英雄
英雄になりたかった。
子供の頃に英雄譚を読み自分も物語に出てくる彼らのようになりたいと、男なら誰もが一度は思ったことがある筈だ。
例えば、数百年前魔物を統べる魔王から初代聖女や賢者と共に世界をめぐり魔王という存在から世界を救った初代勇者の冒険譚。
今より魔物が多い時代にスキルや魔法も使えない人間が己の剣技のみで万を超える魔物を斬り殺し生存圏を拡大させた女傑、人や魔物からも恐れられたアースワン帝国の伝説"剣聖アイラの伝記。
仲間と船で世界を渡り歩き浪漫を求め続けた海賊。海の上で一時代を築いた海の覇者。"海賊ドレイク"の航海日記。
仲間の敵を打つ為に単独で竜種の魔物に挑み、討伐に成功した史上初単独のドラゴンスレイヤー。S級冒険者竜人ブライゼルの回顧録。
一人で一国を落とし、世界を混乱させた勇者。全ての悪意から聖国の大聖女を守り続けた英雄。あまりの強さにその実力は大陸最強と噂されている『空間の勇者』の偉業を記した記録書。
毎日英雄譚を読み込んでその度に胸を弾ませ、英雄達に憧れた。自分も頑張ったら将来彼らの様になれると思い込んでいた。
だが、ある日気づいてしまった。自分には才能がない、さらに自分は悪者側の存在であり自分は英雄になれないと。
ブラウザ家は代々アーク家というライナナ国で一番の悪党と言われている貴族の傘下に入っており、つまりは自分も悪党の仲間だ。
悪党の仲間である自分は英雄にはなれない。そもそも魔法もスキルも特別な物は何一つないと何度も自分に言い聞かせた。元から自分には無理だったと気持ちに蓋をした。
◆
アーク家は代々国の為に国の脅威になる組織や個人他国から来た闇組織等を始末している。ライナナ国が健全な国を維持する為に全ての闇を背負っている。
ブラウザ家はそんなアーク家を補佐する為に作られた貴族だ。役割としてアーク家が殺した遺体の処理や証拠隠滅、現場に人払いの結界を張り撃ち漏らしが有ればそれの処理もする。当時まだ十才のミストは、アーク家の次期当主であるアブソリュートが裏の国防任務を行うのに合わせて同行する事になった。まだ未熟なミストが任されたのは遺体処理だ。
現場に来て初めて触れた人の死。
ミストは死んで間もない悪人の死体を見て身体が震えてしまい動けなかった。死体が怖いのではない、悪人の死体を通して自らの死を連想してしまい恐ろしくなったのだ。
まるで悪の仲間である自分の将来の姿を見ているようで、ミストは足がすくんで動けなくなった。
(早く、早く処理しなければ……でも身体が思うように動かない)
ミストは身体が動かせず固まったままだった。そんな時に見かねて動いてくれたのがアブソリュートだった。
「ダーク・ホール」
アブソリュートはミストが処理する筈だった死体を自ら闇の中に葬ってしまった。ミストは訳もわからずアブソリュートを見つめた。
アブソリュートはミストに背を向けたまま言った。
「……本来なら殺した私がやるべき事だ。だからこれから遺体は私が弔うことにする。お前は他の仕事を教えてもらえ」
徐々に混乱から覚めて、ミストはアブソリュートが自分を気遣ったのだと理解した。
「す、すみません。でも、ブラウザ家の仕事をアブソリュート様にやらせるわけには……」
「前から考えていた事だ。私は……お前らの善意に甘えてしまい罪悪感を少しでも軽くしようとしてしまった。殺したのは私だが、お前らも同罪で私だけが悪いんじゃないと……。殺しているのは私なのに可笑しな話だ。今日のお前を見て確信した、やはりこいつらは殺した私が弔うべきだとな。だから気にするな」
アブソリュートの覚悟と哀愁を、宿した瞳を見てミストは何も言えなくなった。
(分からない……殺した悪人やそれを処理するブラウザ家に何故罪悪感を抱いているのか。相手は国に仇を成す悪人とただの下位貴族だ。アブソリュート様のような上位の人間が気に病む必要はないのに)
それからもミストは何度も任務に同行した。アブソリュートはいつも通り淡々と任務をこなしていき、ミストも少しずつ人の死に慣れて耐性ができてきた。だが、アブソリュートが死体処理を自分でしてしまう様になった為、少し任務に余裕が生まれた。
代わりにアブソリュートと過ごす時間が増えた。ミストはアブソリュートが人を殺す所を何度も見てきて思ったことがある。何故あれだけの力がありながらアブソリュートはあんなに険しい顔をしているのだろう?
