幕間 兄妹の冒険 Ⅵ
――どれぐらい打ち合っただろう。
俺の攻撃は単純な突きと払いしかなく、対して甲冑武者は時折蹴りを入れてきたり、突き出した槍を篭手で払って距離を詰めてきたりと、お互いの技量差は明確だった。
それでも戦い続けていられるのは、偏に甲冑武者が動きを緩やかにしてくれていて致命的な攻撃を控えているおかげだ。
どういう意図なのかは判らないが、美結からは均衡が保たれているように見えるかもしれないが、俺にとっては天辺の見えない壁を前に立っているような気分だ。
「はぁっ、はぁ……っ! 痛ぅ……ッ!」
致命傷にはなっていないものの、俺の身体は傷だらけで、ツナギもボロボロになってきている。
相変わらず俺が下がれば、甲冑武者も深追いしようとはしないらしく、こうして息を整える時間を与えてくれている。
まったく、笑えてくる。
明らかに手を抜かれているのにこのザマだからな。
それでも投げやりにならないように気持ちを落ち着かせつつ、上着部分を脱いで腰元で袖口を縛り、頭に巻いたタオルを左腕の傷口に巻く。
「すぅ……、ふぅーー……っ」
目を閉じて呼吸を整える。
荒々しく続いていた呼吸が、まるで蝋燭の炎が消えていくかのように小さく、静かに収束していくような錯覚を覚えたのは、偏にこの部屋の明かりが松明の炎が揺らめくせいか。
血が流れたおかげか妙に頭が冷静で、さっきまで甲冑武者が見せてきた槍術とでも言うべき動きが頭の中にしっかりと記憶できている。
無我夢中で避けていたアイツの攻撃も、少しずつ小さな動きで予測し、弾く事ができるものも幾つかあった。
まるで命懸けの手解きを受けているような、そんな気分すらしてくる。
それぐらい甲冑武者の動きは俺に稽古してやろうと言わんばかりのものだった。
意地を張らずにその教えに素直に応じるために、一つ一つの動きを頭の中で反芻して――目を開く。
この数分、あるいは数十分の中で俺が甲冑武者の技量を超えるなんて事は有り得ない。
だから、恐らく一発。
一発だけに渾身の力を込めて入れるぐらいしか、アイツに届かないだろうし、その一発で決める。
体力だって限界が近い。
正直、使わない筋肉を使って、一歩間違えたら死ぬような攻撃に曝されて、少しでも気を抜けば膝が笑って立ち上がる事さえできなくなるような、そんな気さえしている。
一体何が目的なのかは分からないが……けれど、美結を無事に連れて帰るまで、俺が死ぬ訳にはいかない。
次で、決める。
死んでも、美結を無事に外まで送り届けてやる。
「――……しッ!」
槍を構えて、駆ける。
あまりの疲労にもつれそうな足を、ただ甲冑武者に向けて踏み出す為だけに動かしているせいか、妙に前傾姿勢になっているような気がした。
けれど、それがかえって甲冑武者の虚を衝いた。
終わらせると言わんばかりに顔に向かって突き出された槍。
その刃先が眼前に迫る中、俺もまた手に持っていた槍を構え――地面に突き立て、強引に斜め左側へと軌道を変更する。
甲冑武者の槍は急激な俺の軌道変更について行けず、けれど、俺もまた充分に避けきる事はできずにその刃先が右肩を抉る。
けれど、それでも止まるつもりはなかった。
痛みを堪えながら、右腕を伸ばして甲冑武者の腹へと抱き着くように、勢いそのままに倒れ込みつつも、それでも一点――甲冑のない脇目掛けて強引に身体を捻って左手に握っていた槍をねじ込む。
甲冑武者の弱点もまた、スケルトン同様に左胸のあたりにある。
それは槍を何度も打ち合っている最中に、俺が今まさに狙っている脇から淡い光が漏れ出ている事に気が付いていた。
ただ、真正面からでは甲冑に邪魔されてしまうし、甲冑を貫けるとは思えなかった。
だから、この瞬間。
槍を繰り出して腕が伸び、懐に入るこの瞬間。
多少の怪我を代償に生み出した最初で最後のこのチャンスを、絶対に掴み取る必要があった。
「――おおぉぉぉッ!」
叫びながら左手に持った槍を、強引に突き入れるのとほぼ同時に、手応えがあったかどうかも分からないままに甲冑武者もろとも倒れ込んだ。
静寂があった。
俺はただ、左手に持った槍の柄と、甲冑に回した腕を放さないようにと必死に喰らいついたままだったが、肝心の甲冑武者は動こうとはしなかった。
恐る恐る顔をあげて見れば、甲冑武者がちょうどスケルトン同様に風化していくところだったらしく、黒い靄のような煙が上がっていく。
そんな中、甲冑武者は俺へと顔を向けると、何かを告げるように僅かに口元を動かしたかと思えば、そのまま崩れていく。
「……勝てた、のか……」
「――おにぃ!」
美結が駆けてくる足音が聞こえて、生きている事を訴えるように僅かに手を上げて応えてやれば、美結が俺の手を握った。
「おにぃ、どうしよう……! 血、血が止まってないよ……!」
美結が俺の肩を見て、声をあげる。
俺もその声に答えてやりたいところだが、如何せん疲れ切ってしまったのと血が出すぎてしまったせいか、妙に意識が朦朧としている。
――あぁ、このまま俺、死ぬのか?
