聖女エリザ
【教会side】
時はアブソリュートがクリス達と合流した頃まで遡る。
今回の演習にあたり教会は森の中に簡易基地を作成して現在聖女達はその中で計画の進行を見守っていた。
「報告します。レオーネ王女が本部まで撤退したようです」
聖騎士からの報告を受け、聖女エリザは残念そうに口を開く。
「計画は失敗の様ですね。……シリウス司教?」
自分より一回り年下の聖女にシリウス司教と呼ばれた男は、ただひたすらに頭を下げ続けた。
優しい声音のように聞こえるが、どこか圧のようなものを感じて言い淀んでしまうシリウス司教。
「まさかレオーネ王女の側にあれ程の実力者がいたとは思いませんでした」
「確かにそうですね。上位種を一人ですべて倒すなんて……あのメイドは一体何者なんですか?」
聖女はいつもの穏やかな表情のまま上位種の魔物がやられる報告を聞いていた。
シリウス司教は聖女の言葉に自分が悪いわけではないのに萎縮してしまった。
聖女エリザ、初めはライナナ国の辺境の街から聖女に据える為に連れてこられただけのどこにでもいる少女だったと記憶している。だが、今はライナナ教会に傾倒しすぎてどこかおかしくなっているように感じる。
近年ライナナ教会はどこかおかしい。昔は悪に対してもそこまで締め付けは強くなかった。だがネムリア枢機卿が戻ってきてからというもの、今はライナナ教会の判断により裏で粛正するまでになった。この作戦にしても貴族を相手に手を出すなど普通は有り得ない。正直今すぐにでも逃げ出したいのが本音だった。
「ミカエル王子からの情報だと恐らくアブソリュート・アークの奴隷兼、侍女のマリア・ステラだと思われます」
聖女エリザの護衛であり同じクラスの聖騎士アーニャが補足する。
「ステラって確か代々優秀な騎士を輩出していた家よね? それにマリア・ステラって聞いたことあるわ。確か十才の時には騎士団から勧誘されていた程の逸材。なんでアーク家の奴隷なんかに?」
本来の計画では主力の上位種の魔物でミスト達を囲むように配置し、逃げ場を封じてから襲う予定だった。だが、二つのアクシデントによりそれは叶わなかった。その一つがマリア・ステラの存在である。ミスト達を襲う為の主力の上位種でミスト達を囲む前に一人でほぼすべて倒してしまったのだ。
教会側は大量の上位種の魔物を倒せる人材が、アブソリュートを除いてあの中に紛れ込んでいようとは思ってもいなかった。そのアクシデントにより、本来予備戦力として温存しておいた魔物計三百を急遽投入することになったのだ。
「上位種が全滅したのは仕方ありません。ですがシリウス司教、どうしてもっと彼らの近くに魔物を転移させないのですか? 魔物が彼らの元へ行くまでにラグが出来たせいでレオーネ王女を逃してしまいましたよ?」
聖女エリザは魔物のテイムと転移を担当しているシリウス大司教を笑顔のまま責める。
「それが……彼らの近くでは固有魔法が使えないのです。恐らくなんらかのスキルか魔道具の力が働いているのかと」
「彼らに転移を封じる手段があると考えているのですね?」
「えぇ、転移阻害の魔道具……もしかしたらあの者達の中に所持者がいるかもしれません。恐らく空間の勇者対策としてスイロク王国でも作られたでしょうから、レオーネ王女が所持している可能性があります。あの国も以前空間の勇者からひどい目にあっていますから」
「空間の勇者ですか……まさか勇者対策の転移阻害の魔道具が、まだ残っているとは思いませんでした」
聖女達が予想しなかったアクシデントの二つ目は本来転移させる筈だった場所に転移させることが出来ず、結果距離を空けて転移をする羽目になりミスト達に逃げる時間を与える結果になってしまった事だ。
勿論それは偶然ではない。アブソリュートは教会が転移に近い手段を使用すると予め分かっていた。故に交渉屋を捕縛する時に使用した『転移阻害の魔道具』を荷物の中に入れる事で転移対策をしたのだ。その結果時間を稼ぐ事に成功し、レオーネ王女の避難を許してしまった。