二人でいる時にアブソリュートの心情を聞いてみた。アブソリュートは少し考える素振りを見せながら話し始める。
「国の為に人を殺すのはライナナ国では正しいのだろう。だが、どんな正当な理由であれ人を殺めた者は悪だと私は考えている。次期アーク家の跡取りとして父に言われてやったとしてもな。命とは重いものだと……そう考えている。いや、これまで何千の命を奪ってきた奴の言葉ではないな、忘れろ。ただの戯言だ」
(アブソリュート様の価値観は何処か歪だ。今よりも幼い頃から人を殺してきた筈なのに何故まだそこまで純粋に命に価値を感じることができるのか……。任務経験の少ない俺ですら悪人の命はそこいらの動物くらいにしか思えないのに。そう、アブソリュート様は優しすぎる)
「アブソリュート様の心情は正直理解できないっすけど、この国にいる事はあまり良くないと感じますね。将来、アブソリュート様が当主になったら傘下の貴族達をつれて独立でもしますか?」
勿論軽い冗談のつもりだ。そんなことをしてしまえばライナナ国だけでなく周辺国も黙っていないだろう。
「すべて片付いたら、それも悪くないな」
「えっ? いや、冗談ですよ……」
アブソリュートは冗談を言わない人だ。ミストは背中に冷や汗が流れる。
「もし独立したらお前も遺体処理をしなくて済むな」
「……っ⁈」
ただの冗談かもしれない。でも自分の為とも言えるこの言葉がとても嬉しかった。
「前向きに検討するとしよう、これは二人だけの秘密だぞ?」
「っ! はいっす!」
秘密の共有それだけで仲が深まったように感じてミストは嬉しかった。それからも二人は語り合い、ミストは幼い頃英雄になりたかったこと、アブソリュートはアーク領には年寄りしかいないと愚痴ったりとたわいもない会話が続いた。
普段は上下関係のある二人だが、語り合っている二人の姿は確かに友人のそれであった。
ミストは懐かしい思い出から現実に意識を戻した。
全く逆転の道筋がない現実にため息すら出なかった。こんなことならまだ思い出に浸っていたかった。
「こんな時に思い出すことじゃないっすけど、これはいよいよヤバいってことすかね」
マリア達を自らが殿になる事で魔物の大群から逃す事に成功した……だがミストは現在死にかけていた。
スキル【霧】を使い、ミストのいる周辺にだけ山に雲がかかったかのように辺り一面を白く染め上げ、魔物達の視界を封じて少しずつ数を減らしながらアブソリュートが来るまで耐えきるつもりだった。勿論ミスト自身はスキルの影響を受けずに視界をクリアに保っている。
数百対一なら勝ち目はない。だが、一対一を数百回ならまだ分からない。
細い糸を辿るような無謀な策に思えたが、初めはそれで上手くいっていた。しかし、一度で決めきれなければ相手に居場所を教えているようなものであり、現に何度も失敗しかなりのダメージを負ってしまった。
数百の魔物に追われ、追い詰められたミストは現在四方を囲まれ窮地に陥っていた。
死ぬのは怖くない……だが心残りはある。
ミストのナイフを持つ手に力が入る。この状況で取れる手段は三つ、逃げる、そして自害か戦って食われるかだ。
ミストの答えは決まっている。アブソリュートなら逃げない。アブソリュートなら例え一人でも最後まで戦い続けたであろう。
アブソリュート様なら……
アブソリュート様なら……
アブソリュート様なら……
諦め、折れそうになる心を鼓舞する。
ミストは立ち上がり再び武器を握り魔物の中に飛び込んだ。
「うおぉぉぉぉ!」
気合いを入れるように声を上げつつ魔物に向かってナイフを振るう。魔物の急所に刺さるがその魔物が倒れるより早く、周りの魔物が続けて爪で襲い掛かる。
爪で切り裂かれ身体の至る所が痛みミストの顔が歪む。
全身が熱を持っているように熱く感じる。
ナイフを魔物に突き刺しとどめを刺す。
「次ぃ!」
次の標的に目標を定め急所をめがけナイフを振るう。