そんな事を考えながらなんとか口を動かそうとしていた、その時だった。
「――ちょっと邪魔するよ」
パチンと指を慣らすような音が聞こえて、同時に聞こえてきた男の子っぽいような声。
その声の主はまるで取り乱す様子もなく、美結に向かって日常の一コマを送っているかのような平然とした物言いで続けた。
「ダンジョン踏破記念という事で、これをあげよう」
「え、あの、キミ、誰……?」
「んー、そうだね。通りすがりの魔法使い、とでも言っておこうか。あぁ、僕との会話はキミのスマホからは配信されないよ。今は音を遮断させてもらっているからね」
何者だという美結の問いに返ってきたのは、そんな言葉だった。
そいつの姿は俺からは見えなかったが、飄々とした物言いで続ける。
「それは魔法薬、ポーションってヤツだね。それを肩の傷にかけてあげるといいよ」
「え……?」
「いいから、試してごらん? 脅す訳じゃないけれど、キミのお兄さん、そのまま何もしないと死ぬよ?」
「……ッ! ……おにぃ……」
突然現れたらしい謎の人物の助言なんて本当は聞くべきじゃないのかもしれない。
だが、もしも俺たちに危害を加えるような存在であるのなら、わざわざ魔法薬だかなんだかなんてものを偽って渡すような真似はしないだろう。
迷う美結を後押しするようにどうにか頷いてみせれば、美結の方からワインのコルクを抜くような軽快な音が聞こえてきて、傷口に何かがかけられた。
痛みはなかった。
むしろかけられた途端にじんわりと熱が広がっていくような感覚が体全体にまで沁み渡ってきて、俺の視界が正常なものへと変わっていく。
心なしか他の傷口の痛みすら消えかかっているような気がして、不思議な気分を味わいながら身体を起こすと、美結が抱き着いてきた。
そんな美結を片手で受け止めながら、美結に声をかけてきた人物へと顔を向ければ、そこに立っていたのは精巧な人形を思わせるような、酷く整った顔をした白銀色の髪をした、少年だった。
「……助けてくれた事には礼を言う。けど、アンタ何者だ?」
「ま、さっきも言った通り、通りすがりの魔法使い、と思っておいてくれればいいよ」
肩をすくめて答えるそいつの姿は、俺の目には異様な存在に映っていた。
ともすれば、先程まで対峙していた甲冑武者なんか可愛いものだと思う程度に、何か言い知れないものを持っている存在のように思えてならなかった。
そう考えて口を噤んだままの俺を見て、そいつは興味深いものを見たとでも言いたげに目を眇めて笑ってみせた。
「へぇ……。キミ、いい眼を持っているね」
「……そりゃどうも」
「つれないなぁ。ま、いいけどね。ひとまずキミとそっちの妹ちゃん、二人とも、その魔法薬を一本ずつ飲んでおいた方がいいね」
「……なんでだ?」
「キミの場合は身体の傷を治せるし、キミの妹ちゃんの方は慢性的な体調不良を回復できるからね」
「な……ッ!? 美結の身体の不調が治るのか!?」
「うん、そうだね。というよりキミの妹ちゃんは契約に魔力が足りていないだけさ。時間が経てば吸収も治まるんだろうけれど……、まぁ、早めに終わらせた方がいいだろうね」
何を言っているのかは俺には判らなかったが、どうやらコイツは美結の不調の原因さえ理解できているらしい。
どうにも胡散臭い印象を受ける子供だが、今のところ敵意や害意といったものがあるようには思えないが……信用、できるのか……?
