#066 『夢幻廻廊』 知恵の間 Ⅱ
序列第一位、『不動』のリリス。
人気はもちろん、実力さえもあの第二位の『絶対』さんとどちらが強いのかという話題は定期的にネット掲示板の上で論争を引き起こしてきたし、私もどっちが強いんだろうって考えたことはある。
とは言っても、最終的には掲示板上で決着なんてつくはずはなく、いつもなあなあになって終わってる印象ではあるけど。
――ただ、私は今、目の前でその姿を見て思い知った。
この人の実力は、明らかに他の魔法少女と比べても一線を画しているんだ、って。
振り下ろされた太い虎の魔物の手を魔法障壁を纏わせているという細剣で弾き返す。
魔法障壁と魔法障壁をぶつけ合った瞬間に飛び散る火花のような魔力光と、淡く光ったリリスさんの細剣の軌跡だけが私には見えていて、なんだか幻想的な光景だった。
何度も、何度でも。
全てリリスさんに防がれているせいか、虎の魔物は苛立たしげに唸り声をあげてリリスさんを睨みつけ、対するリリスさんは一切の感情を表に出さないような、涼しげな表情で佇んでいる。
実力差は、そんなお互いの放つ空気からも明白だった。
あの虎の魔物は多分、リリスさんに届かない。
それは虎の魔物も感じ取ったのかもしれない。
正面からでは攻撃が通用しないと考えたのか、素早い動きで翻弄しようとしたり、リリスさん以外を狙おうと前へ出ようと動きを変えた。
けれど、それこそ悪手だった。
リリスさんが魔物の目に向けて細剣を突き出し、そのまま進めば刺さるという位置へと剣先を置く。
その度に、慌てて虎は後方へと下がっていく。
……なんで、判るんだろう。
魔物の動きそのものが全て読めているようにしか見えない。
私も、隣に佇むオウカさんも、カレスちゃんも、その光景に呆然としていた。
ちらりとおにぃを見れば、おにぃは苦笑混じりに、けれど目を真剣なものにしてその攻防を見つめていた。
何をしようとしても、どこに行こうとしても自由が一切許されていないかのようで、虎の魔物は最初に現れたその場所に縫い付けられたように動けずにいた。
「……おいおい、マジか」
「え? おにぃ、どうしたの?」
「気のせいかと思ったんだが、そうじゃなかったみたいだ。リリスさん、あの場所から半歩踏み出す以外、一歩も動いてねぇ」
「え……?」
言われて、初めて気がつく。
リリスさんと虎の魔物がぶつかり合ったあの場所から、リリスさんは確かに、足の位置を変えていない。
そんな事が、可能なの?
あんな巨躯に対等に渡り合って、動き回って牽制しようとしても無理に追いかけずにただじっくりと相手を見極めるように待ち、最適解を見極め、最小限の動きで実践して、虎の魔物の動きを完全に縫い付け、操っている……?
――『不動』のリリス。
その意味を私は心から理解し、戦慄した。
その二つ名が、『不動』が何故成り立つのか。
「なるほど。魔素濃度が濃いと、魔力障壁を離れた場所に展開するのは難しいみたいですね。でも、私自身の身体や身につけているものを対象とするなら、充分に対応できる、と」
ぽつりと何かを確認するようにリリスが言うと、一拍の間を置いて、リリスさんが小さく頷いた。
まるで誰かと会話でもしているかのようだと思いながら見ている私の視線の先で、リリスさんが真っ直ぐ魔物を見つめた。
「エレインさん、次の一撃で隙を作ります」
「おー……、すごいなー」
「ありがとうございます」
ふわりと笑ってみせたリリスさんの視線が、エレインちゃんに向けられた。
その瞬間を狙っていたとでも言いたげに、虎が今までよりも圧倒的に速く、真っ直ぐとリリスさんに向かって大きな口を開けてその牙を突き立てようと肉薄した。
――危ない、と声をあげる暇もなかった。
ただ呆然とその瞬間を見ていた私の目の前で、リリスさんは細剣を一瞬で振るってみせる。
次の瞬間、さっきから攻撃を弾いていた時と同じような衝撃音を奏でて細剣と虎の魔物の顎とがぶつかり合ったらしく、虎の魔物の顔が上に大きくかち上げられ、無防備に胸部を晒した。
「――今です」
「もーーらったああぁぁッ!」
