#063 『夢幻廻廊』 Ⅲ
突然目の前に現れた二人の少女。
鏡平は特に警戒する事もなく少女ら二人を見ており、エレイン、カレス、みゅーずは愛らしい姿に警戒心は抱いておらず、オウカもまた突然現れた二人の少女に驚いてはいるものの、特に身構えるような素振りは見せていない。
しかし、クラリスだけは戦いが何かという事を常々契約している精霊である師から教わっており、即座に対応できるよう、万が一魔物だった場合を考えて魔力を練る。
――同時に、双子の眼がクラリスの目を真っ直ぐ見つめた。
《――クラリス、やめな!》
クラリスが契約する精霊、師匠と呼ばれる女の声がクラリスの頭の中へと響き渡る。
同時に、クラリスは慌てて自らの中で練っていた魔力を霧散させた。
「人間、戦いたいの?」
「戦いたいなら構わない。けど、容赦はしない」
「うん、多分、殺しちゃう」
「資格はある、でも弱い」
少女ら二人の会話は全員の耳に届いている。
内容は明らかに自分たちを下に見るような物言いではあったが、しかしそれでも、鏡平はもちろんその他の者たちは全員、その場から動くどころか、反論さえも口にする事ができなかったのだ。
――少しでも動いたら、殺される。
そう思うだけの目に見えない重圧感が、クラリス達の動きを縫い止めていた。
「胡狐、落ち着いて。お役目、できない」
「絽胡、なんでダメ? 敵じゃない? 人間は敵」
「あれはダンジョンのお客さん」
「ダンジョンの……。私、間違えた?」
「現在進行系。はよ威圧解除する」
ぽふぽふと頭を叩く髪を含めて黒を基調とした毛色の少女に、みゅーずが手に持ったスマホから流れるコメントは盛り上がりを見せている。
だが、会話している姿は小さな女の子同士で会話をしているというものではあるのだが、その場にいるクラリス達はコメントのようにはいかない。
胡狐と呼ばれた髪を含めて白金色の毛色をした少女の華奢の身体には似つかわしくない威圧によって、微笑ましいと思う程の余裕を消し去られ、宥める黒髪の少女のおかげでようやくそれが解かれ、解放されたばかりなのだから。
一方、この状況の危険性を一行の中、クラリスが契約している師匠の次に理解できていた鏡平は、頬を伝った嫌な汗を拭いながら静かに溜息を吐きつつ、二人の少女を見やる。
――シャレにならねぇ……。多分、下手に動いたら殺されてた……。
咄嗟に妹であるみゅーずの前へと出る事も考えたが、その動きすら刺激する可能性があった。
二人の少女は何を考えているのかが読めなかったのだ。
いつでも動けるように身構えてはいた。
万が一戦いになれば即応できるように、と。
しかし、あの二人が本気になったとして自分が間に合ったとは思えなかった。
事実として、その懸念は正しかった。
胡狐も絽狐も元来人間を嫌っている。
ダンジョンというシステムが世界に刻まれ、葛之葉に命じられて今回は顔を見せる事になったが、それはあくまでもお役目だから受けた、に過ぎない。
もしもこのお役目がなく、ダンジョンの中で胡狐と絽狐と遭遇していたのであれば、二人は何も言葉を交わさず、感情を動かさず、この場にいる者たちを殺す事を厭わない、躊躇わない。
二人の力はルオやルーミア、そしてその下位となるであろうアレイアらを含めた存在よりも圧倒的に劣る。
葛之葉自身、自分がアレイアらに届いているとは思っていない程であり、そんな葛之葉の眷属である自分たちが強いとは思っていない。
だが、目の前の相手ならばどうかと訊ねたとしたら、二人は特に気負う様子もなく、あっさりと「数秒で殺せる」と答えていただろう。
その程度には実力差は隔絶している。
ともあれ、今はお役目中であると改めて気持ちを切り替えたようで、胡狐が一度深呼吸し、空気を弛緩させたところで、とてとてと絽狐が看板を挟んだ反対側が定位置なのだと言わんばかりに戻っていく。
「よっこそ、探索者」
「よっこそ? 新しい挨拶?」
「違うの、噛んだの」
「よっこそ、悪くない」
