#061 『夢幻廻廊』 Ⅰ
葛之葉ダンジョン前、葛之葉ダンジョン前線観測基地。
そう呼ばれているこの場所には、凛央魔法少女訓練校に転入して以来、私も何度か訪れている。
この数ヶ月で魔力波の数値、魔素濃度と言うらしいそれはかなり減少してきているらしいのだけれど、それでも魔法少女ではない一般人から見れば幾分かは濃い。
そのため、ここで作業をできる連邦軍の軍人もかなり限られているため、大体の人は顔見知りというか、何度かお会いした事のある人ばかりとなってきた。
「ついたー! 楽しみだなーっ!」
車で連れて来られた前線観測基地。
跳ねるように車から降りて楽しげに声をあげた、雷系統の魔法に特化した魔法少女エレイン――凪 伽音――さんは、まるで遠足前にはしゃいでいるような様子で声をあげた。
背も小さく、凛央魔法少女訓練校では一番年下でありながら、戦闘能力は随一を誇るという魔法少女ロージア――火野 明日架――さんと同い年の少女は、茶色がかった黒い髪に一筋の金色が差し色のように入っている。
あの差し色は彼女が雷をイメージして染めてもらっているらしい。
「ふふ、あまりはしゃぎすぎてはいけませんよ」
「えーっ、なんでー?」
「ダンジョン内の魔物はルイナーと同じように魔力障壁を有しているという話です。緊張し過ぎるのも問題ですが、油断できる場所ではありませんからね」
「はーい」
エレインさんを宥めるように柔らかく微笑みながら注意してみせたのは、大和連邦国内の『結界師』の一族であるという旧家、東雲家の娘に相応しく、魔力障壁を利用した結界に特化した魔法少女オウカ――東雲 桜花――さん。
艶やかな黒髪と柔らかな印象を持たせる垂れた目とは裏腹に、戦いの時には凛とした空気を纏って他の魔法少女たちに的確な指示を与える司令塔の役割を果たす人で、その指示は短く、的確。
私みたいな新参者であっても合わせやすくなるように調整してくれてやりやすい。
そんなオウカさんがエレインさんの頭を撫でてから、ちらりと振り返る。
「大丈夫ですか、柚さん?」
「……き、緊張して吐きそうですぅ」
弱々しく答えるのは、治癒の魔法を持つ魔法少女カレス――月ノ宮 柚――さんだ。
淡い水色の髪を肩口でまとめている小柄な子で、一番下の年齢にあたるエレインさんやロージアさんの一つ上で、極度の人見知りな少女。けれど、私のファンであったくれたようで、転入して一週間程してから突然サインをお願いされたのが印象的。
それから少しずつ話すようになったけれど、目を合わせずに泳がせながら小声で喋るのは相変わらずだったりする。
《……そんな紹介してくれなくても結構だよ、クラリス》
――ふふ、師匠ってば私の修行の時以外、引っ込んじゃうんだもの。てっきり、知らないのかと思って。
《必要な情報は必要になったら知ればいいのさ。私は異質な存在に他ならない。アンタ以外とは関わり合うつもりはないよ》
――もう、またそういう事を……。
師匠は自分の存在を表に出すつもりはないと、いつもそう言う。
私がこうして普段から話せる事も正体も誰かに言ったりはせず、たまに見る夢の中でのみ会話できていると、そう周りには告げるようにと言われている。
魔法をあまり教えないように、とも釘を差されていたりもする。
師匠が言うには、魔法とは本来なら長い年月をつけて構築し、研鑽されていくべきものであって、そうしていく過程の中で良くも悪くも様々な情報が蓄積されていくべきもの、なのだそうだ。
私にはよく分からないけれど、危険を知らず、悪用できてしまう事も知らないような状態で力を持つべきではない、という考えであるらしい。
けれど、ルイナーと私たち魔法少女しか戦う事ができないというこの世界の状況を知り、魔法を一つずつ段階を踏んで教えてくれていて、その知識を私から周りへと伝える事については少しずつだけど許可してくれている。
もっとも、教えていい魔法については師匠に一度説明して合格をもらわなきゃいけない。
威力や理論、危険性といったものを私自身がしっかりと把握し、理解できていると師匠が判断したら、初めてそれを誰かに教えていいと許可してもらえるので、私もまだまだだ。
《いいかい、クラリス。今のアンタが教えていいのは第二階梯までだよ》
――第三階梯はまだダメ?
