幕間 兄妹の決断 Ⅲ
一通り動画を見直しながら、ルオと名乗った魔法使いは何箇所かの映像の一部を見つけては削っていった。
消しても特に問題のない箇所であったりするし、俺や美結には何が問題なのか分からなかったが。
「普通なら視えないものが視える人がこれから現れてしまうかもしれないからね。消しておくに越した事はないんだ」
「え!? おばけとか!?」
「あはは、まぁ視える視えないっていうのがあるという意味では似たようなもの、かな? まぁキミ達もいずれは視えるようになるかもね」
……美結と同様に俺もそっち系の話かと思ったが、少し違うらしい。
「というか、なんでお前がこんな事をするんだ? お前、神祇院の関係者なのか?」
「関係者と言えば関係者だね。もっとも、外部顧問みたいな立ち位置ではあるから、僕を知っている人はあまりいないけどね」
「外部顧問?」
「そう、外部顧問。だから神祇院でも僕を知る存在は極少数だね」
「おぉー、なんか子供なのに凄いんだね、ルオくん」
「……まぁね……」
美結の感想でまた遠い目をしたな、コイツ。
もう美結の中では弟感覚というか、頭撫でられてるし。
本人は嫌そうだが。
「ねぇねぇ、ルオくん。もしもルオくんが何もしなくて、視える人がその何かを見ちゃったらどんな影響があったの?」
「大した問題じゃないよ。運が良ければ急に魔力を扱えるようになるし、運が悪ければ単独で死ぬ程度で済むってところかな」
「……え?」
「魔力の覚醒が急速に行われてしまった場合、分かりやすく言うとひどく興奮状態に陥る事になるんだ。この状態になってしまった人物の精神性次第な部分が出てくるんだよ」
「おいおい、なんだそりゃ? 俺らはそんな事なかったぞ?」
「それはキミの自覚が薄かっただけだよ。冷静になって考えてごらんよ。意味の分からない状況に投げ出され、妹と二人きり。現れたのは骸骨が動く魔物という存在。常識的に考えれば、これらの状況を前にパニックを起こして取り乱すか、恐怖に固まってしまうかのどちらかが関の山だとは思わないかい?」
「それは……」
「まさか妹がいたからしっかりしなきゃと奮い立たせた、ただそれだけで乗り切れたとでも言うつもりかい? 夢を壊すようで悪いけれど、人間は元来臆病な生き物だ。冷静に対応できたと考えているのかもしれないけど、『興奮状態になってようやく釣り合いが取れて冷静な状態を生み出せた』、というのが正しいんだよ」
……言われてみれば、それは確かに否定できないかもしれない。
普通に考えてあの状況は危険だと頭では理解していたし、骸骨――あのスケルトンとやらが動いているのだって常識的に考えれば有り得ない状況だった。
なのに俺は対抗していたし、美結だって動画を撮影なんてできていたのだ。
ホラーが苦手な美結がそう自覚していたにも関わらず、まるで日常の延長線のように。
もしもコイツの話が本当で、もしも俺たちがあの時、魔力を使えるようにならなかったのならと考えると……ぞっとする。
美結もおそらく思い当たる節があったのか、顔を蒼くしていた。
「それで、魔力を扱えるようになった時に引き起こされる最悪の想定が、身体の内側で溢れる魔力を興奮のままに暴走させた場合だね。自分だけが死ぬならともかく、火の適性があって制御できなければ大爆発が起こったり、水だったら突然水が生まれて周囲を押し流すかもしれない。氷の適性だったら凍土の出来上がり。風であれば周辺が吹き飛ばされ、地であれば大地が暴れる、とかかな」
「……え、っと、冗談?」
「冗談ではないかな。もっとも、事実としてそういう事例は今のところは発生していないし、魔力の保有量が少ない今の人類ではほぼ起こらないだろう、けれど絶対にないとは言えない可能性の話さ」
「……そっか。うん、それなら良かった」
コイツが本当の事を言っているかどうかは、今更ながらに疑う気にはなれなかった。
いや、正確に言えば疑ったところで俺や美結には真実を理解する事なんてできない、という事が理解できている。
ただ、コイツが言っている言葉が嘘だったのなら、こうしてわざわざこんな限界集落までやって来たりはしないだろう事は理解できる。
詰まるところ、コイツは多分真実を告げているのだろう。
ただ俺や美結には理解できない真実を知っていて、その対策を打ちに来たというところだろうか。
