#060 プロローグ
新章突入
私――クラリス・ハートネット――にとって、家族とは他人を指す言葉と同義だ。
家庭は裕福だけれど、お互いがお互いに『いないもの』として過ごす父と母。
そんな二人から話しかけられることもなく、シッターさんを通してのみ伝えられる私の情報を聞いて、必要なお金を用意して手続きを行うだけの保護者という存在は、仕事なのかプライベートなのかは判らないけれど、家にいない日の方が圧倒的に多かった。
私にとってはそれが当たり前で、それが『家族との在り方』だった。
それが当たり前。
だから悲しいとか、寂しいとか、そんな気持ちが生まれる事はなかった。
嬉しいとか、怒りとか、そういう感情も知らなかった。
両親の都合でこの国――大和連邦国にやって来た私を待っていた生活もそう。
私につけられたのは母国の言葉とこちらの言葉を喋れるという若い女性のお手伝いさんは、向こうのシッターさんに比べてすごく優しい人だった。
無感情に、無機質に日々を生きているだけの私。
そんな私に向けられた目に宿る感情を、私は知らなかった。
「――あなたは、どうしてそんな目をしているの?」
私にはその感情が理解できなかった。
その目が何を思って向けられているものなのか。
だから、私は彼女に質問した。
そして私は、彼女に抱き締められた。
何がしたいのかも分からず、何をするべきなのかも判らない私は、ただされるがままに立ち尽くしていた。
当時の私は大和連邦国の言葉が理解できなくて、彼女が何を言っているのかも理解できなかった。
ただ、抱き締められたその温もりが、私の芯とも言えるような場所にじんわりと熱を伝えていくような、そんな気がした。
――それから、私はそのお手伝いさんからこの国の言葉を教わり、文化を教わった。
喜怒哀楽の感情を教わり、わざとイタズラを仕掛け合うという遊びを行ってみたり、その中でこれはダメとか、何をしてはいけないとか、人としての本来の感情というものを教えてもらった。
そんな私の生活が一変したのは、ルイナーの登場によって魔法という超常の力を得た、あの日からだった。
両親の扱いが、これまでは『いないもの』のような扱いだったのに、がらりと変わった。
お手伝いさんは『魔法少女という貴重な存在に相応しくない』とされて、解雇されてしまって会えなくなってしまった。
――勝手だ。
今までは『いないもの』として扱っていたのに、魔法少女になった途端に。
さも私を大事に育てたのは自分たちだと言いたげに態度を変えて、『良い両親』を演じようとしてきた。
――嫌だ。
あの人を、お手伝いさんを返してほしい。
あの人に色々な事を教えてもらったのに、それを自分たちがやってきたかのような顔をされるのは、嫌だ。
――魔力なんて、いらなかった。
あの人と一緒にいれたなら、魔力なんて手に入らなくて良かった。
温かな日々を返してほしい。
そう思って、私は泣いた。
反論して泣き叫んでみせた私を部屋に閉じ込めて、両親という存在はまた私を見ないようにした。
魔力なんて、なくて良かった。
私はあの人と一緒に過ごせていれば、充分幸せだったのに。
どうして、魔力なんて。
すごい力、なんでもできる力?
そんな事を言うんだったら……助けてよ……!
そんな風に嘆いた瞬間、私の脳裏に声が響いた。
《――……ぐ。なんだい、これは……?》
突然聞こえてきた、大人の女性の呟くような声に、私は思わず顔をあげて周りを見回した。
「……だれ?」
《……はあ、そういう事かい。まったく、まさか私が英霊召喚の対象になっちまうなんてね。いや、私であって私じゃない、というところかね、これは……》
何を言っているのかは分からなかったけれど、声だけは頭の中に響いていた。
その声に話しかけられて、私は色々な事をつい話してしまった。
今までの生活、お手伝いさんとの生活。
以前の私なら無機質に受け止められていたのかもしれないけれど、お手伝いさんと一緒に過ごす内に、知らず知らず私は誰かとこうして話す事を求めていたのかもしれない。
それに何より、私の中の声の人はすごく優しく、無理に私から話を聞き出そうともせず、ゆっくりと私に合わせてくれるかのように話を聞いてくれていたから。
ついつい色々話してしまった後で、頭の中の声が告げた。
《はん、どこの世界だって結局は人類ってワケだ。腐ったヤツはいっぱいいるね、まったく、フザけた話だよ。――いいかい、クラリス。そういうヤツを黙らせるには、力を見せつけるんだよ。どちらが上位か、それを刻み込んでやればいいのさ》
大人の女性らしい声で、精霊は言う。
でも、力と言われても私にはこの魔力ぐらいしかない。
――暴力で従わせろと言うの?