「クリスティーナさん達の対処をお願いした聖騎士の皆さんもまだ連絡もありませんし、今回はここまでですね。シリウス司教は見つかる前に引き上げて下さい。私達は演習に戻ります」
「……承知しました」
「お話し中失礼します。聖女様、私達のグループの方から魔法が打ち上がりました。非常事態かと思われます」
「そうですか、なら早く戻らないといけませんね。シリウス司教また教会で」
聖女エリザはそう言うと護衛の聖騎士アーニャを連れてグループの元へと戻っていった。
聖女達が離れるとシリウス司教は周りに誰もいない事を確認してひと息をついた。ストレスから解放され、一気に身体から力が抜けていく。
「はぁ〜疲れた、まじで帰りたい。聖女様は遠回しに責めてくるから心労がヤバいし、魔物を使って間接的に人を殺しさせられてるしでやってらんないわ」
シリウス司教は流されやすい男だ。親の言うままに教会に勤めて、上司に言われたことだけをやり、教会内の派閥争いも流れに流されていつの間にか上位の派閥に属してしまい出世して司教にまでなった男だ。
上層部に言われて仕方なく従っているが本当は悪人であろうが人を殺したくなんかなかった。
「アーク派閥以外の人間も手にかけようとするなんて……どっちが悪か分からないな」
シリウスは自嘲しながら撤退の準備の為に重い腰を上げようとすると誰も居ないはずの後ろから幼さの残る女性のような声が聞こえた。
「どちらが悪か分からないなら教えてあげるの。貴方が一方的に悪いことをね」
甘くささやくような声はシリウスの耳元から聞こえた。
気づくとシリウス司教の首に刃物が当てられていた。
(えっ? 嘘だろ……。いつの間に俺の背後にいたんだ)
「動かないで。勝手に口を開いたり動いたりしたら殺す。分かったらゆっくり頷くの」
言われた通りシリウス司教はゆっくりと頷いた。すると後ろにいる人物は首元に当てていた刃物をシリウス司教の右肩に深く突き刺した。
「ギィヤアアアアアアアアアアアア!」
刃物で刺され血が吹き出す。
(なぜだ、言う通りにしたのに……なぜ刺された?)
「動くなと言ったのに動いた罰なの。お前には耳がないの?」
(お前が頷けと言ったんだろうが! クソ、コイツ……ヤバい。理不尽すぎる。早く逃げなければ)
固有魔法を使い逃げようとするがその為にはコイツの目を掻い潜らないといけなかった。
「お前を観察してて分かったのは、転移するには穴を作ってそこを潜らなければならない。だから動けない様に全身を痛めつけてから連れて行くの」
シリウス司教はこれから自分に起こりうる事を予想し身体を震わせた。肩を刺されたこともあり頭から血の気が引いて息も荒くなる。
「ウルのご主人様に手を出して楽に死ねると思わないことね。お前らみたいな小悪党がご主人様に手を出すなんて絶対に許さない。ご主人様の敵は全員皆殺しなの」
(何を言っているんだコイツは……それに手を出したって? コイツ……アーク家の者か。ああ終わった……俺の人生どこで間違えたのかな)
「ウルの大事な人を傷つけようとした報いなの。安心して、殺しはしないわ。ご主人様に怒られるから」
その後、叫ばれないように初めに喉を潰され全身の骨を折られた。幸運だったのは途中から意識を失ったので痛みを感じる時間が少なかったことだろう。骨の折れる音が基地の中で響き続けた。
「終わったわ……新入り、ウルとコイツを屋敷まで送りなさい」
「あっはい先輩」
シリウス司教が痛めつけられる所を離れて見ていた交渉屋は、ウルの命令で二人をアブソリュートの屋敷へ転移させた。
ウルと主犯を転移させた後誰も居なくなった司教の基地で交渉屋は項垂れた。
「ウル先輩もヤバい人だった……やはりアーク家は危険だ。……あぁ仲間の元へ帰りたい」
交渉屋は夜空を見上げながら力無く呟いた。
◆
シリウス司教と別れ聖女達は自分達のグループに合流するためキャンプ地へと向かった。
キャンプ地へ到着すると何やら血の香りが漂っていた。