僅かに迷っていた俺を他所に、俺から離れて身体を起こした美結が、早速とばかりに少年が出した薄っすらの赤みがかった液体の入った瓶を手に取り、蓋を開けて一気飲みした。
「おい、美結ッ!」
「――ぷはぁっ! なにこれ美味しい!?」
「いや、なんで飲んだんだよ!?」
「だって、おにぃの怪我も治ったし、おかしなものじゃないでしょ?」
「それと躊躇なく飲むってのは別の話だろ……」
「あはは、まぁ話が早くて助かるよ。キミも飲むといいよ。低級ポーションじゃキミの身体の回復にはまだ足りていないみたいだしね」
そう言いながら差し出してきた、美結が飲んだものと同じもの。
試験管を思わせるそれは俺に渡してくる一本とは別にあと三本用意されているようで、それらをそっと美結に手渡していた。
「低級ポーションだけど、効果は充分に理解できたね。それは公にしても構わないから持って帰るといいよ。骨折や裂傷、重病とまではいかない病気なんかなら充分に回復する」
「いいんですか!?」
「うん、構わないよ。ダンジョン突破の踏破報酬さ。そろそろ僕も消えるから、スマホ、あそこに放ったままになってるし取ってくるといいよ」
「あっ、忘れてた!」
美結が少年に言われるままスマホのもとへと駆けて行く。
そんな姿を見送って、俺も意を決して魔法薬とやらを飲み干した。
薄っすらベリー系を思わせる味。
爽やかな甘さが喉の乾きと身体の痛みを癒やしていくような気がして、気がつけば身体の傷という傷が塞がっていくのが見て取れた。
腕に巻いたタオルを取ってみれば、血の痕だけが残っていて、傷は綺麗さっぱり消えている。
確かに魔法薬だな。
どんな薬であっても、普通に考えてこんな傷の治り方はしない。
魔法って言われて納得できてしまうあたり、このダンジョンで過ごした時間は濃密だった。
「……お前が」
「うん?」
「お前がダンジョンを創ったのか?」
コイツはダンジョン踏破記念と、そう言っていた。
通りすがりの魔法使い、なんて不可解な存在。いつの間にか俺たちのすぐ近くにやってきた、何が目的か判らない謎の存在。
むしろダンジョンを創ったのがコイツなんじゃないかと考えた方が、この状況にも納得できる。
……何より、コイツの飄々とした態度がどうにも俺たちを騙してきそうな、そんな危険さを滲ませているように思える。
油断すれば喰われてしまうんじゃないかと、そんな気分になってくるのだ。
警戒した俺を他所に、少年はひらひらと手を振った。
「ダンジョンを創ったのは僕じゃないよ。僕はたまたま動画でキミ達を見て、様子を見にきたのさ」
「……どうやって?」
「さて、それを教えてあげるほど、僕は親切じゃないなぁ。そんな事より、ほら、ポータルが開いたよ」
少年が部屋の奥を指さして告げるので、俺もそちらへと目を向ける。
そこには俺と美結が入ってしまった光の渦と似たような何かが浮かんでいて、ようやく出口に辿り着けたのかとほっと胸を撫で下ろす。
「キミ、名前は?」
「……人に名前を聞くなら、自分から名乗ったらどうだ?」
「おや、命の恩人に名乗りもしないのかい?」
「ぐ……っ。はあ、俺は鹿月 鏡平だ」
「鏡平、ね。僕は……まぁ、一週間後また会いに行くから、その時に名乗るよ」
ポータルから少年に目を向けると、すでにそこに少年の姿はなく、代わりに美結がこちらに走ってきて、俺をスマホで映し出した。
「でね! さっき言ったダンジョンの踏破報酬の魔法薬で、ほら、おにぃの傷も完全回復してるでしょ!?」
美結はすでに一通りの説明をしていたらしく、スマホに向かって魔法薬の説明をしているらしい。
どうやら俺の傷は動画でしっかりと伝わっていたらしく、相当驚かれているようだが、まぁ、あんな代物があったら国に徴収……いや、買い取りたいとでも言われそうだな。
さすがに動画で配信しちまっている以上、無理に徴収するなんて真似はしてこないだろう。
それに――この槍も、か。
俺にとってはずいぶんと助けられた武器だが、これも徴収されたりするんだろうか。
ルイナーが出る前は銃刀法違反なんてものがあったが、今じゃそっちの規則はだいぶ緩くなっているらしいし、せっかくだからお目溢しされると有り難いんだがな。
いや、まぁそれはともかくとして、だ。
「ねぇ、おにぃ! あれって私たちが入ったのと同じようなヤツだよね!?」
「あぁ、さっきの通りすがりの魔法使い曰く、出口らしいぞ」
「え、おにぃアレ信じてたの? 私はダンジョンの精霊だと思うなぁ!」
「……ダンジョンの精霊、ねぇ」
確かに見た目は作り物めいたぐらいに整っていたし、人間っぽさはなかったが。
……まあ、詮索してもしょうがないか。
立ち上がって身体の埃を手で叩くように払ってから、俺は美結へと顔を向けた。
「帰るぞ」
「うん!」
――こうして、俺と美結の謎の冒険は終わりを迎えて。
そして一週間後、約束通り、通りすがりの魔法使いは再び俺たちの前に姿を現した。