「グウウ……」
視認できない魔物はうめき声をあげながら倒れる。
「次」
ナイフを抜いてまた刺してを繰り返していくがその度にミストの身体も傷ついていく。血が多く流れすぎて頭の中がぐらぐらと揺れているような感覚になる。
身体から任務の時によく嗅ぐ死の匂いがする。
遂に力が入らなくなりその場に倒れた。
(あっこれやばい)
視界も徐々に暗くなり意識が朦朧としてきた。
終わった……と内心自嘲した。
(自分にしてはよくやっただろう。王女を助けてアブソリュート様のメンツも守れた。散々悪党と罵られて生きてきた。けど今だけは子供の頃に夢みた英雄になれた筈だ)
魔物達が倒れたミストに一斉に襲い掛かる。
だが彼が最後に見た景色は魔物ではなく、人とは思えないほど美しい姿をした女性のような存在がミストを守るように立っていた。
「良くやったミスト、後は任せろ」
聞きたかった人の声が聞こえた気がしたが、そこでミストの意識は途絶えた。
◆
「起きたか?」
ミストは目を覚まし、現在背中におぶられている状態である。
「アブソリュート様?」
ミストは状況を理解し、どうやら自分は助かったようだと安堵した。
「ようやくお目覚めとは、遅すぎるぞ。不遜にも程がある」
怪我人に対してこの情けのない対応、正しくアブソリュート・アーク本人である。
先ほど修羅場を体験した身としてはこんな対応でも不思議とうれしく感じてしまう。
「いや、さっきまで死闘を繰り広げていた俺にかける言葉ですかね? まぁ、アブソリュート様らしくてどこか安心してしまう俺も慣れたもんですけど」
ミストはアブソリュートの背中から降りようとするが、アブソリュートによって静止させられた。
回復魔法で治療したとはいえ体力は戻らないのだから無理はするなと。
アブソリュートの言葉に甘えて暫くおぶってもらう事にした。
「助けてくれてありがとうございます。よく間に合いましたね」
アブソリュートが出て行ってから十五分も経っていない筈だ。
何故ミストの元へ駆けつけることができたのか分からなかった。
「お前のスキルのおかげだ。あれは外から見たら嫌でも目立つ。あれを見て非常事態と知り駆けつけることができた、スキルを使ったのは英断だったな。それで目覚めたばかりで悪いがお前の話を聞かせてくれ、何があった?」
ミストはアブソリュートが離れた後の事を話した。結界が破られ上位種の魔物に襲われたこと。レディが気を失って助けが呼べなかった事、レオーネ王女と共に上位種のオーガと戦ってマリアに助けられた事。その後魔物の大群が現れて自分が殿になってマリア達を逃がした事。
「そうか……お前の結界が破られた事、レディの件、不可解な点はあるが状況は分かった」
「アブソリュート様聞いてもいいすか……」
「なんだ?」
「今回上位種の魔物が結界を破って急に襲ってきたり、倒したと思ったら魔物の大群が来たりとおかしいことが続いています。自然発生とは考えきれないどこか作為的に感じるんすよ。もしかして何か知っていたりします?」
「……」
「別に責めているわけではないです。でも……」
アブソリュートは喋らない。ミストは声を震わせながら続ける。
「でも、こんな時に頼ってくれなかったのは悔しいです。俺ら任務の時もずっと一緒にやってきたじゃないすか! 仲間じゃないんですか。こんな時くらい頼ってくくれても……」
ミストはアブソリュートの事を信頼していたが、アブソリュートはミストの事を信頼していなかったと思う涙が止まらなかった。
アブソリュートが口を開き言葉を紡ぎだす。
「悪かったな……許してくれとは言わない。だがこれは必要な事だった」
アブソリュートは続ける。
「情報源は言えないが、今回の件は教会が前から計画していた事だ。恐らく学園や、もしかしたら身内の中にも協力者がいる可能性があった」
「教会がアーク家を目の敵にしているのは勇者の件で知っていましたが、アブソリュート様は俺らの中にいるかもしれない協力者を警戒していたと?」