異変を察知した聖女達の視界に映ったのは信じられない光景だった。
聖女達のキャンプ場は血の海と化していた。
血の海となったキャンプ場に散乱するのは長い間聖女達と時間を共にした聖騎士達の死体……そしてその中で聖騎士達の死体を食らっている血や肉に塗れた一体の魔物の姿。目を見開くメガネをかけた女性の聖騎士アーニャと静かにその光景を冷めた目で見つめる聖女エリザ。
「そんな…………何事ですか!」
アーニャの怒鳴った声で肉を食べていた魔物は聖女達に気付いてしまった。魔物は聖女らの方を向く。それは黒い肌をしたオーガだった。
「あれは『上位種』のオーガ? この森には教会が放ったもの以外はいないはず……どこから湧いて出たのかしら? まぁいいわ。アーニャ一人でやれる?」
仲間の死に動じず冷静に討伐を指示しようとする聖女。
あまりに無茶ぶりだが彼女の護衛のアーニャは眼鏡を光らせ冷静に忠言する。
「正直に申し上げますと一人では無理です。オーガのレベルは個体差にもよりますが総じて三十程度だと言われています。私のレベルは丁度三十なので通常ならば一人でも可能です。ですが、目の前にいるオーガは『上位種』。通常個体よりレベルが十程度上だと思われます。勿論行けと命じられれば忠実に執行しますが、その場合全滅は免れないでしょう」
「そうなのね。なら私と共に死ぬ?」
唯一戦える彼女が勝てないというのなら本当に無理なのだろう。
やり残したこともあるが仕方ない、覚悟を決めよう。
死を覚悟する聖女の前にアーニャは守るように前に立ち剣を構えた。
「先ほども言ったように一人では勝てません。ですが貴方と二人ならまだわかりません。
どうか私に手を貸してもらえませんか?」
「そう、分かったわ。アーニャ、聖女の盾よ。貴女に聖女の祝福を授けます」
聖女は連続して魔法とスキルを発動させ聖騎士アーニャを強化した。
強化されたアーニャと上位種のオーガの激しい戦闘が繰り広げられた。どんなに傷ついても聖女が癒し力を与える。腕や足がちぎれても、どんなに血を流してもアーニャは戦い続けた。
そして、激しい戦闘の末にアーニャが強化種に勝利を収める形になった。
「結局あのオーガはなんだったのか分からなかったわね」
何者かの刺客の線もあるが、聖女を殺すにしては少々殺意が足りないような気がして頭を悩ませる。
少し考え込んだ後、聖女は犠牲になった聖騎士達の名前と人数を把握する為に遺体元へ向かった。犠牲になったのは八名。聖女のグループの総数は十名。聖女と聖騎士アーニャ以外の全員が犠牲になったことを意味していた。
中にはクリスティーナの始末を命じたエヴァン達も含まれていた。
(何故クリスティーナさん達の始末をお願いしたエヴァン達まで? もしかしたらシリウス司教の単独の可能性もあるわね)
アーク家が黒幕の可能性があるが、アブソリュートは仲間を救う為に東奔西走していると聞いている。アーク家には魔物を自分達に仕向けるなど不可能だと考えた。
今回亡くなった八名は幼い頃から聖女を公私共に支えてきてくれた聖騎士達だった。聖女は悲しげな顔を作り、亡くなった仲間達の魂に救いがあるように祈りを捧げた。
(いつからかしら……身内の死を悲しめなくなったのは。あれだけの時間を共にした仲間が死んだというのに、何も感じない。こんな薄情な私が聖女なんて笑えないわ。今はただ理想の聖女を演じているだけのアクターでしかない。でもそれで構わない……私はただこの世から悪人がいなくなればそれだけで良いのだから)
聖女の心中を知らず仲間達の為に祈りを捧げる聖女の姿を見て聖騎士アーニャは声を上げて涙した。
その後救援に来た教員達の手によって聖女達は保護されていった。教員達は皆悲しげな表情を浮かべて祈りを捧げる聖女に同情し誰もが彼女が被害者であることを疑わなかった。
だがそれも聖女による演出である。仲間の死に対して悲しみ、傷ついた可哀想な女を演じたのである。
被害者と加害者、両方を演じながらも周囲の同情を買うのが上手い。それが聖女エリザという女である。
