのは初めのうちだけで、それ以降は奴隷の時のような支配されている感覚に落ちていた。

 旅の中、思い耽ると頭に浮かぶのはスラム街でバウトやグリード、ブルース達で連んでいた幼い頃の記憶。

 自由を手にしたはずなのに頭に過るのは捨てたはずの故郷と仲間たちの姿だった。

 

「クソッ――何なんだよ!」


 今の俺には関係のない事だと割り切る。

 だが、もし今アイツらが俺の側にいたらと思うと……そう考えたが即座にその考えを破棄する。

 今の俺は自由なのだからと……、捨てた奴等のことはもう忘れろとそう思っていたのに――。

 

 気づいたら俺はスイロク王国のスラム街に戻ってきていた。

 荒廃した街並みが俺を出迎える。

 そして変わらないゴミ溜めのような腐った匂いに顔を歪ませるもどこか懐かしさを感じた自分にムカついた。

 

(何をしているんだ? せっかく自由になったってのに)


 何故またこの場所に訪れたのか自分でもわからない。

 古い仲間にでも会いに来たのか?

 流石にもうスラム街にはいないだろう。こんな場所抜け出して自由にやってるだろうとどこかそう思っていた。

 目的もなくスラム街を進んでいく。

 すると――

 

「もしかして……イヴィル?」

「お前………………ブルースか」

 

 スラムを歩いていると古い知り合いと出会った。

 昔自分の下にくっついていた奴だ。

 かなり痩せ細っているがなんとか生きていたようだった。

 

「イヴィル! 今まで何してたの? 私達、貴方がギレウスに攫われたって聞いて大変だったんだから! ずっと待ってたのよ!」

「騒ぐな、鬱陶しいくせぇんだよ」

「酷い⁈」

 

 相変わらずうるさい奴だ。

 俺なんか忘れてここから出ていけばいいのによ。

 それを犬みたいに尻尾振って十年以上も待ってやがるんだから……本当に救えねぇ奴だ。

 治安の悪さが如実に現れる頭の悪そうな住人。

 不自由を感じさせる閉鎖的な空間。

 何も変わっていなかった。

 《《そう変わっていなかったのだ。》》

 

 その光景に俺は安堵ではなく怒りを覚えた。

 俺がいない間も奴等が搾取を続けていたことに。

 それにも気づかず搾取されていたスラム街の奴等に。

 そして自由のないこの国に――。


 ああ、やはり俺の心はスラム街に囚われたままだった。なぜ自由になったのにここに戻ってきたのか今なら分かる気がする。

 奴隷になった時、いつもどこかしら心の隅にスラム街での思い出があった。それが鎖となってまた俺をこの地獄に連れ戻したのだ。

 ここは俺を縛る牢獄だ。

 ここを壊さないと俺は自由になれない。

 だから俺は反乱を起こす。

 スラム街が……スイロク王国が、豚どもの支配下にある限り俺は自由になれない。

 この世は弱肉強食だ。

 俺は弱かったから売り飛ばされ奴隷になった。

 ギレウスの奴らやこれに絡んでいる貴族は憎いが弱い俺が1番悪い。

 だが俺は強くなった。あの豚どもよりも――

 この世は弱肉強食だ。

 これからは俺が豚どもを食らう番だ。

 

「仲間を集めろ。ギレウスを潰すぞ」


 今の俺は誰よりも自由なのだから――。


 ♢


 イヴィルの話は壮絶だった。

 まさかガキの時にギレウスに捕まって売り飛ばされるとは……ギレウスは潰されても文句言えないな。

 彼の過去には同情できる。奴隷として人間以下の扱いを受け、自由を奪われ続けてきたのだから。

 だがイヴィルは嘘をついている。

 いや、気づいていないのかもしれない。

 

「反乱を、起こしたのは自由になるため……か。イヴィル……それは違う」

「……」

「お前は初めから自由だった。奴隷から解放された時点でお前は自由だったんだ。だが、お前は自由ではなくスイロク王国へ戻ることを選んだ。それだけ大切なものがこの国にあったんだろ?」

「………………違げぇ」

「なら、お前は何故戻ってきた? スラム街を過去のことだと割り切り新たな人生をお前だけなら歩めた筈だろう」

「違うっつってんだろうがっ‼︎」

 

 過去を切り捨て、自分のためだけに生きていければ良かったにも関わらずイヴィルはスイロク王国に戻ってきた。

 奴の心のうちに残る何かがそこにあったのだろう。

 それは――

 

「仲間………か?」

「っ⁈」

 

 バウトにブルース、あの者達はイヴィルを生かそうとした。他人に想われるには自らが他人を想わなければならない。

 きっとかつてのイヴィルも彼等を想って行動してきたのだろう。そんなイヴィルだからこそ彼等はついてきたのだ。

 牢獄なんかそこには無かった、

 イヴィルは故郷とそこにいる仲間達が虐げられているのを見てそれが許せなかった。奴隷だった頃の自分と重ねて自分の仲間やその自由が奪われたのが我慢できなかったんだ。

 イヴィルはそんな優しい思いという鎖を故郷と仲間に巻きつけていただけなのだ。

 

「お前を縛っていたのは国でも貴族でもなく、お前自身だったんだイヴィル」


 故郷と仲間の未来を憂いて動いたそんな理由だったのだ。まぁ、かなり私怨は混ざっていただろうが……。

 

「…………」

 

 さて聞きたいことはもう聞いた。

 環境には同情するがいかんせん無関係な一般人を巻き込みすぎたな。

 コイツをこれからどうするべきか少し悩む。

 殺すべきか、生かして連れ帰るか。

 そう考えに耽っていた時――



 


 「そいつ殺さないの? じゃあ《《ヒィル》》が殺すね」


 

 

 突然高く澄ました声が空間に響いた。

 その瞬間――。

 アブソリュートの視界に突如、人影が現れ倒れたかと思うと倒れていたイヴィルに向けて剣を突き立てた。

 僅か一瞬の間に現れたイヴィルを狙う予想外の襲来者。

 アブソリュートの戦いはまだ終わっていないようだった。


 

 

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