「うん、こんなところだね」
「……ありがとう、ルオくん。これで、私の動画で人が死んでしまったりっていう事はなくなったんだよね?」
「動画を見ただけで魔力の覚醒を促すような存在は映っていないという意味なら、そうだね。でも、そもそもキミの動画のせいで死んでしまう訳じゃないだろう?」
「え?」
「魔力を暴走させるのは、自制心や信念、あるいは矜持というもので自分を律する事ができない、いわば物心がついたばかりの子供だけに起こるようなレベルでの事故だよ。それに、子供は魔力量も少ないから大惨事にはならない。問題は大人だけれど、大人であれば心が育っているのだから自制する事ぐらいできて当然と言える。もし大人なのに興奮状態になったからって自制すらできないのだとすれば、それは本人が自分を律する事さえできないという証左だよ。なら、本人の弱さが問題じゃないか」
「でも、動画を見なければ――」
「――うん、そうかもしれない。でも、それはバタフライエフェクトを恐怖するのと同じようなものだよ」
美結としては気になるところだからこそ口にしたはずの言葉。
美結の気持ちは俺にも分かったが、それでもルオはあっさりと言い放った。
「世界が変化しているんだ。キミの動画がきっかけの一つになりかねないのは事実だけれど、そんなものはただのきっかけに過ぎない。結局は本人次第だとさっきも言ったと思うけど? キミの動画は大きく変わり続けている世界の中にある、些細な、ちょっとしたきっかけになるかもしれない一粒の砂粒のような代物でしかない。実際、起こる可能性なんて限りなくゼロに近い話だよ」
「……そっか」
「まぁ、むしろ僕から言わせてもらえば、魔力が扱えるからといって湧き上がる魔力に興奮して自制できない存在なら、むしろ死んでしまった方がいいと思ってるけどね」
「え……?」
「魔法が一般的になるっていうのは、詰まるところ誰もが凶器を持つ社会になるという事だよ。誰もが誰かを一息に殺せる世界になる。その意味を、理解しているかい?」
「……ッ!」
「さっきも言ったけれど、興奮状態に陥って自分を保てないような人間が力を有した時に自制できると思うかい? 暴力に使う者、犯罪に使う者はきっと次から次に出てくるだろうね。そんな人間なら、いっそそうなる前に勝手に死んだ方が話が早いじゃないか。少なくとも被害者は減るよ」
その言葉は極端な話ではある。
人を見殺しにするとか、死んだ方がいいとか。
そういう部分に対して反感はあるものの……けれど俺にとっても理解できないような内容ではなかった。
ルオの言い分や言葉の端々から感じられる冷たさ、異質さを理解してか、美結が数歩ずつ後退るようにルオから距離を取っていく。
そんな姿を見て、ルオは「そうなるのもしょうがない」とでも言いたげに苦笑混じりに肩をすくめてみせてから、改めて続けた。
「ま、安心するといいよ。今回のダンジョンはあまりにも剥き出しであったし、キミが自覚していないから映り込んでしまっている部分もあったけれど、キミが映したくないと思うのなら映らないように付喪神も調整してくれるだろうからね。今後キミが撮るようなもので、同じような処理は必要ないし、僕が言ったような事態は起こらないさ」
「危ない連中はさっさと死んだ方がいい、なんて言ってたお前の口からそう言われてもな。実は普通に映る、なんて事になってんじゃねぇだろうな? んでお前なりの選別の片棒を担がせるとか」
「あはは、そういう騙し方をする趣味はないかな。少なくとも、僕はキミ達が『探索者ギルドの公認探索者』になる件については応援しているぐらいだよ。ダンジョンという存在を周知するためにも、気兼ねなくやってもらいたいからね」
「嘘じゃねぇんだな?」
「もちろん嘘じゃないよ。そもそも付喪神はキミの妹ちゃんの想いに応える存在だよ。望まないと知った以上、しっかり対策ぐらいしてくれるさ」
……真相を知ったからこそ、伝えるべき立場でありながら伝えない選択肢を選び取る事ができる、という意味か。
まったくもって分かりにくいやり方だが、あぁ、ある意味これ以上なく釘を刺すには充分なやり方だと言えるだろう。
終始手のひらの上で踊らされているような気がして釈然とはしないが、コイツは伝えるべき事を伝える為に、わざわざこうした真実を伝えているのだと、心底理解する。
「……礼を言う」