(とりあえず敵の正体を調べることから始めましょう。まずは教会の内部からでしょうか)
仲間の為に祈りながら別の事を考える聖女だった。
そんな聖女の様子を、魔物を放った張本人である交渉屋は離れた場所から観察していた。主人に結果を報告する為に。
♢
「という感じで聖女達は生き延びました。アークさんが殺した四名の遺体は魔物にやられた形で処理しました。それに加えて上位種の魔物に殺された四名、ウル先輩が捕らえた捕虜一名が成果になります」
演習が終わりアーク家の屋敷の防音室で交渉屋から聖女達の様子を聞いていた。
アブソリュートは交渉屋の手腕を試す為に、聖女の取り巻きである聖騎士の処理を任せた。結果、交渉屋は教会と同じように魔物を使って聖騎士達を襲わせたのである。
(下準備で魔物を何体か捕まえるように頼まれたがこういうことだったのか。流石は交渉屋だ。転移だけじゃなくこういった仕事を任せられる人材は貴重だ。捕まえて正解だったな)
「聖女は本当に殺さなくてもよかったんですか?」
「ああ。今回の計画は聖女一人で立てたものではないだろう。敵の規模を見る為に聖女を泳がしておいたが、やはり教会全体が絡んでいるのは間違いあるまい。今回奴等を逃がさない為に証拠を集めたのだ」
「アークさんがまた裏で殺せばそれで終わりませんか?」
「聖騎士のような下端ならそれで終わった話だが、聖女や枢機卿のような立場がある者の処理は慎重に行わなければならない。それにこういう奴等を相手するには色々とやる事があるのだ。全く宗教というものは面倒だ」
主にやることと言えば証拠集めと外堀を埋めることだ。
聖女が主犯の司教と共にいる所を映像の魔道具で記録している。あとは枢機卿の証拠があれば言うことはないがこれだけでも正当に聖女を排除することができる。
どうするか悩んでいると交渉屋が声をかける。
「アークさん取引をしませんか?」
「ほう……言ってみろ」
「現状まだ教会を仕留められる証拠はありませんよね? なら僕がライナナ教会の上層部が逃げられないような証拠を持ってきます。その代わり見返りとして僕を奴隷から解放してくれませんか?」
アブソリュートは少し考え込む素振りを見せる。
(交渉屋はできない交渉はしない。ということは証拠についてある程度目処がついているのだろう)
「『交渉屋命令する』証拠の心当たりについてすべて話せ」
現在奴隷である交渉屋は主人であるアブソリュートの命令に逆らうことができない。
「スイロク王国の闇組織ブラックフェアリーのアジトに裏帳簿という物がありまして、僕を通じて帝国と人身売買を何度かしていました。その中にネムリア枢機卿のサインがあるんですよ。それが証拠になるかと思いまして」
交渉屋は悔しそうに心当たりについて吐き尽くした。奴隷の身分では主人に対して対等な交渉等できないのだ。
(スイロク王国か……勇者が闇組織から国を救う次のイベントの場所だったな。原作と違いレオーネ王女と縁のない勇者はイベントに関われないだろう。だからこのイベントは正直どうでもいい。だが証拠があるなら長期休暇の時に行くのはありだな)
「話は分かった。もしそれが本当に持ってこられるのならお前を解放してもいい」
「本当ですか⁈」
「ただし、解放は十年後だ」
アブソリュートは今後国との戦いが起きる事を前提で行動している。その上で見出した数字が十年だった。
交渉屋は十年という長い月日に絶望する。
「もう少しなんとかなりませんか?」
「これは譲れないな。もしくは別のものでも構わないぞ? さて、話は終わりだ。私は学園に事情聴取で呼ばれているからマリア達に遅くなると伝えておけ」
交渉屋はアブソリュートにとって有効な駒だ。故に最大限に譲歩したつもりではある。
話は終わり、アブソリュートは部屋から出ていった。その背中を交渉屋はずっと見つめていた。
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