「仮に協力者がいて私が計画を見抜いていると知られ、計画を変えられたら今頃被害が大きくなっていたかもしれない。故に情報を知る者を最小限に抑えておきたかった」
原作の中ではアーク家傘下の者の中でミカエルや勇者達に、アーク家や派閥の情報を売った者がいる。その事が胸の中でシコリとして残りアブソリュートは仲間の事を信用はできるが信頼までは出来なかったのだ。
「マリアさんも知らなかったのは?」
「あれは意外と嘘をつくのが下手だからな」
アブソリュートは小声で考えを整理するように呟いく。
「転移阻害の魔道具をマリアに持たせて結界内の転移を封じたが、まさかブラウザ家の結界を破って突入するとは思わなかった。オーガの上位種ぐらいで結界は破れないはずだがどうなっているんだ?」
思ったより根が深い問題のようでミストは驚いた。確かに誰が味方か分からない状態では打ち明けられないだろう。一応はそれで納得することにした。
「でも、いいんですか? 聞いといてなんですけど俺にそんな事話して」
ミストが協力者だとしたら、何処かで得た情報源の存在をバラしてしまう可能性がある筈だ。次から情報源が使えなくなるかもしれない。
アブソリュートは鼻で笑って答えた
「フンッ。お前が敵の協力者だったらな。だが、私はそう思ってはいない」
「?」
「お前は側から見たら軽薄な態度が鼻に付く薄っぺらい奴だ」
「……酷い言われようっすね」
「だが、お前は自分を犠牲にして仲間を守った。仲間を守るために自らの命をかけて魔物の大群に立ち向かったお前を私は疑わない」
「アブソリュート様……」
「ほら着いたぞ」
アブソリュートの背中から降りて辺りを見渡す。
気づいたらミスト達は本部まで来ていた。本部にはBクラスのクリス達、先に避難していたオリアナや治療を受けたレオーネ王女達の姿があった。
「ブラウザさん⁈」
レオーネ王女はミストの姿を見ると側まで駆けつけた。
「ブラウザさん、怪我はないですか!」
レオーネ王女はミストの体をペタペタ触って怪我の有無を調べた。
「アブソリュート様に助けてもらいましたから大丈夫っす。レオーネ王女も無事で何よりです」
ミストの怪我の確認が終わると、レオーネ王女はミストの体に腕を回してミストを強く抱きしめた。
「れ、レオーネ王女? あの……流石にマズイっすよ、皆が見てます」
女性特有の柔らかい感触が身体を包み込み、ミストの心拍数が速くなる。
王女の身体を触るわけにもいかず両手を上げた状態のミスト。
「貴方が私を庇って死んだと考えたら……本当に申し訳なくて……ああぁ良かった、生きてて良かったぁ! ごめんなさい、貴方を置いて行ってごめんなさい」
泣き出すレオーネ王女、ミストの体に回した腕の力が強くなる。ミストはどうしていいか分からず、目でアブソリュートに助けを求める。
「左手をレオーネ王女の腰に回して、右手で頭を撫でて落ち着かせろ」
焦っていたミストはアドバイスに従いミストはレオーネ王女を落ち着かせた。
「レオーネ王女、貴女が無事で良かったです。でも流石にこれはマズイんじゃ……」
「ミスト、お前は身体を張って王女を助けた英雄だ……王女の抱擁を受ける権利がある。受け取っておけ」
アブソリュートはミストに向けて言った。
(英雄……? あぁ王女を逃したからか……)
幼い頃に夢見た英雄になる夢。魔物大群から王女を守る為に一人残って生還した英雄。一時だけで当時者しか知らない事だが確かに叶ったと言える。
「ありがとうミスト! 貴方が無事で良かったわ」
抱擁をしながらミストの顔を見上げる形でお礼を言うレオーネ王女。その笑顔は少し赤みがかっていてとても綺麗だった。
その笑顔だけで報われたように感じた。
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