《前も言ったけど、第三階梯は範囲魔法になってくるからまだダメさ。ダンジョンなんてモンができた以上、いずれは教えてもいいかもしれないけど、急ぐ必要はないね。だいたい、今のルイナーは基本的に単体みたいだし、必要ないだろう?》
――うん、それはそうだけど……。
師匠は第三階梯までは魔法の基礎だと言って色々教えてくれたけれど、第三階梯は確かに範囲を対象とした魔法で、単体攻撃に特化した魔法とは毛色が違う。
そのため、第三階梯を第三者に教えるためのハードルは非常に高く、残念ながら私は許可してもらえていない。
確かに、ルイナーが大量に出てくるなんて事態は私も見た事はないし、無理に覚える必要はないかもしれないけれど、訓練校のみんなは優しいし、『魔法世界』のみんなとは違って、真剣に話を聞いてくれるし、力になりたいとも思う。
……がんばって師匠に認めてもらわなきゃ、だね。
――そういえば師匠、魔法っていくつ階梯があるの?
《階梯だけで言えば十二階梯だね。もっとも、第十階梯からの魔法はほぼ全てが儀式魔法と呼ばれる複数人によって発動できるような代物さ。まぁ、複合させて派生したり、複数起動させて一つの魔法にして、そんな儀式魔法を超える馬鹿げた魔法を構築するようなヤツもいたけどね》
――複数起動に、複合……?
《まあ、そんなのは例外さ。というより、第十階梯を超えた魔法なんて、まずアンタじゃ使えないよ。まだまだ魔力が足りない。今のアンタじゃ第四階梯が関の山ってところさ》
そう言われると、なんだか遠い世界の話なんだなぁと思ってしまう。
第十階梯なんてどんな威力になるのかも想像もつかない。
「――そういえば、リリスさん」
「あ、はい。なんですか?」
不意にオウカさんに声をかけられて振り返ると、オウカさんが困ったように続けた。
「その、お仕事のことを軽い気持ちで尋ねたいという訳ではないのですが、『魔法世界』の方での活動は大丈夫なのですか?」
ダンジョンに潜るのは朝から夕方までの予定となっているので、どうも気を遣わせてしまったらしく、私は微笑んで頷いてみせた。
「はい、大丈夫ですよ。ダンジョンの発生でそれぞれの活動がバラバラになりがちですし、グループ全体として活動は自粛しているんです」
「え、自粛、ですか?」
「はい。その、今の状況であまりアイドル活動をすると、色々言われてしまう事もありますので……」
「えーっ、何言われるんだー?」
「えっと……、魔法少女の本分はルイナー討伐だが、ダンジョンなんてものが出たんだからそっちをどうにかしろ、とか……」
「はぁー? そんなこと言われる筋合いないじゃん!」
憤慨する様子を見せるエレインさんに、私は同意したい気持ちを抑えて曖昧に苦笑を浮かべるだけに留めた。
アイドルという仕事をしている以上、軽い気持ちでそういった心ない言葉を投げかけてくる人は一定数いる。
そういう人たち相手に言い返したい気持ちを抱く事はこれまでもあったけれど、あまり表立って反論すると炎上するからと、基本的には事務所の対応方針に従う事になってしまう。
あちらを立てればこちらが立たず、というものみたいで、どう答えてしまっても言い合いになってしまったりもするので、一番無難なのは明言しないこと、だったりするから。
どう答えたものかと逡巡する私の横から、オウカさんがエレインさんの頭を撫でて憤慨するエレインさんを宥めた。
「落ち着いてください、エレインさん。大して物事を考えず、マイノリティを気取って批判する人もいますし、自分の意見だけが正しいと思い込んで揶揄する者というのはどこにでもいますよ」
「そりゃ、魔法少女として動いているアタシも言われたことあるけどさー。やっぱそういう声って気にしないのが一番ってことか?」
「あら、そうしてしまっては言った者の声を消せませんよ?」
「え? なになに、オウカならどうするんだ!?」
励ましの声としても「そういう声を気にするな」とか、「頑張ってるって知ってる」と言ってくれる声は多い。
だから私もエレインさんと同じように「そうするしかないだろうな」と考えていたのだけれど……消すって、どういう意味なんだろう。
思わずエレインさんと一緒になってオウカさんに目を向けていると、オウカさんはパサッと音を立てて、魔装として出してみせた扇子で口元を隠して、にっこりと微笑んだ。
「――貫けば、良いのですよ」
「つらぬく……?」