「ようこそなの! よっこそ、違うの!」
自分たちは一体何を見せられているんだ、と鏡平を含めた桜花、クラリスといった年長組は思う。
もっとも、年長組に属するはずのみゅーずに至ってはコメント欄の盛り上がりぶりに引き攣った笑みを浮かべているが、そんなコメント欄の軽さに影響されたのか、先程の重圧感があったというのに素直に可愛いやり取りだと微笑ましく見つめているが、それはともかく。
「胡狐、ていくすりー」
「すりー? 三回目? なんで?」
「威圧したから」
「あ、そっか。じゃあ一回姿隠しをして最初から……」
「――ちょぉーっと待ってー! そこまではいいから! 普通に続けて大丈夫だから!」
みゅーずが声をあげてツッコミを入れるその姿に、年長組は思わず息を呑む。
しかし胡狐と絽狐は特に怒るでも気を悪くするでもなく、ただただ普通に頷いてみせた。
妹よ、どんな強心臓してるんだと鏡平が心の中で嘆く訳にもいかず、みゅーずはみゅーずで「よぉーし……はい、どうぞ!」と監督さながらに演者であるらしい二人の少女に向かってカメラを向けている。監督か何かにでもなったつもりなのかもしれない。
「――ここは泡沫の夢幻」
「長い長い廻廊をあなた達は彷徨い歩く」
――あ、そこからやるんだ。
誰もがそう思ったのだが、誰も余計な事は口にしようとしなかった。
「葛之葉様は試練がお好き」
「庭園は篩の場。ここを抜けられぬ者に資格はない」
「あなた達は覚醒者、人数もちょうどいい」
「故に資格を有している。知恵の間を越える試練を受けられる」
「葛之葉様は煌めきを欲する」
「命を燃やす、その煌めきを見せて」
「葛之葉様は褒美を惜しまない」
「あなた達の煌めきに応じた褒美を与える」
「「――さあさ踊れ、葛之葉様は見ているぞ」」
ふわりとその場から飛び上がるようにして、胡狐と絽狐は鈴の音を鳴らしてその場から闇の中へと溶け込むようにすっと消え去る。
そんな二人の姿を見送り、静寂がその場を支配した。
「……すみませんでした、皆さん。私が魔力を練ったことで、警戒させてしまったようです」
静寂を破ったのはクラリスの謝罪の声だった。
「おー、気にすんなー? なんかあの二人、アタシらのことなんて気にしてなかったっぽいしさー」
「え? エレインちゃん、それってどういう意味……?」
「んー、あれって多分、誰かに言われたからやってるだけって感じだったぞー? 別にアタシらに特別興味を持ってるような感じじゃなかったしさー。多分、あの瞬間になって初めてアタシらを意識したんじゃないかなーって」
エレインの物言いはどうにも感覚的というべきか、共感できる者にしかなかなかに伝わらないものではあった。
オウカやクラリスらのような理論派の人間にはいまいち判然とはしなかったが、しかし鏡平はエレインが言わんとしている事を理解したのか、小さく「なるほど」と呟いた。
「おにぃ、つまりどういうこと?」
「いや、あの二人は俺らに会いに来た訳じゃなくて、あくまでも仕事をこなしに来た、ってトコだろ? だから、リリスさんが魔力を練って警戒させたっていうより、多分俺たちはそこで初めて認識されたんだろ」
「認識された? え、でも、認識されたからここに来たんじゃないの?」
「いや、リリスさんが魔力を練る前まで、あの二人はこっちの事なんて微塵も気にしちゃいなかった。どちらかと言うと、お前のスマホだけに目が向いていたように思える」
「えっと、うん。二人ともカメラ目線だったけど……」
「やっぱり、か。だとしたら、あれは俺らというより、配信を観てる人たちへのパフォーマンスか……? いや、それはともかくだ。あの瞬間、きっとあの二人は初めて俺らを話し相手として認識して、興味を向けた」
「おぉーっ! おにぃ、そんな感じだ!」
言葉のニュアンスとして鏡平の理解は妥当だったようで、エレインが伝わった事に喜び声をあげる姿に鏡平は苦笑しつつ「なら良かった」とだけ答えておく。