衝突音、あるいは爆発音。
横合いから飛び込んできたエレインちゃんの一撃がそんな激しい音を立てながら魔物の脇腹を捕らえ、魔物が「く」の字に折れ曲がって吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
そしてその先にはすでにおにぃが槍を構えて飛んでいて――真っ直ぐ突き出された槍が魔物の首を貫いて、完全に息絶えた。
「おにぃさん、ナイスフォローです」
「お膳立てしてもらったようなもんだろうに。ナイスってんなら、完全に封殺したリリスさんの方がよっぽどすげぇよ」
「なーなー、アタシは!? アタシもナイスだっただろー!?」
「えぇ、もちろん」
「おう」
眼の前で繰り広げられていた戦いに、言葉が出なかった。
初めてダンジョンに迷い込んだあの日も、おにぃの動きは凄かった。
その後、公認探索者になって色々な魔法少女とダンジョンに行ったけど、魔物も弱かったし、基本的に遠距離攻撃が多い魔法少女の戦いばかり見ていたせいか、あんな近接戦を見た事はない。
エレインちゃんだって凄い速さで動くし強いなぁとは思っていたけれど、心のどこかで魔法少女とおにぃの実力ってそんなに変わらないのかもしれないって思ってた。
でも、違うんだ。
やっぱり上には上がいて、序列第一位は伊達じゃないんだ。
呆然としながらもしっかりとスマホを向けていたおかげで、コメント欄はすっごい盛り上がりぶりを見せているし、リリスさんへの賞賛が凄い勢いで流れていて、私みたいにリリスさんの凄さっていうものを初めて見た人たちの驚きがコメントでも流れているのが分かった。
でも、リリスさんは涼しい顔をしている。
成し遂げたことを誇ってもいいのに、もっと誇示してもいいのに。
命懸けで戦っているのだから、戦いが終わった今も、まるで何事もない日常の一コマを送っているかのように。
――私とは、世界が違う。
おにぃもそうだ。
段々と魔物と戦っても平然としていて、無事に魔物を倒しても油断もしないし、ひどく疲れた顔もしない。
エレインちゃんも、あんな素直で真っ直ぐで、可愛い彼女でさえも。
――あぁ、なんだか眩しくて……羨ましい。
動画を撮って配信するっていうのは私にしかできない事だし、戦えないって事ぐらい分かっていたはずなのに、ああして戦えるっていうことが、私には眩しくて。
あちら側には立てないことが、悔しいような、歯痒いような……。
「――ふふ、その気持ち分かりますよ」
「え?」
私の隣に立っていたオウカさんが、スマホに入らないような小さな声で私に声をかけてきて、思わず振り返る。
オウカさんは口元で人差し指を立てて、スマホをもう片方の手で指さして声が入らないようにと伝えてきているらしく、私が了承して頷くと、声を潜めて続けた。
「戦う仲間たちを見て、傷つく仲間たちに手を差し伸べる事すらできない歯がゆさは、私も嫌という程に味わってきました。たとえ自分の役割というものがあったとしても、どうしても歯痒く感じてしまうものです。私もそうでしたから、あなたの気持ちは分かるんです。分かって、しまうんです」
「オウカさん……」
……そっか。
オウカさんは元々結界系の防御魔法を使う人だったはずだし、いつもそう感じていたんだろうなぁ。
私なんかよりも何度も多く、それも自分の意思で潜っているダンジョンじゃなくてルイナーっていう絶対の敵と戦っている中で。
それって、多分私なんかよりもずっと悔しくて、ずっと歯痒いものだったんだと思う。
……はあ。
私、子供だなぁ。
「焦らないでくださいね。焦ってあなたが無理することを、おにぃさんは望んでいませんよ」
「……うん……。あっ、すみません、はい」
「ふふ、敬語じゃなくてもいいんですよ? 同い年なんですから」
「……そういうオウカさんだって敬語じゃないですか」
「ふふ、私は性分ですので。さて、謎解きを頑張りましょう。何かヒントでもあればいいんですけどね。期待していますよ、あなたと、あなたの力で繋いでくれている視聴者の皆様の考察を」
……うぐぅ、なんだこのお姉ちゃん力は……ッ!