《今のアンタにはそれしかないんだ、なら、うまく使いな。けど、その気持ちを覚えておきな、クラリス。人を暴力で従わせるのは愚の骨頂だよ。それしかできない無能には成り下がるんじゃあないよ。でも、今はその力しかないんだ。その力でアンタがアンタを守るんだよ、クラリス》
――私が、私を守る?
《あぁ、そうさ。アンタを救いあげようとしていたあの嬢ちゃんを、悲しませないように。アンタを大事に思ってくれる誰かを泣かせないように、ね。アンタはあの嬢ちゃんを泣かせて、悲しませたくはないだろう?》
――……うん。
《だったら、力を見せつけてやりな。いいかい、クラリス。魔力ってのは、なかなかに難しい。ましてこの世界じゃ珍しい力みたいだからね。だから尚更、力に酔い痴れないように、自分を律する必要があるのさ》
――自分を、律する……?
精霊の言う言葉は、難しかった。
当時の私にはその意味を十全に理解できているとは言えなかった。
《おや、ちょっと難しかったかい? まあ、あの馬鹿弟子はちょいと異常ではあったからね、アイツと比べるのは……――っと、今はそれどころじゃないね。いいかい、クラリス。力に酔い痴れて、自分が自分じゃなくなってしまっても構わないと思うかい?》
――それは、嫌だ。
お手伝いさんが、私に色々な事を教えてくれたから。
あの人が、私の事を大好きだと言ってくれたから、私は私で在り続けたい。
《なら、その気持ちを誓約にしな。アンタはアンタで在り続ける。その言葉を絶対に忘れないように、深く深く、自分の内側に刻み込みな。その誓いがある限り、アンタは変わらない》
深く深く、自分の内側に刻み込む。
その言葉の意味は、すんなりと私の中に沁み込むように理解できた。
《大事なものを守るため、大事な何かを成し遂げる為なら、振るうべき時ってものがある。今がその時さ。――さあ、クラリス。高らかに世界に告げな》
「――私は私で在り続ける。その為に、この力を振るう」
それが、私が魔法少女として力を使う『宣誓』となった――――。
◆
懐かしい、夢を見た。
遠い遠い過去の夢。
私が魔法少女となって初めて力を使い、力で全てをねじ伏せたあの日の夢。
「……おはよう、師匠」
《――ん、もう朝かい。よく眠れたみたいだね、クラリス》
声をかければ答えてくれる、私の中にいる精霊。
――「師匠と呼びな、弟子と認めるかはともかくね」。
そう言われて以来、ずっと師匠と呼んでいる私の大事なパートナーに朝の挨拶を済ませると、どこかぼうっとした声色で彼女は優しく答えてくれる。
「うん。……懐かしい夢を見たよ。私が『宣誓』をした頃の、忘れちゃいけない記憶」
《はん、なに言っているんだい。懐かしいったって、たかだか五年ばかり前の話じゃないか》
「ふふ、師匠にとってはそうかもね。三百歳だっけ?」
《あぁ、そうだね。三百年と少しで終わったはず、だったんだけどねぇ。まさかこんな形で異なる世界を知る事になるなんて、考えた事もなかったよ》
どこか懐かしそうに師匠は私の中で告げる。
あまり自分の事を話してくれないけれど、私の契約した精霊である師匠は、かつてどこかの世界で生きていた本物の魔法使い。
そんな存在がどうしてこの世界の精霊になったのかと言うと、私のせい。
私の助けを求める心に応じて魔法が発動してしまい、その魔法によって選ばれたのが師匠だったらしい。
生涯を終えて眠りに就いていた師匠を、私の魔法は目覚めさせてしまったそうだ。
それを謝罪した事もあったのだけれど、師匠は軽く笑い声で続けた。
《――悪くないよ。私にとっても未知の溢れる世界だからね。こうしてアンタの中から世界を見れて、得した気分さ。まあ私が生きていたあの世界を見続ける事になったりしてたら、そりゃあ少しは思うところもあったかもしれないけどね》
「何か、悲しい事があったの?」
《なに、三百年と少しも生きてりゃ、そりゃ色々とあったのさ》
師匠はそれきり、魔法使いとして生きていた頃の話をしない。
少しぐらい教えてくれたっていいのに、とは思うのだけれど、あまり深く突っ込むと無言を貫かれてしまって会話さえできなくなっちゃう。
それはちょっと寂しいから、私も敢えて何も訊かないようにしている
《なにボーッとしてるんだい、今日は初ダンジョンだろう? シャキッとしな》
「あ、うん。そうだったね」
そう、今日は私が通う凛央魔法少女訓練校の生徒による、ダンジョン調査が予定されている。
通称、葛之葉ダンジョン。
今日私たちは、あのダンジョン調査に行く事になっている。