「……あ、あの、胡狐ちゃんって子の放ったあの重圧感は……? あれは特に戦おうとすらしてなかったのに放たれていたってこと、ですか?」
「多分、な。情けない話だが、それだけで俺は動けなかったが」
「いえ、それは私も一緒ですよ、おにぃさん」
カレスの質問に鏡平が答えてみせれば、その答えにオウカもまた追従してみせる。
情けない話と揶揄するのではなく、その場にいた者たち全員がそうだったと配信を観ている視聴者にまで伝わるかどうかはともかくとして、オウカが鏡平のフォローに回ってみせることで、妙な言いがかりを受けないようにという配慮だ。
そんな言下に含まれたオウカの配慮に気付き、本当に妹と同い年なのかと軽く困惑しつつ、鏡平は改めてリリスへと目を向けた。
「見た目に惑わされて警戒すらできなかった俺が不甲斐ないせいで、リリスさんにその注目が向けられたってだけの話だ。だから、俺のミスだ。リリスさん、すまねぇ」
「い、いえ。そんなの気にしないでください」
「いや、気にするさ。年長者として一番油断なんてしちゃならなかったんだからな。それに……たったあれだけで俺たち全員の身が竦むような相手が、葛之葉様なんて言い方をしたんだ。つまり、もっと上がいるって事だ。……今度はしっかり注意しておこう。俺は魔法少女であるキミら程の強さはないが、こういうところぐらいは頼れるって思ってもらえるよう、挽回しなきゃだな」
苦笑しつつ自嘲気味に、けれど決して卑屈にならずに告げてみせる鏡平の言葉で先程までの急な登場によって残っていた、小さな凝り、或いは僅かな蟠りが解けていく。
場の空気を改めて改善できたことに、みゅーずの配信画面では『さすにぃ』がまたも凄まじい速度で流れているのだが、そのコメントを拾うか迷っていたみゅーずの目に、一つのコメントが飛び込んだ。
「視聴者さんが考察してくれてるみたいなんだけど、覚醒者ってやっぱり魔力に目覚めてる存在を指してるのかな?」
「そういえばそんな言葉を口にしていましたね。確証は得られていませんが、その可能性は高いでしょう。実際、ここの調査に軍の関係者や調査協力をしていただけている研究者の方をお連れした時には、先程の二人の子供のような存在は姿を見せていませんから。もっとも、人数の事も言及していましたが。今回私たち凛央魔法少女訓練校から私、エレインさん、カレスさん、リリスさんの四人。そしてみゅーずさんとおにぃさんで六人ですね」
「葛之葉様とやらが試練が好き、だったか。だとしたら、第一条件として、魔力に目覚めている者でのみ組んでいること。その次に、人数が六人であれば知恵の試練とやらを受ける資格がある、って考えるのが妥当、か?」
「覚醒者とやらの定義は試してみなければなりませんが、そういう事なら訓練校の仲間と後日試してみましょう」
「そうしてもらえると助かる。俺らじゃどうしようもないしな」
「適材適所の役割分担ですよ。ここでの責任はあなたが持っていただけると言ってくださいましたから、ならばその他の事ぐらいは私が預かります」
打てば響くというべきか、オウカが次々と対策やこれまでの調査状況、今後の検証内容などを打ち出してくれるおかげで、トントン拍子に会話が進んでいく。
そんな会話にカレスが憧れたようにオウカにキラキラとした目を向けており、一方でクラリスもまた、オウカの堂々とした態度と迅速な判断に目を丸くしていた。
「……やれやれ。みゅーず、オウカさんってホントにお前と同い年か?」
「はっはっはっ、おにぃ、甘いよ、甘々だよ! 私はしっかりしていないと自他共に認めているっ!」
「最悪じゃねぇか」
「ふ、元病弱引きこもりがそんな対人スキル身につけられるはずないでしょ。というか、人数制限はありそうだよね! ゲームでもパーティの人数って決められてるもんね!」
妹の開き直りぶりとゲーム脳について、どう矯正させていくべきか。
ダンジョンへの心構えに加えて、鏡平にとっては取り組むべき課題が今、また一つ増えた瞬間であった。