完全に慰められてるし、同年齢なのに圧倒的敗北感しか感じない……!
それぞれに部屋の中を調べているみんなとは別に、私も部屋の中を調べて回る。
座敷の間取りと四方が襖っていうのは変わっていないし、模様も変わっていない。
変わっている部分は――
「狐じゃなくて、こっちは蛇……?」
「こっちは猿、ですね」
「んー、これって豚か?」
「おにぃのそれ、豚っていうより猪って感じだよね、それ」
「こっちは牛、でしょうか」
――灯籠の笠の部分にある彫刻。
さっきの部屋では狐の彫刻になっていると話題になっていたそれが、それぞれ全く違うものに変わっているし、狐たちはさっきは一方向を向いていたのに、向きもなんだか斜めだったり真っ直ぐ部屋の内側を向いていたりとバラバラ。
唸れ、私の脳細胞!
ゲーム脳が一般人に謎解きで負ける訳にはいかないのだ!
「……うーん……?」
「みゅーず、なんか考えついたのかー?」
コメントを見ながら考え込んでいる私に、エレインちゃんが目敏く気が付いて声をかけてきた。
「うーん、コメントでもちょいちょい意見が上がってるんだけど、この部屋だけじゃどうしてもしっくり来ないから、他の部屋も見てみたいかなぁ」
「他の部屋、か。他の部屋に移動して、それが違うって事にさえ気付けなかったらどうなるんだろうな」
「多分なんだけど、その救済措置が『二つ同じ道順で戻ったら帰還用ポータルがある』になるんじゃないかな?」
「どういう意味だ?」
「んーと。オウカさん、たとえば今から私達がこの正面の襖を越えて中に入ってから、この部屋に戻るように後ろの部屋に戻ったら、魔物って復活するんですか?」
「いえ、しませんね」
「やっぱり……。これも要検証だけど、もし仮説が合ってたらみんなに言うよ」
「えー、今教えてくれてもいいじゃーん。気になるー。別に間違ってても気にしないぞー?」
「あはは……、ごめんね? 間違っていたら恥ずかしいとか気まずいとか、そういうのじゃないんだ。ただ、下手に私が口に出して、それだけに固執してほしくないんだ。だから、みんなはみんなで考えて、気が付いた事があったらそれを大事にしてほしいの」
公式探索者として、同時にダンジョン配信者として本格的に活動をするようになって、私は配信をする上でのリテラシーだったり、心理学だったりっていうものを片っ端から調べるようになった。
ど素人配信をしていた頃とは違って、今の私の配信は数十万から時には数百万って人が見ているからね。
下手な事を言ってしまったりやってしまうと、おにぃにも迷惑がかかっちゃうかもしれないから、しっかり勉強しようと思って。
そんな風に色々な本を読んでる時に、「迷っていたり答えが見つからない時に誰かが言った言葉に僅かにでも共感してしまうと、人はそれが正しいものだと思い込み、他の情報を切り捨ててしまう」みたいな話があったのだ。
まさしくこの状況ってその言葉が言っているような状況と同じような気がする。
だから、急いで結論を求めて迂闊に口に出すっていうのは避けておきたかった。
そんな私の答えをオウカさんは微笑みながら頷いて肯定してくれて、リリスさんも真っ直ぐこちらを見て頷いてくれる。
エレインちゃんもカレスちゃんも理解できたみたいで、元気に返事をしてくれた。
「……さすがだな、みゅーずは」
「え?」
「お前は俺と違って色々な事を考えて判断できる。そういう力は俺にはないからな。羨ましいぐらいだ。頼りにしてるぞ」
「……ん」
……そっか。
しっかりしていて、いつも頼りになるおにぃだって、他人の事を羨ましいって思う事もあるんだね。
なんとなくだけど、その言葉が私の胸の内に燻ったものをあっさりと晴らしてくれた。
……オウカさん、ちょっと微笑ましいものを見るような目、やめてもらえる?
同い年だからね、私。