溜息を吐いてから、頭を下げる。
顔をあげてみれば、ルオはきょとんとしたような、美結は驚いたような表情でこちらを見ていた。
そんな二人の姿に苦笑する。
「言い方は確かにアレだが、結局俺らの事を考えてお前が動いてくれたって事は分かったからな。それに、色々と考えが足りてなかったし自覚もなかったってのも事実だ。失くしてから気が付く、後になって後悔するなんてなるより遥かにマシな形で真実を告げてくれてるってのは事実だろ。だから、礼を言わせてもらった」
「へぇ、ずいぶんと殊勝な態度だね?」
「そういうお前こそ、なんでそんな回りくどい言い方してやがるんだか。お前の死生観っつか、考え方まで俺らに言う必要はなかっただろうが。わざわざ距離を取らせるような言い方しやがって」
「あはは、僕の性分みたいなものだからね。それに嘘は言ってないよ?」
「嘘は言ってないかもしれないが、本音も隠しすぎだ。要するにお前、美結と俺に自覚しろって言いに来たんだろ」
きょとんとする美結はいまいち理解できていないようだが、ルオが僅かに笑みを深めてみせたあたり、予想は的中したらしい。
「……俺と美結はダンジョンを踏破した。その結果、魔力の適性ってものが得られた。それってつまり力を得たって事だろ。だから、お前は確かに見定めに来たんだろうさ。魔力によって力を得た俺と配信によって一気に人気を得てしまった美結を」
「……え、動画は……?」
「そっちは多分、ついでなんだろうよ。ったく、コイツは俺たちを見定め、放置するか手助けするかを決めたんだろ。んで結果としては助けてやろうって判断されたっつー訳だ。だからついでに、美結の動画で何かが起こって美結が苦しまないようにって気を利かせた。そんなところだろ?」
だからコイツの言う見定めってのは、動画に対してのものなんかじゃないんだ。
徹頭徹尾、コイツは俺たち兄妹を見定めに来たんだろうさ。
唖然とする美結とは違って、ルオは笑みを深めたまま動じない。
まったく、コイツのこういう態度は集落のジジババ様がたに似ているんだ。
分かりにくく、一見すれば全く違う印象を抱かせるってのに、真意は別のところにあったりする。
人間を見限っていてあっさりと死ねばいいと言いつつも、美結に対しては真実を伝え、後悔しないように誘導している。
しかもそれを悟らせないように、論点さえもすり替えてまで、だ。
「……ったく、底意地の悪いヤツだ」
「褒め言葉として取っておこうかな?」
「正真正銘の本音だ、馬鹿野郎」
「おや、これは手厳しいね。僕はキミみたいなタイプ、嫌いじゃないよ?」
「フザけんな。俺はお前みたいな面倒くせぇタイプ苦手だっつの」
軽口を言い合っても、コイツは特に気にしたりしない。
むしろ真相を見抜いたからこそ、コイツはどこか俺を認めたようにも見えるぐらいだ。
呆れ気味にルオから目を離して美結の頭に手を置いてわしゃわしゃと撫でてやれば、美結が我に返った様子で俺の手から逃げた。
「おにぃ、乱暴!」
「いつまでも気にしてるからだろうが。お前も無事に映像を撮れるようになったってんだから、素直に喜んでおけよな」
「むぅ~~……。でも、うん。そう、だよね。私のスマホ……あっ、ルオくん迎えに行った時に玄関に置いたままだ!? 取ってくる!」
「あ、ならついでにご飯炊いてくれないか?」
「はーい」
慌ただしく台所に向かって行った美結を見送って、居間に僅かに静けさが戻る。
そんな中、ルオが立ち上がって帰ろうとしてくる事に気が付いて、最後に俺は訊ねた。
「……なぁ。もし俺が、美結が有頂天になってたりしたら、どうしてた?」
「有頂天にって、具体的には?」
「さっきお前が言っていたように、魔力を使って悪巧みしたり、暴れたりとかだよ」
もしかしたら起こったかもしれない未来に対し、コイツがどんな答えを突き付けるのか。
そう考えて口にした俺の質問に、ルオはたった一言だけ告げてから、指を鳴らしてその場から消えてみせた。
その答えを聞いた俺は力が抜けたように寝転がり、そのまま天井を見つめて呟いた。
「――消してたよ、か……。ったく……、シャレになってねぇぞ、マジで」
最後にその一言を告げていたアイツの顔が、さも当然の事を、当たり前に口に出しているような態度であったせいか。
どっと疲れた気分で、俺はしばらくそのまま呆然と天井を見上げ続けていた。