「嫌な声に蓋をするでも、忘れるでもなく、正しいと思うのであれば敢えてその声を聞いた上で堂々と貫き通してみせるのです。そしてその先にあるものを、貫いたからこそ得られた結果を、堂々と叩きつけてさしあげたあと、何か言いましたか、と微笑んでやれば良いのですよ」
……ぞわっとした。
なんていうか、こう、静かな戦いの姿勢みたいなものが凄い。
微笑む目の奥に、明らかに闘志みたいなものが輝いているように見える。
思わず身震いさせる私とは対照的に、エレインさんは両手をぐっと握って目を輝かせて、オウカさんを見上げていた。
「おぉ、おぉぉ……ッ! カッコイイ! それでそれで!?」
「それでも何も、そこでハッキリとしたでしょう? 貫き通してみせた者が勝ち取った結果と、口先だけで人を揶揄するだけの存在とでは差は歴然。輝いているのはどちらか、どちらについていきたいと、応援したいと思うかなど言うまでもありません」
「でも貫いても正しくない時もあるのでは?」
「ふふ、正しさなんて誰が決めるというのですか?」
「え……?」
「正しさとは常に大多数が決める後付けのものです。故に、応援される側、支持される側が正しさになるのですから、そんなものを気にして萎縮するよりも、貫く姿の方がよほど気高く、美しい。――とまぁ、これはある意味、とある友人を見て私が実感した、受け売りのようなものではあるのですけど」
「なるほど、カッケー! よぉぉっし! アタシもダンジョン貫いてやるー! いくぞ、カレス!」
「わわっ、私も!? え、と、お、おー……!」
ダンジョンを貫く、とは……。
困惑する私を置いて、エレインさんはカレスさんの手を取って駆け出して行ってしまった。
「……その、オウカさん。すごい、ですね」
「ふふ、そんな事はありませんよ。先程も言った通り、私はまだまだ受け売りでしかなく、貫いている途上です。叩きつけ、優雅に微笑んでやるまでは、少々時間がかかります」
「そうなんですか?」
「えぇ。でも、面白いとは思いませんか? 口先だけの輩の唯一の武器である口を叩き潰せるなんて、愉快でしょう? 唯一の口さえなくなって、何が残るのかしら?」
「え……っ」
「ふふふ、冗談ですよ。そういう輩は口を閉ざし、また他の事で囀るだけです。ただ、少なくとも吐いた言葉が間違っていたと知る事になるでしょう。深く考えもせずに他人を傷つける言葉を口にした己の愚かさにまで気付くか気付かないかは別としても、それを突き付けてやれたなら、仕返しとしては上々でしょう?」
「えっと、そう、ですね……?」
「そも、他人を傷つける物言いをわざわざ発信するというのは、他人を傷つけるような人間である自覚を持てていないと公言するようなもの。その時点で自分が人としてどれだけ浅はかであるか、気付いていないのでしょう」
くすくすと笑って、オウカさんは前を歩いていく。
一人残され、その姿に思わず呆然とさせられる私の頭の中には、楽しそうに笑っている師匠の笑い声が響いていた。
《くくくっ、いやはや、面白い娘じゃないか。ある意味、あの娘の姿勢は真理だねぇ》
……オウカさんは、少し怖い。
私はひっそりと自分の中でそんな印象を書き足した。
「おーっ! おにぃ、みてみて! 魔法少女『不動』のナンバーワン! リリスさんだよ! それにオウカ様もいる!」
「おい、美結。引っ張るな」
「こらーっ、現場についたんだから私はみゅーず! オーケー!?」
「……はあ。あぁ、分かったよ……」
前方から聞こえてくる明るい声に目を向ければ、私たちよりも余程知名度が高くなっているであろう兄妹――『みゅーずとおにぃ』の御二人がこちらに向かってきていました。
ダンジョンが出現したあの日、偶然にもダンジョンに捕らわれてしまった兄妹。
特殊な魔法で、みゅーずさんのスマホだけがダンジョンにおいても動画の撮影、配信が可能になるという不思議な魔法を使う妹であるみゅーずさん。
そして、魔道具というダンジョンで生まれた純粋な魔力を宿した不思議な武器である『破魔の穿槍』という槍を持ち、凄まじい身体能力によって妹であるみゅーずさんを連れて脱出してみせた兄であるおにぃさん。
人類最速のダンジョン踏破者。
魔法薬という不思議な薬まで持ち帰った二人は今や時の人で、『魔法世界』よりも圧倒的な、世界的な人気を誇る存在になっている。
「あれれ? エレインちゃんとカレスちゃんもいるって聞いてたんだけど……」
「……さっきダンジョン貫くとか意味の分かんないこと言って走ってってたぞ」
「え、貫けるの?」
……あの、みゅーずさん。
私たちに訊かれても、答えられないので……。




